第三話
数日が経ち、父上にも懇願したのが効いたのもあって、ヴェルの実家があるハルスタラーの村という地へとやってきた。
のどかで争いごとなどからほど遠いような場所だ。
牧歌的と言ってもいい。
こういう生活も大変なのだろうけれど、それでも何もなければ平凡な人生であっても静かに老後を過ごすことだってできるのだから。
「お嬢様、どこかお体の調子が悪いのでしょうかっ?」
「え? どうして、ヴェル」
「その……何か思いつめた表情をされていらしたのでっ」
おっと、どうやら傍から見ても思いつめたような表情を浮かべていたらしい。
私は「なんでもないわよ」とニコッと笑い誤魔化して見せる。
ヴェルも安心したように顔をほころばせた。
「そういえば、あなた自身は錬金術を学ぼうと思わなかったの?」
「私は魔力も少ないですからっ……錬金窯を扱えるほどではないんですっ。それにメイドになることが夢でしたからっ」
「へぇ……そこで私の家でメイドができて夢がかなったと」
「はいっ! 本当に、雇っていただけて光栄ですっ!」
ヴェルは嬉しそうに表情を明るくした。
こういう子の近くにいると、私自身も気持ちが軽くなっていく気がする。
ヴェル、この子は覚えておいて損はないと思う。
そうでなくとも私には味方が少ないのだから。大事な友達は作らないと。
友達……そう、友達もいなかった。結局自分に近づいてきたのは権力に目をくらませ、おこぼれやつながりを手に入れようとする欲深い人ばかりだった。
心の奥底では私のことをバカにしていたのだろう。疑心暗鬼になることもあった。
誰も信じられなくなって、一人で事務的に生きていたことだってある。
しかしどれも無駄だったのか。
いや、無駄にするかどうかは今の私次第なのである。
私自身がしっかりとしなくてどうするのだ。前向きに生きていこう。
そして、私のためではなくあの方のために、そう決めたのだから。
馬車が森の方への道へ曲がっていく。
鬱蒼とした木々の中、奥へ奥へとじぐざぐと進んでいくと、そこには一軒の小屋があった。
木造の作りがされていて、井戸があり、生活感もある。
不思議な色の煙が立っているのだけが恐ろしく気になったが、そんなことはお構いなしに、私は帽子を深くかぶり、ヴェルに連れられて、家の扉の方までついて行く。
「……不思議な匂いね。薬草かしら?」
「はいっ、この匂い、懐かしいなぁ」
ヴェルは朗らかに笑う。
どうやら実家の香りというのはこういうものなのだそうだ。
と、そんなことを考えていると、扉が突然開き、中から中年の男性が瓶を持って飛び出してきた。
汚れたエプロンにぼさぼさのヴェルと同じ色の髪の男。
眼鏡をかけ、知的にも見えるが、表情はいたって頑固そうだ。
男は私たちなど眼中にないようにそのまま走り去っていこうとしたが、馬車に気づいて不審に思ったのだろう。私たちの方を向く。
「誰だ」
「おっとう! 危ないよ、飛び出してくるなんてっ!」
「なんだ、ヴェルか。俺は忙しい。帰ってくるなんて聞いていなかったぞ」
「そりゃあ、いつでも帰ってきていいでしょうがっ! それに今日はおっとうにお客様だよ!」
そう言われて、ヴェルの父は首をかしげながら私のことをにらみつけてきた。
私は臆せずおしとやかにお辞儀をした。
「はじめまして、エリシアと申します。錬金術師に興味がありまして……」
「ああ。ああ、そういうのはどうでもいい。俺は忙しいから、また後でな。ヴェル、勝手に上がってろ」
「ちょっと、おっとう!」
「俺の薬を待っている奴がいるんだ、そっちのほうが先決だろうが!」
そう言い残すと、ヴェルの父は走り去っていった。
私は呆気にとられていたけれど、すぐに気を取り直し苦笑して、ヴェルのほうへと顔を向ける。
「じゃあ、お言葉に甘えて中に入りましょうか」
「え、あ……その、申し訳ございませんっ、おっとう、いえ父が無礼を……」
「いいのいいの。今の私はただのいいところのお嬢様ぐらいなんだから。さ、案内してちょうだい」
「はいっ!」
ヴェルが跳ねるように声を上げると、彼女は家の扉を開いた。
私たちはそのまま中へと入っていく。中は不思議な匂いが漂っていた。これが薬の匂いなのかしら。
嫌な臭いではない。
むしろ気持ちのいいくらいだ。
なにかすりつぶすような道具があるけれど、そこからも匂いが漂っている。
「お嬢様、それは薬研と言いまして、薬をすりつぶす道具なんですっ」
「ああ。なるほどね、だから匂いが一番強いんだわ」
「いやではないですかっ?」
「ううん、むしろ気持ちいいぐらいよ」
私は興味津々にあたりを見渡す。
おそらく薬が入っている棚や、見たことのない窯……でも、本で見た錬金窯に似ているような気がする……が置かれていたり。
でも結構整っているような気がする。
ヴェルはテーブルまで私を招くと、椅子を引いてくれた。
私はそこに座って、あたりを見渡す。
「もっとこう、道具にあふれているのかと思ったわ」
「錬金窯ができる前はそうだったみたいですよっ。今はあの道具と薬研で大丈夫なんだそうですっ」
「へぇ……どう使うのかしら」
「それは私にもわからないんですが……」
そう言いながらヴェルはお茶を持ってきてくれた。
そんなに気を遣わなくていいのに。
これもハーブティーのようだった。
なかなか爽やかな匂いがして、すうっと気持ちが軽くなるような気がする。ヴェルも満足そうに笑みを浮かべていた。
「ありがとう、おいしいわ」
「いえいえ、私にできることはこのぐらいですからっ」
「あなたは錬金術師を目指そうとは思わなかったの?」
私はなんとなく気になっていたことを訊ねてみる。
見る限り錬金術師である父以外に家族はいなさそうだし、メイドになった経緯も気になっていた。なんとなく、このヴェルという人物を知りたいと思ったのだ。
私の言葉に、ぶんぶんと首を横に振り、とんでもないという感じでヴェルは言葉を返してきた。
「私なんてドジで薬の量とかも間違えちゃうし、レシピ通りにやっても駄目だったので、父があきれてどこかの家の使用人のほうが合っているって言ったんです。それでメイドになろうと思って……」
「へぇ……」
「ウェルファダート家の使用人になれたのも、友達がそこで働いていて、募集の時に推薦してくれたおかげでして……私、怒られてばかりなんですけどねっ」
えへへ、と苦笑するヴェル。
でもその表情のどこかには暗いものがあるようにも感じられた。
そりゃあ、公爵家だもの、教育は厳しいだろうけれど、それでもなんだかこう……悲しみというか、よどみがあるようにも思えた。
「何かあったら私に教えなさいよ」
「え、ええっ!? そんな、恐縮ですっ……」
「いいのいいの、私たちこの数日で少しは仲良くなれたと思うわ。友達を助けたいと思うのは当然じゃない?」
「お、お嬢様ぁ……」
ヴェルは涙をこらえきれず、泣き出してしまった。
そ、そんなに泣かなくてもいいじゃない。
私が困った表情を浮かべていると、ヴェルは涙をぬぐって決意した表情を浮かべた。
「私、何があってもお嬢様の味方ですっ! 何があっても、おそばにいますっ!」
「そ、そう。ありがとう。……嬉しいわ」
なんだか思ったのと違う反応されてしまったけれど、これはこれでいいのか。
だって、死に戻りして私は一人になっていった。
周りの人間も本当に信頼していいのかとか考えてばかりで、心を通わせたことなんてなかった。
でも、今回はなんだか違う気がする。
私は独りじゃないんだ、そう思うだけで心が落ち着くのを感じた。
「だから、困りますよ。何度もアトリエにこられちゃあ、仕事にもならねぇ」
「だが、しかし!」
と、先ほど出て行ったヴェルの父親の声と……何やら聞き覚えはあるが、少し若い声が聞こえてきたような気がした。
扉が乱暴に開くと、ヴェルの父親が中に入ってくる。
そして私たちを見ると、明らかに不機嫌そうな表情を浮かべた。
「なんだ、まだ帰ってなかったのか」
「おっとう! 失礼だよっ! この人は……」
「いいの、ヴェル。私が勝手に上がってしまったのだから」
「アーサー殿、まだ話は……」
アーサー、と呼ばれたヴェルの父親は、後ろからついてきていた青年の手を払う。
良いところの家の青年といった感じの背格好だが、しかし、どこかで……。
「あっ! ツヴェイル・マイティス辺境伯!?」
思わず私は叫んでしまった。茶色の髪に金色の、黄金ような瞳。
まだあどけない姿ではあるが、死に際に見たツヴェイル・マイティス殿に違いなかった。
まさか、この人とこんなところで出会うとは思いもしなかった。
「え、いや、私は辺境伯ではないが……。確かにツヴェイル・マイティスだけれど。私を知る君は一体……?」
しまった、まだ地位を継いでいなかったのか。
そうだ、確か来年あたりにマイティス辺境伯の領地で蛮族たちの侵攻があり、ツヴェイル殿の御父上が戦死され、ツヴェイル殿に継がれるのだった。
私は思わず冷や汗をかきつつ、慌てて立ち上がってお辞儀をし、謝罪する。
「も、申し訳ございません。私ったらなんて失礼な勘違いを……」
「いや、勘違いされることもあるから大丈夫だ。こちらこそ、先客がいらっしゃったのに、無礼を」
恭しくツヴェイル殿はふるまう。
物腰柔らかなその動きは謙遜も傲慢さもなく、好青年といったところだった。
「いいからお前ら帰れ。俺は忙しいんだ」
「錬金術のこと、あとで教えてくださるのではなかったのですか?」
私は先ほど発した言葉を忘れてはいなかった。
アーサー殿は舌打ちをしつつも、時計を見る。今の時刻はちょうど昼時だ。
そういえば、私たち何も食べてなかったわね……お腹が鳴りそうでちょっと心配だわ。
「夕方だったら考えてやる。それまで待てるか」
「お待ちしております。だって、急に来たのは私たちですもの」
「……わかった。じゃあそこで待っていろ」
「私の話も終わっていませんからね、私も待たせていただきますよ」
すかさずツヴェイル殿もテーブルの椅子に座った。
まさに好機と思ったのだろう、こちらの方を向いて、人の好い笑みを浮かべた。
なんというか、こう……若い、というと語弊があるのだけれども、少年らしさを残しながらも、煌びやかな美しさみたいなものを持っている人だと思った。
それでいて表情にも言葉使いにも嫌味さはない。
先ほども思ったことだが、なかなかの好青年だなぁと思ってしまう。
あの時の悲しい顔ではなく、和やかな表情だ。それだけで、私の気持ちが軽くなる気がしてきた。
どうかこの人が幸せになるように。そう考える。
ヒーロー登場です!
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