宿敵との出会いと目覚め
時は少し遡り──
魔族の侵攻を察知したゼルツ辺境伯軍は多数の戦力を率いて荒野を進軍し、魔物の大群へと一気呵成の勢いで突撃した。
地面を堀り進む土竜の如き大蜥蜴、岩の皮膚を持つ大熊や、血で真っ赤に染まった肉食羊の群れに、人間大の軍隊蟻や、それらを使役するゴブリン、魔物に跨るオーク兵、棍棒を振りかざす一つ目巨人、空飛ぶワイバーンの群れに、赤き竜眼を持つドラゴン達。そして低級の魔物を奴隷のごとく使い捨てている、青肌と片翼の魔族達。
それらとの交戦は今までにない規模での戦いとなった。
無論、その戦闘を単騎で駆け回るのは、人外の速度で地を駆けるゼルツ辺境伯。後衛は先代が部隊を指揮し、辺境伯軍は次々と魔族の将兵達を討ち取っていった。
今まさに剣の一振りで将を切り捨てれば、相手はこちらにはわからぬ言語で何かを呟き、動かなくなる。
返す刃で飛来してくるドラゴンの片目を切り払い、手負いのそれが後衛へ向かうのを敢えて見逃す。全てを殺すには身体が足りない、アレは騎士達の獲物になる。
血生臭い息を吐き、レオノーラは爛々と輝く赤い目を眇めて口端を歪める。
それは狂喜、戦闘狂の本能だ。
幾度目かの突撃を敢行しようと、血に塗れた剣を手に構え、
次の瞬間、レオは咄嗟に身を翻した。
自身の居た場所へ放たれた無数の光線が地面を焼く。
『……これは、驚いた』
魔族の言葉が響く。
レオが目を見開く先には、一体の魔族が居た。
されど、その姿は他の魔族とは大きく違っている。
銀色の髪に、鱗に包まれた青い皮膚、額より生える大きな角、爬虫類のようなぬらりとした赤い瞳に、縦割れ瞳孔。ゾロリと生え揃った牙を晒し、笑うように人型のそれは、レオを睨めつけた。
まるで、竜を人型に落とし込んだかのような姿。
それに、レオの本能は最大限の警鐘を鳴らしていた。
「……あら、素敵。まるでドラゴンのような姿ね」
『まるでドラゴンのような人間だ。否、我と同じく、もう少しでドラゴンへ至る存在か」
互いに互いの言葉はわからない。
されど、両者は本能で理解し合っていた。
アレは、絶対に打倒せねばならない存在だと。
……両者の戦いは、まさしく人外の戦いであった。
レオノーラが剣を振るえば大地を割り、相手が魔法を奮えば大地に大穴を開ける。
互いの力が互いを殺さんと殴りつけ合うそれは、拮抗するほどに僅差であった。
しかし、一つだけレオノーラには不利な点があった。
それは、人間という種族の脆さ。
片や相手は竜の鱗に包まれ、強靭な魔族としての体力と魔力を持っている。
されど、レオは人間の女性という脆弱さを持つ肉体だ、自然、スタミナと防御力の差が雌雄を決するのは当然の結果であった。
「がっ……!?」
相手の爪閃は宙を飛来し、レオの剣を叩き折ってその胴へと刻み付ける。
血を吐いて、されど強靭な再生能力でゴリ押すように地を蹴るも、怪我人と健常者では彼我の速度は明らかで。
相手の岩をも割る膝蹴りが、レオの胴を上へと突き上げ、宙を舞った。
息が止まり、意識が明滅する。
気づけば地に伏せて、引き攣れた呼吸を繰り返している。意思を無視して体が動き、震える腕は力が入らない。
拳を握るその腕を、上から踏み潰すのは竜の如き足。
『完全に目覚めねば、この程度か』
「く、ぐ……ぅ」
『その潜在能力は確かに厄介だ。お前達に残された竜王の祝福は、我らにとっても欲する物だが……』
竜人は迷うように片目を眇め、次いで人間のように口端を釣り上げた。
『お前達人間は、絆を大切にするのだったか。では、我と違い伴侶がいるのかもしれないな』
相手が無造作に腕を振る。
瞬間、大空に巨大な魔法陣を描き出した。
魔族にのみ許される魔法、その転移の陣が発動すると同時、その竜人は口よりドラゴンの如き咆哮を上げる。
すると、周囲を暴れ回っていたドラゴンの幾匹かが答えるように吠え、陣の中へと入っていく。
姿が消えていくそれを眺め、レオは本能で理解する。
『お前の伴侶を、これから殺そう』
──こいつは、今から自身の夫を、殺そうとしているのだ。
彼が、ルドウィグが、血に塗れ、肉を割かれて食い散らかされる姿を幻視して、
刹那、レオの意識は、真っ赤に染まった。
魂の奥底で咆哮を上げる何かが居る。
咆え猛るそれは脳裏を暴れまわり、狂う本能が人としての鎖をブチブチと引き千切る。
赤熱よりも尚、赤いそれは熟成された憎悪を燃料に、彼女の中で抑えられていた殺意を燃え上がらせた。
動く者は敵だ、敵は殺せ、牙を突き立て食い殺してやれ、この身を喰らわんと欲する全てを、噛み砕いて飲み込んでやれ、道理も人道も境なく、害意ある全ての者を皆殺しにしてやる──
倒れていたレオは相手の足を掴み、そのままバキリと音を立てて相手の足を圧し折る。
『っ!?』
足首を砕かれ、されども相手はレオを蹴り飛ばす。
蹴り飛ばされる反動で一回転して着地し、レオは天へ向けて咆哮を上げた。
メキメキと、体が変わる。
皮膚の一部に鱗が生え、額に角を生やし、両腕や爪が黒い竜のものへ。
そして背に皮膜の翼を生やし、血のような瞳は裂けたような縦割れの瞳孔を晒す。
『なんと、目覚め』
皆まで言う前にレオの姿が掻き消え、
次の瞬間、竜人の体がへし折れる。
宙を舞う最中も竜人が魔法を振るうも、その全てをレオは咆哮と共に吐いた轟音で掻き消した。
目を見開く竜人へ、獣の如きレオは牙を晒して相手の角に噛みつき、それをいとも簡単にボキリと噛み切ってみせた。
そして竜化した腕で叩き砕けば、相手は地面へと落下して土埃と共に見えなくなる。
それを気にもせず、レオは天を見上げて唸る。
自らの伴侶を殺そうとする不届き者共、それへ許しがたい怒りが全身の爪先にまで行き渡っている。
口より迸る咆哮が天を震わせ、レオは翼を閃かせて宙を飛び、そのまま弾丸の如く魔法陣へと飛び込んで消えていく。
同時に、浮かんでいた魔法陣は塵となるように消え去った。
……動く者の居ない荒野にて。
ガラリ、と砕けた岩の合間から腕を伸ばし、身を起こすのは竜人だ。
『……ふむ、凄まじい。我が角を折り取るか』
愉快げに笑い、折れた角に触れて青い血を滴らせる。
竜の喧嘩は相手の角が折れるまで戦うものだ、その本能がここを狙ったのだろう。
自身の方が格上であると、そう宣言した小さな竜の力を前に、竜人は愉快そうに笑い声を上げた。
『初めてだ、ここまで我を追い詰めさせたのは。なるほど、これが挑戦者の気持ちということか』
『魔王様っ!!』
背後の声に興が削がれたように目を細め、竜人は部下である魔族達へ振り返る。豪華な鎧を身に纏う黒い翼の美丈夫は、魔王と呼んだ竜人へ気後れするような目を向けた。
彼らは、無敵と思っていた魔王の姿に、角の折れたそれに、驚き戸惑っている様子である。
しかし、そんな事は興味すら無い竜人、魔王は、悠々と天を見上げて牙を晒した。
『喜べ、我が竜の弟妹が目覚めた。素晴らしい力だ』
『で、では、竜王の力を宿す人間が……』
『左様。残るはあの娘を食い殺し、ドラゴンと化して竜王の力を蘇らせるのみだが』
地面に落ちている折れた角を一瞥し、魔王は本当に楽しげに笑った。
『我よりも竜の血が濃い、実に面白い! あの娘こそが我が宿敵となろう!』
『あ、あの、黒髪の女……人間どもの要塞を守る王、確か名はゼルツでしたかな』
『ゼルツ、なるほど、ゼルツか……覚えたぞ』
魔王は遥か彼方、ゼルツのある地を見つめ、ニヤリと笑みを深めた。
『必ず食い滅ぼそうぞ、ゼルツの王よ』
・・・
陣を抜け、竜の翼で空を駆け、本能の赴くままにそこへと向かった。
匂いがする、愛しい匂い、大切な匂い、なによりも第一にすべき、青空のような香り。
下等なドラゴンが壁を砕き、自身の城へ攻め入っている。
それに憤怒の感情を乗せて、石壁を砕きながら飛び入ったそこで、
今まさに殺されかけている伴侶を目にして、咄嗟に相手との間に分け入った。
血飛沫が舞い、ドラゴンの鋭い爪に引き割かれる。
血反吐を吐きながらも拳を握り、伴侶を殺そうとした不届き者へ、自身が愛する都市を攻撃する愚か者へ、その竜の腕を振るった。
パンッ、と一瞬の破裂する音と共に、ドラゴンの頭が破裂して粉微塵になる。
一瞬の沈黙の後、ズズンと沈んだ巨体を前に、レオはようやく沸騰する思考が元の温度に下がっていく気がして、
そのまま、何の感覚も無くなる。
気づけば地面に転がっていて、指先一つ動かない。
息が薄い、まるで山頂で激しい運動でもしていたかのようだった。
自分を抱き起こす誰かが居て、血に塗れながらも、その美しい顔をこちらに向けている。
それへ、思わず手を差し伸べた。
花のように美しい、自分が触れれば壊れてしまいそうなほどに、脆く、大切な存在。
生まれて初めての伴侶は、家族という絆の中でも特別な感慨を抱かせる。
視界が白く染まっていく。
ああ、死んでしまうのだろうか。人間の身体は脆いから、如何に怪力であろうとも、規格外のダメージ全てを受けきれるわけではない。
血が流れていく感覚に、されども、暖かな輝きに包まれながら、レオはゆっくりと目を伏せて……。
・・・
「レオ、レオノーラ……!? おい、目を、目を開けてくれっ!!」
咄嗟に抱き上げて悲痛な声で名を呼ぶも、真っ赤な血に染まった女は何も言わない。薄い呼吸が徐々に薄れていく、抱いている温もりが徐々に薄れていく。
それに、ルドウィグは心の底から、恐怖した。
「た、頼む……逝かないでくれ……レオ、レオ……」
まだまだ、これからだった。伴侶としてやってきて、まだ一月程度しか経っていない。夫婦としての営みもまだで、それどころか触れる事すら出来ていない。
消えていく命を前に、ルドウィグの思考は真っ白に染まる。
(……嫌だ)
全てを失ったと思った、十年前とは比較にもならない喪失感。
不可逆な命が潰える様を看取るという、摂理への絶望感。
(嫌だ)
レオから流れ出る血が、自身の下半身を染めていく。真っ赤な返り血に染まりつつ、ルドウィグは腕の中の女性を掻き抱く。
(いやだ)
初めてだった、自分を笑わなかった女性。不出来な自分を、認めてくれた女性。
これからだと、楽しもうと、そう楽しげに人生を供にする事を嬉しそうに語った相手。
心の何処かで、彼女ならば、伴に生きても良いのかも知れないと、そう思ったというのに。
その糸が、今まさに、途切れようとしている。
「いやだ、いやだいやだ……レオ、レオ……」
祈るようにレオの手を取り、涙を零す。
溢れるそれを止める事もせず、ルドウィグは震える声でレオの名を呼び、彼女の額に口づけるように囁く。
「逝かないでくれ……!」
きつく目を伏せて、嗚咽を漏らしながら祈った。
死なないでくれと、また一緒に話をしたいと、そう一心不乱に奇跡を願う。
……不意に、脳裏に翻る言葉。
聖女、あるいは聖者。
(……私にそんな力があるのならば、どうか、彼女の為だけでいい。
レオを救う力を、彼女を癒やす力を……)
──竜を守る、力を!!
「……おお……!」
遠く、ハリーの感嘆の声が響く。
目を開ければ、糸のような輝きが周囲に舞っていた。
自らから溢れ出る金糸の輝きが周囲に満ち溢れ、それは眼の前の女性を包むように、絡みつくように、その金の光を纏わせている。
途端に体の奥底から、何かが抜け出ていく感覚。まるで魂その物までが抜き取られていくかのような虚脱感に、ルドウィグは唇を噛み締めて耐える。
何故かはわからない、しかし、本能で理解する。
「レオを、ゼルツを、皆を、救いたいんだっ……!!」
祈りは力となり、その糸は光の速度で都市中へと張り巡らされた。
その瞬間、都市の者たちは実感する。
ある者は怪我が一瞬で癒やされ、ある者は異常な程の力が湧き上がった。
眼の前のドラゴンという脅威を前に、軍民問わず人々は風のような金の糸に触れられながら、立ち向かう。
そして、ルドウィグの願いに呼応するように、今まさに死へ瀕していた存在が、急激な勢いで修復されていく。
「…………レオ」
その小さな呼びかけに、目を伏せる女性の睫毛が、微かに震え、見開かれる。
赤い瞳が、青い瞳と視線が交わり、そして彼女は微かに微笑んだ。
「…………ただいま、旦那様」
その言葉に、ルドウィグは泣きそうなほどに顔を歪めて、レオを掻き抱いた。
「…………心配を、掛けさせるな、馬鹿者め」
──おかえり
そう呟く言葉に、レオノーラは清々しい程の笑みを広げて、相手を抱きしめ返したのだった。




