不覚
荒野を疾走し、眼前に立ち塞がる魔物という名の障壁をなぎ倒す。
剣の一閃は一度の振りにも関わらず縦横無尽に軌跡を残し、魔物共を纏めて細切りにした。
青い血飛沫を浴びながら、レオは獣のような笑みを浮かべて、迫りくる無数の敵を見やる。
猪の魔獣に乗ったオーク共は、わずかばかりでも鉄製武具を身に纏っている。たとえ質の悪い装備でも、鉄を断つのは常人には難しい。
「辺境伯閣下、敵の後陣が到着したようです! 北西の丘陵を超えた位置、数は三百!」
「あら、その偵察兵は目が良いわね。後で名前を教えなさい、褒めてあげないとね」
部下を引き連れ、レオは剣の返り血を無造作に拭い、眼前へと視線を戻す。
魔物どもが鬨の声を上げて、土埃を立てながら、こちらへと向かってくる。
その最奥には魔族と呼ばれる、人に似た容貌に黒い皮膜の片翼を持つ、魔法に長けた種族がいる。
数十、数百もの騎兵相手に、レオは気圧されることすらないままに、赤い瞳を閃かせて地を蹴った。
その姿はまさしく暴風、立ち向かう全ての敵を根こそぎ打ち倒し、血を啜るかのように命の源を絶っていく。
眼前に広がるのは、黒々とした魔物の群れ。
そんな絶望すら見える敵勢を前に、ゼルツ辺境伯はどこまでも獰猛に笑った。
それはゼルツ周辺での小競り合い、されど向かってくる敵の質は確かに上がっていたのか、ゼルツ辺境伯爵軍は一割の被害を受けた。
されども、引き換えに魔族の将軍を切り伏せて首を取った。
痛み分けどころか、むしろ快勝に近い結果である。
当のゼルツ辺境伯が、重傷を負ったと言う事実が無ければ、だが。
・・・
ルドウィグはいつもと変わりない日々を過ごしながら、しばらく顔を見せていない女の事を、何とは無しに気にしていた。
自他共に怪物と呼称されるレオならば、どんな敵が相手であろうとも生きて帰ってくるのだろう、と漠然と思っている。だから心配などする事はなく、しかし一抹の不安に眉を顰めていた。
そんな中に祝砲の如く喝采が響き、都市中が沸き立ったかのような空気で満ち溢れた。
辺境伯軍が帰ってきたのだ。
自室で本を読んでいたルドウィグは、顔を上げてハリーへと言う。
「あちらの部屋に行く」
「かしこまりました、直に辺境伯様もお戻りになりましょう」
違うと声を大にして言いたかったが、ムキになって否定するのもまた違う。そもそも、形式上とは言え伴侶ではあるのだから、出迎える事には何ら問題は無い。
そんなことを胸中でグチグチと並べ立てつつ、車椅子を押されて隣室へと顔を出す。
しばし待ち続けて暫く、慌ただしい足音が響いて扉が開かれた。
「いやぁ、疲れた疲れた! 我が旦那様はお元気だったぁ?」
「元気も何も……」
憎まれ口を叩こうとして、思わず口を噤んだ。
レオは鎧を纏った戦装束のまま、されど腹から止めどなく血を流していたのだ。
何人もの侍女や侍従がレオの鎧を脱がしつつ、ぐっしょりと青い血と赤い血に塗れたそれらを運び出していく。
レオの顔にも幾筋もの傷が入っているのに、本人はヘラリとした顔で笑ったのだ。
「あ、こんな姿でごめんなさいね? さすがにこんな姿で凱旋パレードっていうわけにもいかなくって。馬車で早々に引っ込んできたの」
「……無事、なのか?」
「命に別状は無いわ。まぁアタシにとっても、重症の部類だけど」
その言葉に、ルドウィグは思わず眉を顰めた。
何かを口に出す前に、淡々とした声が響く。
「全く、先代様といい貴方様といい、この調子では私の仕事がなくなりやしませんね」
「先生、悪いわね。ちょっと呪剣で土手っ腹に穴を開けられてさ、治りが遅い感じだわ」
「魔族の稀少な魔道具、呪われた武器ですか。傷を負った対象を必ず殺すと言われていますのに、貴方の場合は重症程度で済むんですね」
呆れたような医者はテキパキと指示を出し、レオの衣服をめくり上げて傷を見ている。
真っ赤な大穴のごとく、その傷は内部の臓器すら露出しているが、傷の淵から盛り上がっていることから再生は始まっているのだろう。
さりとて、今まで無縁であったバイオレンスな傷に、ルドウィグは思わず口元に手を当てた。
「閣下、今しばらくはお部屋へ参りましょうか」
「……ああ」
ハリーの催促に頷いて、無言で部屋へと戻っていく。
チラリと見るレオの視線を、見返すことができなかった。
そのまま部屋に閉じこもれば、隣室の慌ただしさも落ち着いたのは、夜になってからであった。
就寝時間を超え、いつものように侍従たちの手でベッドへ寝かしつけられる。去っていくハリーへ、胸に支えている言葉を話そうと思ったのだが、何故だかそれは憚られた。
一人、明かりすら灯っていないベッドの中で、薄暗い天井を見上げながら思案する。
(化け物だと思っていたが、切りつけられれば血が出るし、殺すこともできるのだな)
あれだけの傷を前に一切の表情を変えていない胆力だけは、決して真似できないだろうと思った。
食糧人、という言葉が脳裏を過ぎる。
その痛みの記憶は、おそらく彼女にとっての強さの一つになっているのだろう。
(……駄目だ、どうにも気になって寝付けない)
何度目かの寝返りを打ち、遂には眠ることを諦めて、ベッドから脱出することにする。
最近ではリハビリのおかげか、ベッドから車椅子へ自力移動することができるようになったので、それを遺憾なく発揮して、密かに足となる乗り物に着座した。
キィ、と軋みを上げる木製車輪を動かして、ゆっくりと共用スペースへの扉を開いた。
暖炉の火は落ちておらず、仄かにオレンジ色が満ちたそこでは、強い陰影が壁紙に映し出されている。
火元へ視線をやって、驚く。
暖炉の前の毛足の長い絨毯の上で、クッションを掻き集めた即席ソファに寝そべる形で、レオが横になっていたからだ。
「その怪我で起きていていいのか?」
思わずルドウィグが声を掛ければ、目を伏せていた女は気だるそうな様子で手をひらひらと振った。
「こんばんはぁ、水でも飲みにきたの? あいにくと水は無いから、ハリーでも呼んで」
「私の事はどうでもいい。貴様のことを聞いている」
「横になっていろ、とは言われたけれども、自分のベッドで横になれとは言われていないの」
「屁理屈を。あの傷なら絶対安静だろう、つべこべ言わずにさっさと塒へと帰れ」
「眠れないのよね、痛すぎて」
トントン、と自身の腹を指差して、レオはうんざりしたように両手を広げた。
「痛み止めが効かない体なのよね。病気にも強い体だけど、逆に薬も効き辛い体質なわけ。この全身へ染み渡るようなひっどい痛みに耐えつつ、眠れるような芸当は持っていないの」
あれだけの凄まじい傷を、鎮痛剤も無しに耐えねばならないと言うのは確かに地獄だろう。
ルドウィグは車椅子を押して、レオの側へと向かう。
「それでこんな場所で雑魚寝と言うわけか」
「絨毯の上だから、意外と心地が良いわよ? たまには硬い地面で両手足を伸ばした方が、開放感があって気持ち良いわ」
どだい、理解できない感性である。
そんなルドウィグの顔など一瞥すらせずに、レオは目を伏せたまま夢見心地に何かを呟いている。
「しかし、失敗したわ。もう少しで魔族野郎の首を叩っ切るところだったのに、邪魔が入るとは思わなかった。あの魔族、明らかにお偉いさんっぽかったし、別の魔族が庇った時点で高貴な身分なんでしょうねぇ」
「……まさかとは思うが、魔王じゃないだろうな」
「さあね、奴らの言葉は少ししかわからないけれど、周囲の態度から察すると王族とかそういう地位の奴なのかもしれない。どっちにしろ、アタシ達にとっての大敵よ」
「敵の首魁を仕留められなかったのは残念だが、貴様が生きている方が重要だろう。あちらにとっても、貴様と言う存在が脅威であると骨身に染みて理解しただろうからな」
「ふふ、それなら痛い思いをした甲斐があったわねぇ……ねえルドウィグ、もうちょっと話をしてくれない?」
「なぜ」
「誰かと話をしている方が気が紛れるの」
どことなく弱った獣のようなそれに、ルドウィグはため息を一つ吐いてから、自力で車椅子から滑り落ちるように絨毯の上と座った。
レオの隣に座り込んで、両足を伸ばしながらクッションを背に、暖炉の火を見つめる。
「……こういうのも、意外と悪くないな」
「でしょ? 作法としては落第点かもしれないけれど、こういった気儘さは時には必要なものよ」
「そうなのかもしれないな。……やはり話すことなど何もないな」
「そう? 何か一つぐらいあるんじゃないの? ここへ来た感想とか、食事の好みとか」
「恨み言ならたくさんあるが」
現状にふさわしくないであろうそれを口にする事はなく、ルドウィグは青い瞳を細めながら、暖炉の光を瞳に映した。
「少し、昔話でもしようか」
それは、以前にレオが自身の過去を話したことへの、意趣返しのようなもの。相手にされたことをただ、返しているだけだ。
言い訳にもならない言い訳を胸中で呟いてから、ルドウィグは自身の過去を話し始めた。




