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1. 救い

 大雨のギグリア。旧パブロアと隣り合うこの一帯は、寂れた街並みだ。国境こそ無くなったものの、旧パブロア側はまるで刑務所のような強制収容所と戦争跡地を思わせる廃墟がいくつもあり、心理的にも景観的にも境界は示唆される。フィリエドは70歳の老人だが、足腰がしっかりとしている。朝のちょっとした散歩の帰り道。年金暮らしの独り身には広すぎる自宅が待っている。しかしいつもの帰り道には似つかわしくない少年が転がっていた。短髪で痩せたその少年は、雨にうたれて低体温症になって動けなくなっているように見える。意識を失っているようだが呼吸はしている。

「これは...。」

フィリエドは数十秒間、考えを巡らせた。普段なら迷うことなどない。トラブル回避のためには見なかったことにすれば良い。あるいは多少の善意や義務感に従い救急車を呼ぶか。だがこの日のフィリエドにはそれらが出来なかった。


 キリルは夢で追体験をした。強制収容所のルーティンはキツいが、皆が黙々と頑張っている姿を見ると自分もやらなければならないと感じる。そうでなくても、ムチを持った看守が自分の方に目を向けたり歩み寄ってくるだけでもサボれないと感じる。工業製品を組み立てている。だが、これが何なのか分からない。質問したくなるが無駄な発言も処罰の対象になる。だからシラける。手を止めたくなる。だがそうするわけにはいかない。楽しいことでも妄想するしかない。そうすると、真っ先におやつの時間が思い浮かぶ。看守は時折、無機質にチョコパイを配るが、明らかにガス抜き目的で行っているのが分かる。だがそれに反して、たまにやってくるチョコパイが楽しみになってしまっている自分に嫌気が差す。屈辱的に感じる。こんなことを楽しみに生きていかなければならないのか。敗戦から、住む所を失い、難民キャンプ、収容所での暮らし。一向に暮らしぶりが良くならない。収容所の外はどうなっているのだろうか。何も分からない。

 そんなある日、地雷・不発弾除去の作業をしている時に、金属の輪を見た。それは妙にキリルの心を惹き付けた。小学生の頃に習った言葉を思い出す。

「パブロア建国の王、グリア=パブロアは契約の指輪をしていました。彼は指輪の力により、人々を統治しました。」

金属の輪が指輪に見えたのだ。だが冷静になって見れば、それはただの手榴弾のパーツに過ぎないと分かる。拾い、スクラップとして回収する。

「俺は何を期待してるんだ…。」

何も無い日々。会話も許されない、うつむくばかりの日々。解放されたかった。

 そんな強制収容所から脱出する時がやってくる。事前に5人で小声で話し合った失敗できない作戦だ。キリルは聞く。

「いつの間に、こんな穴を掘ったんだ?」

年少のディルアは答える。

「やるべき時に、やるべきことをやることが、偉くなるコツさ。」

ベッドの下の隠された穴は、旧防空壕らしい横穴と繋がっている。ディルアは続けて言う。

「もし誰か一人でも外に出られたら、収容所の皆を助けてあげよう。」

キリルは応える。

「あぁ。そうしよう。」

皆、当然だと言わんばかりに覚悟を決めた目でうなずく。雨の日を待って深夜に地下へ飛び込む。明かりの無い暗い道を行く。出入口は雑に土で埋められていた。5人は地下水で水浸しになった状態で、上に行く穴を掘り、地上に出ることができた。そこはもう、収容所の高い塀の外だ。街に行くには反対側に走っていくしかない。

「寒くて水浸しだし、街へ移動しよう。」

雨はカムフラージュになるが、逃亡しているのがバレれば自動小銃の的になる。キリルは提案する。

「二手に分かれよう。」

「それはヘタしたら下策だぞ。」

「俺は遠回りして街へ行く。足の遅いお前らは、敵がいなくなった後、真っすぐ街へ行ってくれ。」

「陽動ってことか?正気か?死ぬ気か?」

「一人なら逃げ切る自信がある。足手まといは隠れながら行くしかないだろ?」

ディルア達はしばらく考えたが、キリルの提案に乗ることにした。

「じゃあ先に行くからな。必ず来い。」

「OK。」

キリルは走った。ほどなくして雨足が強くなり、闇夜も手伝ってキリルの足音と姿は目立たなくなった。

「くそっ。やはりすぐに見つかるか。」

キリルは後方に人の声を聞いた。銃声が聞こえる。曲がり角を駆け抜けて、碁盤目状の区画を走る。どこまで走ったのか分からない。でたらめに走り、行きついた先で疲労した足に泥と雨水がまとわりつき、行く手を阻む。収容所の制服は泥で汚れているがしましまは目立つ。盗んだ服で街に行けば追っ手の目をくらませることができるだろうが、雨の日の真夜中にそんな都合の良い服は見つからない。一息ついたところでふと思う。

「4人はうまく逃げられただろうか?」

キリルは再度、後方を確認したが、誰の姿も見えない。ただ闇夜の中の、街灯と雨が作り出す白く光る線を瞳に写すだけだ。行く当てなどない。疲れた。少し離れたところで雨宿りをしよう。


 キリルは目を覚ました。見知らぬ木造の天井には自分の手は届かない。右手を自分の額に着地させて記憶を辿る。

「おっ、目を覚ましたようだな。わしはフィリエド=フォイル。お前さんの名は何という?服を着ろ。」

フィリエドは年齢に似つかわしくないほど、足腰がしっかりしているが、黒の少ない白髪、顔の半端なシワが年齢を感じさせる。そんなフィリエドは服をタンスから出して、キリルに渡した。

「キリル=ヴェイン。」

「ヴェインというファミリーネームってことは、パブロア人ってことだな。」

ギグリア民もパブロア民も顔立ちは同じだ。フィリエドは強制収容所から脱走して来たことを想像していた。服装から見ても丸分かりだったが…。

「...今日から、ラトア=フォイルと名乗ったらどうだ?わしの孫息子の名前だ。」

「なぜ俺をかくまうんだ?何が目的だ?」

「広い家に独りきりでな。寂しいんだよ。話し相手になってほしくてな。」

「リスキーすぎる。お前が捕まる可能性は考えないのか?」

「寂しさが勝っちゃったな。」

ハハハッと笑ってみせたフィリエド。不審に思うキリル。だがキリルには他に選択肢など無かった。行く当てなど無い。

「ちょっと待ってろよ。今からスープを作ってやる。それまでテレビでも見ててくれ。」

キリルとしては、一緒に脱走した4人と合流したいところだ。いかにして連絡をとるか。そう考えていると、テレビのニュース番組が見られた。

「続いてのニュースです。昨晩、ダリル収容所から脱走がありました。5名中4名は射殺されたということですが、依然として1名は逃亡中ということで、付近では今尚、捜索が進められている模様です。」

死んでるだと?嘘くさい情報だ。信じられない。いや、偽情報だと思いたいだけだ。この情報は今の状況と矛盾しない。一応、聞いてみる。

「フィリエド、このニュースはどのくらい信用できるんだ?」

「さあね。テレビの情報を疑ったことはこれまでに無かったよ。」

フィリエドは調理に向かう。そっけない返答にキリルの疑う余地は寸分も無かった。しばらく考えたが、腑に落ちる回答を出せずにいた。釈然としないまま居間を離れ、フィリエドの家を観察することにした。家は平屋一戸建てで、4人家族用の建物のようだ。それぞれ個室の部屋があり、離れに納屋がある。

「出来たぞ。さあ、一緒に食べよう。」

キリルは呼ばれるままキッチンのイスに座り、目の前のスープ料理を見た。戦前のパブロア時代の頃、毎日のように食べていた物に良く似ている。フィリエドが食べ始めるのを待つ。キリルは直感的に毒が入っているのを恐れていた。

「どうした?食べないのか?」

キリルはあえて答えなかった。フィリエドは気にせず食べ始める。その様子を見て恐る恐る味見をする。

「ここをお前の居場所にしても良いんだぞ。」

キリルにはフィリエドの言葉が薄っぺらく聞こえた。どこかで聞いたような、本心を隠しているような、上っ面だけ良くしているように感じた。一方、フィリエドは焦らず、キリルの心が救われる道を探していた。


 キリルは思案に暮れる。現状はどうなっている?目的は何か?目的は達成できるか?分からない。そんな中、いつも通りフィリエドは声をかける。

「掃除しないか?手伝ってくれると嬉しいんだが。」

「...。いや、やらない。」

「そうか...。」

毎日、こういうやりとりをする。

 一週間位した晴天のある日、フィリエドは聞く。

「納屋の蔵出しをしたいんだが、手伝ってくれないか?要らない物を古物商に売りたいんだ。」

「...あぁ、手伝うよ。」

「そうかそうか。」

フィリエドは満足そうに納屋へ向かう。キリルは後に続く。フィリエドは納屋のカギを開けると、何も言わずに机を引っ張り出して日光が当たる場所で展開する。そして机の上に蔵の物を置いていく。キリルはそれを見ていた。

「これ、要らないんだよ。ワシの父さんの物なんだが。」

「それは何だ?コップ?」

「そうだ。他にもいろいろいっぱいある。コップ収集家だったんだよ。」

「どれだけ古物商に持って行けばいいんだ?」

「全体の半分くらい持って行ってくれればいいよ。20個位だな。いや、一緒に行こう。」

2人は古物商店に行くために北東へ向かった。途中でフィリエドは言う。

「この北側にスラム街がある。その中には更に混沌とした【呪われた地】と呼ばれるようなところもある。スラムに近づかないようにな。」

「呪われた地って…。なんでそんな言い方をするんだ?」

「魔と交差する場所、不吉な地とも言われるんだ。単に死体が放置されているだけと言われてもいるね。まあ、つまり、ギグリアという国がうまく機能していないってことさ。」

「警察や政治がうまくやってない。だから治安の悪い地域や貧民街があるってことか?」

「そうだ。おっ、着いたぞ。」

古物商は案外、大きな作りの建物だった。

「有名なアンティークの店なんだぞ。」

フィリエドはそう言って店に入り、持ってきたコップを店主の前に並べた。キリルは店の売り物に興味がそそられる。【門の木の端材】、【悪魔契約の指輪】、【呪術師の人形】、【神技滅却の短剣】、【竜人の魔眼】。ゼロが3つ多いんじゃないかと思えるような高価な品がガラスケースの中にある。どれも見たこともない物で本物か偽物かの判別もつかない。おそらく、およそ全てのヒトが使い方も分からない。

「フィリエド、凄そうな物がいっぱいあるな。」

「よく分からん品物も実用的な品物もあるだろう。」

フィリエドは安く買える中古品に目がいくようだ。

「何か欲しい物はあるか?」

「この指輪。」

キリルは【悪魔契約の指輪】を指差した。透明なリングの中に黒い微粒子が浮かんでいる指輪だ。よく見ると微粒子は指輪の中を絶えず漂っているように見える。いったいどうやって作ったのだろうか。悪魔と言われればしっくりくるほどの不吉な印象を与える。店主が答える。

「これは悪魔と契約する時に使う品だ。魔術の心得が無くても契約できるが、相応しい対価が必要になる。まず短命となるだろう。応じるのはかなり高位の悪魔だ。どんな願いかは分からんが叶うだろうよ。」

「買えないほど高すぎるし、悪魔の要求する対価ってのはロクなもんじゃないだろう。」

「ワシは黒魔術師じゃないから細かいことは分からん。」

店主も投げ出す。果たして値段相応なのだろうか。

「じゃあその人形は?」

こちらも名称にふさわしい怪しさを抱いた品だ。目は暗く、髪の毛は乱れているが、よくよく見ると縫製や細部の形状まで美しく作られた逸品のように見える。

「方陣の中心に置いてある状態で発見された人形だ。持ち主の呪術師は行方不明で、この人形の中で眠っていると言われている。」

「これも高価すぎる。何に使うんだ?」

「聞いてみただけだ。欲しい物は無いな。」

キリルはフィリエドの反応を試していた。フィリエドは大きなため息をつき、キリルの眼差しに安心したかのように振る舞った。結局、2人は何も買うことなく、店をあとにする。

 帰り道はカラになった容器を持つ簡単な仕事だ。フィリエドは言う。

「ありがとうな。おかげで助かったよ。」

キリルはしばらく味わったことのない気持ちになった。温かくなるようなくすぐったくなるような元気になるような、そんな言葉だった。だがキリルはその気持ちを隠した。

「ヒマだったからな。」

「それでも、...ありがとう。今の自分は好きか?」

「何だよ、急に。」

キリルは虚を突かれて戸惑った。

「お前には自分で自分を好きになってもらいたいんだ。」

「訳分かんねえよ。」

「美徳を持つと良い。信頼される自分が好きだって思えるようにするとかな。」

「...考えとく。」

キリルは感慨深げにした。


 ある日、とある警察官は、フィリエドの家を訪ねる。

「こんにちは。」

フィリエドは応対する。

「こんにちは、何の御用ですか?」

「しましまの服を着た脱走者は見ませんでしたか?」

「いえ、そんな人、見たことも聞いたことも無いです。」

「そうですか。ご協力感謝します。失礼します。」

警察官は、結果に満足して去っていった。彼らにとっては仕事をしているという素振りが重要なだけなのかもしれない。


 2週間後、キリルはラトア=フォイルの名前でアルバイトを探し、酒場の厨房スタッフとして働くことにした。フィリエドの家から近く、人目につかないような仕事を選んだ。特にやりたいことなんか無かった。だが、何もしないでフィリエドの家にいるのも気が引ける。

 酒場には、ロクでもない客がよく来る。アルコールで頭がやられている。配膳係はこういう時に、キリルを頼る。

「あのおじさん。相手してあげて。」

キリルは「また来たのか。」と、嬉しくない要望に背中で応えて客側の床に足を踏み入れる。カウンターには突っ伏している無精ヒゲの中年男性がいる。いつものことだ。

「お客さん、大丈夫ですか?」

キリルは声をかける。男は重たい体を少し浮かして応じる。

「大丈夫だ。俺はまだいける。まだまだだ。」

「いや、もう今日は飲まない方がいい。」

はっきり言うキリルの態度に、男は少し腹をたてる。

「おれぁよ。これでも頑張って働いてんのよ。」

「はい。頑張ってるんですよね。」

「おうよ。だからもっと優しくしてくれよ。もっと飲ませてくれよ。」

「しかしこれ以上はお体に障りますので…。」

キリルは申し訳なさそうに言う。だが、これで納得しない人が大抵だ。

「なんで飲ませてくれねえんだよ。ここは酒場なんだろう?酒を飲ませてくれるんだろ?!」

客の声が大きくなる。キリルは動じずマニュアル通りに接する。

「お体が心配です。」

…こんな調子で何度も同じ話をする。無事、酒を飲ませることなく帰らせて厨房に戻ると店長は言う。

「どうだ?お客様の心配をする仕事は?」

キリルは素直に自分の気持ちを言う。

「客がバカに思える。酒におぼれて自滅の道を進んでるだけじゃないか。」

「そうだな。でもな、同情することもできるんじゃないか?」

「同情?俺には見下すことしかできないが…。呑まなくても生きていけるはずだ。」

「ラトアには、呑みたいという欲求が無いんだよな。それはそれで幸せなことだ。だがな、彼らにはそれがあるんだ。欲求があるから苦しい。どうだ?分かるか?」

「客が苦しんでるのか?駄々をこねている子どものようにしか見えなくなるんだが。理解できない。」

「彼らだって呑むべきじゃないことを理解しているんだ。次の日のことを考えたら、呑まない方が良いことが分かる。でもどうしようもなく、呑みたくなってしまう。お客様は、自分で自分をコントロールできないから、ここで呑むんだ。」

「そういうことか。」

「どうだ?同情できたか?」

「いや…、まだ…。」

「相手のことが分かると、優しくなれるんだ。ラトアには慈愛の気持ちを込めて、お客様と接してほしいんだよ。」

「慈愛…。」

「他者を愛し、救い、優しく接することで、ラトア自身が救われるんだ。」

「?!何を言っているんだ?」

「焦らずとも、そのうち分かるさ。分かるまで続ければいい。すぐに結論を出さないことが、賢く生きていくコツさ。」

キリルには、理解できそうで理解できないような話だった。

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