同棲ですよ、お兄様
萌々子の「教育的指導」を乗り切ったあと、俺と萌々子はそれぞれの部屋でネット動画を見たりゲームをしたりマンガを読んだりして時を過ごした。100分もの間一緒に映画を見たことで萌々子は満足したらしい。大人しく部屋にいた。
「お兄様、ちょっといい?」
夕方5時。萌々子が俺の部屋を訪問してきた。
「なんだ?」
ベッドに寝転がったまま俺は返事した。
「晩ご飯、何がいいですか?」
「なんでもいいよ」
「……お兄様、毎日『なんでもいいよ』って言いますよね?」
「ああ。だってなんでもいいからな」
「萌々子と同棲し始めてから、ずーっと、毎日、いつでも、『なんでもいい』ですよね?」
「同棲? 同居だろ? 確かに同棲とは一つの屋根の下に一緒に住むことを意味する。だけど、普通は結婚していない男女が一緒に暮らすことを言うはずだが?」
「ん? 萌々子とお兄様、まだ結婚していませんよ? 結婚していない男女じゃないんですか?」
「そりゃそーだが……」
「ということは同棲です。それはそうと、晩ご飯どうしますか?」
「だからなんでも……」
「そーゆーのが一番困るんです! ちゃんと希望を言って欲しいの!」
「……」
と言われてもなあ。
「じゃあ、ハンバーグお願いしようかな。付け合わせの野菜とか味噌汁とか抜きで、ハンバーグと白米だけでいいぞ。そっちの方が楽だろ?」
ピキ。萌々子のこめかみが動いた。
「野菜はなし?」
「ああ。昼食べたし、もういいんじゃないかなって。あんまり野菜食べると良くないってネットにあったような気がするぞ。残留農薬、遺伝子組み換え。いろいろ危険らしいな」
「……根本から間違っているようですね、お兄様。ちょっとこっちに来てください」
萌々子に言われて俺はベッドから出る。部屋の入り口で仁王立ちになっている萌々子のもとへ。
「なに? 萌々子」
「お兄様、正座!」
「へ?」
「聞こえませんでした? 正座してください!」
渋々正座した。目の前には萌々子の脚。見上げるとショートパンツ。隙間の奥の空間に浮かぶ、ピンクの物体。うむ。パンツだ。慌てて目を逸らす。
「目を逸らさないっ!」
「え、えええ?」
……パンツ見えるぞ?
「ちゃんと萌々子の目を見てっ!」
あ、そっちか。
「野菜は食べなきゃ駄目です。食べないのは健康に悪いんだから」
「はい」
「そんなに農薬や遺伝子操作が怖いなら、できるだけ無農薬・有機栽培のお野菜買いますね。ちょっと高いけど。いいですね?」
「はあ」
「聞こえません。返事は?」
「はい」
「うん、よろしい!」
満足げに頷くと、萌々子は「じゃ、ご飯作るね」と言って部屋を出て行った。冷蔵庫を開ける音や調理器具を用意する音が聞こえ始めた。
そして約1時間後。
「お兄様、できましたよ」
ダイニングテーブル上には大きなハンバーグとサラダ、根菜のスープが並べてあった。いつもながら萌々子の料理は彩りが綺麗だ。もちろん、盛り付けも。
「いただきます」
まずハンバーグから。うむ。美味い。
次にハンバーグ。うむ。美味い。
続けてハンバーグ。うん、絶品だ。
インターバルにハンバーグ。ふう。これまた、たまらん。
「お兄様」
「なんだ?」
「サラダも食べてください」
萌々子がじーっと見つめる。野菜を食べていないのがばれたようだ。仕方ないのでサラダを食べた。
「……こ、これは!」
俺の嫌いな……セロリ! だが! 美味しい!! ドレッシングがいいのか?
他にも名前のわからない野菜がいろいろ入っているが、美味い。
「美味しいな」
「よかった。そのドレッシング、ガーリックが効いてるでしょ?」
「ああ、いい感じに刺激的だ。で、どこのドレッシングなんだ? キューピー? リケン? 日清?」
まかせろ。俺はドレッシングに詳しいんだ。俺が唯一好きな野菜、カイワレ大根をさらに美味しく食べるため、市販ドレッシングはいろいろ試したからな。
「萌々子お手製です! 失礼しちゃう! ぷんぷん!」
冗談ぽく萌々子が怒る。
「え! これ、萌々子の手作りなの?」
「そうだよ、お兄様」
「へえ……」
意外である。小学生の頃の萌々子とは大違いだ。
「このドレッシングなら、いくらでも野菜食べられるな」
「よかった! 萌々子心配だったの! だって、お兄様、いつも野菜残していたでしょ?」
ばれてたか。
「だからね、どうやったら野菜食べてくれるか、考えたの」
「その結果がサラダ?」
「はい。美味しい野菜に美味しいドレッシングなら食べてくれるかな、って思って。ネットで一番美味しそうなドレッシングのレシピ探して、それをアレンジしたの」
「そっか。ありがとな、萌々子」
「どういたしまして。お兄様の健康のためなら、萌々子頑張ります!」
萌々子がはしゃぐ。
美味しかったのはサラダとハンバーグだけではない。根菜のスープも美味しかった。にんじんと大根、そしてゴボウだけなのに、なんて味が深いんだ。
「今日は本気出してみました」
「本気?」
「はい。いつもは早い・安い・美味いを心がけて作っているんですけど、今日はじっくり・コストは無視・とっても美味しくをモットーに作りました」
「へえ……」
「味付けの基本はお母様譲りです」
そっか。萌々子の母親、老舗料亭の一人娘だからな。老舗料亭を継ぐべく料理人を目指していた。だが日本料理の世界は旧態依然。男尊女卑かつパワハラ体質。幾度となく嫌な目に遭ったらしい。結局料理人になるのは諦め、OLになった人だ。
「そっか。おばさん、元気にしているのか?」
「はい。最初は実家に戻るの嫌だって言ってましたけど、今は元気にやってるようです」
「それはよかった」
萌々子の母親は今実家に帰っている。なにやら一族のなかで陰謀うごめく紛争が勃発、どうしても実家に帰る必要があったらしい。内紛は非常に複雑かつ根が深いらしく、解決には数年はかかるという。
そんな大変な時期に萌々子の父親の海外赴任が決まった。中国工場の立ち上げと技術指導ということで、これまた数年は中国に行きっぱなし。
ちなみに俺の両親はその1年前に隣接する工場の立ち上げで中国に行ってしまっており、そのせいで俺は高校入学と同時にひとり暮らしをすることになった。
「そういえば萌々子ちゃんて、一郎と同じ高校なんだよね? だったら一緒に住めばよくないかな? 婚約だってしてるんだし!」
一時帰国していた俺の母親の一言ですべては決まった。「婚約とかしてねーし」「女子と一緒とか無理」「なんかあったらどうすんの? 母さん、責任とれんの?」と反論したが、「婚約してるもーん」「女子と一緒とか、夢みたいでしょ?」「なんかあったら入籍すればいいじゃん」と反論され、俺と萌々子の同居が決まった。
前にも言ったが、俺と萌々子は婚約している(ことになっている)。萌々子は知らない。
萌々子の両親によれば萌々子が高校卒業するまでは秘密にしているのだそうだ。高校卒業と同時にサプライズで教えるとのこと。
ったく。子どもの人権、無きに等しいだろ? そう思った俺は母さんに抗議したが、無意味だった。「もー一郎ったら、照れちゃって!」「本当は嬉しいんでしょ?」とにやけるばかりではなしにならない。
もちろん、親父にも抗議した。だが、親父は「男は黙ってコンドーム」と言ってコンドームをくれただけだった。
性教育のつもりか?
そんなことを思い出しながら、俺は萌々子の手料理を食べたのだった。