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前夜祭

第五の御使が、ラッパを吹き鳴らした。


するとわたしは、一つの星が天から地に落ちて来るのを見た。

この星に、底知れぬ所の穴を開くかぎが与えられた。


そして、この底知れぬ所の穴が開かれた。

すると、その穴から煙が大きな炉の煙のように立ちのぼり、その穴の煙で、太陽も空気も暗くなった。


その煙の中から、いなごが地上に出てきたが、地のさそりが持っているような力が、彼らに与えられた。

彼らは、地の草やすべての青草、またすべての木をそこなってはならないが、額に神の印がない人たちには害を加えてもよいと、言い渡された。


彼らは、人間を殺すことはしないで、五か月のあいだ苦しめることだけが許された。彼らの与える苦痛は、人がさそりにさされる時のような苦痛であっ た。


その時には、人々は死を求めても与えられず、死にたいと願っても、死は逃げて行くのである。


これらのいなごは、出陣の用意のととのえられた馬によく似ており、その頭には金の冠のようなものをつけ、その顔は人間の顔のようであり、また、そのかみの毛は女のかみのようであり、その歯はししの歯のようであった。


また、鉄の胸当のような胸当をつけており、その羽の音は、馬に引かれて戦場に急ぐ多くの戦車の響きのようであった。


その上、さそりのような尾と針とを持っている。その尾には、五か月のあいだ人間をそこなう力がある。


彼らは、底知れぬ所の使を王にいただいており、その名をヘブル語でアバドンと言い、ギリシヤ語ではアポルオンと言う。





第一のわざわいは■■■■■。

見よ、この後、なお二つのわざわいが来る。



ヨエル書 第1章より抜粋




 大地が揺れる。

 原始の人が闊歩し、地を踏み均す振動が天に反響する。


 それは神代の残滓――人間の礎とされ、滅ぼされた少女の号哭。

 憤怒に身を焦がし、ほんの少し前に()()()()()()()()()()()さえ薪に焚べる怨嗟の叫びが轟いた。



 ――それは地下で身を隠すアダムの鼓膜をも揺さぶり、酷く心をかき乱す。



「……母さん?」



 下を向いていた首を持ち上げた。

 手元に置いてあるランタン。そのか細い灯りが照らす天井は暗く、人の目を包み隠す。

 灯りが有っても土の天井があるのだから関係ない?どちらにしろ何も見えない?実にその通りだ。


 しかしアダムは人に非ず。

 魔族と呼ばれる異種族であり、またその中でも一際特別な存在――神の萌芽。

 その眼力は物質に囚われず機能する。


 ……とはいえ、今の今まで幼子の様に両目を塞いで蹲っていたわけだが。

 しかし天に轟く咆哮が、首に張り付く焦燥感がアダムを急かした。

 未知の恐怖を振り切り、意図的に視線を逸していた街へ焦点を合わせる。

 土を飛び越え、石を突き抜け、その先に――




「うっ……!?」



 ――赤い。


 石畳の大通りが。家の壁が、屋根が。砕けた瓦礫が。

 何処を見ても赤い塗料が塗りたくられている。

 その赤い液体の原材料は、無作為に転がる少女達の身体。

 緩やかに伝う赤い河は少しずつ陣地を広げ、街を湖に沈めようとしているみたいだ。

 はたまた弾けとんだのか、水風船が割れた後みたいにその中身が派手に飛び散っている。



 光の無い母の赤い瞳が、空虚に己と絡み合う。


 横隔膜に、震えが走った。



「ぐぅ……おぇ……っ!」



 びちゃびちゃと夕食だったものが零れ出た。

 生理的な反応で涙が溢れ、口の中が酸っぱい物で満たされる。



「けほっ……うぅ……!」



 それでも、目を逸らさない。

 母は己の為に命を張っているというのに……その光景からすら目を塞ぐなんぞ、到底男とは言えないだろう。

 少なくとも、アダムは自分を誇ることが出来なくなってしまう。

 ガクガクと笑う膝を押さえつけ、逃げたくなる体を抑えつけた。


 アダムは、せめて、と呟く。


 ……せめて、力さえあれば。

 己に力があれば、手助けが出来るのに。



 口元を拭い、深く息を吐く。


 こんな時、自分の母はどうするのだろう?

 ただ隠れて震えているのか?

 恐怖のままに逃げるのか?


 いいや、そんな事はない。

 アダムは知っている。

 母はそんな利口ではない。恐れを知った老人ではなく、無鉄砲な少年というべきか。

 変な所で男らしく、馬鹿だった。



「……せめて、できる事を……か」



 瞳に力を込める。

 今の己にはこれしかない。

 アダムは未だ芽吹かぬ未完の器。

 けれど、それでも『男』を張りたいお年頃なのだ。



「………見つけた」



 せめてもの貢献。

 それを目指し、まずは四肢を奪われたアリシアを連れ去ったその目的を探る事にした。

 きっとその情報は母にも、そして己にも必要だ。

 ……アリシアは自分の――自分だけの母だ。

 それを害そうなんて許せない。許していい筈がない。


 アダムは今はまだ淡い、けれど確かに燃え盛る炎の赴くままに動き出した。






 ■







「死ね」



 首が飛ぶ。



「死ね」



 首を折られる。



「死ね」



 心臓を食い破る。



「死ね」



 心臓を貫かれた。



 殺し殺され、血潮を撒き散らし、そして血に塗れた両手で柄を握り締めまた駆け出した。

 門から一直線に繋がる大通りは、何処を見ても常に騎士とアリシアが争っている。

 そこに戦列という概念は無い。有るのはただただ切り合うだけの乱戦。

 目についた敵へ向かって襲い掛かるだけの、まるで知恵のない原始の闘争が如き稚拙な争い。

 だがそれが生み出す熱気は、知恵を凝らした『効率』が猛威を振るう戦場なんぞよりも遥かに濃厚。


 そして無論、争いがあるのなら――その果てに生まれる死者も存在する。

 騎士は召喚物であるからともかく、アリシアの器は既に数十万という肉塊を生み出した。

 右を見ても左を見ても、前後上下にさえ肉塊が腐るほどに転がっている。


 つい先程、ほんの僅かな時間を遡って言えば、幾つもの肉体がせっせこと駆けずり回って場を整えていた。

 が――



 ――今となっては不要だ。

 後方支援?遺骸の収容?トラップの設置?

 そんな余分なリソースなぞ全て削り取ってしまえ!


 全てを駆使して奴等を――"神の尖兵"を屠殺するのだ!!


 北の大地の駐屯?いらんぞ、無駄だ。

 北東の農村で技能取得?それがこの戦のなんに役に立つ。

 愚か者の行き着く流刑地?それこそ無駄の極み。


 ――この大陸の至る所に存在するアリシアは、その肉体を光に解く。

 黄金の光の粒子となり、距離を超越し――この世ならざる位相に有る()が導くままに、この戦場へ収束する。


 そうして戦力をかき集め、騎士を殺し、殺され――ならばと更に増殖する。増殖する。増殖する。増殖する。増殖する。増殖する。



「死ね、死ね……!!」



 粗製の剣を宙に踊らせ、技巧など無い膂力任せに斬りかかった。

 騎士は果敢に剣を打ち付け、防衛からの攻勢に繫げようと戦意を滾らせるが――横合いから伸びた槍の穂先に、あっさりとその仮初の命を散らす。



 がしゃんと鋼が擦れる音と共に崩れ落ちた騎士。

 神の加護を喪った敗北者は消滅を待つばかり。

 その指先から徐々に光に溶けていく――



「――はァ」



 ――アリシアはその横に跪いた。


 徐々に形を失っていく騎士を赤い瞳でしばし見つめ――がぱぁ、と。

 大きく、大きく口を開いた。



「いただき、ます」



 がり。ごり。ぐちゅり。

 金属が砕ける音が、柔らかい魔素を削る湿った音が響く。

 アリシアは嬉しそうに目を細め――より一層激しく顎を駆動させる。



 つまるところ、彼女は敵の死体を喰らっていた。



 死に絶え、その器が世界に還るまで。

 それは必ずしもすぐに消滅するというわけでもなく、器の破損状態によって数時間程度までは形を保つ。

 つまり、喰える。


 味がどうとか、硬さがどうとか、そもそも有機物でも無機物でもないとか、色々と言いたいことはあるだろう。



「食べなきゃ」



 しかしアリシアは嬉しそうに、美味しそうに喰らう。

 その瞳を濡らすのは仇敵の死を喜ぶが故か、征服に快感を覚えたのか、はたまたただ命に感謝を――いや、ありえないか。


 ともかく、それを驚くべきスピードで喰らい尽くし――



「もっと、もっと」



 その肉体に朱の刻印を走らせ、再び増殖を重ねる。

 周囲では全く同じ光景が幾つも広がっており、時には安全確保がおろそかなままに喰らいつくせいで命を落とし、はたまた四肢を落とされたアリシアもいる。


 ――それでも、喰らう。



「もっとだ。もっと」


『なん、なのだ……これは……!!』



 騎士の動揺の声にも耳を貸さず、剣を打ち付け――否、最早不要だ。

 アリシアは手に持っていたボロボロの石剣を放り投げ――


 素手で組み付いた。



『な!?』



 一対一では決して勝てなかった腕力。

 ああ、腕力だけではない。

 全てにおいて勝てなかった。


 脚力、体幹、視力、瞬発力、反射神経、武器を扱う技量。


 そのどれもが劣る。

 それら全てを覆すための物量作戦であったし、5人1組での連携をとった集団戦闘だった。

 けれど、それでは不足だった。

 自分はここまで押し込まれた。


 ならば、ならば。

 もっと多く、より多く!

 今の物量で届かぬならば、より多くの己を積み上げる。

 先程までとは規格が違う速度で増殖し、文字通りの"物量"のみで押し通す。



『馬鹿な……!?』



 両腕を押さえつけるように正面から飛びかかったアリシアを振り払おうとして――しかし、騎士にはそれが叶わない。

 一人。また一人。今度は二人。続けて六人。

 続々と後方から襲い掛かるアリシアの勢いに押され、四肢に絡みつかれ、拘束される。

 徐々に徐々に、振り上げた両腕ごと地面へ押し付けられ、ぎりぎりと軋む両腕の奮闘とは裏腹に……騎士の膝がガクガクと笑う。


 数秒の拮抗。

 しまいには、ストン、と膝を着いてしまった。



『や、やめ……っ!!』


「あは」


「いただきます」


「いただき、まぁす」



 首元に。

 腕に。

 足に。

 腹に。

 肩に。


 周囲に居た手すきのアリシアが続々と集まり、組み伏せられた騎士を覆い隠すように張り付く。

 ガリ、ガリ。ぐちゅ、ぐちゃと滴る咀嚼音と、生きたまま食まれる騎士の悲鳴が戦場に溶け、同じ様な雑音と共に混ざって解けた。



『よもや、よもや。娘よ、そこまで……』



 大騎士は小さく呟いた。

 門の傍、嘗てアリシアが築いた長大な防壁の上に雄々しく立つ姿に困惑の影が纏わりつく。

 視線の先、自身達が侵攻している大通り――西から街の中央付近まで伸びる石畳の上は、先程までの光景とは全くの別物になっていた。

 これは、戦意と殺意が蔓延する血生臭い修羅の戦場ではない。

 狂気と無垢な純粋さ、はたまた生命の持つ原始の姿がありありと映し出された沼の底。はたまた深海の奥深くか。



 同胞(はらから)達を喰らうアリシアの肉体には縦横無尽に朱い刻印が駆け回り、指先……そして胸元から"黒"が滲み出している。

 大騎士――"神"により純粋な戦力として生み出された戦士は思わず身震いした。


 徐々に広がる黒いナニカ。

 それはアリシアの肌であり、器であり、想念でもある。



『……蝗虫、か』



 "群生相"

 それは人々に降り掛かった天災の一つ――『蝗害』の前触れである。


 ……蝗虫という生物は広く知られた昆虫だ。だから細かい情報は余分なものとして省く。

 彼等は通常、多くは"孤独相"と呼ばれる体色、構造を有する。

 これを平常時、と呼んでも差し支えはないだろう。

 ただ草を食み、子を残し、自然に還る。


 しかし様々な要因によって、彼等は"相変異"と呼ばれる現象を発生させる。

 孤独相から群生相へ。

 群生相の蝗虫はお互いに惹かれ合い、共に行動し、集団となり――余りにも増えすぎた集団は大移動と、それに伴いありとあらゆる"食料"を根こそぎ食らい付くしながら飛び回る。

 アリシアの前世――現代社会でもその現象は発生しており、過去最大の規模の物であれば600億匹もの蝗虫が地を埋め尽くした。




 話を戻そう。


 大騎士は、狂乱するアリシアを何故蝗虫と例えたのだろうか?

 それはアリシアが結んだ神代の理を例えての事だろう。

 彼は酷く聡明だ。

 神の尖兵でなければ、慈悲深いアリシアも四肢を落とすだけに留めただろうに!


 ともあれ、殺意に狂ったアリシアはラッパを吹いた。

 それは第五のラッパだ。

 神が物は試しと作り上げ、試作品たちの内界に格納した『試作品』。

 そしてラッパとは、自分自身の奥の奥――"起源"を表に現出させるモノ。



『娘は"多様性"を得ることが出来ず、その踏み台になったと聞いたが……さて、これはどうしたものか……』



 ここは、もはや戦場ではない。ただの食事場だ。

 大騎士が今もこうして眺めている間に次々と騎士は食われている。

 造り物の伽藍堂の心であっても些か胸が痛い(錯覚)

 じっと同胞達の末期の叫びを聞き、しかし変わらずその場に立ち尽くした。

 そしてそれは"動かない"ではなく"動けない"。



 "一度大攻勢を仕掛け内部へ押し込んだ後、命あるまで待機せよ"。



 そのお達しが大騎士をその場に縛り続ける。

 ……だが――いくら名代の言いつけとはいえ、些か不可解でもある。

 緩く首を傾げた。


 それはその命令が、ではない。

 名代の様子がだ。

 まるで熱に浮かされたようで、正気なのかも疑わしい――まるで無理やり元通りの振る舞いを再現しているだけの残り滓のような、如何とも言い難い声音だった。


 しかして今の己はあくまで召喚物。

 神の尖兵という前提はあれど、信心深い聖女――それも、代々受け継がれてきた『種子』を持つ乙女だ。

 少しばかりの疑念は飲み込んで従うべきだろう。

 なにせ、いくら聖女とはいえ人間だ。

 数が減ったとしてもどうせまた増える。

 大騎士は一人頷いた。



 ――そして、大騎士が木偶の坊となっている今も時は流れ続けている。


 アリシアは勤勉に、懸命に口を動かす。

 騎士を組み伏せ、生きたまま牙を突き立てた。

 空っぽの悲鳴がうるさいな。

 アリシアはその首に八の手をかけ、一息に握りつぶした。



「あは。静かになった」



 ぐちゅり、ぐちゃりと只管に貪る。

 それのみに専心し――未だ姿の見えない仇敵へ向ける殺意が、より一層深まることに微かな充足感を得た。


 一頻り食べ終えると、食い散らかされた魔力片に視線を向けることなく再び走り出す。

 アリシアも気付かぬ内に体表の殆どが黒に染まっていたが――しかし、黒に染まれば染まるほど身体機能や五感が強まっていく事を把握してからは、むしろ歓迎するべき事と認識していた。



 故に貪食は止まらない。

 あらゆる騎士を組み伏せ、殺され、しかしそれを圧倒的に上回る速度で増殖を重ねる。

 先程までであれば大騎士にも苦戦し、文字通りの自爆特攻をするしかなかったが――なんだ、今となってはそうじゃない。

 こいつらは確かに強く、暴力の化身だろう。

 けれども食えぬ訳ではないじゃあないか!



『あ、ぉ……』



 その巨体に余すことなく覆いかぶさり、振り払われる前に食らいつき、噛みちぎる。

 指や腕を奪えれば上等だ。

 それだけで戦う力の多くを奪えるし、何よりもこの"黒"はより深く広まっていく!

 ああ、素晴らしい。



『愚かな、哀れな……』


「うるさい」



 ぱきり。

 首元に食らいついた顎に力を込め、力任せに捻じりとった。

 強大な抵抗を残し――しかし、哀れにも大騎士は命を散らす。



「……もっと」



 食べる。

 歩く。

 食べる。

 走る。

 食べる。

 跳ぶ。


 そうしていく内に続々と流入を続ける騎士達は完全に押し返され、いつの間にか先程の女――妹の姿が見える場所まで帰り着いていた。



「……食べなきゃ」



 視線の先。

 西に開いた門は、大きなもので言えば7つ。

 その全てへ派遣する騎士達の発生源は1つ。

 その親玉まであともう少し。

 さあ、このままの勢いで喰らってやろう。



『…………』



 甲高い金属音を掻き鳴らし、騎士達が――そして、幾人かの大騎士が剣を構えた。

 アリシアの視線の先。強化された視界の中で、女は変わらず祈祷を続けている。

 その明滅と、高まり続けどこまでも膨れ上がる圧。

 きっと彼女もまた『試作品』を宿しているのだろう。そして、それを放とうとしている。



 ……しかし。

 見ている限り発動の前兆はあれどもその先がない。



 アリシアにはその原因は分からぬ。


 分からぬが……好都合だ。



「死ね」



 牙を向いた。

 両手足を獣のように撓らせ、再び駆け出す。

 びゅうびゅうと風を切り、百メートル以上はあったろう距離は僅か数秒程度で踏破された。

 僅かながらにでも強化された身体能力はこれ以上無い助けだ。

 一体あたりの上昇幅は微妙なものだが――ここに、強まった増殖能力を付け加えればそれは素晴らしい武器となる。

 ――アリシアは、これまでに積み上げた"武器(経験)"の事さえ忘却しながらも狂乱した。


 ああ、身体が軽い。

 何処までも跳んでいけそうだ。

 類稀な力が漲り、身体の中で出口を求めて荒ぶっている――!!



『第一から第四盾兵連隊、構え』


『おおおぉ!!』



 ドォン!

 鈍い打撃の音が腹に響く。

 宙へ跳んだアリシアが勢いと体重を乗せて放った蹴りは、数百の騎士が前面に配置した盾兵が余すことなく受け止めた。



『ぬ、ぅう……!』



 しかし一度の蹴撃で終わるはずなど無い。

 今この街には百万――否、その倍にも届くアリシアが居る。

 勿論全ての肉体が実際に戦闘しているわけではない。それには圧倒的に空間が足りていない。

 けれどいくら斬り殺したところで後方から続々と戦線へ流入し、食い破れるだけの隙を求めて爛々と瞳を輝かせている。


 しかし対して、騎士達の戦力は削りに削られ、今となっては大騎士が数十。

 通常の騎士が500。

 明らかに、露骨すぎるほどに戦力が足りていない。

 それに加え、聖女が放とうとしている"奥の手"にリソースをつぎ込んでいるのか敵の増援も無し。



 あと一息。

 あともう少し。


 そうだ、ほんのちょっとの屍を積み重ねていけば()は父にも辿り着ける。

 そこで引導を渡してやるのだ。

 お前が無価値と断じたものは、お前を殺しうる牙だったのだと!



「喰らい、貪り、埋め尽くす」



 盾を力任せに弾き飛ばす――否、不足。

 ならば一人ではなく二人の力で。それでも足りぬなら十人の力で!

 総身をほぼ完全に黒に染めたアリシアは強引に体を打ちつけ続け――遂に騎士は膝を折る。

 ああいや、腕も折れているなぁ!なんとも哀れだ!


 剥がれた盾を地面に投げ捨て、完全に守護を失った胴体に前蹴りを放つ。

 騎士は必死に踏ん張ろうと足を地に突き刺し、己の身を盾にしてでも侵攻を食い止めようとするが――物量の前には無力に過ぎた。

 土を削り取りながらも確かに、確実に後方へと運ばれている。

 やはり物量こそが正義である。アリシアは獰猛に笑みを浮かべた。


 後はそれを各地で繰り返すのみ。

 それだけでどんどん、どんどんと敵の前線を押し込んでいくことが出来た。



『ちィ!』



 無論、押し込むだけでは終わらず、隙を見つけては騎士を拘束し、四肢をもぎ取り、後方へ輸送して捕食する。

 そうしていれば当然前線は脆く薄くなっていき、アリシアはより一層攻め立てやすくなった眼前の敵へ襲い掛かる。



 その状況を良くないものと感じるのは当然で、どうにか優位に立とうと柄を持つ手に力を込めるのも必然だ。

 自身が強者と正しく認識している大騎士達は勇猛果敢に、しかし連携を忘れることもなく疾走する。


 ――しかし、圧倒的な人海の前に押し潰された。

 血糊で鈍らになった剣は役目を果たせず、主人が死ぬ姿を無機質に眺める。


 旗持ちの騎士は秘術に通じた己の力を奮い立たせ、前衛の同胞達に強化の加護を振りまく。


 ――打ち捨てられた剣。それは投擲物としては非常に良質。容易く貫かれてしまった。


 盾持ちの騎士は最前線に立つが故に、ただそれのみに専心し、腹に力を込めた。


 ――押し寄せる幾百幾千の黒い壁の前では水に濡れた紙のよう。


 剣?槍?斧?

 そんなもの、いくらか肉体を盾にして、腕なり指なりを落とせばただの食物だろう?



 ああ、無情だ。

 しかし素晴らしい。

 アリシアは今の己こそが強者であると理解し、絶頂に震えそうになる。


 それまで何よりも大事にしていたはずの二つ(・・)の命さえも忘れ去って、ただただ殺意の赴くままに前進する。



 さあ、さあ!

 あの聖女ももう目と鼻の先!


 切り札など使わせない。

 今すぐ死ね!



「母さん!」


「……あ?」



 アリシアは思わず足を止めた。

 声変わりさえまだの、幼気な少年の叫びが鼓膜を震わせた。

 それは遥か後方。実際に敵と相対する軍勢ではなく、土地面積の影響で余った戦力の一つ。意識の外からの呼び声へゆるりと振り返った。



「………?」



 黒い髪、虹の瞳。

 外見から見て取れる限りで、年齢は10か、その上か。

 仕立てのいい麻の布に身を包む少年(アダム)だ。



 ――()()()()


 少なくともあの騎士達とは別人で無関係に見える。発する気配はむしろ対極。

 それに……この子は()の事を知っている?母さんだって?初対面では――いや、違う?

 脳裏の何処かに引っかかる。脳髄の片隅がそれは違うと訴えかける。

 それを無視してはならないと、アリシアの総体――その一片が声高らかに主張した。



「え、ぁ?」



 知っている、知っているのか?

 ()はこの子供を知っている?



「母さん!大変なんだ!あの、あいつらが連れて行った母さんの身体が――」




 ……誰、だっけ?




 熱に浮かされたままのアリシアは、ちっともその姿に誰かを重ねることが出来なかった。


 ――そして、刻一刻と変化を続ける戦場は彼女たちの都合を慮る事など無い。当然ながら、良い変化も悪い変化も等しく起こりうるのだから。


 今回は……ああ、残念ながら悪い変化が起きてしまう。



「――母さん!」



 ――アリシアの総体に、どろり、と何かが溶け込んだ。

 粘ついていて、淀んでいて、仄暗い。



「は?」



 茫洋と呟く。

 意味の分からぬ感触に首を傾げ――



「あ、ぁああぁぁ?」



 アリシアを()()()()()

 肉体を、ではない。

 魂を。

 大きく頑丈な鎖が雁字搦めに締め付けようと表層を這い回る。



「……じゃ、ま」



 しかし不足。余りにも非力!

 増殖を重ね続ける内に膨れ上がった魂は最早尋常のものではない。

 極大の自我は恐ろしい程に大きく、強く、そして硬い。

 並大抵の呪詛の類では縛り付けることなど不可能だ。

 加え、ラッパ――ああ、もう呼称を統一してしまおう。神の施した"烙印"に効力によって更に強度を増している。

 故に現存の魔法や装具では害を及ぼせるものではない。



 ――相手が神の手駒で、アリシアが"烙印"を浮かべているという状況を無視するのなら。



神意顕現(テスタメント)



 それは距離を、物質を透過した。

 何処までも清廉で麗しい祈りの声が反響する。



『おお、我らが主よ。我らを造り給うた全能の父よ。どうか、我が為しうる所をお見守りください』



 美しく、可憐で、しかし空虚。

 本来そこに込められていたであろう熱は疾くに無く、宿るのはただの予熱に過ぎない。



『これなるは"第一聖女"より始まった礼賛の種。"信仰の種子"』



 しかしそれまでに積み上げた想念は本物だった。

 それこそ僅かなりであろうとも、意味がなかろうともアリシアを鎮めるほどに。



『この愛こそが、私の、私達の存在証明――』



 故、アリシアも、少年(アダム)も動きを止めた。

 思わず聞き惚れたのだろうか?それとも気圧されたのか?

 いいや、無論違う。

 その音には絶対的な圧が込められていた。

 それは衆生を地に押し付ける威ではなく、民を導き――縛り付ける聖母の囁き。



光輝讃歌(シャハリート)曙の明星(ヘレル・ベン)



 深々と音が染み込む。


 前線にて。獰猛な獣の如く攻勢を保っていたアリシアは、すぐ眼前で弾けた光に思わず歯噛みした。

 これがあの女の奥の手か。ああ、忌々しいことこの上ない!

 機能はなんだ?効果はなんだ?

 一切分からない……何も、何もだ。

 周囲を見渡す限りでは、一切の変化を見受けられない。


 ……しかし、あれが。あれ()が刻んだ"烙印"が不発などありえない。


 確かに彼女は特例で、異端だ。

 本来の"信仰の種子"――自身の記憶の欠片にも写る"姉"の()()というありえない存在だ。

『完成品』は既にあるというのに『試作品』の後継なぞ意味が分からないが、ともかくそれ故に不具合が生じているかも知れない。



 アリシアは必死に熱せられ鈍った頭脳を回すが、それだけでも前線に負担を強いていた。

 未知、というのは恐怖とイコールでもある。

 この恐怖にかかずらうなどなんと不毛な事か。

 実に忌々しい。後ほんの少し、もう僅かでも押し込めていたのなら阻止できていただろうに――



「え」



 ――ぎしり。突然体中の筋という筋が動作を止めた。あらゆる伸展も収縮も放棄し、アリシアは堪らず地面に倒れ伏す。

 前線に立つ肉体などは――おお、なんと無惨な。無抵抗なまま、あっさりと斬り殺されてしまう。


 唐突に訪れた未知。

 それは手始めにアリシアの肉体の制御を奪い取ったのだ。



「あ、え」



 鎖が絡みつく。

 魂の表層を這い回り、じゃらじゃらと、くるくると絡みつく。

 それはつい先程振り払ったばかりの鎖だった。

 歯牙にもかけぬ塵屑だった。


 ――しかし、その鎖は別物と見紛うほどに太く、大きく、頑丈に成長し、アリシアの魂に絡みついている。



「ああぁ、ぁあああ■ぁ!!!!」



 痛みが走る。

 痛みが魂の片隅から侵食してくる。

 痛みが脳髄を震わせ、四肢から力を奪っていく。

 痛みが脳漿を満たし、()()()()()()()()()()!!


 狂乱する。

 牙を剥き、目を見開いた。

 百万を超えるアリシアは四肢を掻き抱くことも、痛みに悶えることさえ叶わずに絶叫する。



「………!!」



 それを見たアダムは己が間に合わなかったことを悟った。

 せめて、せめてその"烙印"の使用を止めさせることさえ出来れば――それなら、あの聖女の"第四のラッパ"の効力も弱まっただろうに。

 原典においては地を照らす光の三分の一を破壊した御使いの権能。

 今のアリシアを見て推測するに、恐らく"人の拠り所()に成り代わる"……洗脳の類だろうか。

 恐ろしい。少なくとも、魂を縛り付けるというのは凡そ全ての人類に対抗できるものではない。

 ……アダムが洗脳されていないのは、偏に"人ではないから"という事由に帰結する。



 ――そんな事はどうでもいい!

 アダムはアリシアを救いたい。

 そして、自分とアリシアとスレープでずっとずっと暮らし続けるのだ。ただそれだけが望み。


 だから頭に血液をつぎ込み続ける。

 思考を止めること、抵抗を諦めること――それこそが敗北と同義なのだから。



「どうする、どうする……。このままじゃ駄目だ……早く、早くなんとかしないと……!!」



 呪詛を砕く――そんな能力、自分にはない。

 発生源を叩く――不可能。

 アリシア自身に解いてもらう――不可能だ!


 ならばどうする?

 どうしたらいい?

 アダムは高速に回転し、しかし空回りする他無い頭脳を必死に稼働させる。



 どうする?

 どうする?

 どうする?

 どうする?

 どうする?

 どうする?

 どうする?

 どうする?



 ――早くしないと、僕の母が奪われてしまう。そんなの、許せるはずがない。


 しかしアダムだけが考えたところで、手を伸ばしたところで意味などなかった。



 アダムだけ、ならば。



「……ブルル」


「あ、スレープ……!?って、傷が……!!」


「ヒヒィン!!」


「ちょ、ちょっと大丈夫なの!?わ、わっ!押さないでよ!」



 グイグイと黒い顔をアダムに押し付けるスレープ。

 その逞しい体には幾つもの切創があり、嫌でもこれまで戦っていただろうと理解させられる。

 が、彼女自身はそんな事はどうでもいいのか鼻息荒くアダムとアリシアに近づいた。



「………ブフッ」



 幾条もの血の筋を這わせていても、黒曜石のように変わらず輝く瞳は常のようにアリシアへ向けられた。

 苦しみ、藻掻き、今この瞬間にも魂を奪われそうになっている娘の姿。

 とても痛ましい。

 到底許されない。

 そしてこの瞬間にも、刹那の時を刻む度に事態はどんどんと悪い方向へ転がっていく。



 スレープは、覚悟を決めた。



――――――(私を使いなさい)。」


「……スレープ」


「ブフ」


「いいの?」


「ブフ」



 再び顔を押し付ける。

 すりすりと擦る姿はどこか仔馬のような愛嬌があり、アダムもアリシアも見た事がない姿だ。

 アダムはその瞳を見つめた。


 そこには、確かに愛の情があった。



「…………うん。じゃあ、いくね」


「ヒヒィン!」



 パッカパッカと蹄を鳴らし、トコトコと踵を踏み込みアリシアへと歩み寄る。

 治療行為、とりわけ薬剤での施術であれば、何かしらの方法で体内に取り込ませる必要がある。

 それは経口摂取であったり、吸入投与であったり、もしくは静脈注射がそれに価するだろう。

 ともかく必要なのは全身に巡らせるということ。


 眼前に立つアリシアは本体であり、分体であり、指先の一つである。



 ――つまり、なんらかの治療が必要ならば。とにかくそのへんのアリシアに施してしまえばいい。



「母さん……ご、ごめん……!!」



 アダムは、背伸びしてまでアリシアの顔に手を伸ばす。

 強張っていても柔らかい頬に思わず顔を赤くした。


 そして、僅かな逡巡――否、それすらも命取り。


 意を決して、自分と少女の唇を重ね合わせた。












<TIPS>


「海割のスクロール」

『海割』という魔法が込められたスクロール。破くのみで効果を発する。

これは古い時代、およそ600年前に興隆を極めた魔法の国『オーラルト』によって開発された。

『オーラルト』は帝国が侵攻を繰り返すよりも更に前、一夜にして滅び去った大国である。

強大なる魔法使い達が日夜を問わず研究していたその成果は、後の時代に大いに影響を残した。

現存する魔法や秘術の殆どがその残滓を利用している。


何故この国が滅んだのか?

それは今も分かっていない。


当時原因を究明すべく国を調査した冒険者曰く、国民のみが煙のように消え去っていたらしい。

生活の痕跡も、食べかけの料理も、家財道具も残して。





『海割』とは、海を割る魔法。

その起源とは"道"を作るモノである。





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