近藤さんはシてほしい。
明らかにアリス先輩は動揺していた。先ほどまで「上品に性的魅力をアピール」していたクールフェイスのアリス先輩はもはやいない。普段ならば切れ長で妖しい光をたたえているアリス先輩の目が、今や子猫のように無防備にまん丸だ。
「あ、兄が私の理想の男性だと!? な、何を馬鹿なことを!」
なんとか体制を整え、バランス感覚を取り戻した先輩が言った。
そんな先輩に俺は聞く。
「先輩、お兄さんいたんですか?」
「あれ? 遠藤君知らなかったの? アリス先輩にお兄さんいるの」
先輩より先に近藤さんが答えてくれた。
「近藤さんは知ってたの?」
「ええ。偶然会ったの。デパートでね」
「へー。いつ?」
「えーとね、去年の夏休み、だよ。でね、珍しく白いブラウスのアリス先輩が、これまた白いシャツがお似合いの素敵な男性と腕を組んで……」
「そこまでだ近藤さん」
スクッとアリス先輩が立ち上がり、掌を近藤さんに向けて台詞の継続を制止した。
「兄の話はよしてくれ、個人情報保護法違反だぞ」
「えー、なんでですか? あんなにかっこいいんですよ、個人情報公開しちゃってくださーい!」
すごい理屈である。
「だめだ。兄のかっこよさとプライバシーは比例するんだ」
「秘密にするのもったいないです! アリス先輩とお兄さん、とってもお似合いでカップルみたいでした!」
「兄がかっこいいから、私と兄がお似合いだから、なんだ? それとキミが私の兄の話をすることには何の論理的整合性もない。そうじゃないか? 近藤さん」
珍しくアリス先輩が支離滅裂である。
「うーん……そうかなあ?」
そんな支離滅裂に納得しかねる近藤さん。
「そうなんだよ、近藤さん!」
珍しく強い調子でアリス先輩が言った。さすがに近藤さんも空気を読んだらしく、「はーい」と言って話をやめた。
「とにもかくにもだ。私が日々観察している両片思いな男女、それを素材に感動と涙の青春ドラマを私は書く。そしてそれを君たちが演じる。以上だ! 私は帰るぞ! 部活動紹介から既に30分! 誰一人として新入生がこない! だから帰る! 脚本を書くからな!」
アリス先輩が帰り支度を始めた。ドタバタ筆記用具やスマホを鞄にしまう。
「いいか近藤さん。部室で私の兄の話はするんじゃないぞ?」
「え?」
「部室で私の兄の話は禁止と言ったんだ」
「あ、はい。わかりました。部室では禁止なんですね?」
「ああそうだ。それと……遠藤君」
矛先が俺に変わった。
「朝会ったキミの彼女、萌々子くんだが、一つ気になっていることがある」
近藤さんが「やっぱ彼女いるんだ」と反応した。その反応を確認だけしてアリス先輩は話を続ける。
「萌々子くん、キミのことをお兄様と呼んでいたな? 彼女が彼氏のことをそう呼ぶのはどう考えてもおかしい。詳しい事情を説明してくれ。時間があるときでいいからな」
「遠藤君がお兄様? え? どういうこと? 彼女なのに?」
困惑気味に俺を見つめる近藤さん。その様子を見てアリス先輩がにやりと微笑む。
なるほど。話題をそらしたな。部室における興味関心の対象を自分の兄から萌々子に変更したってわけだ。
「では、また明日。この後新入生が来たら適当に説明しといてくれ」
黒板を一瞥してからアリス先輩が出て行った。
「ねぇねぇ、遠藤君。教えてよ。彼女出来たの? なんで彼女なのにお兄様って呼ぶの?」
身を乗り出し、ぐいぐい近藤さんが迫ってくる。近藤さんの体温すら感じそうなくらい近いぞ。
「順序立てて説明するから、ちょっと落ち着いてくれるかな?」
「うん」
少しだけ近藤さんが身を引いた。
「まず、萌々子ってのは一つ下の俺の幼なじみであって彼女じゃない。俺と同じ学校に入学したから、一緒に登校していた。そこをアリス先輩に見られた。俺が女子と一緒に登校しているのが珍しかったんだろう、先輩は萌々子を俺の彼女と誤解した。ここまではいいか」
「うん。いいよ」
「それで、俺と萌々子は赤ちゃんの頃から付き合いがあってだな、両親同士が仲がいいこともあって実の兄妹のようにして育てられた。だから、あいつは俺にべたべたくっつくし、血が繋がっていないのにお兄様って呼ぶんだ」
「ふーん。そーなんだ。じゃ、彼女じゃないんだね」
「そう」
「そっか」
ちょこん。近藤さんが自分の椅子に座った。近藤さんと目が合った。思わずそらす。視線は下へ。そこには大きくはないが形のよい胸の膨らみ。いかんいかん。どこを見ているんだ。さらに目をそらす。思わず抱きしめたくなる華奢な肩のライン。よく見ると、というか、見なくても近藤さん美人だ。男子に人気なのもよくわかる。
「ね、遠藤君。アリス先輩、どんな脚本書いてくると思う?」
「今日と同じラブコメなんだろ? 今日の続きなんじゃないかな」
「それ、やだな。だってあのヒロイン、遠藤君を罵倒するんだよ。いくら演技でもやだよ。私、遠藤君にそんな態度とりたくないな」
やさしいね、近藤さん。でも、部活動紹介の舞台では講堂の空気が凍り付くほど冷酷な罵倒ぶりだったよ。みんなドン引きなくらい。俺も少し傷ついたよ。
「夕日がきれいだね」
唐突に近藤さんが言った。旧校舎の窓から空を見上げる。紫がかった雲の隙間から夕日がみえる。
「うん、きれいだ」
「高校2年生かあ……。全国いけるとしたら、ラストチャンスなんだよね?」
「ああ」
「行ってみたいな、全国大会」
「そーだーなー」
俺たちの高校は県大会の常連ではあるが、ブロック大会にはそれほど多くは出ていない。アリス先輩は確かに演技が上手い。だが、演劇経験者の顧問が指導する強豪校やOBのプロ劇団が支援している学校は舞台装置からしてレベルが違う。部員数も数十人。金のかけ方も文字通り桁違いだ。かなうわけがない。
「遠藤君、全国なんか無理だって思ったでしょ?」
「……ばれた?」
「うん、ばれたよ。遠藤君、すぐ顔に出るもん。私だっていけるとは思ってない。でもね、少しくらい夢を見てもいいんじゃないかなって。ダメかな?」
近藤さんの髪が夕日を浴び金色に光る。
「ダメじゃないさ」
「じゃ、約束して。一緒に全国行こうって」
「……約束?」
そんな約束……していいのか?
「うん、約束。守れないかもしれないけど……いいじゃん、高校生なんだし。約束、しよ?」
近藤さんが小指を差し出した。
「ね?」
指切りしようってことらしい。
「わかった」
俺も小指を出し、近藤さんの小指とからめる。やわらかい小指の感触。
「ゆーびきりげんまん、嘘ついたら針千本飲ーますっ! 指切った!」




