新しき聖女の伝説①
教会を飛び出し、私はシオンに案内されて王都の街を歩く。
貧困に苦しみながら働く人々の姿に、心がざわつく。
同じ王都でも、スパーク王国とは大違いだ。
皆が必死に生きているのが伝わってくる。
「聖女様だ!」
「聖女様がいらっしゃったぞ!」
馬車から積み荷を運んでいた男性たちが、私の存在に気づいて声を上げた。
仕事に集中していた人たちが、彼の声を聞いて視線をこちらに向ける。
「おはようございます、皆様」
「聖女様?」
「どうして聖女様がこんなところに……?」
疑問を浮かべ、声に出す人々。
私はニコリと優しく微笑み、その問いに答える。
「もっと皆様のことを知りたいと思いました。生活に触れ、思いに触れ、皆様のお役に立ちたいのです」
「おお……なんと慈悲深い……」
「聖女様がわざわざ私たちの元に来てくださるなんて」
「かえって申し訳ない気分です」
「いいえ、遠慮なんてなさらないでください。私はもう、この国の一員なのですから」
やはり彼ら彼女らは遠慮していたようだ。
ならば私のほうから歩み寄る。
積み荷を運んでいる男性は、右腕に包帯を巻いていた。
僅かに血がにじんでいる。
怪我をしていたのだろう。
よく見ると、男性の呼吸が荒い。
ただの疲労だけではなく、ほんのり顔が赤く見えることから、体温が上昇しているのだと予想する。
この国では医者はおらず、薬も満足に手に入らない。
傷が悪化したり、傷口から黴菌が入って病気になっても、大した治療は受けられない。
そうして大切な命を消費してしまう。
「主よ、か弱き我らに癒しの加護をお与えください」
そうならないように、私はいる。
誰も死なせない。
私がいる限り、不幸な死に泣いたり、諦めたりはさせない。
「どうですか?」
「ああ……痛みが……身体も軽く。あ、ありがとうございます!」
「体調が優れない時は休んでください。一番大切なのは、あなた自身のお身体です」
「……ありがとうございます。ですが、私が働かないと家族が……」
男性は申し訳なさそうに視線を逸らした。
無理をしてでも働かなければ、大切な家族を養えない。
彼だけではないのだろう。
きっとこの国で生きる多くの人たちが、命を削って働き、汗を流している。
「それでも頑張らなければならないなら、私のことを頼ってください」
「聖女様……」
「私も、皆様の助けとなりたいのです。私にできることは限られています。皆様の抱える悩みをすべて解決できるわけではありません」
聖女の力にも、奇跡にも限度はある。
失われた命が戻らないように、奇跡が起こらない時だってある。
もしも私に、誰もが幸福な世界を作る力があったなら、きっと今頃ここにはいなかっただろう。
私は知っている。
自分の力が、万能ではないことを。
「ただ、皆様の背中を押すことはできます。背負っているものを、ほんの少し軽くすることくらいはできるのです」
「そんな! ほんの少しだなんて。すごく軽くなりました。身体だけじゃありません。気持ちもずっと軽くなりました。ありがとうございます」
「ならよかったです。あなたの今日が、素晴らしい一日になりますように」
私は目を瞑って祈る。
ただ祈るだけで、奇跡が起こるわけじゃない。
それでも、私にできることは、祈りを捧げることだけだから。
目を開き、集まってきた人々に向けて言う。
「皆様もどうか、遠慮なさらないでください。困っていることがあれば、ぜひ私に相談してください。どうか私に、背中を押すチャンスを頂けませんか?」
集まった人々は、隣にいる人と視線を合わせて考えている。
信頼を得るのは本当に難しい。
無条件に信じてもらえるほど、この世界は優しくない。
アクト陛下がどれほど凄いのか、どれだけ国民に愛されているのか。
その差がよくわかる。
「頼っていいのか?」
「そうだな。あの方は本物の聖女様だと、陛下もおっしゃっていたんだ。私たちのために、この国にやってきてくださったのなら」
「……ああ、あ、あの! 聖女様! 実は数日前から、祖母の体調が悪くなっていて、食事もあまり喉が通らないようなんです」
「それは大変ですね。すぐに診させていただけませんか?」
「は、はい! お願いします」
勇気を振り絞って声をあげた青年がいた。
私がこたえると、彼は安堵したような表情を見せる。
その声をきっかけに、次々に声が上がる。
「わ、私も、その後で構いませんので、相談に乗って頂けないでしょうか?」
「はい、もちろんです」
「個人的な悩みでもいいんでしょうか? くだらないことかもしれませんが、妻と喧嘩してしまって……」
「くだらなくなんてありません。どんな悩みも、真剣に考えていることなら平等に大切です。一緒に、仲直りの方法を考えましょう」
大切なのはきっかけだ。
誰かが振り絞った勇気の一歩が、それを見ていた人たちにも勇気を与える。
私はまだまだ部外者でしかない。
少しでも彼らに認めてもらえるように、今は頑張り時だ。
その後、街の人たちに話を聞きながら、相談者の家にお邪魔して、困っている人に祈りをささげた。
一人、また一人と集まってくる。
気づけば私の周りには、大勢の人々が列を作っていた。
「聖女様、実は普段から寝つきが非常に悪くて、疲れがまったく取れないのです。何かいい方法はありませんか?」
「それは辛いですね。環境を変えてみるのはいかがでしょうか? 枕だったり布団、あとは可能なら寝る向きや部屋を変える。そして大事なのは、無理に寝ようとしないことです」
「無理に……ああ、寝よう寝ようと思うと、逆に眠れなくなるんですね」
「はい。身体の声を聞いてください。眠くなったら布団に入る。最初は時間を気にせず、眠気に任せてみてください」
相談内容は時折、祈りでは解決できないようなこともある。
聖女に寄せられる悩みは、病や怪我、人間関係に留まらない。
なぜなら不安は、人の数だけ存在するから。
「ありがとうございます。試してみます!」
「はい。無理をせず、お身体を労ってあげてくださいね」
「はい。なんだか聖女様に相談すると、できるような気がしてきました!」
「それはよかったです」
不眠症に悩む相談者は、気持ちが少し晴れた様子で去っていく。
今夜はよく眠れますように。
私は彼の背中を見ながら祈りを捧げる。






