触って、お兄様
火曜日。学校始まって2日目の朝。
玄関の扉を萌々子が開ける。ダークブラウンのローファーが敷居をまたいだ。
続いて俺も外に出へ。
瞬間、萌々子が俺の腕に飛びついた。
「お兄様、では、一緒に学校へ行きましょう!」
「いきなりかよっ! つか、腕組んで学校行くのか?」
「だめ?」
「だめに決まっているだろ? 高校生だぞ? いくら幼馴染みとはいえ腕組んだりしないだろ?」
「むー! お兄様のけち!」
渋々萌々子は腕を俺から離した。
「ねーお兄様、お話ししていい?」
「あ、ああ」
「朝ご飯どうでした?」
「美味しかったぞ」
「どれくらい?」
「普通に」
萌々子が立ち止まった。キッと俺をにらむ。
「もー! そんなんじゃだめ! 全く、お兄様は全然女の子の気持ちが分ってないんだから!」
「そ……そうなの?」
「そう! いい? もーいっかい聞きますよ? 萌々子の朝ご飯、どれくらい美味しかったですか?」
女の子の気持ちか。ふむ。とりま、誉めておけばいいんだろ?
「すごく美味しかった」
これでいいだろ。
「どれくらい? 日本で一番? 世界で一番?」
そうきたか。
「世界で一番」
どうだ、これなら文句ないだろう。
「ほんと、お兄様はわかってません! そーゆー時は宇宙一美味しかったよ、って言うものなんです!」
マジかよ。
「ところで、休み時間、会いに行っていいですか?」
「は?」
「だからー、休み時間お兄様に会いに行くって言ってるんです。だめ?」
「会ってどうする?」
「お話しします」
「お話しって……家でできるだろ? それ以外の用事なら来ていいぞ」
「それ以外の用事ですか……」
萌々子が考え込む。
「萌々子、お兄様に触って貰おうかな」
「さ、触る!? 何言ってんだ!?」
「触らないとお腹をさすれませんよ?」
「お腹をさする? なんで休み時間、俺がお前のお腹をさする必要があるんだよ?」
「だってー、萌々子、今日は少しお腹が痛いんだもの。さすってお兄様。痛いの痛いの飛んどけーして」
「おかしいだろ、高校生だぞ?」
「そうかなあ。おかしいかなあ」
「そうだよ、おかしいよ!」
再び萌々子が「むー」と言って考え込む。
「わかりました。萌々子はどんなにお腹が痛くなっても我慢します。自分でお腹さすって我慢します。たとえ救急車で運ばれるくらい痛くても、救急車呼びません。我慢します。萌々子が死んでも悲しまないでね、お兄様。くすんくすん」
萌々子が両手を顔に当てる。涙を拭く仕種。
どう見ても嘘泣きだろ。
「救急車くらい呼ぼうぜ……」
「やだ。萌々子死ぬもん」
俺、ため息。死ぬわけないだろ。
「俺が呼んでやる、救急車」
「ほんと?」
「ああ、本当だ」
「お兄様、救急車に付き添ってくれる? 救急車の中だったら、萌々子のお腹さすってくれる?」
「……もちろん」
萌々子の顔がぱぁっと明るくなった。
「じゃ、遠慮無く救急車呼びます! ……あ、今ちょっと痛いです。救急車呼んで、お兄様」
「やめろ。その程度で呼ぶな。社会迷惑だ」
「じゃあ、お兄様が萌々子のお腹さすってください」
「いま、ここでか!?」
「はい。ライト・ナウ、ライト・ヒアーです! さすって、お兄様!」
萌々子がお腹を突き出す。仕方ないので道の真ん中で俺はブレザーの上から萌々子のお腹をさすった。
「ちゃんとブレザーの下からさすってね、お兄様」
「……わかった」
ブレザーの下に手を入れる。ひんやり冷たいシャツの感触。柔らかい腹部の感触。腹筋とその上の薄い皮下脂肪。指先がへその上を通過した。
「くすぐったいです、お兄様」
「す、すまん」
「お兄様ったら、そんなに萌々子に悪戯したいんですか?」
「違う。……よし、これくらいでいいな?」
「えー、もっとー。もっとして、お兄様」
「遅刻するだろ!」
走るほどではないが、急がないと昨日同様、一本遅れてしまう。それで遅刻することはないが混み合ってしまう。
「さ、急ぐぞ」
「はい」
俺たちはちょっとだけ早足で駅に向かった。