2. 失政の報い
キリルはギグリアの生活に適応した。というより、戦争中や収容所の環境と比べたら圧倒的に楽で簡単だ。給料は安かったが、フィリエドは金銭を多く要求しなかった。黙っていても朝食と夕食を用意してくれるので、キリルの貯金は増えていった。追手は全然来なかった。最初の一ヶ月ほどは家の前をうろつく警官がいたが、すぐに諦めたようだ。
1年半が経過したある日、フィリエドは言う。
「体を悪くしてな。しばらく入院することにした。」
「?どう悪くしたっていうんだ?」
「がんだ。大腸をやっちまったようだ。」
「あぁ、そうか。気をつけてな。」
キリルは、そっけ無くした。フィリエドはキリルが働いている間に大きな荷物を持って出掛けていった。フィリエドがいなくなった広い家で考える。家事をすると、自分だけではなかなかうまく出来ないのが分かる。身の振りを見返した。自分の生き方を問うた。貯めた金は自分に良くしてくれたフィリエドのために使うのが良いんじゃないのか。そう思い、お見舞いへ行く。
キリルは、茶色いトレンチコートに身を通す。病院へ行き、フィリエドの息子、ラトア=フォイルの名前で部屋番号を知った。病室へ行くと、フィリエドはベッドの上で力無く横たわっていた。
「フィリエド、大丈夫か?早く戻ってきてくれ。」
フィリエドは体を起こし、面倒そうに言う。
「あぁ、お前か。もうわしは戻らん。」
「は?」
「わしは行き倒れていたお前にただ、独り暮らしで寂しかったから、お前を助けたと言ったな。...本当は違うんだ。」
「何が違うっていうんだ?」
「罪滅ぼしをしたかったんだ。わしは収容所職員だったんだ。お前ら難民に、地獄を味わわせるのに協力してきたんだよ。」
キリルは収容所の記憶を呼び起こした。迷いが生じる。フィリエドのために何かしたいという気持ちが揺らぐ。フィリエドは続けて言う。
「収容所でたくさんのパブロア民を見殺しにしてきた。時にはわしがトドメを刺すこともした。何人かは分からん。途中で数えるのをやめた。パブロア民がパブロア民の死体を片付ける姿を見るのが好きな同僚もいた。正直、わしにもそういうところはあったんだがな。」
キリルは沈黙で返す。
「あの収容所にいると、嗜虐心を駆り立てられるんだ。すまんな。」
キリルは別れのあいさつをして、廊下に出る。
「爺さん、違うんだよ。俺一人を助けて罪滅ぼしなんてムシが良過ぎるんだよ。そもそも俺も助けられてないじゃないか。ラトア=フォイルはどこかで生きている。身分証の無い俺はこの先、住まい無しで生きていかなきゃならない。そんなことできない。」
キリルは自身の足元を見て、自分の居場所を再確認した。
「共に逃亡したディルア達との約束を忘れていた。ぬるま湯に浸かっていたんだ。俺一人が安穏とした生活の中にいて、良いわけがない。今苦しんでいる同胞の人生を無為にして良いわけがない。脱走して生き延びている限り、俺はパブロアのために全てを捧げなければならない。俺は皆に託されたんだ。」
強く手を握る。眠っていた意志が今、目覚めた。ふつふつと意志が沸き立つ。
「俺の命が尽きたっていい。この国が変わるきっかけになれば、何だってやってみせる。」
キリルは双眸に意志を込めた。
病院からの帰り道に自動小銃を買う。そしてフィリエドの家へ向かう途中に古物商の近くのスラム街を横切った。
「よぉ、兄ちゃん。良いモン持ってんじゃねーか。」
半裸のスキンヘッドの男は道を塞ぐように立つ。早足で切り抜けようとするが、気が付いたら5人に囲まれていた。キリルには箱から自動小銃を取り出す余裕などなかった。腹を殴られ、スラム街へと引きずられ連れていかれた。銃は奪われ、急斜面から突き落とされる。落ちた穴の先では腐った死体が数十体転がっていた。キリルは落ちた拍子に頭部を強打し、意識がもうろうとしたが、痛がる余裕など無かった。すぐに身の危険を感じたからだ。背筋にゾクッと感じた。だが何から身を守れば良いのか分からない。キョロキョロしている間に思いも寄らぬ物が目に飛び込んでくる。
「これは悪魔契約の指輪...?なぜここに?」
地面に半分埋まった指輪を手に取る。どこからか声が聞こえる。
「目を閉じろ。」
目を閉じると、目の前には炎をまとう、白骨の牛の頭の超常の存在がそこにあった。悪魔だ。キリルは驚いて目を見開くがそこにはいない。目を閉じた時にのみ見えるようだ。
「我が名はグリエル。力をくれてやる。目的があるのだろう?」
キリルは左手中指に、はめる。
「俺はパブロアを救う!そのためなら何だって捧げる!力をよこせ!」
指輪は黒く塗り潰され、キリルの骨と繋がった。血が滴り落ちるが、気にならない。その瞬間、キリルには今やるべきことが分かった。迷うことなどない。確信し、自信に満ちた足取りで斜面を登る。いつの間にか、傷は黒く塗りつぶされて塞がっていた。スラム街の土地勘など無い。だが分かる。この二軒先で曲がったところに俺の銃を盗んだヤツがいる。走って扉を飛び蹴りして部屋に入る。
「なんだ?!」
驚いた様子でキリルを見る男の手には、キリルの自動小銃がある。飛び膝蹴りを喰らわし、机の上のコンバットナイフで男を殺す。銃を奪い返し、そのままスラム街を走り去った。
街の中心地、セス。その地下の居酒屋では反民族主義組織フォーリアの集会が開かれている。20人のメンバーがいる。舞台には太った政治家、アシル=ファーガスンが立っている。最近また太ったのだろうか?来ている服は横にシワができるほどパツンパツンだ。
「皆さん、お忙しい中お集まりいただき、誠にありがとうございます。皆さんの献金のおかげで私は今日も立っていられます。」
「早速ですいません。パブロア民の解放の話は、通っているんでしょうか?」
アシルは身振り手振りが大きい。両手を力強く下ろして自分で自分を弁護する。
「通そうとしております。もう少し待ってください。」
「どうして通らないんでしょうか?かれこれ3年は待たされているのですが。」
「去年は私たちの派閥で全会一致の意見書ができました。大統領に相談しました。大統領に話をしたんですよ!」
「はい。」
「そうしたら、却下されてしまったんですよ。」
不穏な空気が流れる。アシルは続けて言う。
「しかしまだ終わってません。粘り強く頑張りましょう!」
アシルは力強く言う。パブロア解放派は、アシルの背を押すことしかできない。
その時、扉が開く音がした。キリルが店の中に堂々と入ってきた。
「誰?」
その言葉は無視された。キリルは無言のまま舞台に上がり、コートの内ポケットからハンドガンを取り出し、アシルの額を撃ち抜いた。一切のためらいが無い。
「こいつは反民族主義者ではない。お前らを押さえつけていただけだ。」
キリルを見た者の多くは、恐怖や不信を感じる。中には正義感に背を押される者がいる。
「お前は誰だ?!なぜ殺した?」
「俺はキリル=ヴェイン。パブロア民を苦役から解放する者だ。俺のアイデンティティはギグリアではない。パブロアだ!お前ら、俺についてこい!」
キリルを頼もしく感じる者もいるが、不審に思う者がほとんどだ。
「何をするつもりだ?」
「武器を取れ。収容所を襲撃する。手伝ってくれ。」
話を聞いていた者は皆、唖然とする。そんな事して良いのか?キリルは続ける。
「お前たちはなぜここにいる?文句を言うだけか?安全なところでピーチクパーチク言うだけの腰抜けか?」
穏健派は黙った。しかし過激思想の持ち主がいないわけでもない。
「命を賭けるだけの勝算はあるのか?」
「ある。参加したヤツには収容所の運営をやってもらってもいい。別の国家から支援を受ける。運営の邪魔はさせない。」
聞いている者は怪訝に思う。なぜこうも自信があるのか?そう思っていると察して、キリルは指輪をした左の拳を突き出す。
「俺は悪魔と契約した。この指輪がどうすれば目的が叶えられるか、教えるんだ。」
そう言われても他の者には分からない。だが誰もウソつきとは言わなかった。キリルからはみなぎる自信を感じる上、武器を持っているからだ。
「俺は突撃する。強制収容所 所長を拘束して占拠する。襲撃に参加したい者はいるか?」
一人が手を挙げる。
「俺はスナイパーだ。外から門兵を狙い撃つ。」
他にも手を挙げる者が現れ、最終的に6名となった。
明け方になり、所長の車が収容所に入る。数分後、所長が建物に入ったところでスナイパーの放った弾丸が門兵の頭部を穿った。もう一人はどうしたら良いのか分からない様子だ。明らかに訓練不足である。キリルはそんな兵を門越しに射殺した。銃撃して門を破壊し、速やかに突入する。収容所に入ったところで、所長はすぐに後ろ手に拘束された。
「来い。」
キリルは乱暴に所長室に連れていく。他5名はその後に続く。
「ダリル収容所は、もうギグリアのものではない。」
所長は膝をつき、キリルは客用のソファに座った。所長はまだ何が起きているのか、のみ込めていなかった。
「こんなことをしてただで済むと思っているのか?」
「それはこっちのセリフだ!」
キリルは足元の机を蹴り上げた。机はキリルの反対側のソファに乗り上げる。フォーリアの一員は、そこにカメラの三脚を立て所長に向ける。
「これから俺がやることを説明する。」
所長は危険な未来を予見し、不安げな顔をした。
40歳のカイル=スタシュは、本日をもって異動となった。元々、仕事熱心な方ではなかったが、さらに面白くなさそうな仕事でウンザリしていた。ボサボサの頭、無精ヒゲ、着くずしたスーツ。警察と軍が一体化しているギグリアの大勢いるエリート層の一人だ。それが机に突っ伏していた。
「テロ組織か。」
ちょうど昨日、キリル=ヴェインと名乗る者が政治家のアシル=ファーガスンを殺した事件があった。反民族主義組織フォーリアに潜入していたスパイから、ダルそうに経緯を聴く。
「悪魔の指輪?」
「おそらく、指輪のおかげでその日の集会を知ることができて、さらにアシルを殺すことにためらいがなかったのだと感じました。」
「スパイ能力のある使い魔を大量に使役してるとか?もしくは、単純に知り得ない情報を知れる能力ってところか?あるいは予知能力者か?」
「いずれにしても脅威ですね。」
話をしていると、ブルーレイディスクが届く。犯行声明だ。
動画には2人の男が映っている。キリルとダリル収容所の所長だ。キリルが言う。
「パブロア民は迫害されている。イヌ以下の扱いだ。一方、ギグリアのヤツらはそれを知っていながら、何もしない。お前らに罪の意識は無いのか?至急、パブロア民の生活レベルを向上させる必要がある。俺は、ギグリア民と同等の扱いを要望する。それまでダリルはアルガリアと交易する。生産物はギグリアに渡さない。」
所長はケガをしているようには見えないが、弱々しい。
「私は反民族主義者になった。いや、元々そうだった。ギグリアの現体制は、国際的な批判の的となっており、結果的に国益を損なっている。パブロア民の人権を尊重していただきたい。至急、パブロア民のためにインフラ整備をする許可とそれに必要な資源をください。」
キリルは力強い。迷いが無い。
「お前らがこの動画を見ても、良いリアクションをしない場合は、政治家を殺していく。」
動画はここで終わりだ。カイルはこれが当面の担当かと思うとウンザリする。もしかしたら自分は死ぬかもしれない。これから起こるかもしれないことを考えると、ため息が出る。
「…やりたくねー。」
だが対応はしなければならない。ポーズをとる必要がある。段取りを考えて、手配をして、準備する。
キリルのこの動画はインターネット上で見ることができた。削除されてもまた別のアカウントがアップロードした。キリルはさらに、ギグリア大統領府、カルア王宮、アルガリア大統領府にメールを送っていた。アルガリアはパブロアと隣接する国で、軍事力は現ギグリアと同等以上だ。そんなアルガリアでは、キリルが武力制圧したことを批判する者もいたが、大多数の国民はダリルを歓迎していた。有識者はキリル(テロリスト)に加担することが後の戦争の火種になることを恐れた。しかしアルガリアの政治家は、ギグリアがいつまで経っても人道支援をしないのだから仕方がないと判断し、ダリルの支援をすることとした。万一、戦争となったとしても、戦力で同等以上なのだから問題にならないだろうと踏まえてのことだ。一方カルアはすでに人を派遣していた。とは言っても、カルア人種は角が生えており、皮膚の色も異なる。目立つのでとれる行動は限られてくる。だから極秘裏にティオシリーズも派遣していた。ギグリア大統領は公言する。
「テロリストの存在は許さない。徹底抗戦する。」
翌日、戦車1両、歩兵戦闘車1両、装甲車1台がダリル収容所の前に到着する。
「俺はカイル=スタシュだ。キリル=ヴェイン、話がしたい。」
装甲車でやってきたカイルは拡声器で呼びかけた。
「来たか。」
キリルは窓から目視で敵を確認した。
「…少ないな。」
キリルは所長らに指示を出すと、単身でカイルのいる正門へ向かった。スナイパーは屋上や窓から構え、牽制する。多くの人はスマホで動画を撮影する。キリルは戦車の目前でカイルと話す。
「衆人環視の中、会話をする。カイル=スタシュは無能か?」
キリルは嘲笑うかのように言う。
「無能か。そう言う君は有能かい?武力はこちらの方が上だ。」
キリルは真顔になる。
「俺はすでにアルガリア、カルアと話をつけている。砲弾をぶちこめば、宣戦布告するだろう。大義名分が立つんだ。ギグリアはマズい国家だと自分で言いふらすようなものだ。大丈夫か?」
「本当にそうなるかどうかは分からないな。ところでキリル、お前の目的はなんだ?少なくとも今の俺は、ギグリアのために戦おうなんて思ってない。半ば協力してやっても良いかもな。」
「何だと?!」
キリルはカイルの言葉に耳を疑った。自分の職務を放棄するような言葉を放つその男は、職務ゆえに目の前に立ちはだかっている。理解できない。
「何が目的だ?!」
「さあね。自分でも分からないな。キリル=ヴェイン、お前はこの先どうするんだ?」
「パブロア全員の生活水準を向上させる。そのために難民の救済、他の強制収容所の解放を考えている。」
「言っていることは正しいように思える。だが、その手段が問題だ。」
「手段は多くない。だが、必ず成し遂げなければならない。」
キリルは拳を握りしめ、自身と一体化した指輪を見た。指輪が嵌められている指は黒ずんでいる。カイルは言う。
「お前の背中を押すものは何なんだ?」
「約束だ。脱走する前に約束をしたんだ。だがその相手は、もうとっくに死んでるかもしれない。いや、生きてるか死んでるかなんてことはどうだっていい。今はひたすら目的を叶えるための努力をする時だ。そもそもギグリアのどこにも俺の居場所なんか無いんだからな。」
「お前のやっていることは、吉と出るか凶と出るか分からないことだ。もしかしたら助けた相手に恨まれるようなこともあるかもしれない。ダリル収容所を占拠したことは、本当にお前にとっての正義と言えるのか?」
キリルははっきりと応える。
「誰も先の事など分かるまい。俺は俺の信じた道を突き進むだけだ。できることをやる。ただそれだけだ。」
カイルはキリルの目を見て、率直な意志を汲み取った。最初から思っていた疑問を口にする。
「その指輪、悪魔を宿してるんだろう?悪魔っていうのは、ヒトを陥れる超常の存在だ。お前は本当にそんなモノの力を借りて目的を達成するつもりか?信用していいのか?苦しくないのか?」
キリルは思わぬ質問に心を揺さぶられる。しかしすぐに自分を取り戻す。
「俺の苦しみなど関係ない。そんなもの最初から分かっていた。今、俺の中にある恐怖は、目的を達成できずに終わることだ。俺の生き死によりも、目的を達成できなくなる方が問題だ。」
カイルはキリルを恐れた。なりふり構わず突き進むその姿勢は明らかにバランスを欠いたものだ。時に守りたいものも傷つけるような盲目さを感じた。
「アルガリアからトラックが来たようだ。」
キリルは得意気に言ってみせた。カイルはキリルの言葉の信憑性を確認した。
「確かにあのナンバープレートはアルガリアのものだ。」
カイルはため息をつき、これが国内だけで収まらないことを感じた。カイル自身、ギグリアに問題があることは理解している。戦時からダラダラと民族主義を続けるこの国家には反吐が出る。とはいえ、立場上、言うべきことがある。
「キリル、裁判所に来い。お前には収容所の警備兵を殺した容疑がかけられている。おまけにアシル=ファーガスン議員の殺害容疑もだな。…それと、国家転覆罪と、えーと…。」
キリルは迫力の無いカイルの言い草に違和感を感じた。しかし戦車の上のマシンガンを見れば、自分が撃たれて死ぬ可能性を考えずにはいられない。今は銃身がこちらを向いているわけではないが、返答を間違えれば死ぬ。キリルは答えられずにいた。カイルは言う。
「まあいい。お前を強制連行しようとすれば、スナイパーに狙い撃たれそうだ。こちらはドンパチやろうって気はないんでね。また会おう。」
そう言うとカイルは撤収の合図をして、そそくさと帰って行く。キリルはその様子を思案気に見ていたが、踵を返してダリルの所長室に向かった。
「よぉ。」
所長室の前で、見慣れない者が壁にもたれながら半端に手を挙げている。
「どこから来た?」
キリルは警戒して尋ねるが、指輪が「殺せ。」と言わない。この場合は警戒するだけ無駄だ。
「1週間前にカルアという国から来た。反民族主義組織フォーリアに友人がいるんだ。君がキリル=ヴェインかな?」
「…そうだが。」
「俺はダルン=ドラウナー。軍警察の人と話してたのを聞いたが、目的はパブロア民の救済ってことだよな?」
「あぁそうだ。」
よくよく見ると、顔立ちがこの半島の人と似てるが違う。やや薄い顔、筋肉質な体つき、柔らかな物腰、邪魔にならない動きやすいフリースと綿パンを着ている。軍人のオフの日を体現している印象だ。
「あくまでパブロア民を救済するのがゴールであって、君自身の生死を問わないってことで良いかな?」
「その通りだ。」
「【死んだら意味無い】とか【死んだら終わりだ】とか言う話を聞くけど、そうは思わないのか?」
「あぁ、思わないね。命と引き換えに目的を叶えられるのなら、それで本望だ。それだけギグリアの現体制を崩壊させることは難しいだろう。目的達成が困難だから、俺の命が尽きるのもやむを得まい。」
「生きたいとは思わないのか?死にたいのか?」
「もちろん生き続けられるのなら、それに越したことは無い。死にたくも無い。だが、俺には選択肢が無いんだ。厳しい道のりであっても、あえてそれを選ばなければならない時はある。そして、これからがその時だ。」
「そうか、分かったよ。君は狂人ではない。良く理解した上で、ここに立っていて、【死の覚悟】がある。」
「パッと見て、俺は狂人に見えるのか?」
「革命家ってヤツは、そんなところがあるのが普通だろ?いいぜ、お前のボディガードをさせてくれ。」
キリルには何が何やら分からなかった。ただグリエルは沈黙するのみだ。少なく見積もっても敵ではなさそうだ。
「今は人手不足だ。断る理由は無いな。何ができる?」
「俺は神術士だ。正面からなら自動小銃程度なら効かないな。とは言っても、注目を浴びるわけにもいかないんだがな。」
キリルは自分が主導権を握る必要があると感じた。それとは別に、ドラウナーには敵意が無くても、もしかしたら背後に控えている者が害を為すのかもしれない。
「お前の所属する組織は何だ?」
「カルアという国があるんだ。知ってるだろ?俺はそのスパイ組織の一人だ。」
カルアと言えば、世界屈指の強国だ。恐らく知らない人などいない。だが疑問が尽きない。
「カルア人って言ったら、青い肌にツノだろ?お前のどこがカルア人なんだってんだ?」
「カルアで生まれればカルア人だろ。確かにカルアと言えば、カルア人種が99%だったりするが、最近はニグという人種もいたりするんだよ。ニグ人というよりは、ティオ シリーズって言った方が通りが良いんだけどな。」
「…??」
「カルアにもいろいろな人がいるってことさ。あんたのイメージ通り、普通はカルア人種を想像するがな。」
「ティオシリーズって何だ?」
「ティオの体細胞クローンだ。人によっては可哀想とか言うが、俺は誇りに思ってるぜ。ちなみに俺はティオシリーズの中で3位の実力者だ。頼もしく思うが良い。」
ドラウナーは自慢げだ。
「3位って言うけど、何人中3位なんだ?あと科目は?」
ドラウナーは難しい顔をした。
「100人はいたかな?科目は、身体検査と学術と神術かな?」
なぜ疑問形で答えるのか、キリルには理解できなかった。
「神術って何だ?」
「道具生成、身体能力強化、自己治癒、対物障壁の4種が神術でできることだ。ま、高い戦闘力があると思ってくれ。だがカルア人種の戦闘員には負けても変じゃない。」
ドラウナーは道具生成で直径1cm長さ20cmほどの棒を作って渡した。
「時間は調節可能だ。3秒で消えるぞ。」
「便利だな…。」
キリルは、手の上で粒子を放ちながら消えていく棒を見送っても、神術が信じられなかった。
曇天の建物の屋上。キリルはガンケースからスナイパーライフルを取り出した。ここからは大きなホテルの出入口が良く見える。ドラウナーは質問する。
「その、悪魔契約の指輪だっけ?どういうのなんだ?」
「グリエルという悪魔の力を借りられる代わりに、短命になる。ケガをしても黒くなって、余命が減るだけで済む。さらに、情報が得られ、確信できる。今回、ここで狙撃するのもこの指輪の力があればこそだ。」
ドラウナーは黒ずんだ左の中指に納まっている指輪を見てぎょっとした。感情を隠そうともしない素直な性格だ。
「…何か、こちらにも何か分かるようにしてもらうことはできないのか?」
「できない。」
「一時的に指輪をつけさせてくれないか?そうしたら分かるかも。」
「この指輪をした時に、骨と繋がって根を張っている。もはやこれは俺の体の一部だ。」
キリルはライフルを構え、耳だけをドラウナーに向ける。
「…そ、そうか。俺はお前のボディガードだ。俺らで一つのチームだ。だから互いの信頼が必要だ。」
「そうだな。俺らは仲間だ。信頼しろ。簡単だろ?」
「…あぁ、そうだな…。」
妙にいい加減な返事をする。だがキリルはそれに不満を示さなかった。
「…来た。」
ドラウナーは政治家のすぐ近くにいる者に驚いて「ちょっと待て。」と言おうとしたが、キリルは100m先のターゲットを狙撃した。しかし弾丸は、カーンという音と共に弾かれた。未だに試験中のカルアの防空装置だ。
「?!」
次の瞬間、キリルは腹部に激痛を感じて転がった。ドラウナーは、突然近くに現れたカルア人種3名に対して、どうしていいか分からず戸惑っている。いずれも大柄で黒い戦闘服に身を包んでおり、背格好からしても高い筋力を持つ一流の戦闘員だろうことが分かる。油断ならない相手だ。
「…よぉ。俺はティオシリーズのダルン=ドラウナーだ。同じカルア人だぞ。さっきのは、その…手違いだ。」
ドラウナーは苦笑いしつつ、様子を伺う。黒いツノのカルア人は溜め息を吐いて、転がっているキリルを見ながら言う。
「責めたい気持ちも無くはないが、こうなってしまっては仕方が無い。また後で会って、話をしよう。それまではバルシェ=シーズ議員は殺さないでいただきたい。私達は互いに理解し合う必要がある。」
キリルはヨロヨロしつつ立ち上がり、ドラウナーの後ろに下がりつつ言う。
「ドラウナー…ぶっ殺せ。」
「ダメだ。これは向こうが言うように、互いの理解が必要だ。」
キリルには決める権利が無い。そう感じた。自分の意志でここにいるのに。自分で始めたことなのに。自分の無力さにげんなりした。うなだれて、ひざまずいた。
ギグリア軍警察テロリスト対策部隊を率いるカイル=スタシュは、無精ヒゲの同僚と共に、副総監に呼び出された。副総監はビール腹でどっしりと座り、ハゲた頭と丸眼鏡で温厚そうに振る舞う。
「初動が早かったのは、実に良かった。しかしダリル収容所を攻撃しなかったそうじゃないか。なぜだ?」
カイルは内心、要らぬ世話だと思った。しかし、そうは言えない。
「正面から攻撃するのも、ヘリコプターで屋上から空挺部隊を突入させるのも、不適切だと判断しました。なぜなら、動画撮影している者が数多くいたからです。現状、国の体制批判は強く、さらに反民族主義組織フォーリアの背中を押すようなことは、したくありません。」
副総監は、想像するように上を見て、困った顔をして言う。
「じゃあ、これからどうする?」
「各個撃破をします。つまり、暗殺という手段を取ります。同時に、フォーリアの規模を推定する路線で考えております。」
反民族主義組織フォーリアは、100名程度とも、1万人以上いるとも言われている。国内だけでなく、国外にもいるとされている。
「どうだ?今の職場は?」
副総監は、カイルがちゃんと仕事を考えられているのか知りたい。
「以前の、違法薬物取締官をやっていた頃とほとんど変わりありません。考え方は大して違いありません。」
副総監は小さな溜め息をつき、同僚の目を見て言う。
「ま、何にせよ、テロリストは逮捕するのが理想だ。芋ヅル式で全員を捕まえるんだ。カイルの相談に乗ってやってくれよな。私は、仕事もプライベートも含めて、いろんな相談に乗るぞ。」
同僚は言う。
「一応、前任者は私だ。部下の命を預かる身である分、責任は重大だが、負担は分け合おう。そのために、相談してくれ。」
同僚は、ありがちな言葉を使って励ました。しかし、カイルのモチベーションを上げることは無かった。
「はい、ありがとうございます。」
カイル=スタシュは、言葉とは裏腹に、カルア側に特殊部隊の襲撃を伝える方法を考えていた。
キリルとドラウナーはホテルの一室にいる。ドラウナーは机の上に紙を置く。カルア人に手渡された魔法陣が描かれた紙だ。退屈な待ち時間だ。暇だから2人でテレビを見る。ニュースを交えたトーク番組だ。
「キリル=ヴェインとは、どういった人物なんですか?」
「私のプロファイリングによりますと、戦争と収容所で心を病んだ犯罪者気質の強い人物です。狂人と言っても過言ではないでしょう。」
別の出演者は言う。
「聞いた話によりますと、戦争中もすぐさま白旗を掲げて投降するような人物だったようです。狡猾で信念の無い悪人ですよ。収容所から脱走したようですが、その過程でピンチに陥った仲間を見捨てています。自分のことだけ考えて生き延びているような人物ですね。」
司会者は言う。
「ということは、ビデオでは大義を掲げていますが、自分の損得勘定で行動してるってことですか?」
「そういった体裁だけを整えた犯罪者を思い浮かべていただいて問題無いでしょう。ただそれだけではなく、やたらと人を騙すのが上手いのもご理解いただきたい。」
「なるほど。彼の呼びかけには注意が必要っていうことですね。」
ドラウナーはテレビを消して言う。
「情報戦略だ。これも想定の内だが、立場が悪くなる可能性があるし、なるべく早く決着をつける必要がある。」
「事実とそうでないものを混ぜ込んで、印象操作をするのか。卑怯なヤツらだ。」
「だが常套手段だ。それほどに有効だ。想像以上に人々は、印象に振り回されて生きているっていうことさ。」
キリルは再び疎外感を感じた。仲間外れにされている。自分という存在を受け入れてもらえないのだから訴えるしかない。ギグリアを否定し、自分の主張を押し通すために戦う必要がある。
「そうだな…。」
「ところで、テレビの話、何がどんだけ本当なんだ?」
「戦争には歩兵として参加した。しかし補給が全く届かなくて、弾薬も食料も全部無くなって、小隊全員で投降したっけな。収容所から逃げた時は、装備が無かったからな。別行動っていうのもあったし。信念が無いなんてことはないぞ。」
「信念か。…信念抜きに、自ら武器を手に取るなんて、無いだろうな。」
ドラウナーはニュースの拙いところに気付いた気がしたが、途中で切ってしまって、本当にイマイチなニュースだったのか気になった。
「…それはそうと、今日のカルア人は何だったんだ?」
「俺も知らねーな。」
「腹、蹴られ損だな。気に入らねえ。お前もカルアから来てるんだろ?なんか知ってるだろ?」
「本当に知らないんだ。俺はすぐ決まって、すぐに来たからな。」
ドラウナーが風を感じて机の方を向いたら、視界の端に黒いツノのカルア人が見えた。転移魔法によって、突然現れたようだ。
「やぁ、さっきぶりだね。腹を蹴らせてしまって申し訳ない。」
悪びれずに気さくに話しかけるカルア人。キリルは心象が良くない。
「自己紹介してくれ。」
「アフィシア=オルシェ。生まれも育ちも生粋のカルア人だ。年はちょうど100歳だな。ギグリアには1か月前にやってきた。最近ようやく良い食べ物を見つけたよ。ここの食べ物はたいてい美味しくない。」
「カルア人って言ったらベジタリアンだからな。鳥肉ばっかりのギグリアからは、とっとと出てけってことなんだろ。」
「辛辣だね。ギグリアを良い国にしようとしてるんだがな。」
「それは俺もだ。どんな仕事をしてるんだ?」
「傭兵が表の顔だ。裏は政治的な仲介業者ってところかな。」
キリルは疑問を抱いた。話の裏が読めない。オルシェは疑問に思っていたことを聞く。
「どうやってシーズ議員の居場所を知ったんだ?」
「この指輪の力だ。指輪の悪魔がどうすれば良いか教えてくれる。そう確信させるんだ。」
オルシェはキリルの指輪を見た。ただならぬ不吉さを醸し出すそれは、直観的に良い物に思えない。だが指輪が問題であると言う方法は限られている。
「悪魔は人々を堕落させ、苦痛を与え、地獄に突き落とす尋常ならざる存在だろう。本当にそれを信じていいのか?より問題がこじれるんじゃないのか?」
誰もが悪魔に対して懐疑的な反応をする。キリルはそれに不快感を示す。
「何が言いたい?」
「お前は指輪に使われているだけだ。自身の心の機微に疑問を抱け。」
「…?お前に何が分かる?」
「分からないから言っている。道具に使われているだけでは、お前は破滅するだけだ。」
キリルは指輪からくる直感に、初めて疑いの目を向けようと思った。しかしやはり間違っていたと思うことができない。説明はできないが、確信するのだから仕方がないし、これまで外れた事も無い。
「…まあ今はいい。話を戻そう。なぜシーズ議員を殺そうとしたんだ?」
「これは悪魔が作ったリストだ。上から順にパブロアに対する悪意の強さと誠実ではない議員を示している。」
オルシェはペンを取って、線を書いてキリルに返した。
「抹消線で消してある議員は、殺してはいけない者、あるいは殺していいか良く分からない者だ。」
キリルは長いため息をついて腕を組んだ。
「…。」
オルシェはキリルの言葉を待った。10秒ほどの静寂の後、話し始める。
「カルアは何が目的なんだ?俺は必ずパブロア民を救わなければならない。目的を叶えられないのなら受け入れられない。」
「俺も知らねえから教えてくれ。」
ドラウナーは恥ずかし気も無くオルシェに聞いた。オルシェはドラウナーの反応に「お前もか?!」と言わんばかりに驚いたが、少し難しい顔をして話し始める。
「カルアは単純に言うと魔力石文明だ。長らくカルア人種のみの複数民族の国家でやってきた。そのため魔力を持つ国民だけの時代が続いたんだ。もちろん魔力石を使わない機器も開発してはいるが、製造工程やメンテナンスも含めれば魔力石無しでは生活が成り立たなくなってしまっている。しかしここ最近、魔力を持たない人でもカルアで快適に暮らせるようにしてやりたいと考える政治家が現れた。それで機械文明のギグリアに近づいている。シーズ議員とその一派は、ようやく手に入れたカルアの交渉相手だ。安易に殺してもらっては困る。最悪、こちらの計画が頓挫する。」
キリルにとっては思いもよらない話だった。頭が混乱してきた。ギグリアの体制を変えることが必要だったが、その方向性にケチをつけられていると感じた。
「俺の邪魔をすんじゃねえよ。シーズ議員を殺さなくても、俺の目的は達成できるのか?俺とカルアの目的を同時に叶えることはできるのか?」
オルシェには、そんなこと分かる訳がないが、言わざるを得ない。
「私はできると信じて行動している。どちらにせよ、あなたはカルアの助力無くしては目的を叶えられないだろう?」
キリルは己の無力さを否定できない。弱さを突きつけてくるオルシェをなんとか見返してやりたい。だがそんな方法は見つからなかった。沈黙の時が過ぎる。
「…敵が廊下にいる。4人だろう。」
キリルが言うと、2人は交互に顔を見合わせた。キリルは続けて言う。
「敵意を向けられているから察知できるんだ。この指輪が俺に告げるんだ。」
オルシェは深いため息をついて話す。
「私がここに居たことを悟られるわけにもいかない。加勢しよう。キリル、正確な居場所は分かるか?」
「ドアの両側に2人ずつだ。今にもドアを開けて入ってきそうだ。」
「ドラウナー、盾役を頼む。」
そう言われるとドラウナーはドアに向かって歩いていく。
「知られるわけにはいかねーわな。皆殺しだ。」
オルシェはそれを聞くと、ドアの2歩手前でしゃがんだ。それと同時にドラウナーはドアを勢い良く開けて、蹴りを放つ。1名の膝を破壊したが、残る3名の集中砲火を受けた。オルシェは瞬間転移を2回連続して、ドア右側の床に着地しつつ、アゴにアッパーを放つことで意識を奪い、素早く拳銃を盗み、銃口を突きつけて発射した。
「?!!」
2名はオルシェに銃口を向けるが、オルシェは1名を盾にする位置に瞬間転移し発砲した。ドラウナーは膝を破壊した一人の胸ぐらを掴み、最後の一人に投げつけた。姿勢を崩した二人はオルシェの持つ拳銃により射殺された。
「今やってきた敵は、装備からギグリアの対テロ組織と推測できるな。カルアとキリルが組んでいることが、明るみになっても困る。カルア人の証拠を残す事なく、早めに手を打っておきたい。」
「だらだらしてないで、さっさとリストの連中を殺せってか。」
オルシェは、考え事をするような素振りを見せた。
「何にせよ、今はこの場から立ち去ろう。見られるわけにはいかない。床に散乱した潰れた弾丸は回収しておこう。一応、ギグリア人同士の戦闘と見えなくもない程度にしておくんだ。また会おう。」
そう言うとオルシェは、対物障壁で潰れた弾頭を拾いつつ、ドラウナーに渡した魔法陣を回収した。
「ああ、それと…。印象とは真逆だが、さっきの『指輪に使われるな』って話は、心に留めておけよ。道具は使う物であって、使われるようじゃダメだからな。」
オルシェは言いたいことを言いつつ、魔法陣を起動し、さっさと自身の姿をかき消した。
「俺達もずらかろうぜ。」
キリルは、ドラウナーの体を気にしている。ドラウナーは、そのことに気付く。
「大丈夫だ。6発撃たれたが、服も含めて何とも無い。」
ドラウナーも、床に散乱した銃弾を回収しつつ、親指を立てて白い歯を見せる。
「え?そんなヤツだっけ?」
「は?俺、キャラチェンした?」
「打ち解けてきたってことか。」
キリルには神術が未だに理解できなかったが、ドラウナーに頼もしさを感じた。
「会った時の言葉、それ以上の実力だな。頼もしいぜ。」
キリルは珍しく人を褒めた。
「敵がいることを教えてくれて助かったよ。」
二人はお互いの能力を認め合って、その場を後にした。