桃の乙女編 5
「私は『百合の乙女』です。そして、あなたに捧げると、何度も申し上げております。」
「俺も何度も言っている。俺にとって、お前は『花の乙女』ではない。香りがしない。」
蒼はそう言いながら振り返る。その目線の先には、桃香が居た。蒼は桃香の腕を引き、自分の元へとたぐり寄せた。
「こいつからは、甘い香りがする。俺に届く。」
蒼は桃香の顎をつまみ、自分と目線を合わさせた。桃香はとろけるような顔をしている。
「だから、俺はこいつを選ぶ。」
「ですが!!」
「もう、諦めたら~?」
二人の間に「虎家」の次期当主、「千虎月白」が割って入った。
「何度言おうと、蒼には届かぬ。分かっている筈だ。」
隣立ちはだかった「玄家」の次期当主、「玄導玲黒」がいる。
「それにだ。」
今度は「鳳凰家」の次期当主、「鳳凰寺緋王」が前へ出た。
その威圧に、百々梨はたじろいだ。
「その髪は何だ?」
その言葉に、百々梨は動揺を隠さなかった。長い髪の毛先を掴み、後ろに隠そうとする。
百々梨は幼い頃は、漆黒の髪色だった。『百合の乙女』に目覚め、少しピンク掛かった髪色に変化した。
ピンクは百々梨の好きな色だった。だからこの髪色に変化した時、嬉しかった。
『百合の乙女』に目覚めてから間もなく、百々梨は野心溢れる父親に連れられ、四家が参加するパーティーで蒼に一目惚れをした。
それからは蒼が参加するパーティやイベントを、この状況を利用し、虎視眈々と上を狙っている父が調べ上げ、積極的に百々梨を参加させてきた。
だが、当の本人である蒼は、全くもって百々梨を相手にしない。
そして、蒼には他家の子女が多く近寄ってきている。
(たかが普通の人間の女が、蒼様に選ばれる訳ないのに、無駄なことを・・・。)
百々梨は最初こそ見下していたが、そのあまりの多さにそれが嫉妬に変わっていった。
本気で蒼の事を愛している訳ではない。
父親に諭され近付いたということもある。
『乙女』としての優越感。他の者からの羨望の眼差しを受け、『乙女』であることを隠さず、敬われ、大切な存在として扱われていくにつれ、それは自信となり、やがては傲慢となり、自分に媚びを売る者だけを従え、格下と認識する者や自分を認めない者達を、見下す様になっていった。
蒼達、上流貴族や上級家督を持つ者の前では媚びへつらうのだが、自分より格下と認識した者に対しては容赦せず、執拗に攻撃した。
すべては、蒼に選ばれるため、自分以外を近づけさせないためだった。
蒼はそんな百々梨の姿を知っていた。
だから受け入れるつもりなど無く、冷たく突き放した。
『乙女』であることを武器に、蒼に近づき、認めてもらえる筈だった自分の存在が、『乙女』であるが故に選ばれる筈の確信が崩され、百々梨の中で蒼に近寄る女性達に対し、妬みや怒りが沸々と込み上げ始めて少しした頃、自身の体に変化が現れ始めたのだ。
それが、自慢の髪先が漆黒に変色していることだった。
百々梨は焦った。自慢の髪が、大好きな色が、別の色に変わっている。
「あり得ないわ。私は『百合の乙女』なのよ? 何も持たない普通の者達に劣る訳ないわ!」
少しピンク掛かった髪は、毛先からじわじわと漆黒に染まり始めた。百々梨はそれを、ファッションのため自ら染めているのだと、そう周りに話していた。
「こ、これは、私の好みで染めているだけです。」
「・・・。まぁ、そういうことにしておこうか。」
騒ぎを聞きつけて、大勢の生徒が集まり始めた。
「百々梨様、そろそろ最優先される授業が始まります。お急ぎを・・・。」
取り巻きの一人が後ろから声を掛けた。百々梨が今受けている授業は、『乙女』に関する特別授業だ。受講する人数が少ないため、休むと逆に目立つし、内容的に外せない科目でもあった。
「蒼様、私は諦めませんわ。私は『百合の乙女』。選ぶ権利があるのは私です。」
百々梨は促されて、教室へと向かう振り向きざまに桃香を睨み付ける。
「そこの女など認めない。絶対に!」
そう言いながら取り巻き達を引き連れ、百々梨はその場を後にした。
「ふぅ~、今回はあっさりと引き下がってくれたか~。」
「蒼も大変だな?」
蒼も大きくため息をつき、腕の中にいる桃香に視線を移した。
「確か・・・。」
「志筑桃香でございます。」
「そうだ、志筑家の令嬢だったな。」
蒼は後方に控えていた護衛を呼び寄せた。
まずは、このような騒ぎを起こした苦情を事黒埜家へ届けること。
そして、『桃の乙女』が現れたことと、「乙女」を龍雅花家へ受け入れる準備を整え、その旨を志筑家へ伝えること。
そして、なにより百々梨から桃香を守るため、すぐにでも動き出す必要があった。
「桃香、お前はこれから俺と共に行動することを許す。」
「ありがとうございます。」
桃香はそう言って、蒼の前にかしずいた。
「あぁ、それから、俺はお前を受け入れると決めた。これからは対等に話せ。」
桃香はにっこりと微笑んだ。
その姿は美しく、淡い桃の香りが、周りを包み込み、周りを魅了した。