終結
銀のペンデュラムは天使と悪魔のどちらを貫くか選ぶように、変わらず揺れ動いていた。
ペンデュラムの効果で檻に囚われた悪魔は大口を開けて欠伸をし、天使はうなだれて座り込んでいた。
「戻ってきた!?」
女神の声はシバタが立ち上がると同時だった。声が届いたのか、シバタの横で膝をつく死神は硬い表情で女神に視線を向けた。
「お待たせしました。それから、ようこそ悪魔さん。あなたが来ることは……これで知りました」
ゆっくりととんがり帽子を外したシバタは、片手で銀製のそれを差し出した。『知識の帽子』被ることで森羅万象を授かる代物だ。
「ふーむむ。それで? ログを得たならロクでもない人生と六回滅ぼしても晴れない恨みを思い出したんだろう? くっく」
「おかげさまで。フラグがしっかり立ったみたいですね」
シバタと死神は顔を見合わせた。相互同時に頷くと、ゆっくりとシバタは悪魔が囚われる檻へと近づいった。
「合図がくるぞ。見逃すな」
「私に?」
「そうだ」
死神が女神に囁いた。
ーー合図。 伺うように女神はシバタと悪魔へ視線を送る。
「まずは知識の帽子でわかったことを整理しましょう」
シバタはゆっくりと歩きながら、淡々と言葉を続けた。自然な様子で少しずつ悪魔から距離が取られた。
「悪魔さん。僕があなたと行く条件ですが、それは生前と死後、それぞれのフラグを満たすという難しいものでした」
死神がそこに割り込んで大きな声をあげた。
「ひとつ! 生きている最中に世界を憎むこと! ふたつ! 自ら命を断つこと! みっつ! 死後に自らの最期を把握し、思い出すこと!」
「よくよく知ってるんだねえ。ろくに開示してないのに、噂は疾く走るか。くっく」
悪魔の首が、ぐりんと死神に向けられた。退屈そうな素ぶりは消え去り、眼光は爛々と口は耳まで裂けていた。
まるで呪いを溜め込むように、ぎりぎりと檻が歪み始めていた。
「そう。僕は自ら命を絶っていました。まったく、くだらない話ですが……カレー、それで死んだんだ」
「な、なに言ってるのよ!」
シバタが口にした己の死因に、女神が驚きを叫んだ。
それはこれまでの前提を覆す内容であったし、とうてい死に繋がる内容と理解しがたい言葉だったからだ。
ことの起こりは『DUPE』つまりは巻き戻しを告げたチャットログを目にした時のこと。より正確に言えば、特製のスパイスを茫然自失してカレーにかけすぎたことだった。
「自家製のカレーは注意してください。スパイス、とくにナツメグ……の入れ過ぎは、命に関わります」
ナツメグ。そこに含まれる『C12H16O3』ミリスチシンは、抗コリン性の症状を引き起こす。目眩や視界の歪み、そして……。
「最小致死量は種子で二個くらい。ですから」
「バカなの? それじゃあ……むぐっ」
「話を聞いていろ」
死神が女神の口を塞ぐ。死神はちらと視線を天使に向けた。天使は意図を察しているのか、立ち上がって悪魔を指差した。
「だ、だからってシバタは渡さないのだ! シバタは世界なんて憎んでなかったのだ! だから、お前の条件は満たしてないよね。無駄に出張ってご苦労なこったなのだ!」
天使は不遜に胸をそらした。しかし、その体はかすかに震えている。
悪魔は天使にとって最大にして最悪の敵だった。天敵を前にしたミツバチのように、己が持つ最大の武器で当たるしかない。
「いつまでも檻が保つと思うな。脆くも壊れた瞬間が、条件の達成になるんだ」
「悪魔さん。残念ですが、そうはなりません。そうはならないんですよ」
「何をバカな」
悪魔は己の口の中に腕を突っ込むと一枚の書状を取り出した。それをシバタたちに向けてずいと示す。
「うわ、ばっちい」
「悪魔のはらわたをろくに知らずよく言う。一片の曇りもないぞ。……ともかくだ」
悪魔は書状の一文に長い爪を立てた。
「その男は世を呪っている。魂込めた仕事にケチをつけられ、世間から嘲笑された。その数なんと……三万リポストだ。逆賊でもこうはならんて」
「……もう少しマシなKPIを設定しません? と言いたいですが、まあいいでしょう。悪魔さんはそれでフラグを満たしたと思っている。……だけど、そこには穴があるんですよ!」
「なっ。どこへ!?」
所在なく歩いていたように見えたシバタは、巧妙に悪魔から離れて女神に近付いていた。
駆け出したシバタを見て悪魔は、檻を引きちぎると、背中に捩れた翅を現してそれを追おうとする。
「女神さん。転生に同意します! 報酬、加護、秘宝、特典……なんでも良いですが、それは、僕のここでの記憶消去で!!」
死後に纏わる記憶の消去ーー。
そうすることにどんな意味があるのか。それは、悪魔の条件が死後にしか満たせないことに起因していた。
ーー死んだ理由を思い出す。それでフラグが立つのなら、
「死後にフラグを折ることもできるんじゃないですかね!」
「脆くも愚かな人間がああ。ろくでもないことをを!」
悪魔の地鳴りのような絶叫。だが、もう遅い。
杖を掲げた女神はすでに虚空に穴を開け、シバタに祝福の冠を被せた。
「あなたの願い。叶えましょう。転生先でも、せいぜい働くように……」
「できるなら、仕様のきっちりした世界で」
シバタの視界には、死神が悪魔に組み付くのが見え、何かへ手を伸ばす天使が入り、可憐で綺麗で屈託なく、健気な小娘の姿が映りーー。
「リトライアメント!」
そのすべてが消滅した。
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「聞いてますか? シバタさん。来るんですよね?」
「ん? あぁ、すまん。手すりが壊れていて気を取られた。あとで管理会社に文句つけないとだ」
その瞬間、電信柱が倒れ、車を貫いたのが見えた。驚く間も無く、車は爆発し炎上し始める。
「物理法則って……あんな挙動するか? って、急がないと……通報は……誰か頼んだ!!」
シバタは自転車(ヒンデンブルグ号)に跨ると街の影に消えた。
「あいつならいいピンハネになったのに」
サングラスをかけた女はグラスをずらし、人差し指に挟んだ名刺を眺めていた。
『合同会社異世界 ゲーム事業部 シバタ』
「はーあ。覚えてないんじゃ金の取りようもないわ」
そう書かれた名刺はびりびりと破られ、街に消えていった。
「人間なんて腐るほどいるのだ」
「そうだ。次を探せばいい」
「けっ……。あんたらはいいわよ。降格だけなんだから」
女は不景気そうにため息を吐いた。
傍では、子供とむっつりした青年が消えたシバタの街角を眺めていた。




