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花明かりは願いの灯

作者: 深海聡

 川の水面に、提灯の明かりが映える。

 爛漫と花開いた桜に人だかりができて、皆が思い思いに写真を撮る様子を少しだけ遠巻きにして、人が映り込まないように手を伸ばして私はそっとシャッターを切った。

 思い思いに酒や食べ物を手にした人々の、上気した顔を無感動に眺める。

 誰に言うことでもないけれど。

 私は誰かと一緒にこの喧騒に加わる自分を、思い描けない。

 求めることは、失うことだ。

 いつからだったのか思い出せない。

 引き算だらけの人生の中で、私はザックリと人間関係が欠け落ちたままの日常を平然とした顔をして生きていくことばかり上手になる。

 自分の足元に開いてしまった真っ暗な穴を覗き込まないこと。

 それだけが、孤独に飲まれないたったひとつの方法のように。

 私は、温かな光に照らされて笑いさざめく人たちに背を向けて、ただひたすらに家路を急いだ。

 置き去りにした感情に名前を付けることをやめた私は、今でもあの真っ暗な日々の続きを彷徨っているのかもしれない。

 会いたいと、言葉にしないこと。

 大切なものにこそ、決して手を伸ばさないこと。

 どうしても、分不相応だという思いを打ち消せなくなって、背を向けたくなる自分を誰よりも分かっているから。

 友人でも、恋人でも、誰かを大切だと思うほどに自分自身がばらばらに分解されて零れ落ちていくような気分がする。

 私は、相手の期待通りじゃない自分自身にいつだって吐きそうなほどの不安を感じていて。

 相手の期待通りじゃない自分に、押しつぶされて消えそうになる。

 視線ひとつ、言葉ひとつに神経を張り詰めて、相手のための自分を演じて、演じて、突然糸が切れる。

 そうして私は、何度となく人間関係を壊して来たから。

 自分自身がどこにいて、何を感じているのが正しい状態なのか分からなくなる。

 ぐちゃぐちゃでボロボロで、ばらばらで。

 それでも、息をして、生活をして、私は何でもないような顔をして過ごしている。

 私はまだ、平気そうな顔で笑うことが出来ているのだろうか。

 時々、それさえも分からなくなる。

 電車の窓に映る自分を、無言で見つめ返す。

 ややあって浮かべた作り笑いは、練習したとおりの穏やかそうな仮面そのもので。

 嫌悪感にそっと目を伏せた。


「疲れたな」


 思わず零れ落ちた呟きは、自分自身でさえ拾うことなく車内アナウンスにかき消されて消えた。

 俯いた目の前に、ふと花弁が舞う。

 白いそれを、何気なく視線だけで追う。

 その向こうに、見間違えようのない背中があった。

 偶然の再会に、声も出ず、息もできずに。

 ただ、その人が穏やかな表情で傍らの私ではない誰かと笑い合う姿を見て、私は声を掛けることをやめた。

 ああ、やっぱり。

 私は、私が存在しない世界を外から眺めている方が安心するみたいだ。

 触れようがないものは、壊れようがなくて。

 ただ、幸せそうに笑う姿を遠くから眺めること。

 その痛みと、同じ量の安堵に涙する。




「あー。カピカピ」


 いつの間にか涙していたらしい私は、そのせいで荒れてしまった頬に顔をしかめる。

 カーテンを開ければ、麗らかな春の日差し。

 柔らかな命の気配に、目を細める。

 適当に顔を洗い、髪を結んで手早く着替える。

 庭で咲く少々遅いフリージアに、はさみを入れてその匂いをかぐ。

 胸の奥底に沈殿した寂寥感に蓋をして、ひたすらに春の香りを吸い込む。

 花瓶に入れた花は、心浮き立つほどに香るけれど。

 私はこの庭を出て、どこかへ行くことをしないだろう。

 どれほど闇の中で、美しい花明かりが希望を灯そうとも。

 それは私の掌にのることのない温もりだから。

 今更、期待したら余計に辛くなる。

 もし、今あの扉を開けて待ちわびたあの人がここを訪れて。

 そこまで考えて、私は目を伏せる。

 きっとそんな幸福を、私は信じないだろう。

 誰も私の人生から、私を連れ出すことなど出来ないように。

 私はここからどこへも行けない。

 どれほど苦しくて、辛くて、絶望に満ちていても。

 私には逃げ帰る場所なんてないのだから。

 だから、私は私の幸せを願わない。

 もしも、願うのだとしたら。

 あの温かな光に願うのだとしたら。


「あなたが、幸せであればいい」


 それが私のいない世界でも。

 それが私のいない世界であれば。

 きっとそれは、痛いほどに美しいだろう。




 私は、どこからか風に乗って舞い落ちて来た花弁を、そっと両手に包み込んだ。

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