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近藤さんは子犬みたいな瞳で

「ん? 遠近コンビ。仲睦まじく何を話しているんだい? お邪魔だったかな?」


 古ぼけた旧校舎の部室に床に立ち、日常より数パーセントだけ演技を加えた口調でアリス先輩が言った。まったく、演技映えすることこの上ない。まさに演劇部部長。


「子犬の話です」


 そんなアリス先輩に、大道具担当の俺は全く演技味のない声で返答する。


「子犬?」


 アリス先輩が聞き返す。


「はい、そうなんです。私のお家に子犬がやってきたんですよ。女の子なんです。真っ黒のなんとかレトリバーなんですよ」


 にっこり微笑んで近藤さんが言った。


「真っ黒のレトリバー? もしかしてフラットコーテッドレトリバーか?」

「ん? えーと、よくわからないですけど、たぶんそんなかんじのなんとかレトリバーです」

「そうか。それはかわいいだろうな。何という名前なんだ?」

「アリスって言います!」


 ぴく。アリス先輩の右眉が一瞬だけ動く。微妙に身体に力が入ったのがわかる。


「ほほう。アリス。良い名前だな。ちなみに私の名前もアリスだ」


 心なしか声が固い。少しばかり毒も含んだ声だ。


「はい! アリス先輩と同じ名前なんです! まるでアリス先輩みたいに真っ黒でかわいいから、アリスって名前にしました!」


 そんなアリス先輩の毒を含んだ声を解毒する勢いで近藤さんが言った。


 さすがのアリス先輩も、飼い犬に自分の名前をつけられるのは微妙らしい。必死に取り繕っているが複雑な感情が表情に漏れ出てしまっている。


「質問なんだが」


 アリス先輩がゆっくり息を吸い、呼吸を整えてからアリス先輩が言った。


「その子犬と私の類似点は“真っ黒”プラス“かわいい”のか、それとも単純に“真っ黒”なだけなのか、どっちだい?」


 穏やかだが激しい冷気を含んだ口調だった。異世界ファンタジーであれば冷気魔法が発動、近藤さんは犬の形の氷像となり、粉砕されていただろう。

 いくら近藤さんが天然だといっても、さすがに察したらしい。近藤さんにしては珍しく困惑したまなざしで俺を見る。


 ――どう返事したらいい?


 そんな文字が近藤さんの表情に浮き出ていた。


 ――“真っ黒”プラス“かわいい”と答えろ。


 俺はありったけの目力で近藤さんに思念波を送る。


「えっと、もちろん“真っ黒”プラス“かわいい”です!」


 俺の目力パワーが到達したらしい。ちょっとだけ緊張した声で近藤さんが言った。


「そうか。なるほど」


 アリス先輩の声から冷気が消えた。よかった。異世界ファンタジーじゃなくて。

 まだ全面的に納得してはいないようだが、アリス先輩はやや穏やかな表情になった。


「さて。犬の話はこれくらいにして」


 アリス先輩が定位置に座り、話し出した。


「今年の部活動紹介だが、遠近コンビが舞台に立つことになる」

「え? アリス先輩じゃないんですか?」


 突然の通達に俺は戸惑った。


「なんだ遠藤、知らないのか? 部活動紹介は2年生がやる伝統だぞ」

「はい、知りませんでした」

「私もです、アリス先輩。私、てっきりアリス先輩がやるって思ってました」と近藤さんも俺に続く。

「そうか。なら覚えておくと良い。来年はキミたちが後輩を指名する番だからな」

「伝統のことはわかったんですけと、俺……大道具ですよ? 部活動紹介って、ミニお芝居ですよね? 無理ですって。2年生がいない部活とかもあるじゃないですか。歴史研究会とか。ああいうとこはきっと3年生が出るでしょ? 別に3年のアリス先輩が出たっていいんじゃ……」


 ちっちっち、とアリス先輩が首を横に振った。


「我が演劇部には2年生が在籍してるんだ。歴史研究会とは事情が違う。まあ良い。2年生はキミ一人じゃない。近藤さんがいる。だろ、近藤さん?」

「え、ええーっ?!」

「遠藤君が出ないのなら近藤さんが一人で舞台に立つことになる。さすが遠藤君、ジェンダーフリーな令和にふさわしい男だ。キミは部活動紹介という重大任務をか弱き乙女である近藤さん一人に任せてもなんとも思わない、真にジェンダーフリーな男だったんだな」


 なんだよ、そのジェンダーフリーって! なんで関係あるんだよ! 意味わからん!


「そうなの、遠藤くん? ジェンダーフリーなの? 遠藤君がジェンダーフリーだから、私、ひとりぼっちで舞台に立つの?」


 近藤さんが俺を見て言った。近藤さん、ジェンダーフリーの意味わかってないやんね?


「いや、それは……」

「お願い、遠藤君。私、ひとりぼっちはやだよぉ。不安だよぉ……」


近藤さんが潤んだ瞳で俺を見た。その瞳はまるで捨てられた子犬が段ボールの中から通行人を見上げているかのようだ。


「そ、そんなこと……あるわけないじゃないか、近藤さん! お、俺は……その、なんつーか、ジェンダーフリーじゃないつーか、えーと……大丈夫、一緒にやるよ、部活動紹介!」


 本当は舞台に立ちたくはない。それが部活動紹介の場であってもだ。だが、俺は段ボールの中で泣いている子犬を見捨てることができない。あんな目で見られたら。


「よかった。遠藤君がいっしょなら、私がんばれるよ!」


 にっこり微笑む近藤さん。


「いいねえ。実にいい。これこそ私が求めていたことだよ」

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