お兄様、それを世界は幼馴染みというんです!
「なあ萌々子」
「はい、なんでしょう」
「俺の記憶が正しければ、手は繋がないはずでは?」
「ん? それは駅に行く途中までの話です、お兄様」
電車の中。気がつけば萌々子は俺の手を握っていた。本当であれば座席に座れたはずだった。だが、駅に行く途中で萌々子に振り回されたせいで一本電車を逃してしまったのだ。
ということで、俺たちはそこそこ満員な電車の中でくっついて立っていた。
「話が違うのでは?」
「んーん。違わないです」
ガコン。列車が大きく揺れた。
「きゃ」
萌々子が小さな悲鳴と同時に俺の胸に飛び込んできた。繋いでいない方の手で俺の肩をぎゅ、とつかんだ。
「もう、この電車、運転荒すぎ!」
「確かにちょっと荒いかもだな」
「萌々子、こけて怪我しちゃう。お手々繋いでてよかったです。ね、お兄様?」
「……ま、まあな」
萌々子が握った手をぎゅ、ぎゅ、とにぎにぎしてきた。
「お兄様の手って、おっきくて固いわ。やっぱり男の子って感じ」
「まあ、そうだな」
お前の手は柔らかいぞ、萌々子。
「電車の中までだからな? 駅から学校までは手は繋がないからな?」
「どーしよーかなー」
にこにこ顔でにぎにぎ。
「どーもしない。手は繋がない」
「もしかして、お兄様は女子と手を繋ぐのが恥ずかしい?」
「そりゃ恥ずかしいさ。仮に萌々子が俺の彼女だったとしてもな」
「そーなんだ。お兄様って、恥ずかしがり屋なんだ。じゃあ、恥ずかしがり屋を克服するために、今日からレッスンです! 学校まで手を繋ぎましょう! だいじょうぶ、萌々子は彼女じゃありません。妹だよ」
「妹じゃないし。つか、高校生にもなって妹と手を繋いで登校する方が恥ずかしい」
「だから、それを克服するために……」
「しなくていい」
「むー! お兄様のけち」
ふくれっ面の萌々子だが、目は笑っていた。萌々子としても無理難題とわかっていたようだ。
「それにしても、電車、すごい混んでますね、お兄様」
「だから一本前は空いているんだって。この時間から通勤通学タイムなんだ。東京とかもっとすごいらしいぜ?」
「そうなんですか!? 恐ろしいです、東京」
まるで世界の深淵を覗いてしまったかのような表情の萌々子。その様子がおかしくて、俺は笑った。
「ん? 何かおかしいこと言いました?」
「いや、別に」
「でもお兄様ったら……きゃ!」
再び大きく揺れる電車。またもや萌々子が倒れてきた。そのまま顔を俺の胸に埋める。
「お兄様の胸って、あんまり筋肉無いです」
「スポーツは苦手だからね」
「こうしてていい? 電車が揺れて怖いの」
「……今日だけだぞ」
「はい」
ぐにぐに、と萌々子が顔を胸にこすりつける。それは同時に萌々子の胸がこすりつけられることも意味する。萌々子は気がついていないようだがね。
気のせいだろうか。妙に視線を感じる。
無理もない。
端から見れば抱きあってる高校生カップルだよな、これ。
途中の駅で乗り込んでくる客で想像以上にぎゅうぎゅうになりつつ(それは萌々子との密着度が増加したことを意味する)、俺は萌々子との初電車通学というミッションをこなした。
駅に着き、電車から降りると、意外なことに萌々子は大人しく手を離してくれた。
学園前駅。俺と萌々子が通う私立高校とその系列大学の最寄り駅だ。いや、正確には系列大学の最寄り駅だっただな。大学は10年前くらいに県庁所在地へ移転した。いわゆる都市型キャンパス、てやつだ。大学跡地はショッピングモールおよびマンションとなっており、賑わっている。
駅から学校までは徒歩10分程度。同じ電車から降りてきた生徒の波の一部になって、俺と萌々子は学校を目指す。
「ところで、学校生活についてなんだけど」
校門まであと少しというところで俺は言った。
「念のため確認しておくが、校内では“お兄様”って呼ばないよね?」
萌々子の足が止まる。無言。怒ったのか?
「あのね、お兄様」
キリッとした表情で俺を見る萌々子。
「お兄様は、お兄様なんです! だから、お兄様と呼びます! 当たり前じゃないですか?」
「ふえ?」
俺は思わず変な声を出してしまった。
「いや、俺と萌々子は名字が違うんぜ? どう見たって兄妹じゃないだろ? なのにお前が俺をお兄様なんて呼んだら、みんな勘違いするぞ?」
「別にいいもん」
「いや、良くないだろ?」
「萌々子はお兄様の妹なのっ! ということで、学校でも萌々子、お兄様って呼びます!」
「俺たち、幼馴染みだろ? 俺はお前の……」
言いかけてやめた。ま、いいか。学校でも学校以外でも萌々子は俺の幼馴染みであり、妹だ。本人には妹じゃねーと言い続けるけどな。
「妹なの! 萌々子、お兄様の妹なの!」
強い口調で萌々子が言う。
「わかった、わかった。学校でも俺は萌々子の兄。お兄ちゃん。お兄様。理解したぞ、俺」
「よろしい! さすがお兄様! でも、学校では萌々子、お兄様に甘えたりしないよ。ちゃーんと、幼馴染みとして振る舞います」
「それは助かる」
ホッと胸をなで下ろす。家と同じ調子で学校でもいちゃいちゃされたらたまらん。
「……お兄様。もしかして、お兄様と呼ばれるの、やっぱり嫌?」
どうした萌々子、いきなり? 気が変わったのか?
学校でお兄様と呼ばせなく出来るかもしれん。チャンスかもしれない。
「そうだな、嫌ではないが、なんつーか、不自然というかな」
「遠藤くん、て呼んでほしいですか?」
「なんかこそばゆいな」
「だったら、一郎くんは?」
「うーん。……嫌だな」
「じゃ、いちろーにします?」
「絶対やだ!」
くすくす、と萌々子が笑う。
「やっぱりお兄様もお兄様って呼んで欲しいんだ。じゃ、教室に行きますね、お兄様!」
満面の笑顔で萌々子が校門に向かって小走りで去って行った。
「ふう……なんなんだ」
思わずため息。そこへ、いきなり背後から肩パンチを食らった。
「いってーな!」
「まったくだ、なんなんだよ、遠藤!」
振り向くと、チャラい感じで髪型を決め、おっさん臭いオーデコロンの香りをふりまきつつ、今時そんな着崩しはしないよなって感じで制服を着用した全然イケメンでない男が立っていた。
「ういっす。久しぶりだな、遠藤。終業式以来か?」
「令和の時代に肩パンチとかすんなよ、植木」
植木大介。俺の友人だ。昨年、同じクラスだった。遠藤と植木、あいうえお順座席で前後だったので仲良くなった。
入学式の日は普通だったが、翌日、なぜか間違った方向で「高校デビュー」。しかし本人いわく「めっちゃイケてる」とのこと。女子からは最初総スカン、やがて嘲笑の対象、最終的には空気以下の存在となった。
そんな女子が植木につけたあだ名は「ダンディ(笑)」。あだ名に(笑)がつくやつ、初めて見た。
「令和だからこそ肩パンチなんだよ。つかさ、お前さ、今かわいこちゃんと喋ってなかった?」
「かわいこちゃん? なんだそのボキャブラリー。平成通り越して昭和じゃねーかよ」
「誤魔化すなっての。もしかして、いきなり新入生ナンパしたってか? 彼女ってか?」
「ナンパなんかしてないって」
「なあ遠藤。俺を裏切るつもりか? テニスコートの誓いはどうなった?」
「テニスコートの誓い? 世界史用語か?」
「違う違う。そのテニスコートの誓いじゃない。あれだよ、あれ」
植木が運動場の方角を指さした。
「運動場がどうかしたか?」
「その奥にテニスコートがあるだろ?」
「ああ」
「放課後、女子テニス部が練習しているだろ?」
「ああ」
「超ミニスカートで太ももぱっつんぱっつんで、何かの太さと同じ太さのラケット握りしめて、アンダースコートとかいうパンツもどき見えまくりで腰振ってるだろ? たまらんだろ? 思わずカチンコチンだろ? この熱い想い、太ももにぶっかけたいだろ?」
「変態か!」
俺の突っ込みに植木が満足そうにうなずく。
「そう。俺たちは変態だ。いろんな意味で暴発寸前、毎日自家発電な男子高校生だ。だから、彼女作るときは一緒に作ろうって、テニスコート見ながら俺とお前、女子の太ももにかけて誓ったじゃないか! 童貞捨てるときは一緒に捨てようって、ぷるんぷるんの太ももにかけて誓ったじゃないか! 彼女出来たら、絶対、太ももにかけてやるって、誓ったじゃないか!」
「そんな誓いしてねえし、途中から意味変わってるし! だいたい、それじゃテニスコートの誓いじゃなくて、太ももの誓いだろーが!」
見た目だけでなく思考と性癖まで変態じゃねーの? なあ、植木よ。
そんな俺の思いなど知るよしのない植木。いかにも俺とお前は仲間だぜといった雰囲気で肩を組んできた。
「とにかく、彼女出来たらちゃんと教えろよな遠藤。俺は悲しいぜ?」
「だから彼女じゃないって」
植木の腕を俺の肩から排除しながら言った。
「じゃあなんなんだよ」
「あれは……あの女子はただの知り合いだ」
「知り合い?」
「そう。小さい頃同じ社宅に住んでたんだ。隣の部屋でね。家族ぐるみの付き合いなんだよ」
「ん? お前んち、一戸建てじゃね?」
「ああ。中学上がるタイミングで引っ越した」
「ふーん」
怪訝な目……というよりも「どんより」した目で植木が俺を見る。
「知り合い……同じ社宅……そうか……家族ぐるみ……ふふ……なーるへそ……」
不気味な笑みとボキャブラリー。ふと、植木の動きが止まる。すーっと大きく深呼吸。そして空に向かって彼は叫んだ。
「それを世界は幼馴染みと、いうんだぜっ!!」




