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「第一から第五部隊!制圧した警備隊を護送しなさい!第六、第八部隊は市民への対応を!!」
黒いローブを纏う年老いた男は高らかに指示を飛ばす。
街を支配する喧騒の中にあって尚その覇気は薄まらず、自身に付き従う信者達を鼓舞し続ける。
その姿を見ていると、侵略者でありながらも気高く偉大な人に見えるから不思議なものだ。
後ろ手に縛られた兵士はぼんやりと男達の姿を眺め、そう思った。
「主教!信者達の中でも特に重篤な負傷者を後方の野営地に移送し終えました!」
「よろしい。敵方の負傷者は何処へ?野営地……とはいえ、彼等全てを受け入れられるものではなかったでしょう」
「は……?」
「ですから、兵士達は何処へ移送したのですか?」
年若い信者は意図が掴めぬとばかりに視線を彷徨わせた。
そも、彼等兵士は自分達『宵の明星』を邪教として弾圧し、迫害してきた文字通りの敵。或いは、恐怖の象徴。
そんな存在を気遣う発言をするなど、自分達を導いたこの人物の正気を疑う。
「……ええ、ええ。気持ちは分かりますとも。何故、この忌まわしき、正道に立っていた彼等を助けよと……そう言いたいのでしょう?」
「そ、そうです!何故ですか!?こやつらは私達を忌み嫌い、石を投げつけてきたのですよ!!何人の同胞が殺されたと!?」
「しかし、今宵からはそうではありません。何故ならば……私達と彼等の、あり得なかった"この先"が生まれるからです。ならば……少しでも、ほんの僅かでも不和の芽は摘んでおいたほうが良い。それが今更のものであったとしてもです」
「……わかり、ました」
尚も納得できぬ風に顔を顰めつつ――しかしそれを飲み込んで、それなりの地位に立つ彼は指揮する部隊へと合流した。
納得はできない。理解もしていない。しかし、それでも、だ。
何だかんだ、そうして行動してくれる。長年主教に付き従ってきた信者達はそれだけの人格と、下地を有していた。
根底にある思いがどうであれ、斯様に振る舞う彼等のことが愛おしい。
「ええ……ええ……まこと素晴らしき宝です」
あの城に取り残され、ただ一人だけ神に挑む資格を認められなかった男は歩く。
彼女等は上手くやっているだろうか?
……きっと、いいや。間違いなく宵は明けるのだろう。
しかしそれでも不安を隠しきれない。
なんせこの時を待ち続けて幾百年。
これまでかけた時間と苦労は等価であり、頭で勝利を確信していようが……そういった理屈を超越する程には思い詰めていた。
「とはいえ……私にできる事は多くない。昔からそうだった……」
ああ、それでも彼が為すところは変わらない。
歩く。
ただ歩く。
そして――そこを起点に神の領地を奪い取る。
周囲の土地に足跡を刻み、遥かな過去から幾年も続けた偉業。
誰に知られる訳ではなく、しかし決して軽んじる事ができぬ程に神の威を地に貶める不信行為。
「……こうやって歩くのも、今日で最後になるのでしょうか……」
いつもそうだ。
ほんの僅かにでも自分達の居場所を獲得しようと戦い続けた。
立ち止まることなどできないし、しようとも思わなかった。
「幾つもの国に潜み、幾度の滅亡を越え、そして……それでも私は、まだここに在る」
歴史の裏で暗躍する『逸脱者』。
或いは次代の希望へ捧ぐ供物の調達者――それこそが、主教と呼ばれた男の正体だ。
かくあれと主人にその役目を与えられ、その通りに振る舞う忠実な臣下。自分の事をそう定義し、事実その通り完遂した!
自分で自分を褒めてやりたい程に。
そう。
『宵の明星』を率いたのも、神へと叛逆し続けたのも、僅かながらにでも危険な潜入任務を熟したのも。
その全ては主人の為。
「今日は良き日だ。希望を見つけ、過去に再会し、明日を目にする」
くつくつと笑う。
数え切れないほどの苦難を乗り越えた先に、ようやっと報われる。
主人が残した、何れ訪れるいつかへ向けた数々の布石。
己もその一つだったが、それらが点と点を結ぶように効果を発揮し始めた。
幾百年も時を隔てたその先に再臨し、希望と共に叛逆する。
そのためだけに主人は蘇り、希望を育て、母となり、そして……きっと殺すのだろう。
「よお、親父殿。殺しに来たぞ」
「……顔を合わせるのは初めてだね?」
『―――――。』
門を開いたその先。
星々の律動を閉じ込めたかのような天蓋が覆う空間の、その中枢に視線を突き刺した。
輝かしき三対の翼を背負った男は、煌めく瞳で見つめ返す。
黄金の頭髪に、黄金の瞳。
薄く長い布を纏っただけの男は美しく、しかしだからこそ酷薄に笑った。
『久しい……ああ、実に久しいね。歓迎しようとも。愚かな新世界を謳う少年と……幾度も姿を変え、その度に私の道を阻む、しかして愛しい我が子よ』
「……は」
アリシアは赤い瞳を憎悪に濡らし、軽蔑を込め、悪辣に尖らせ、そして慙悔の念を混じらせた。
目の前の男は何処までも憎くて憎くて堪らない汚物だが――何故か、今この時だけは口を開こうと理性が働き掛けてくる。
……意味など、何も無いはずだ。
むしろ後になってしまえば何故あの時対話をしたのだろうと、後悔するかもしれない。
ただ苛々と殺意が積もって、無為に時間を消費するだけだろう。
「………ああ、久しぶりだな」
――しかし、何故だろう。
目の前の男を見ていると、どこか脳髄の裏側が疼くのだ。
「それで、その座を明け渡す準備はできたかい?元々、そこは偽物が居座る場所じゃあ無いだろう?」
『…………』
アリシアがもどかしい感覚に襲われている最中でも、どうあっても時は等しく流れ続ける。
傍らから放たれたアダムの言葉は元々確信を持って放たれたのだろうか?
アリシアも感じていた疑念を言語化したそれは、その場の空気に溶け込んだ。
その輝きを目にしているだけで疼いてくる脳裏。なんとかそれを無視し、よくよく見ていると――ズキリ、と。どこかが痛む気がした。
「……」
アダムはそんなアリシアの姿を尻目に捉えつつ、舌鋒鋭く追及していく。
「お前は誰だ?お前は神なんかじゃないだろう。本来の主の誕生を待たず、勝手にその席を奪っただけのナニカだ」
それは断定だ。
無論、アダムの中に他の比較対象がいるわけじゃない。
基準もない。
それでも、アダムはこの推測が間違っているとは思えなかった。
「だって、お前は神と言うには性質が違いすぎる。あまりにも創生という能力が欠けている。曲がりなりにも聖四文字を名乗っているくせに――」
「お前のあり方は、どちらかと言うと俺に近い」
――そして、アリシアが引き継いだ推論も、また確信を持って放たれた。
間違いない。そうでしかあり得ない、と。
アリシアは確信している。
だって――自分は、今より前。試作品として目覚めるより以前――彼を、天輪を廻す彼を目にしていた。
俺と彼は同じ存在によって造られたのだから。
じりじりと魂が浮つくような感覚の中で、アリシアは目の前の男と瓜二つの青年の幻影を見た。
霞み、薄れ、傷ついているが――アリシアは確かに知っている。
「なあ、茶番は終いにしよう……ルシフェル」
『――そうか。もう、思い出したのか』
「……ルシフェル。或いはルシファー……そうか。あちら側の存在……」
『然り。然り。私は……オレは、ルシファー。愚かな神に反逆した、天使達の最高傑作』
額に携えた一対の捻れた角を撫で付け、嘗ての天使長は笑みを浮かべた。
父によく似た顔を、まったく同じ笑い方で歪めてアリシア達を称賛する。
よくぞ思い出してくれたな、と。
どこか憎々しげに二人を見つめた。
『それにしても、よく分かったなぁ。そこのアリシアはともかく、お前はあちら側のことなんぞ殆ど知らないだろうに』
「……そりゃあ、ね。ただ、僕は目が良かったから」
ほお。ルシファーはその虹色の瞳に感心を示し、興味深そうに瞳の奥を覗き込んだ。
これまで永い年月を神と共に過ごし、この世界に流れ着いてから。それまでの全ては神秘と共に過ごしてきた。
ルシファーにとって神秘とは常に傍らにあり続けた友であり、世界の教科書なのだ。
――だからこそ、その瞳の異常性に気付く。
『それは、明らかに世界の理に反している』
「……そりゃあ今更じゃないのか?俺も、お前も似たようなもんだろう」
『ああ……言い方が悪かったな。世界の理すら比較対象にならん。オレ達とは全く別の理のもとに駆動している。オレやお前は世界の理に反することで力を得ているが、少年は全く別の……それこそ異世界の理の中で動いている……と言えばいいか?』
前例がないがゆえにあやふやな物言いだが、伝えたいことは理解できる。
アダムという存在は自分達と違う正規の存在――本来、もっと早くにこの座に到達するはずだったのだと。
……が。
しかしそれが分かった所でどうしろというのだろう?
そんなもの関係無いではないか。
アリシアにとってアダムは息子であり、これから成す復讐において利害の一致を得た共犯者。
この八つ当たりに協力してくれる愛しき子――それだけだ。それだけが分かっていればいい。
「相変わらずお前は理詰めだなぁ……ああ、思い出してきたぞ」
『はッ!お前に思い出すような記憶なんてあったのか?ただの偶像に過ぎなかったお前に』
鼻でせせら笑う姿に、先程までの聖者然とした微笑みは無い。
何処までも軽薄で悪辣に振る舞い、堕天した己を肯定する穢れをまとっていた。
スイッチを切り替えたように、まるっと変わった言動は別人のようにしか見えない。
アリシアは腹の底に苛立ちが募っていくのを自覚する。
『それにやっとこさ生命体らしく振る舞い始めたと思えば今度は何だァ?八つ当たりィ?ふざけてんのかお前ェ!!はっはっは!!』
「……少なくとも、お前が不相応にも神の座につかなきゃ……あの人達はあんな死に方をするこたあなかったろうよ」
『あー?あー……ああ、あれかァ。魔物に食い殺された城塞都市の事か』
ガリガリと頭を掻くルシファーは気怠げだ。
心底どうでもよさそうに――否。実際どうでもいいのだろう。
自分の不手際?祝福を行き渡らせることが出来なかったから?魔物という存在の誕生を許したから?
――だから、なんだ?
『そんなのどうでもいいんだよ』
「――は?」
『だからよォ……どうでもいいんだ』
翼をぐりぐりと弄びながら、朝の献立を告げるように気安く口を開く。
『だって、オレもお前と同じ八つ当たりだからな』
「―――」
ヒュ。
アリシアは喉を震わせる。
掠れて、読み取ることさえも覚束ない記憶の断片が視界の端にチラついた。
その記憶の在り処は脳髄ではない。精神でもない。
それは魂に染み付いた過去の因果。
『ああ。お前とはどうも深い因縁が付き纏う。粘土から産まれたお前は、正しく粘土のように姿を変え、性質を変え、しかし最後には必ずオレと決別する』
アダムには何のことを言っているのか、これっぽっちも理解できなかった。
――しかし周囲に立つアリシアは別だ。
ひどく動揺し、視界を埋める過去の幻影に囚われている。
『きっと、最初の最初――神の似姿というお前に跪けという名に背き、反逆者と成ったあのときこそがケチのつき初めだったんだろうなァ』
「……ああ……そうか」
アリシアは知っている。
彼女が彼女と成る以前。
今にまで続いた過去の撚り糸の先。
『思い出したか?』
「……俺は――」
ルシファーはせせら笑った。
自分が堕天した切っ掛けとなった過去を思い返して。
『改めて――久しぶりだな。アダム』
「ホントだよ、クソッタレ」
アリシア――過去、アダムと呼ばれた人物はガリガリと頭を掻きむしり、憎々しげにルシファーを見つめ返した。
掠れきった記憶の数々は、幾万年という時の流れに晒されたせいで穴だらけだ。
つい先程までは目の前の男を思い返すだけで精一杯だったというのに。
――しかし、チリチリと脳の裏で鮮明に思い返せるものがある。
「……父さん」
『ああ、そうだ。アイツだ……アイツへの八つ当たりだ。だから、クソみてえに無意味で非効率なあの男――アイツからお前を盗み取って、この世界に連れて来た』
「そして閉じ籠もった」
アリシアは今でも覚えている。
神の厳命に背き、蛇に唆されるがままに果実を口にした事。
――そして、その直後。神の知覚さえ欺いたその先。
目の前の男に己は攫われ、記憶に封を為された。
その後、きっと本来の父はいなくなった自分に気付き……けれど取り戻そうとはせず、新たな土くれを用立てたのだろう。
だからルシファーのそれに意味はない。
まさに陰湿な八つ当たり。
彼の行動を一言で表せばそうだ。
『だから最後には無価値と断じ、放逐した。……その後で自力で蘇り、魔王として戦いを挑まれたのには驚いたが……』
「そうかよ……!」
その言葉が。その視線が。その身振りが。
アリシアをこれ以上無く苛立たせる。
ビキビキと額に血流が集まり、どこかがキレてしまうのではないかと思うほど殺意が募った。
最後だから理性を働かせて対話しようかと思えばこれだ。
無視していても良かった過去を無為に思い出し、結局その所業に心が沸騰する。
纏めてしまえば。
アリシアはアダムと向き合うために過去を精算したくて。
アダムはアリシアと生きる未来のために神の座に到達したくて。
ルシファーは己の父への当てつけとして神の座に居座りたい。
ただそれだけだ。
それが全てでいい。
「……だから、俺は何時も通りでいい……」
「何時も通り、喰らって、増えて、殺せばいい」
「俺は土くれなんかじゃない」
チャキリ、と金切りの音が響く。
使い続けた剣はボロボロで、増えた肉体に最初から持たせている剣の類も鈍らしかない。
所詮急造の品。肉体の代わりに生成した刃は一律してクソみたいなものしか作れない。
しかし、それでも。
「俺は戦う」
「……もちろん、僕もね」
『……ははっ』
復讐は死んだ人の為ではない。
今を生きる残されたものが前を向くための儀式とはよく言ったものだ。
セイランの人々も。
試作品として産まれた兄弟達も。
きっと、アリシアが為し得た所で喜びはしないし、そもそも何も感じないだろう。
当然だ。
この世に輪廻転生の理はなく、在るはずだった天国も存在しない。
あるのは地上という世界と、神が在るだけの天界。
だから、彼等はもうどこにも居ない。
「さあ、戦だ」
それでもアリシアがそれを以って前を向き、身を焦がす憎悪を鎮め掻き消すことが出来たのなら――それはきっと、無意味ではないのだ。
「増えろ」
――天輪が煌めく。
廻す浄罪の炎は翼に集い、ルシファーはゆるりと星々輝く広大な宙を舞った。
ニヤニヤと嗤ったまま、遥かな過去から飛来し続ける自分の汚点、その原因へと掌を翳す。
「まだだ、もっと増えろ」
その先――総軍を縮尺の狂った天蓋の内に収めたアリシアは、在るかも分からない大地を踏み締めた。
どこまでも広がる宇宙のような、しかし両足の有るべき場所を備えた戦場で鬨の声で喉を枯らす。
「もっと!」
「もっとだ!!」
「地を裂く程に……!!」
素晴らしき人の生!
嘗て、己が用意した布石――領地簒奪はしかと功を奏し、傍に立つアダムの格が倍々に高まっていくことを肌で感じ取った。
いつかの日に交わした契約。それは一人の男から尋常なる死を奪い去ったが、しかしだからこそ今この瞬間にも神へ牙を剥いている。
――しかし、まだ足りぬ。
これっぽっちじゃあ、まだまだ足りないのだ。
「天を埋め尽くす程に!!」
曼荼羅が如き天の意思。それに抗うは億にも達するアリシア。
物質界の理を無視した空間さえも圧迫し、その全ての肢体を光に融かす。
純黒と真紅はアリシアの総軍を繋げ、有り余る力をリソースに――神の威としてアダムへ供給する。
――早い話、神の力とはどれだけの質量を支配しているかによって変動する。
それは大地であったり、天空であったり、星々であったり、はたまた概念かもしれない。
だがそんな中にあって、決して欠かせないものも存在する。
それは人だ。
幾人が神を信じ、祈りを捧げ、供物を奉じたのか。
ただそれだけでも神の格が変動する。してしまう。
……ならば。
どこまでも肉体が増殖し、魂が増大を繰り返すアリシアがその能力を奉じればどうなる?
その全てを捧げたのなら?
「ああ――」
――アダムの声に魔性が宿る。
熱に浮かされているような、酷く妖艶な声音がずしりと星を揺らした。
重い。
あまりにも重い音。
それ単体で変革を齎すような、言葉の重みが権能そのものとでも云うべきか。
視線一つにも質量が伴うかのような圧倒的な存在の格。
『――真理の極光』
――そして、それを焼き払う黄金の炎。
最も原始的な知恵の真髄。あらゆる不浄を清い祓う神威の発露は津波となり、アリシア達に覆い被さる。
遠くにあって尚滲む汗を一瞬で蒸発させるほどの熱量。
なるほど、恐ろしい。実に恐ろしい。
アリシアだけでは抗えず、これだけでいとも容易く莫大な数の炭を作り上げただろうが――
「永世を聴け。変成を見よ。輪廻の車輪――!」
しかしアダムがそれを防ぐ。
ぐるん!と。炎は途端に裏返り、色彩さえも反転させた。
逆しまに矛先を変えた黄昏は本来の主に牙を剥き――
『万象の流転』
しかしそれは無為である。
炎は散り散りとなり、灰のように掠れて消えた。
あくまで堕天した天使と侮るなかれ。
確かに神の意思一つでその格を剥奪される儚き存在だったかもしれないが――それは過去の姿。
漂流し、辿り着いたこの世界で神の座を簒奪し、偽りだろうとと世界を運用し続けた来歴は本物だ。
支配した領域は。
掌に乗せた命は。
弄んだ運命は。
その全ては神へ捧ぐ薪であり、ルシファーを真に神足らしめる礎である!
『罪の礼賛、罰の祝福――硫黄の雨』
星が煌いた。
律動は弾み、弾け、膨れ上がり――とたんに、天が落ちてきた。
「………ッ!!」
ぼんやりと口を開く。
アリシアは初めて見る神の奇跡の数々に指先が痺れるのを実感した。
正しく天変地異。
キラキラと輝く流星達は一目散に、競うようにこちら目掛けて降り注ごうとしている。
――体から力が抜け落ちた。
それは恐れによる脱力ではない。
漲る精神がそれを否定する。
これは、起死回生の布石。その投資だ。
「葦の息吹」
――空が弾けた。
降り注ぐ流星は空間毎砕け、ガラスの様にひび割れた空間に飲み込まれる。
アダムの掌の軌道に合わせてぱらぱらとメチャクチャにかき回されて、まるで子供が玩具を壊すような無秩序さで奇跡を潰した。
「ふぅ……!」
ズキリと頭が痛む。
アリシアは過去経験したことのない苦痛に苛まれていた。
「ごめんね、アリシア……もうちょっと貰うよ……!!」
「あ、あ……もってけ……!」
――しかし止まれない。
光に溶かし、有り余るリソースをアダムへと注ぎ込む。
人の命を燃料とする邪法。あるいは禁忌であるが……今のアリシアはそれを忌避する健全さを失っており、アダムはそれを気にするだけの余裕がない。
だから次へ次へと増殖を積み重ね、減る速度と増える速度を何とか等価へ持っていき――
「いいや、まだだ……」
『|土くれの器、金星の円光』
ぎょろり。ルシファーの瞳が空回る。
視線を筆先と例えるなら、天空というシャンパスに幾何学的な陣でも描いているのだろうか。
アリシアに天文学の心得なぞ何もないが、その視線の運行を見ているうちになんとも嫌な怖じ気が湧いてくる。
「……もっと増えろ」
「もっと」
「もっと!」
自分の認知機能さえ超越する増殖速度。
増大し続ける魂の重みは凄まじく――生涯を投げ打てる願望や、自身で見定めた産まれた意味といった支柱が無ければとたんに瓦解していただろう。
その果てに廃人になるだけで済めばいいが……きっとそんな生易しい事はない。
周囲を無茶苦茶に巻き込んで取り返しのつかないことをしでかすに違いない。
――だからこそアリシアは止まらない。
自分にはこの先を勝ち取らなければならない。
そうするだけの願望が、責務があるのだから。
「拝火の薪」
アダムの体に炎が宿る。
黒く、しかし所々に黄金を秘めた雷を奔らせ、敵対者を焚く神秘が立ち昇った。
それはラインの繋がったアリシアにも伝播する。
豊富なリソースの尽くを呑み込み、嚥下し、更に轟々と燃え盛り――それは赤黒い糸を手繰るように燃え広がっていった。
「行けェ!!」
轟くアダムの号令。
行使者の意に従い、炎雷は空気の壁をも燃料として呑み込みながらルシファーへ殺到する。
『足りねぇよ!!』
翻す翼。
天文の輝きを寄り集めた結実――それは羽根の一房から溢れた一滴の光輝だった。
炎雷が到達する僅かな時を漂う雫は、刹那の時を経るごとに倍々へと巨大化する。
『聖壁の冠!』
――音が消えた。
アリシアはそう思った。
攻撃の反射、及び威力の上乗せ――。
魔力リソースとして運用する肉体全てを打ち据える衝撃波はまたたく間に拡散し、いとも容易く三半規管を揺さぶってくれる。
今の反撃でいくつの肉体が破裂したのか……考えたくもない。
鼓膜を突き破るような極大の音が空間を埋め尽くし、ぐらつき霞む視界の中――金星の輝きを押し固めたような巨大な壁に護られるルシファーの姿を見た。
「次から次へと……!!」
すぐ傍らで忌々しげに毒づくアダムの声も、なんだかフィルターに掛けられたように不明瞭。
思いの外肉体への負荷は甚大なのだろうか?
アリシアとしてはもう少しぐらいは耐えられそうだと思っていたが。
……ああ、そういえば。
「そういや……俺はリソースとして働いてるんだったな……っ」
尚更身体への負担は大きいのだろう。
それに、力負けしたのなら。
リソースが足りていなかったということでは無いだろうか?
少なくとも砲身がきちんと動作しているのなら、発射する中身と火薬はきちんと用立ててやらねばなるまい。
無論、考え無しに火薬をひたすらに詰め込めば暴発するという恐れもあるが……しかしリソースが増えれば増えるほど神の力も比例して強まるのだから、今回の例で言えばそれも当てはまらない。
「………ッ!!」
ギチギチと体の何処から軋む音が聞こえる。
限界を越えた自重に悲鳴を上げる四肢――これは幻聴だ。
けれど、現在進行形で起きている事態を簡潔に表していた。
「アダム……!!」
「……うん!」
ぎちぎち。
ぶちぶち。
額に滲む汗は大玉のよう。
指先が蕩けてちぎれ落ちていく。
堪らず口を大きく開いて――漏れ出しそうになる悲鳴を必死に噛み殺した。
周囲を見渡す。
どこまでも広がるような広大な空間を埋め尽くすアリシアの肉体は、もはや数える事すら億劫になるほど増えている。
その魂の体積は星の領域にまで手を掛け、そこで止まることなく更に更にと止まらない。
もうアリシアは自分の肉体達を制御できていない。
常に繫がっていた指先さえも意志から乖離し、少しずつ分断されていることを実感した。
「な……!」
ひとりでに動いている。
アリシアは関与していないし、肉の感覚も、その視界さえも繋がっていない。
けれど。彼女らは動いて、自分の意思で立っているのだ!
「私を使え」
「儂を燃やせ!」
「どうせこの局面を乗り越えなきゃ先は無い!」
それは別離を強いる、最期に得る生ではない。
幾らか薄まった黒い肌に珠のような汗を浮かべ、これまでの様にリソースとして力を尽くし――ふと合った視線には、確かな活力が宿っていた。
「はあぁぁ……っ!」
――嫌でも理解できてしまう。
彼ら、彼女らはアリシアではない。
全くの別人として独り歩きを始めた、新たな一人の生命なのだと。
「は、はは……信じられねえな……」
これまでのように、死の間際に総体から切り離したのとは訳が違う。
彼女ら、或いは彼らは確固たる自我を持ち、各々数え切れぬ差異を有していた。
黄金の頭髪。
赤い瞳。
――それだけしかない。
アリシアと共通しているのは、それだけなのだ。
万華鏡の様に如何様にも変化する様は文字通りの多様性。
本来の歴史では、アリシアが繋ぐ筈だった人類という種の姿だ。
「まさか……まさかだ。楽園から追放すらされなかった俺が、俺から……新しい人類が誕生するなんてな……ッ!!」
それは正道ではない。
正しい手順の尽くを無視した外法だ。
しかし彼らには命がある。
霊長の肉体を持ち、明晰なる頭脳を有し、確固たる意志を宿す。
それは他者と共感し、語らい、集まり、ただの生命として生き、次代へ繋げる。
それこそが、人間だった。
「おおおおおお!!!」
刻印を廻す。
弾けて、空気に溶けていく裂帛の声が告げていた。
あるべき姿に正そう。
せめてそれこそが、それだけが弔いだと。
「――――!!」
アダムの支配領域が拡大する。
当然だ。
その仕掛けがどんなものであれ、あらゆる命を擁するアダムの格は掛け値なしに極大そのもの。
超多数の命を束ね、アダムは今一度目を凝らした。
眼前に浮かぶルシファーはどんな顔をしているのだろう?
自身の八つ当たりが為し得た結末を嗤っているのか?
嘆いているのか?
怒っているのか?
最後の一撃を放とうとしているのだろう。
光を撚り集め、空に掲げる円環に照らされた男は――心底嬉しそうに笑っていた。
「は」
悪辣さは無く。
憤怒も穢れも無い。
どこまでも純粋に、嬉しそうに。
「―――」
一体何を思ったのだろう。
理不尽にその地位を追われ、愚かにもアダムを奪い取り、新天地で神となったその生。
どこまでも空虚な八つ当たりに幸福はあったのだろうか?
『|明けの明星《ルシフェル=シャハリート》』
「――|宵の明星《シャヘル=シャハリート》」
金星の輝き。
それはとても美しいと、アダムは思っていた。
――それを覆い隠すのは、なんだかとても悲しいけれど。
それでも後悔はない。
この先を求めた自分達にそんな資格はない。
けれど、この空虚な男の死に感傷を抱くぐらい――許されても良い筈だ。
天蓋を漂う一枚の羽根が、ゆらゆら、ふらふらと踊っている。
それは所在なさげにあちらこちらへ飛び回り――そして、黄昏を残して消えていった。
もうちょっとだけ、続くんじゃよ




