傷に触れる温もり
※カニバリズム的表現と性機能障害への差別的表現があります。苦手な方は飛ばして下さい。
内容はよくある、ありきたりな話だ。
そうルドウィグはあっさりと話す。
幼少期から美しい外見をしていることで、物心ついた頃から周囲から持て囃されていた。
父母は典型的な貴族の親で、教育が終わるまでは顔すらほとんど合わせた事はなかった。そんな他人に等しい両親ですら、美貌に関しては期待を寄せていたらしい。
「乳母が母代わりだったが、しかし仕事と言う溝があったからこそ、甘えさせてくれることも少なかった。私にとって家族と言うものは、弟のアランだけだった」
「寂しい子供時代だった?」
「……かもしれない」
七歳で基本的な教育が終わる頃、外に出ることが許されて、他家の邸へと遊びに行くこともあった。
何度かそれを繰り返しているうちに、ついつい内緒で子供だけで屋敷を抜け出して外を散策したりした。護衛すら引き連れず、悪意と言うものを理解しない純粋な幼児は、少しばかりの冒険へと足を踏み出したのだが。友人たちとの隠れん坊に夢中になるあまり、迷子になっていた。
「……そこで、見知らぬ女性に連れ去られた」
最初は、名前を呼ばれたのだ。
『ルドウィグちゃん!』
思わず振り向けば、全く知らない年嵩の女性が、濃い化粧の下で感激した風情でこちらを抱きしめたのだ。酷い香水の匂いと、どこか気味の悪い香りがしたのを、未だに覚えている。
驚くこちらに構わず女は言った、自分は貴方のご両親の友人で、貴方のお家へ案内してあげると。それに一抹の疑問を抱きながらも、夕暮れが近づく街並みに不安感を抱いていた子供は、その女性へ着いていく事にした。
「どうしてそのババアは、貴方の名前を知っていたの?」
「多分、遊んでいた他の子供たちの声を聞いていたんだろうな。私を呼ぶ名前を聞いて、私へ近づいたのだ。名前を呼ばれれば、それは誰かの知り合いかもしれないと思ってしまう。完全に油断していた」
その女性の家へ連れて行かれ、郊外にあるという大きな家に招かれた。柵で覆われた、薔薇の花が溢れる小洒落た家だった。
女は幼い自分の頭を撫で、頬を撫で、ベタベタとした手つきで体に触れてきた。厚化粧の下でこちらを見るその瞳は、どこか熱っぽい色を帯びていた。
『直にご両親がやってくるから、まずは夕食にしましょう』
女は、料理をしていたらしい。クロッシュに覆われた皿をテーブルに並べ始めた。とても美しいお肉が手に入ったのよと、楽しげにそう宣う。
女は笑い、こちらの頭を撫でながら、テーブルの上の銀のクロッシュを開けた。
──そこには、虚ろな絶望に満ちた、人間の両目が、じっとこちらを見つめていた。
「女は食人鬼だった。容姿の優れた人間を攫っては好き放題に痛めつけ、絶望の中で殺してその肉を食む。その人物がいったいどんな体験をしたのか、考えたくもない」
悲鳴を上げた気がするが、女は一切の不動のままにニコニコと笑みを広げていた。椅子から落ちたこちらを見下ろしながら、こちらの顔へと手を伸ばし、本当に綺麗な顔だと、何度も撫でるのだ。
とても美味しそうな、美しい顔。
「怖かったし、気色が悪くてたまらなかった。手を振り払おうとしても相手の方が力が強くて、髪を掴んで引きずられて椅子に座らされた。助けを求めて叫んでも、辺鄙な場所の家の異変に気づく人間はいなかったし、窓と言う窓には全て鉄柵が嵌められていた」
「まさしく殺人鬼の家ってわけね。そんな場所に入り込んでいたと気づいた時の心境は、壮絶でしょうね。で、それからどうなったの?」
「……あの女が食事をするのを、震えながら見ることしかできなかった。そして私へ手を伸ばそうとした時に、けたたましいノックが響いて、扉を破った騎士達が突入してきた。そこからは何が何だかわからないままに、気づけば保護されていた。どうやら私がこの家に連れ込まれる姿を、馬車の御者が見ていたらしい。私がいなくなったことに気づいた屋敷の人間が、それを聞いてやってきたと言うわけだ」
あと少しで死んでいたか、あるいは死ぬよりも酷い目に遭っていた可能性は高い。その経験はルドウィグの中で苦い記憶として残り、他人と言うものへの嫌悪の感情として染みついている。
「それが原因で女性嫌いに? それとも、その先の話も合わさって?」
「そうだ。あの事件以来、他人に触れられるのが嫌いになった。特にベタベタと性的な接触をしてくる相手は特に苦手になった。決まってその対象は貴族の女性ばかりで、積極的に距離を詰めてはこちらの腕に手を絡めて、甘ったるい声で纏わりついてくる。それがどうしても我慢ならなかった」
「まあ、相手が子供だとは言え、自分が欠片も性的に思っていない相手からリビドーを訴えられる事ほど、ストレスな事は無いわね。貴様なんか眼中に無いわよって言いたくなる」
「……そう言えたら良かったんだがな。そういう訳にもいかないのは、辛いところだ」
ふっとルドウィグは息を吐くように微笑んで、目を細めて口端を引き締める。
「婚約者ができたのは十を超えてからだった。彼女は理想的な貴族の女性で、決してこちらに触れてこようとはしなかった。それが安心できて、彼女となら良い関係が築けるかもしれないと思っていたんだ」
「でも、駄目だった?」
「……彼女は、性的に奔放だった。ある日、私に媚薬を盛って、婚約中に行為へ及ぼうとした事があった。しかし、私は……抱くことが出来なかった。その時になれば、大丈夫だと思っていた、のに……出来なかったんだ。男として、使い物に、ならなかった……」
瞳を揺らし、揺れる暖炉の炎を見つめる。
ここではないどこかを見るように、瞳は涙の膜を張っている。
「それを、両親へ打ち明けるべきか悩んでいる内に、全てが明らかになった。……彼女は、裏の社交界では浮き名を晒すほどの女で、さまざまな男を取り替えては楽しんで、表向きは私の婚約者として粛々と振る舞っていたんだ。それに、見事に騙されたよ。女は仮面を被ると、本当に人格が別れているのかと思うほどに演じきるものだ」
「そこは人それぞれだと思うけどね。で、そのアバズレ婚約者とどうやって破局したの?」
「……」
ぎゅっと、手を握る。辛いことを思い出すかのように。
「……社交界で、彼女の愛人の一人が暴露したんだ。彼女の本性を。そして豹変したあの女は、私を詰った」
『貴方が不甲斐ないから、こんなことになったんじゃない? キスどころか手も握れない、エスコート以外で女に触れることもできない。そんな不甲斐ない男と結婚させられる、こっちの身にもなって欲しいわねぇ。それに、詰られる謂れはないわよ』
──子供すら作れない体のくせに。
──女に恐怖を抱いている、貴族としては出来損ないの、男としての欠陥品。
『男としても出来損ないな貴方なんて、もういらないわよ』
……婚約者である彼女以外には、誰にも知られる事すらなかった秘密を、よりにもよって大勢の前で暴露されたのだ。
周囲から送られる好奇の、奇異の、嘲笑の如き眼差しの波に、息すらまともにできなくなって。
気づけば屋敷に戻っていて、父母が嘆かわしいと言わんばかりにこちらを詰ってきた。
『貴様のような人間を作ったのは、間違いだったようだな』
『これでは当主なんて夢のまた夢。不出来な貴方はもう、何もしなくていいわ』
『我が家の役にも立たん貴様はもはや用済みだ、顔だけが取り柄の出来損ないめ!』
「ひっどい連中ねぇ、アタシが目の前にいたらそいつら全員、顎が外れるほどにぶん殴ってやるのに」
「…………、貴族としては当然の反応だ。弟が子供を成して、私が養子に取ると言う選択もあったが、父母はそれを許さなかった。そんなことをするよりかは、私が身を引いたほうが早いから。……気づけば自室に居て、全てを失ったと気が付いて、全てが真っ暗になったと思ったら、窓から飛び降りていた」
ほとんど自殺のようなものだった。
それでも二階から飛び降りる程度では死ななかったようで、背中から落ちたことで下半身が動かなくなった程度で済んだ。
否、死んでいた方がマシだったのかもしれないと、助かってから思った。
「醜聞に塗れて飛び降りたのは、どうやら周囲にも広まったようでな。みすみす自殺を見逃すような管理の杜撰さを嘲笑されたらしく、不自由となった私を放逐する事はなかったが、事実上の勘当をされた。ルーヴェの姓を名乗る事は許されなくなった。……全てが自暴自棄になった私は、誰彼構わず怒鳴り、両親が相手であっても殺意と憎悪で詰った……それ以来、二人は顔を出す事はなくなったが、その方が気楽だった。もはや家族などと見ることができなかったからな」
「見なくていいわよ、そんな連中。子供を道具としてしか見ていないクズ親に、愛をもって接してやる義理はないでしょ。さっさと捨てなさい、そんな不要な人間関係なんて持ってても無駄だわ」
「……貴族としては正しい判断ではある」
「それでも伝え方ってものがあるでしょ、出来損ないなんて物言いをする必要は一切ないわ。悪意があったから、そんなことを言ったのよ」
「……だが、育ててくれたのは確かだ」
「育てたのは乳母で、顔も禄に合わせたことがなかったんでしょう? よくてお金を掛けてるって点だろうけど、謂わば雇用主と部下程度の関係性、勝手に投資に失敗したのはあっちの都合だし、そういう風に産んだのはあちらの責任も一端にはある。貴方が全て負う必要はない。親と言う立場にあぐらをかいて、無責任に子供を殴りつけて良い理屈なんて本来は無いはずなのよ」
「……初めて聞く理屈だな」
「ケーニッヒの受け売りよ。あの子の考え方は、この世界では斬新だけれども、そうあってほしいとアタシは願うわ」
レオの情操教育は、ケーニッヒの存在が第一に来る。幼少期からの不思議な物言いをする彼と共に過ごし、その考え方はレオの血肉となっている。
知らず、俯いていたルドウィグへ、レオは赤い瞳を開いて手を伸ばした。
「アタシは、やっぱり貴方の思いなんて分かりようは無いけれども。貴方が傷ついて、苦しんでいる事はわかる」
「……何が、わかると言うんだ」
「苦しかったわね。酷いことを言われて、泣きたい程に悲しかったでしょう。自分ではどうしようもないことなのに」
レオの言葉に、ルドウィグは思わず瞳を揺らした。
その青い瞳に真正面から合わせるように、赤い瞳は炎の揺らめきを散らしながら、下から見つめてくるのだ。
レオの手はルドウィグの頬に触れる手前で止まり、撫ぜる様に握られる。
「死にたい程に悲しいことを理解されないのは、辛いことよ。誰だって我が身に振りかかるかもしれない事なのに、見下すための道具にしている時点で浅ましいとしか言えない。…… 一度は死のうとしたのかもしれないけど、貴方はこうしてここに居る。辛い絶望の中で、それでも十年を生き続けることができた。偉かったわね、諦めなかった貴方の心の強さを、尊敬するわ」
「……そ、んな事は、大した事では」
「裏切られて全てを奪われて存在すら否定されて、死を選んでしまう人間は多いのよ。それでも生きようと足掻くことが出来るのは、意外と大変なことなのよ。……アタシは、存在自体が望まれない時もあった。父さんが負担している事で悪し様に言われて、お荷物として役立たずの人間未満の出来損ないと呼ばれたこともあった。それは事実かもしれないけれど、それを肯定するのは業腹だと思ったから、立ち上がることができた。アタシを支えてくれる人たちの為に、真っ向から戦おうと思った。その人達が居なければ、本物の化け物になっていたかもしれない」
好きで生まれた訳でもないのに、そう生まれついてしまったが故に淘汰される。その身勝手で理不尽な社会の都合に沿って死んでやるほど聖人にはなれなかったし、この身に宿る世界への憎悪は血と殺意でしか癒せない。
故にレオは微笑み、瞳に紛れもない優しさを讃えながら、言う。
「だから、アタシは称賛する。頑張ったわね、ルドウィグ」
「…………、」
一つ瞬いて、一雫の涙が零れ落ちた。
自身から溢れたそれが理解できないのか、ルドウィグは自らの頬に手を当てようとして、そこにあったレオの手を握っていた。
驚きから、次いでゆっくりと、その手を握り締めて頬に寄せて、目を伏せる。
「…………私は、私は……出来損ないでは、ない……出来損ないなんかじゃない」
「もちろんよ、体質なんて関係なく、貴方は立派な人だわ。こうして怪我人を慰めようと、苦労して足を向けてくれる程度には、優しい人なんだから」
「……どうして、私は、私の人生は、こんな事になってしまったんだろう……」
堰を切ったように、溢れる涙が止まらない。
胸の内に蟠っていた悲しみが、全て流れ出てくるかのようだった。
嘆く彼を、レオはただ静かに、寄り添うように、その縋る様な手に掴まれている。
……しばし、室内では嗚咽のような声が響いていたが、それも徐々に収まって来るにつれ、ルドウィグは顔を抑えながらレオの手を離した。
「…………す、すまない……こんな姿を見せる気は、無かったんだが……」
鼻を啜り、徐々に止まり始めた涙を抑える。
我に返れば、無性に恥ずかしくなってきてしまった。一回りも年下の子供相手にベソを掻いて、慰められてしまったのだから。
顔を真っ赤にしたルドウィグは、所在なさげに瞳を揺らしてから、ハッとレオを見下ろす。
片眉を顰めるレオは、痛みの波に耐えているかのようだ。
「……痛むのか?」
「……痛くない、と言えば、嘘にはなるかしら」
「大丈夫なのか? その、医者は」
「打てる手は打っているから、後はもう成るように成れってさ。……大丈夫よ、慣れてるから」
慣れている、その言葉に、何故か心の内が揺さぶられた気がした。
こんな、明らかに尋常ではない傷を前に、たった一人で耐えることを宿命付けられている。それが軍事貴族の役割とはいえ、彼女のような若き少女に課して良い痛みでは無いだろう。さりとて、ゼルツという土地の重要性は重々承知で、レオの強さも伝え聞くに、正しく先頭に立って進むべき将ではあろう。
それでも、ルドウィグは落ち着かない。
眼の前の、朦朧とした顔で眉を顰める少女の姿に、衝動的に何かをせねばならない気がした。
「…………、その、レオ、ノーラ……」
「うん」
「……触れても、いいか?」
未だ、女性は怖い。気色の悪さはある。眼前の女性にもまた、確かに嫌悪感を抱いていたのだ。
レオが驚いたように目を開いてから、細く赤い光をルドウィグに向けて、静かに頷く。
手を伸ばす。
傷があった辺りに掌を掲げてから、そっと翳すように、温めるように、覆う。
…………それに、嫌悪は抱かなかった。
じんわりとした、ルドウィグの暖かさを感じ、レオは目を伏せて、大きく息を吐く。
縋るように、彼の手の上に、彼女の掌が触れる。
「……暖かい、わね」
まるで、出来損ないと自認する彼の存在を、抱擁するかのような所作で──
まるで、その大きな掌の温もりを抱くように、彼女は両手で触れていて──
──それは、冬の寒さの中でようやく焚き火にあたったかのような、静かな安らぎに満ちていた。




