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お兄様、エプロンでお料理、好きですか?

 萌々子がシステムキッチンのワークトップをじーっと見つめる。


「お昼ご飯の準備ですか?」

「ああ」

「見たところ、ツナ缶とマヨネーズと卵しかありません」

「スパゲティも使う予定だ」

「スパゲティ?」

「そうだ。オレ流男子高校生のパスタってやつを作る」

「……なんです、それ?」

「俺の開発したメニューさ。わりと美味いぞ」


 俺は萌々子に先ほどのレシピを披露した。


「な? 美味そうだろ?」

「全然美味そうじゃありませんっ! むしろ不味そうです!」

「……」


 全否定。


「そうかなあ。でも、栄養的にはタンパク質もとれるし、いいんじゃないかな?」

「全然よくありません! 脂肪と炭水化物に偏りすぎです!」

「大丈夫。サラダも作るんだ」

「サラダ?」

「ああ。カイワレ大根にマヨネーズぶっかけて、ハムで包んで食べるんだ。これで栄養的にも……」


 恐ろしい目で、萌々子が俺を制止した。


「ちょっといいですか、お兄様」

「はい、なんでしょう」


 気迫に押されて思わず敬語の俺。


「マヨネーズの原材料って、ご存じ?」

「ん? 卵と油、そして酢じゃなかったか? 塩もだっけ?」

「そう、油、卵、酢、塩でできています。コレステロールの塊ですよ」

「大丈夫。これコレステロールゼロタイプのマヨだから」

「そーゆー問題じゃありません!」


 ばんばん。萌々子がテーブルを手で叩く。


「お兄様の辞書には緑黄色野菜という言葉はないのですか!」

「ん? どうだろう? 電子辞書はまだ鞄の中……」

「ごまかさないでっ!」

「……」


 別にごまかしてないけどな。


「だいたいですね、今日の朝食からしておかしかったんです!」

「そうか?」

「はい! 萌々子、お兄様が今日の朝食は自分で作るっていってくれて嬉しかったし、感謝していたので、栄養学的なことは我慢しました。でも限界です!」


 萌々子と同居して約10日。萌々子の引っ越しが完全に終わるまで、食事は外食やコンビニが多かった。朝食は基本萌々子が作っていた。

 萌々子ばかり食事を作らせては悪いと思い、今日の朝食は俺が用意したのだ。


「えっと……どこが?」

「全部です!」


 即答。全否定かよ。


「パンとバナナですって? どちらも炭水化物です! 炭水化物多過ぎ! 太っちゃう!」

「俺は気にしないぜ、太っても」

「萌々子が太るの! お兄様は萌々子がおデブになっていいんですか?」

「俺は構わないけどな。萌々子がどんな姿になっても、萌々子は萌々子だし」

「……!」


 萌々子がドギマギする。


「そ、それは、よかったですねっ!」


 軽く顔を扇ぐ萌々子。


「も、萌々子は、お兄様がおデブなのは嫌です!」

「どうして?」

「嫌なものは嫌なの! とにかく、お兄様のメニューには野菜がありません。ベジ不足です!」

「ベジ不足?」

「そう! ビタミン、ミネラルが足りません! そのくせ脂肪と炭水化物はたっぷり。太るとか太らないとか以前に不健康です」

「サプリじゃ駄目?」

「駄目っ!」

「じゃあ、ケチャップ使うよ。スパゲティ、イタリアンにする。ケチャップってトマトだろ? トマトは確か緑黄色野菜……」

「論外!」


 ばんばん。再びテーブルを叩く萌々子。眉間に力が入っている。


「ケチャップが野菜の代わりになるわけないでしょ? もしかして、お兄様……一年間こんな食事でした?」

「ま、だいたいそうかな。あ、でもなるべく野菜は食べてたぞ。おやつはポテトチップスにしてたし。あれ、ジャガイモだろ? 野菜だよな?」

「ポテトチップスが野菜?」

「違う?」


 肩をぷるぷる震わせ、目を大きく見開いて萌々子が俺をにらむ。喋らずとも、俺の脳内にメッセージが届いた。「ポテトチップスは野菜じゃない」と。


「もういいです! 私が作りますから!」


 萌々子がブレザーを脱いだ。押さえつけられていた胸部が解放された。白いブラウスにかすかにキャミソールのラインが透けている。


「おい、萌々子、ここで着替えるのはよしてくれないか?」

「エプロンつけるだけです。ここで着替えるわけないでしょ。お兄様のえっち」


 とか言ってる間に萌々子はエプロン姿になっていた。長い黒髪はゴム紐で束ねてある。


「じゃ、お兄様はテーブルで待っててください」


 キッチンの流しで手を洗いながら萌々子が言った。


「えっと……何か手伝わなくていいかな?」

「大丈夫です」


 エプロン姿の女子がひとり暮らしの男子宅で調理。本来ならば夢のようなシチュエーションだろう。

 だが、俺にとって、萌々子のクッキングは初めてではない。小学生の頃、何度も萌々子の家で料理に付き合わされた。萌々子の得意料理はハンバーグ。ぺたぺたミンチをこねていたのを良く覚えている。


「さてっと。何作ろっかな」


 萌々子が冷蔵庫の中を物色しはじめた。出てくる素材を見ると洋食のようだ。


「たしか調味料はそろっていたはず……」


 手際よく必要なものをそろえていく。そして材料をフライパンへ。ジュワーと美味しそうな音。火加減調節しつつも、さらに別メニューの調理。


 そんな萌々子をテーブルから見ていると、俺はだんだん変な気分になってきた。


 一軒家。キッチン。エプロン女子。テーブルで待つ男。


 ……まるで、夫婦みたいじゃないか。走馬灯のごとく、俺と萌々子の未来が脳内を駆け巡る。大学卒業。結婚。新居での生活。新婚旅行。


 そして。


(いやいやいや。それはないって)


 必死に走馬灯を頭から追い出す。てか、走馬灯って死ぬ前に見るんじゃねーの?


「お兄様?」


 調理の手を休めて萌々子が俺を見た。


「どうしたんですか、ぼーっとして」

「ん? いや、別に」

「……もしかして、萌々子奥さんみたいって思ってた?」


 図星である。


「んなわけねーだろ」


 強がってみる。


「本当かなー? 萌々子、エプロン姿だよ? 嬉しいでしょ?」

「別に。料理するんだ。エプロンくらいするさ」

「エプロンだよ?」

「だから?」

「奥様みたいでしょ?」

「俺には調理実習にしか見えないが」

「調理実習中の奥様ってこと?」


 萌々子がくるんと一回転。おどけたポーズで言った。

 確かに、情景的・絵的には「奥様」ではある。


「ところで、萌々子」

「話をそらさないっ!」

「緊急事態なんだ、聞いてくれ」

「緊急事態? なんですか、お兄様」

「なんか焦げてるぞ」

「……え?」


 萌々子が振り返り、あわててグリルの火を消し、フライパンの中からスーパーウェルダンになってしまった何かの肉を取り出す。


「やだ! もー! チキンが焦げちゃった」


 鶏肉なんだ。


「こっちばかり見てるからそうなるんだぞ、萌々子」

「だって、お兄様が萌々子で変な妄想してるんですもの」

「なんだよ、変な妄想って」

「ふふ。なんでしょう? お兄様がご存じでは?」


 時々思う。萌々子、俺の心が読めるのか?


「チキンソテーはやめにして、チキンサラダにします。あと、どうしようかなあ……」


 丁寧に焦げの部分を取り除きながら、あーでもないこーでもないと萌々子が考えを巡らす。


「うん、決めた」


 パタパタ忙しく萌々子が動き回る。一度は片付けたスパゲティを再びワークトップの上に並べ、計量。冷蔵庫から追加の材料や調味料を取り出し、逆に不要になったものを冷蔵庫に戻す。

 スパゲティをゆでている間に使い終わった調理用具が食洗に放り込まれていく。食洗に不向きなものは手洗いだ。使いっぱなし、食べっぱなしの俺とは違い、調理と同時に片付けも進んでいく。


「萌々子ってさ」

「なんですか?」

「思ったより家庭的なんだな」


 言ってから後悔した。


 なに言ってんだ俺。


 だが遅かった。


「そうですか!? 家庭的ですか!? そのご家庭って、萌々子とお兄様のご家庭ですか? 子どもは何人ですか? ていうか、何人欲しい? もう欲しい?」


 料理ができあがった。

 ランチタイム・ハズ・ビガン。昼食が始まった。


 俺は昼食のあいだずっと、萌々子からの「お兄様のこと“あなた”って呼んでいい?」「萌々子のこと“おまえ”って呼びたい?」「お兄様は萌々子にどんな子産んで欲しい?」攻撃にさらされることになる。

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