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揶揄


 ときは、開発に三年かけたSDA(サディスティックドラマニメーション)ゲームのサービス開始日。オープン直後のサーバー負荷も落ち着いていた頃だ。


『なんかアイテム増えたんだけど、なんで?』


 とあるSNSで短い文章とともに投稿された画像は、一瞬でプレイヤーの間をかけめぐった。


『これやばくね?』『錬金術じゃん』『修正される前にやっとけ』『BANされるぞ』


 インターネット上に公開された情報は消せない。その冷徹な論理に従って、方法や手順はSNSや掲示板にあふれていった。


 従って、運営チームがことの真偽を把握したときにはすでに手遅れだった。ゲーム内はただのバグ修正で済まないほど汚染され、収集不能に陥っていた。


『Dupe確認しました。即課金停止と再開未定で緊急メンテ入ります。全返金とロールバック視野に対応願います』


 お手本のような緊急事態の知らせに、シバタが呆然としたのも無理からぬ話だった。


「あ。あぁっ」


 彼は遅めの昼飯――自家製カレー向かって、特製スパイスを延々と振りかけていたことに気づいた。


『対応用roomURL』『ASAP』『OK』


 チャットウィンドウに短いログやスタンプが次々と刻まれていく。事が重大なだけに、内容は必要最低限だ。OKスタンプが押されていくペースも早い。


 ノートPCのファンから、ぶわああ、と大きな排気音がした。そのときシバタの脳裏では、今日――つまりリリースに至るまでの日々が思い起こされていた。


『リリースされたら、皆んながこの鞭にやられるんですね!』


 それは、高難易度を謳う本作のお披露目イベントで主演声優が無邪気に語った言葉。


 敵のボスキャラクターが振るう武器――八岐大蛇をモチーフにした鞭状のそれを手に、芸人を鞭で叩く若い女性声優の姿は、遙か遠くもう届かない過去だ。


「……」


 シバタは叫びたがっている心を無にして、確認のスタンプをクリックした。彼の覚えている発汗と震えは、カレーの辛さのせいではなかった。


「鞭打つことないでしょ! 最初だからって、わざわざスタッフを!」


 ガン、とシバタは両手をテーブルに叩きつける。続けて、猛烈な速度でカレーをかっこんだ。


 ……辛くない。ひどく甘くてまずい。かけすぎたスパイスパウダーがじゃりじゃりする。


 ――誰も悪くない。 シバタはそう思う。


 デバッグシートの確認も済んでいたし、botチェックも想定以上の規模で行なった。テストプレイは述べ五〇〇〇時間を超える。神社にヒット祈願だって行った。もちろん、スタッフ総出だった。


 それでも――。

 魔物がいるのだ。ゲームのリリース日には。


 ドアを乱暴に開くと、シバタは駆け出していた。

 彼の住まいから職場は自転車で十五分程度。こういうときは顔を突き合わせた方が早いというのは、彼の経験でも明らかだった。


「とりあえず早く収束できれば……」


 スマートフォンからボイスチャットへ接続し、イヤホンマイクをセットする。ルーム内には何人かが既に接続しているのか、すぐ反応があった。


 ――あ、シバタさん。来れます? 自分は昨日泊まってて会社なんすけど。


 午前五時に稼働するデイリーバッチプログラム。それが正常に動作するかの本番テスト。サービス前日からサーバーは稼働しており、後輩エンジニアはそのために会社待機していた。


「あぁ、すぐ着くよ。俺のヒンデンブルク号なら……三分だ!」


 それは彼のロードバイクの名だ。


 ――三分間待ってやる。って、さすがに無理っしょ。ゆっくりでいいすよ。どうせすぐ終わんないし。


 わざとらしい笑い声に割り込む誰かの声。


 ――しっかし荒れてんなあ。ゴミ開発と糞運営見てるー? って、見てんだよなあ。


 世間ではもう、終わらないメンテナンスを揶揄したり、『保って一年』と評価を下したりと、大炎上が始まっているようだ。


「とにかく向かうから。聞き専してる」


 小走りのシバタはマイクをミュートに切り替えた。エレベーターを待つ時間も惜しんで階段を走る。


 ――ザザッから、ザザーこは二人が対応しザッ。


 電波のせいか、ノイズが混じる。


「聞こえな……」


 急速に狭まる視野。強烈な眩暈。

 踊り場の手すりに身を預けた瞬間だった。


「えっ」


 目の端に折れて崩れる手すりが見えた。


(折ったのわざとじゃ……ないんだけど)


 現場に、大きな衝撃音と金属の転がる音が響く。


「き、きゃあああ!」


 ぐったり横たわるシバタに向けられた悲鳴。それを切り裂くように、急ブレーキと衝突の音が響いた。


「止まんなよ! い、いってぇ……。いきなりじゃねえか。バカやろ! って、ヤバ!」


 黒塗りのセダンから飛び出したスーツにサングラスの男の叫びは続く惨劇に消える。


「じょ、嬢ちゃん! こっちこい!」


 口を押さえて、震える女をサングラス男が引っ張っていく。女を避けた際に車のぶつかった電柱が、みしみしと音を立てていた。


 複雑に絡む電線のあちこちから火花が散る。ぶうんと鞭のしなるような音がした。


「あぶねぇ!」


 悪魔が振るったように、切れた電線が暴れ回る。そして、支えを失った電柱が崩れていった。その重たい石柱は真下にあるセダンのボンネットに突き刺さり――


「!! 伏せろ――」


 どか――ん、と大爆発を起こした。



 ――――

 ――

 -


「それで? 本当にそこで終わり?」

「はい。で、気づいたら"ここ"に」


 "ここ"とは、彼らの周囲に広がる紫の虚空――宇宙とも深海ともつかない空間のことだ。無数の気泡に家具や機械など、雑多なデブリがゆっくりと回っている。


 シバタがことの経緯――絵に描いたような失敗談をしたのは、この不思議な空間内にある浮島に設けられた妙な形の建造物だった。


 例えるならそう――石造りのコンビニエンスストアとでも言おうか。1LDKというにはやや広いそこには、まるで応接間のようにローテーブルとソファーやチェアが備えられている。


 女神は彼の話を値踏みするように顎に手を添えた。


「なるほどねぇ。私目線だと死体蹴りされた挙句の不運ってところかしら」


 はは、とシバタは口先で砂漠みたいに笑う。横では迷彩服の死神がひどく不景気そうに俯いていた。


『現世や異世界、天界との中継地点』にて、それぞれにアクセス良好らしいこの空間は『狭間世(はざまよ)』と呼ばれている。例えれば新宿か池袋辺りだろう。


 その『狭間世』という存在、それから彼の死に様を補足した天使が、早口で沈黙を破った。


「シバタはラグナロクの前触れメテオストライクにやられたのだ。そうじゃなかったら手すりが壊れて落ちることもセダンに轢かれることも電信柱に潰されることもなかったよね。やつらの妨害はすぐそこに来ているのだ。でも大丈夫なのだ。僕と一緒に来れば魂のランクが上がってノアの方舟にも乗れるのだ」


 銀色のとんがり帽子を被った天使は、息継ぎもなくそこまで語る。その目は完全に座っており、妙にぎらぎらしていた。きっと、三日徹夜後に酒と栄養ドリンクをキメたらこんな顔になるだろう。


 天使はどこからか銀色の帽子を取り出すと、ずいっと差し出した。「いや、大丈夫っす」とシバタは目を逸らす。


 ひるむシバタに助け舟――もちろん、ノアのではなく――を出したのは女神だった。


「はいはい。陰謀論乙……このアホはほっといて、死神から見てどう思う? 私はちょっと違和感なんだけど」


 死神の表情はこれまで以上に陰鬱だった。話を振られたことにも気づかないのか、沈黙を続けている。


「ちょっと! 聞いてるの? あーんーたーにぃー聞いてるの!」


 テーブルに手をついて、女神が左右に下からと死神の顔を伺うように睨みつけた。ようやく気づいたのか、死神が小さく言った。


「すまん。考えごとをしていた」


 訝しげに女神が言う。


「……めずらしいわね。いまはあんたが言うところの任務中でしょ? 気になることはないわけ?」


「そうだな……。俺はその、『げーむ』とやらは詳しくないから、わからない部分もあるのだが……なぜ、あんたは職場に行こうとしたんだ?」


 その言葉に女神は胡散臭げに耳を傾け、シバタは返答を探していた。しかし、天使だけは何かを感じたのかもしれない。


 天使の羽根がピンと伸びていた。もちろん、それに気づく者はいなかったが――。


 シバタは仕事上、プログラムの処理と実際に起こることの翻訳を日々行なっている。ゆえに、専門用語を使わず説明するのはそれほど難しくなかった。


 ――現世の知識に差がある。そんな事実を脳内に書き込みながら、シバタは言う。


「あぁ……緊急事態だったんですよ。なんて言えば良いのかな。職場がなくなってもおかしくない、そんな事態です」


「そういう、指示が……あったのか?」


 どんな仕事であれ、緊急事態に何をすべきかを定めたマニュアルはある。事実、現場判断が優先されがちなシバタの『ゲーム』の職場でも、そういったものはあった。


 もちろん、死神の言葉は事前に定められたマニュアルや指示、その単純な有無を問うものではないのは明らかだ。


 だが、問いの裏側にある意図や理由。死神の表情に陰を作るをそのわけを汲めないシバタの歯切れは悪い。


「そういうわけじゃないですが……」

「では、なぜだ?」


 それまでの、冷静で落ち着いた印象の死神にしては、やけに熱のこもる口振りだった。


 ――なぜって言われてもな。 その方が早いとシバタは思っただけだ。


 彼は噛みつかれている理由がわからず、戸惑った目で死神を見返していた。


 戸惑うシバタと仄暗い死神に手を差し伸べたのは天使だった。死神の肩にポンと手を置くと、天使は首を振った。


「よくないセンチメンタリズムなのだ。死神の役目は勧誘だよね。大事なのは彼の行動じゃないのだ。処遇だよね」

「……そうだな。すまない」


 ――周囲を警戒してくる。 そう言って死神はひとり立ち上がる。着いてくるな、とその背中は語っていた。


「狭間世で警戒なんて、ばかやろなのだ……」


 天使が銀色のとんがり帽子を手で転がしながら呟く。女神がわざとらしく音を立てて、テーブルにグラスを置いた。それを合図に天使とシバタは卓に向き直る。


「何か僕、変なことを言いましたかね?」

「いや。君は悪くないのだ。ただ……」

「ただ?」

「死んだ後ってのも色々あんのよ」


 女神はシードルをグラスになみなみと注ぎ、一気にあおった。


「ぷは。……話を戻すけど、結局これって誰が担当するのよ。シバタを囲んどくわけにもいかないわ」


「……」「……」「……」


 誰も口を開かなかった。

 まな板の上に置かれた魚も同然のシバタはともかく、釣り上げた三者にとってもこれは異常事態なのだ。


 魚なら切り身にして分けられるものの、この場合は絡み合った糸を解いて、誰が釣り上げたのか確定させなければならない。


「そ、それじゃあ……」と、シバタが小さく挙手をした。それに「なんなのだ」とテンポ良く反応したのは天使だ。天使なりの愛嬌なのか指はピストル形で身体はS字にくねっている。


「ええと、御三方は……現世で良いのかな? 要は人間が生きてる世界のことをどれくらい知っているのかなって」


 あぁ、と女神はソファーに背を沈める。


「私はだいたいわかる。時折り行くもの」

「へえ? 行くってのは、どういう感じで?」


 シバタとしては重くなった空気のアイスブレイクだった。女神が現世と関わりを持っているのは彼も予想できていたし、死神の妙に近代的な装備も、現世由来で間違いないだろう。


「んー。普通によ。クライアントのニーズを抑えるのは当然だから。向こうでは……」


 そう言って、女神は紅い皮ケースを取り出した。その所作は採用サイトの美人モデルも形無しの美麗さで、差し出された履歴書でさえプレミアがつきそうな高貴さを醸し出している。


 可憐なイントロに導かれて、花舞うシンフォニーが聞こえそうな女神の眼前。そこで始まったのは、もはや洗練された様式美だった。


「こういう者です」

「あぁ、どうもご丁寧に」


 皮ケースから取り出されたのはシンプルな長方形の上質紙。シバタは両手でそれを丁寧に受け取ると頭を下げた。


『合同会社異世界 芽上 沙麻』


 明朝体で書かれた署名とルビ。

 それを見たシバタは頭の中をフル回転し――どこから突っ込むべきか考え――そして――。


「い、いい名前……ですね」


 当たり障りない言葉を選んで、曖昧に微笑んだ。


「宛名書くとき『めがみ さま 様』なの笑えるのだ」「うっさい!」


 ――はあ。 シバタはひとり佇む死神へ視線を向けた。



 ――――

 ――

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