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ルドウィグと平穏と・・・


 先代が帰って来たのだが、されどもゼルツでの生活には特段の変化は無かった。

 起床し、ハリー達の手で身繕い、車椅子に乗せられて食堂に顔を出す。


「おお、ルドウィグ殿、おはよう! 今日は良い天気だぞ、絶好の訓練日和だわい!」

「……え、ええ、おはようございます、ジェストーザ殿」

「やぁやぁ義兄さん! 美しい顔を見られて今日も僕は絶好調だよ! やっぱり一家に一台は美形が居ないとねぇ!」

「お前は鏡でも見ていればいいだろう。……おはよう、ルドウィグ殿。顔色は良いようだな」

「お陰様で、健康的な生活を営んでいますよ、ジョアン殿。それより、レオノーラは?」

「今日は朝早くから現れた土竜退治に向かっている。まあ、怪我が治って早々に元気な奴だよ」


 慣れない一家の団欒に加わり、ゼルツ城の料理人が作る肉主体の朝食に舌鼓をうつ。

 ……尚、ここでの肉とは、非肉食の魔物の肉である。ゼルツ以外ではあまり馴染みのない代物だが、獣に近い魔物は外でも希少な珍味として食べられている。


 朝食後はエルディス医師の地獄のリハビリを行い、筋力強化へシフトしたそれを延々とこなす。


「ここへ来た当初とは見違えるほど回復されましたな。この調子なら、直に歩行訓練に移行できるでしょう」


 淡々としたお墨付きにぜぇはぁと答えつつ、そのまま湯治として温泉へと放り込まれる。

 赤みの掛かった温泉は異様な回復力を増進させる。その効能を確かに実感しつつ、以前より感覚が戻りつつある腰から足を休ませる。

 ゆったりとした湯治の後は、ケーニの発案による美容強化時間とかいう謎日課に巻き込まれた。

 当人が真横で謎のクリーム片手に力説し、こちらの顔に塗りたくってくるので辟易している。


「やはり美人に生まれついたからには美を維持したいものだからね! 化粧水も美容クリームも無いけども、温泉の泉質を元に植物のエキスを混ぜ合わせた特製美容クリームを是非ともに! あ、もちろんパッチテストは前に行っているよ! アレルギーでもあったら大変だからねぇ!」


 謎の熱意で好き放題にやる相手へ、もはや抵抗する気力も沸かなかった。危害を加えてくる訳ではないので、まあいいか、とルドウィグは達観した面持ちで全てを受け入れている。


「義兄さんは美髪だよねぇ、光沢を取り戻す為にも髪のケアも忘れずに! そういえばレオ姉さんも髪は綺麗なんだよねぇ、アレだね、生き血を浴びることで髪にコラーゲンがたっぷりと浸水し」

「……何を気色の悪いことを言っているんだ」


 謎の発言が多いケーニの会話はほどほどに聞き流し、謎日課の次は庭園の散策。

 ハリーや騎士に付き添われ、外の風に当たり、陽の光を浴びて息を吐く。

 自然と、過去の悲しみも苦しみも、この穏やかな空気の中では溶けていってしまうような気がする。

 庭師であるケーニが魔法で増やしている庭園は、王都に比べれば閑散としているが、しかし貴重な緑に溢れている。

 ハリーに命じ、庭の木陰の草場に降ろしてもらい、そこで両足を伸ばす。

 貴族らしからぬ、されども朗らかな開放感に、自然と眉根が柔らかくなる。


「……こういう時間も、悪くないな」

「そうでございますなぁ。平和な時分に、平和を満喫しておくのも必要ですからな」

「その口ぶりでは、また、戦乱がやってくるのか」

「魔王という懸念もありますが、ここでは都市襲撃もよくある話しです。いつ死んでも構わぬように、日々をめいいっぱい生きる事も大切だと皆は考えております故」

「……いつ死んでも、か」


 飛び降りて死にかけて、死に損なった今の自分は、果たして生きたいのか死にたいのか、よくわからない。されども、レオノーラという目が離せない相手が側にいる今は、生きていても良いのかもしれないと、ぼんやりと思う。

 我ながら前向きな考えだ、少し前までは日がな一日部屋に籠もって、酒と薬に溺れていたというのに。


 地面に手を付けば、柔らかな草の感触が返る。

 土の匂い、梢の囁き、陽光の感触。

 今まで見ていたはずなのに、ずっと見逃してきた光景だ。


「……ここは、美しいな」


 そう呟いて、目を伏せる。

 今までの人生の中で、一番穏やかな一時かもしれないと、そう思った。



・・・



 それから書庫へ赴き、何冊かの本を見繕ってから、テラスでお茶を片手に読書に耽る。いつもの日課をこなせば、直に夕刻が近づいてきて、一日は終わりを告げるだろう。

 平和で、夢見心地のような、緩やかな毎日。

 夜には、寝る前にレオノーラと話をして、今日何があったかを聞く。

 快活な女性は、恨みも憎しみも欠片も見せることのない風情で、楽しそうに日々を送っている。血と暴力に塗れた日常など些末なことと言わんばかりに。


(……呪い、か)


 自身の力に関して、全くと言っていいほど心当たりはなかった。こうして聖女に関する文献を漁っているが、その予兆となるような何かすら無い。生まれた際に流星群が降ったとか、不治の病を癒やしたとか、壊れたツボを時を巻き戻すように直したとか、そんな現象など全く無いのだ。

 正直、今でもジェストーザの言葉には半信半疑だ。自分などが聖女など、あり得ないという心境しか無い。それに、もしも聖女に類する存在であったのならば、もっと早くに力に目覚めていられれば、あんな惨めな思いをする必要もなかった筈だ。

 もしも、力に目覚めれば。思わず神を罵倒してしまうかもしれない。

 そんな、恨みめいた愚痴が出てしまう程度には、自分という人間は浅ましいのだとルドウィグは知っている。

 妬みや嫉み、憎悪や殺意、この十年はその感情ばかりに支配されていた。

 こんな欲に塗れた自分如きが、神に与えられた奇跡を扱えるなど、馬鹿馬鹿しい妄言としか思えない。


(……醜いな)


 上っ面が綺麗でも、中身はこんなにも薄汚れている。

 そんな自分の後ろ向きな、男らしくないジメジメとした内面が、ルドウィグは昔から嫌いだった。

 同時に、レオノーラを見るたびに胸の内を掻き乱す焦燥がある。

 自分は、ここに受け入れられて介護をされている。ゼルツの人々はこんな無価値な自分に誠意を込めて接してくれている。

 だが、自分は?

 自分は果たして、レオノーラの隣に立つに値すような存在なのだろうか。彼女の隣に立つ資格があるのだろうか。

 聖女かもしれないと引き取られて、もしもそれが違ったら? いったい今度はどこに捨てられると言うのだろうか。

 

(……浅ましい)


 来た当初は、あんなにも自室へ帰りたかったのに。

 今はもう、吹き抜ける風のようにカラッとしたこの地の空気に、愛着が湧きつつある。

 ゼルツへの感情と、伴侶への想いの変化に気づいて、居た堪れないようにページを捲った。


 そう、密かな自己嫌悪に浸されていた時、


 ──けたたましい警鐘は、鳴り響いた。


 ここへ来てから、幾度か遭遇したそれは、敵襲を告げる警告だ。


「閣下、こちらへ」

「あ、ああ」


 騎士達が警戒し、いつものようにハリーに車椅子を押され、地下の防護壁へと案内される、筈だった。


 不意に、頭上より異様な気配を感じた。

 見上げれば、青い蒼天に、渦のように広がる黒い光が満ちていた。

 それを目にしたハリーが、思わずと言った風情で叫んだ。


「あれは……魔法!? だが、なんだこの、凄まじい力は……!?」

「あれが、魔法……」


 初めて見る魔法は、されどあまりにも規格外が過ぎると素人目でもわかった。

 渦の如き現象を起こした魔法は、次いでその中心部より何体もの何かを吐き出してから散っていく。

 吐き出された小さなそれらは、空中をうねるように泳ぎ回り、そして地上へと、こちらへと接近してきたのだ。


「あれは……まさか、ドラゴン!?」


 飛竜、ワイバーンのような竜モドキではない、生粋の竜が、その威容を晒しながらゼルツの頭上へ悠々と現れたのだ。

 

「くっ!?」


 咄嗟にハリーはテラスから室内で向かうも、敵はまるでこちらを補足しているかのように身を翻し、火炎のブレスを吹き付けてきた。


 鉄すら溶ける猛火の息を前に、ルドウィグが思わず身を固くすれば、


「っ!!」


 ハリーが両手を掲げて何事かを呟き、次いで現れた障壁がそれらを完全に防いでいた。

 それを確認するよりも先に、竜は飛来する勢いのままに羽を折りたたみ、鋼よりも硬い体躯で弾丸のように突っ込んできた。


「失礼!」


 咄嗟にハリーがルドウィグを抱えて飛び退けば、車椅子があった場所へ巨大なドラゴンの体躯が突っ込む。轟音を立てて壁を崩落させ、そこにあった一室は完膚なきまでに破壊される。

 石材が崩れ落ちる中、なんとか身を起こしたハリーはルドウィグを抱えあげようとするが、次いで体制を立て直してこちらを睨めつける竜と目が合った。他の騎士は続けて襲ってきたワイバーンと接敵し、距離が離れつつあるため傍には誰も居ない。


「閣下! どうかお逃げください!!」

「だ、だが、君は……!」

「お早く!!」


 ハリーが氷の魔法で攻撃するも、敵は痛痒すら感じない様子で一息で消し飛ばす。その余波は熱風となってハリーを襲い、彼の体に引火して燃え上がらせた。


「は、ハリー!?」


 思わず叫ぶも、ハリーは魔法で火を消そうとしたのか、蒸気を上げて火勢は失せる。しかし隙だらけの体を竜は無造作に腕を振って払い飛ばした。壁にぶつかったハリーは呻き、体を起こすことが出来ない。


 絶体絶命、足すら動かない中、ルドウィグの眼前には巨大な赤い竜がこちらを睨めつけている。

 息が止まり、冷や汗が止まらない。

 眼前の怪物の威圧に、心は容易に屈してしまう。


「あ、あ……」


 誰も助けに来ない、否、来れないのだろう。階下での戦闘音に、城下でも激しい音が響いている。

 こんなにまでアッサリと、敵に蹂躙される現実に、平和の脆さを嫌と言うほどに悟る。


 不意に、眼前の竜が唸る。否、それは笑っているのだ。

 脆弱な人間が、今まさに食い殺されようとしている矮小な存在が、哀れで仕方ないと言わんばかりに。


 そして、竜は、鉄をも容易に切り裂く爪を振り上げ、振り下ろさんとする直前、



 ──横合いから現れた何かが、壁を叩き壊しながらルドウィグを庇い、巨大な爪の一閃に晒されていたのだ。


「……れ、お、ノーラ……!?」


 背を大きく削り取られた、自らの伴侶が、血反吐を吐いてこちらを抱きしめながらも踏み止まった。


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