あのね。
「私はこれで失礼するよ」
唐突にアリス先輩が帰り支度を始めた。
「え? 今日全然部活らしいことやってませんよ?」
と、俺が驚く。すると
「世の中には有益な無駄というものがあるのだよ」
と、アリス先輩が返した。先輩はそのままTHE NORTH FACEのバックパックを背負い、部室の入り口扉に向かう。
「じゃ、ごゆっくり」
ぴしゃん。扉が閉まった。
「なんなんだ……」
呆気にとられていると、
「困った先輩だよね」
と近藤さんが深いため息をついた。そして俺の方へ向き直り、真っ赤な顔のままじっと俺の顔を見た。そして言った。
「あのね、遠藤君」
瞬きもせず近藤さんが俺の瞳を見つめる。そして大きく息を吸う。
「本当は黙ってなきゃいけないって言われたんだけど、私ね、そういうの嫌いなの」
「そうなんだ」
相づちを打ったものの、全く要領を得ない。
が、おそらく先ほどのアリス先輩とのこそこそ話のことをさして言っているのだろう。
「だから正直にお話する」
両拳をぐっと握りしめ、力強く近藤さんが言った。
「すー……はー……すー……はー……」
二度大きく息を吸って吐いたのち、近藤さんは小さく「よし」と言った。そして大きな瞳をさらに大きくして、
「あのね」
「うん」
とりあえず相づちを打つ俺。
「私、実は……」
ちょっとだけためらう近藤さん。俺から目をそらしたり逆にじろじろ見たり落ち着きがない。
「遠藤君のことが、好きなの」
時が止まった。俺の視界の中で近藤さんの動きが止まった。
これって、告白でよな?だれがどう聞いても俺に対する告白だよな?
俺のこと好き言ったよな?
静止した時間の中、ゆっくり俺の脳細胞に近藤さんの言葉が電気信号に変換されて伝達される。脳は受け取った電気信号を読み解き、意味を理解する。ほとばしるドーパミン、そして多幸感。大量に出たアドレナリンが胸のドキドキを加速する。
俺……近藤さんに告白された!?
鏡を見なくてもわかる。俺の顔は真っ赤だ。高校入学から現在までの様々なシーンが目の前を駆け巡る。なぜかお互い敬語でしゃべっていた仮入部期間。ゴールデンウィーク直前、一緒に顧問に提出した入部届。初めての地区大会や文化祭のことなど、まるで走馬灯のように俺と近藤さんの映像が再生された。
――毎日仲良く二人で下校しやがって。どうなんよ? 近藤さんとは? 付き合ってんの?
文化祭準備期間中に植木が俺に言った言葉だ。当時部活下校時間を狙って変質者が学校周辺に出ていたため、女生徒は必ず複数で下校するように学校から指示が出ていた。
なので、俺は駅まで近藤さんと一緒に帰っていた。俺がロシア人ぽい美人として有名だった近藤さんと一緒に下校しているという事実は瞬く間に1年生男子の間に広がった。下校途中に受ける羨望のまなざしに、俺は悪い気はしなかった。
同時に俺なんかが近藤さんに釣り合うとは思っていなかった。部内恋愛も避けたかったしね。
「だからね」
近藤さんが話を続ける。
「誤解しないで欲しいの」
「え?」
なんのことだろう。
「さっきね、アリス先輩に言われたんだ」
「アリス先輩に言われた?」
「あのね、今度の地区大会のお芝居ってさ、私と遠藤君のラブコメだって言ってたじゃない? リアリティを出すために二人は付き合えって、アリス先輩が言ったの」
「リアリティを出すために……付き合う?」
「うん」
急速に脳内麻薬が分解され、目の前の風景から色が消えていった。
なんだって? 地区大会のために、付き合え、だって?
羞恥心とアリス先輩への怒りが綯い交ぜになって胸の内に沸き起こってくる。先ほどとは違う意味で俺の顔は紅潮してきた。
「お、怒らないで遠藤君!」
俺の表情と身体的変化から俺が怒っていると理解したようだ。
「確かにアリス先輩は言ったよ。お芝居のために遠藤君と付き合えって。でもね、それは違うって私思った」
ふいっと近藤さんが俺から目を逸らした。
「私、永遠に高校時代が続くと思っていた」
「……どういうこと?」
「私たち、高校2年でしょ? 私ね、まだ2年生だって思っていた。だけど先輩によれば、もう2年生」
「もう2年生?」
「そう。もう2年生。先輩によれば、年を重ねるほど時間の進み方は加速するんだって」
「……確かに老人になると10年なんてあっという間だ、なんて話を聞いたことがあるな」
「でしょ? 私のお婆ちゃんもよく言うんだ。梨愛ちゃん、ちょっと前まで赤ちゃんだったのにおっきくなったねーって。全然ちょっと前じゃないのに」
老人あるあるだな。
「大人になるって、時が加速するってことなのかな? なんかSFみたい」
「時間経過の感じ方が変わるって意味ではそうなのかもしれない」
「それそれ! 時間経過の感じ方が変わるんだよ! 私たちが感じている以上に時間の進み方は早いんだよ! 子供ってなんでも大きく、重く感じるでしょ? それと同じで時間もおっきく、長く感じるんだよ!」
「そう……かな?」
「きっとそうだよ。だから大人になると、1年なんかあっという間なの。だからね、今を大切にしなくちゃいけないんだ」
うん、と小さく呟いてから近藤さんが俺に向き直った。心なしか顔が赤い。
「だからね、遠藤君!」
「は、はい」
「私、遠藤君のこと好きなの」
「は、はい」
「だから、お芝居とかそんなんじゃなくて、遠藤君と付き合いたいなって思ったんだ」
近藤さんが大きく深呼吸した。
「好きです、遠藤君。私と……付き合ってください」
俺は近藤さんの瞳をじっと見る。長い睫毛に日本人離れした紺碧の瞳。誰もが憧れる完璧な二重まぶた。本当に美人だな、近藤さん。
男子だったら誰もが付き合いたいよな、近藤さん。
でも、だからこそだ。
「えっと……その……ちょっと待ってくれないかな」
夕日差し込む部室の中心で、俺は近藤さんに言った。




