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冒険

 キュッ。

 軽い摩擦音とともに蛇口を捻る。

 ザーザーと降り注ぐ水滴は徐々に量を減らしていき、数秒もすれば湯気が立ち昇るだけになった。


 アリシアは顔に着いた水気を軽く手で払い、後ろ髪を軽く握って水分を絞り取る。



「ふう……いいお湯だった」



 浴室のドアをくぐった先の脱衣所で、壁に掛けていたバスタオルでまんべんなく身体を拭いた。

 以前とは違って手慣れたものだ、アリシアは少し不思議な気分になる。


 最初の最初――この世界に来た当初。

 あの頃のアリシアは、男から唐突に変わった自分の体にもドギマギして、用を足すときでさえも戸惑っていた。

 え!?拭く必要があるの!?と驚いた記憶もある。彼女は童貞であり、女体には少しばかり――いや、大いに幻想を抱いていた。今となってはもう何も感じないが。


 が、ああ……初めて見る女体が自分であったことのなんと悲しいことか。

 もう女体にムラムラするだけの精神は残されていない。INP(非実在)だ。



「……ん、肌着は……っと」



 ガサゴソと脱衣所の隅においていた自分のカバンをあさり、何時もの白い服を取り出した。

 現在、アリシアがいるこの宿屋でも簡易的な服は用意されているが、やはり何時も着ていたこの服がいい。

 はじめは肩出しや腹出しの肌色多めな構造に羞恥心を覚えていたものだ。今?もう何も感じない。



「交代ー」


「わー」



 3の肉体の風呂上がりに合わせて準備させていた、既に籠を抱えている4の肉体と流れるように交換する。

 このまま身綺麗にして眠りにつけば……まあいい頃合いか。

 今は夜の――時計がないので体内時計しか頼るものがないが、きっと9時前後であろう。

「あー、疲れた」と愚痴を零しつつ、シャワーを求めて服を脱ぎ捨てた。

 ――疲れた、とはいえ40万人相当の体力を共有しているアリシアだ。この疲れというのは精神的な意味でのもの。



 ……そうとも。今日は……ほんとに、今日は大変だった。

 昼はこの街に到着したばかりで、アリシアはまず『冒険者』としての依頼の打ち合わせのためにギルドへ向かった。

 内容はありきたりな魔獣退治――ではあるが、危険度が中々に高い相手。

 現在のこの街で活動する冒険者には有力なものが少なく、その討伐のために少し離れた土地にある『ハイデラ』に所属しているアリシアまで話が来た。人手不足が深刻なのだろうか?


 依頼者――町長もさっさも件の魔物を殺したいらしく、話は極めてスムーズに進んだ。

「情報は何もないけど殺してくれ」「はい」と、二言。それだけで打ち合わせは終わった。



 ――本番はその後。

 こうした討伐依頼は下準備こそが肝だと、勤勉であるアリシアは知っている。

 最終確認を済ませたアリシアは討伐に必要な道具類を揃えるため、そして情報収集の為にこの『エリン』の街を駆け巡った。

 対象は知能が高いタイプらしく、その手口は非常に巧妙。

 一人でいる人間を狙って捕食し、事が終われば速やかに撤退する。

 故にその正体さえも不明。姿も、声も……辛うじて残された捕食痕や足跡から二足歩行タイプであることがわかっているのみ。

 故に、まずは聞き込みなり調査なり試験薬ブッパなりで正体を特定する必要があった。



「その試験薬も一本銀貨3枚だしよぉ……はあー、地味にたけえ」


「経費という概念が欲しい」



 ……ああ。ちなみにアリシアよりも前に何度も冒険者を雇ったらしい。

 もっとも、準備がおろそかだったのか、はたまた情報の重要性を知らぬ新人だったのか……ともかく怠惰なる人だったのだろう。彼等はついぞそのねぐらを特定することさえ叶わなかった。



「うわ、めんど」アリシアは率直にそう思った。

 情報を集め、痕跡を探し、組み合わせ、正体を推測し、そして討伐のために道具を集める。

 これは存外中々に大変だ。

 この工程こそを入念に、丹念に、淀みなく隙間なく成し遂げなくてはならない。


 だから肉体的にはともかく精神的に疲れたし、中々に汗を掻いた。控えめに言って気持ち悪い。


 しかし収穫は多く、魔物の正体を特定する――のみならず、特攻効果を持つ毒薬の情報さえ入手できた。

 それはこの『エリン』が非常に古い歴史を持ち、古の時代から生き延びた故の豊富な手札――つまり、多様な魔物に対する対処法を有するおかげである。


 その情報を得たアリシアはさっそくエリン一の品揃えを誇る、薬剤の店へ足を運んだ。

 そこで鼻の長い老婆に頼み、魔物に使う毒の材料を用立ててもらった。

 何に使うのかは老婆も知っていたらしく、調合所をも貸してもらえた。実にありがたい事だ。


 正直に言えば熟練者であろう老婆に作って欲しかったのだが……どうにも別の仕事があるらしく、アリシア自身が作り上げることになる。


 ああ、製法そのものは単純だ。

 特別に修行を積んだ訳でもないアリシアでも手軽に作れてしまう。



「おっ」


「完全に液体になったな……」



 とぷん、とフラスコの中から水音が響く。

 アリシアの手の中でゆらゆらと揺れる大きなフラスコの中で、赤く透き通った――けれど強い粘性を持つ液体が蝋燭の火に照らされる。


 これこそが今回の討伐作戦の肝。

 魔性殺しの毒薬――否、薬毒だ。

「ヒイラギの種」「オオヤドカリの瞳」「幽霊の死血」「グリフォンの産毛」「巨人の髄液」――これらを特定の順番で燃やし、その煙を特別な瓶に閉じ込める。

 そうすると、あとは待つだけ。

 ただそれだけで徐々に赤い液体へ変じていく。

 調合所で作ったのは午後四時頃……完全に液化するまで掛かったのはおよそ5時間程度か。


 しかし完成したのならば話は早い。

 アリシアはフラスコの中身を小さな試験管に注いでいき、衝撃で割れないように布で包んでいく。


 こうして作り上げたオイル(霊薬/薬毒)を対象の体内へ取り込ませる。

 そうすることで厄介極まる魔物であっても――古くに人と魔物が交わった果ての忌み子(成れの果て)である限り、逃れ得ぬ致命の一撃となる。



 けれど……うーん。

 少しばかり憐れだなぁと、アリシアは思った。

 人と魔物の混血――それ故に人にも魔物にも愛されず、己の片割れの血を有す命を喰らい……そして殺される。

 彼等は、図書館に残された伝承曰く遥かな古からそういう在り方だったそうだ。

  実に哀れで、とても虚しい。


 ……だが、この毒を使えば彼が苦しむ事はない。

 その為だけに過去の先人が調合した。


 これこそ、産まれたことが罪だった――産まれるべきではなかった彼等に対する、せめてもの慈悲だろう。








 けれどそれはそれとして、この毒を調合した結果こんなに臭くなるのは予想外だ。

 このレシピを教えてくれたおばあさんは何故この事を言ってくれなかったのだろうか?アリシアは訝しんだ。


 ……まさか、それを清めるために風呂付きの宿を借りたら銀貨10枚(平民の3週間の生活費)も放出するとは思わなかったが。


 この辺り、綺麗好きな日本人としての感性が少しばかり憎らしい。

 臭いし綺麗にしたいから泊まるけど。

 さすがに悪臭を漂わせるのはちょっと……。

 ………うん。



 ――ともかく、決行は明日だ。

 そう先方にも伝えてある。

 それまではこのお高い宿屋を堪能させてもらおうか……!!

 用意された五つのベッドにそれぞれ飛び込んだ。

 ぼふん!と鳴る4つの音が、アリシアの心にそこはかとない充足感を注ぎ込む。

 以前からこういう宿のベッドに飛び込むのが好きだったのだ!


 昔の駆け出し時代は金銭や身分の関係もあり、こうしてきちんとしたベッドに巡り会えなかったが……しかし!今は違う!今では『ウーラソーン姉妹』というのはそれなりには名の知れた冒険者なのだ……!!

 だからこそこのような上質な宿屋でも、認識票を見せるだけで泊まることができる。おお、我が努力の成果は此処にあり……!!


 むふー、とアリシアはドヤ顔を晒した。

 4つの視界にそれぞれ3つのドヤ顔が写った。

 イラッとした。




 ――それで、こんなアホでもアリシアは()等級の冒険者である。

 この域になるともはやベテラン――それこそ、一流と呼んでも差し支えのない等級だ。

 冒険者はみな『()』から始まり、『()』『()』『()』『()』『()』と――まあ大多数の人間はここまでのどこかに位置するだろう。


 そして、所謂《英雄》と呼ばれる連中がその先のステージに存在する。

白葉()』『緑花()』――


 そして『雫種()』。



 とはいえそんな上の世界の人間に関わり合いになることはないだろう。

 アリシアはただ日々を生きて、アダムとスレープと、三人で穏やかに生活できればそれで良い。

 ――それでも、力を蓄えるためにも冒険者として外に出る必要があるのだが。



「交代」



 ドアを開いた4の肉体と、いつの間にやら籠を抱えて脱衣所のドアへ歩み寄っていた5の肉体をするりと流れるように交換する。

 ホカホカと立ち昇る湯気を振り払い、可能な限り髪を傷めないようにするためタオルを頭に巻きつける。

 男だった頃はそんなのしらねえ!と放置していたが、今回の生ではなんとなくその辺りも気にしていた。


 それに冒険者として身なりが清潔であるというのは重要だ。

 基本的に荒くれ者しかいない冒険者は、不潔であったり粗暴であったりと意外と嫌われやすい。

 だからこそ物腰を柔らかく、身なりをきれいにしていれば好意的に見られるのだ。

 あれだ……所謂「不良がいい事をしたら褒められる」的なやつだ。

 アリシアは好感度稼ぎに余念がない。


 ただでさえ増殖機能という特異性を持つ我が身。

 ウーラソーン姉妹がこの大陸中で活動しているという事実は、《転移魔法》を使って飛び回っているという事にして何とか誤魔化している。

 決して同時に複数箇所に存在しているわけではない、とアピールするのだ……。



 …………が、しかし。

 万が一、そうでない事が知られたら……?

 もし、己が化け物のようなナニカと思われてしまえば?


 ……待つのは、辛くて苦しい迫害だろう。

 拠点にいる肉体はともかく、今この場にいる肉体や他の街に点在する『ウーラソーン姉妹』の身に危険が伴う。

 きっと、帰還は叶わない。

 そして命の危険に晒され、死に絶える間際。

『アリシア』という総体から逃れ出た少女達が命を落とすのだ。


 ……その未来を考えるだけで胸が苦しくなって仕方がない。


 けれど。

 もしそうなった時、周囲の人間に好かれていれば助けてもらえるかも知れない。

 希望的観測、というのは分かっているが……しかしそれでも――。


 ……いや、無理だな。所詮人間だ。

 そうはならないかも知れない。むしろ排除の動きに移る人間が大半だろう。きっと、それはほぼ間違いない。

 ……そうとも、間違いない。

 けれど、それでも対策を怠るわけにも行かない。

 万が一でも効力を発揮してくれるかも知れないなら…、やるしかないだろう。


 だからこそ、アリシアはこの大陸のいたる所で人と接している。可能な限り――嫌味にならない程度に、人間性を感じさせるように善性を表に出す。

 ウーラソーン姉妹が心優しい少女達であると、人々の心に焼き付けるのだ。

 それに加え――幸い、自身の容姿は優れている。

 人はそういった存在に弱い。

 何よりも同情を得やすいとも言える。


 ……アリシアは自身の行く先が真っ暗で、下手を打てばアダムやスレープと共に生きる平穏な生活が遠のいていくことを知っていた。


 けれど、だからといって閉じこもり続けるわけには行かない。


 遅かれ早かれアダムの存在は災禍を引きつける。

 そうなった時、最も必要なのは武力だ。

 あの男が言ったとおり、我が子が人類の敵対者であるなら――融和の道など存在しない。それこそが運命。

 ならば勝ち取る。

 その為に、英雄に勝つための力が必要だ。

 それを培うのには、冒険者という危険な仕事はピッタリだった。

 雨のように降り注ぐ実戦という命の奪い合いの機会は、アリシアの戦闘技能の習熟にとてつもない貢献を果たしている。



「シャワータイムしゅうりょー」



 頭に巻いていたタオルを取り、ドアから姿を現す5の肉体の――その髪の毛の水分を流れるようにしっかりと拭いとる。

 まあ本来なら保湿の処置をしたほうがいいのかも知れないが……どちらにしろすべての肉体は元々の――産まれたあの瞬間の姿に固定されている。

 ぶっちゃけ、髪が濡れたまま布団に入ったところで何も問題はないのだ。



「寝るかあ」


「明かり消そ……」



 やることはやったさ、とアリシアは壁にかけられた発光元に歩み寄る。

 一室を淡く照らしていた蝋燭に息を吹きかけ――ふっ、と光が揺らめき消える。

 途端に部屋を埋め尽くした暗闇の中、手探りで元のベッドへ戻った。

 体を包む柔らかな掛け布団にすっぽりと包まり、布団の中でゆっくりと瞼を閉じる。



 ……それから、5つの寝息が微かに響くのはすぐのこと。

 多くの旅人の眠りを守る宿は、内にいる人々の寝息をゆっくりと受け止めた。

 未だ科学が発展しておらず、地球における最も偉大な発明家達――ニコラ・テスラとエジソンという男たちもいないこの星。

 夜を照らす光など幽かな月明かりしか存在しない。

 時折煌めく炎だけが闇を切り裂くしるべだ。

 夜警の男達が手に持つ松明を翳し、必死に闇の中に目を凝らしている。

 その様はいっそ病的だ。まるで――


 ――ああ、そうだとも。この星の人々は闇を恐れている。

 地球の人類が忘れてしまった神秘を知り、悪魔を知る人々だからこそ、闇が恐ろしい。

 けれど恐ろしいからこそ上手い付き合い方を知っている。恐ろしいからこそ目を凝らし、必死に頭の中で対処の術を繰り返し詠じる。

 闇に潜む者達の多くは、対処する術が存在している故に。


 ………一握りの例外を、除いて。


 ああ、あの幽かな光こそ――匂い立つ月光こそが、地球の人々に忘れられてしまった深淵なのではないだろうか?

 そこにこそ、彼がいるのではないだろうか?





 ――何故、人類の敵対者を守るんだ?


 ――なあ、何故私の声が届かない?


 ――愛しい愛しい、私の失敗作よ。




 深淵か、天上か。

 この世ならざる果ての土地で、全知全能の父は嘆いた。

 今の(・・)アリシアには、決して届かない。














 夜。


 とろりと試験管から流れ出す赤い液体は剣の刃を伝い、まるで血糊のように張り付く。

 茂みに潜む1から4の肉体でそれぞれの手に持つ武具に毒を宿せば――あとは、離れた小屋の前に立ち尽くす5の肉体を見守るだけ。

 普段の白い衣に加え、鉄で出来た要所を守る軽装の鎧を身に着けた囮役だが――しかし、どうしても不安は拭えない。


 もちろん打てる手は打った。

 薬毒を用意し、装備を揃え、人払いを為し、この戦場――否、狩場には多くのトラップを用意してある。

 本来ならば不安さえ感じぬほどに万全を期すのだが――たとえ万全を期しても不安を追い出せない。


 だからこれはきっと、そういう性なのだろう。どうあってもそう感じてしまう心配性。

 アリシアは勤勉だ。

 勤勉だからこそ――慎重で、臆病だからこそ、この不安や恐怖を投げ捨ててはならないとも知っている。


 そして、この不安は無駄なものとなり、こうして用意した万全の布陣によって封殺する。

 それもまたいつもの事だった。



「ああぁぁぁぁああぁ……」



 とん、とん、とん。

 土を踏む音が小屋の周囲に反響する。

 茂みに潜むアリシアは、じっと呼吸の音を抑えて身構えた。


 小屋の裏からじわじわと姿を表す、大きな黒い姿に目を凝らす。



「ふぅ……」


「こここ、ここはエリンです(こんにちは)ここはエリンです(ふふふるふふ)。よよよよ、うこそ?今日のごはんは何ー?(あいつが嫌いだ)お前は誰だ。あはははははは(楽しいね)!!」



 濁った、意味不明な単語の羅列が鼓膜を叩く。

 彼は小屋の裏から全身をさらけ出した。


 ――それは、まるで人のような造形をしていた。

 2メートルを越す体躯。

 黒い肌で、身にまとうものと言えば局部を覆うボロ切れのみ。

 2つの瞳と鼻と口が一つずつ。腕が二つで、足も二本。

 それだけを見ると、少し変わった種族の人間であるとも言えそうだ。



こんにちは(しね)こんにちは(あなたはだれ)!!楽しいね(おぎゃあ)!!」



 しかし人間ではない。亜人ですらない。

 臀部から伸びる魔性を宿した白い骨の尾が地面を叩く。

 それは明らかなる異形の証拠。

 過去に残された捕食の現場に残された独特の切り傷――それは、この尾によってつけられたものだろう。



 尾を持つ異形――彼はただ『混血』とだけ呼ばれる存在。

 人でも魔物でもない、ただの異形。

 双方から忌み嫌われる憐れな異形。


 何百年もの間、細々と隠れ潜みながら繁殖を続けていたらしく、今回混血による事件が起きたのも実に150年ぶりの事らしい。

 150年前など、それこそ魔王が猛威を奮っていた時代の話だ。

 そんな過去にしか表舞台に姿を現さず――だからこそ存在自体を忘れているものが大半だったし、そもそもまだ種族として存続しているとも思われていなかった――が。



 ――しかし彼はここにいる。



 如何なる事情かは分からぬが、しかし人を喰い殺し続けている。



 ……なら、殺すしかあるまいよ。



 スラリ、と。オイルを塗りたくった赤い剣を、闇に紛れる黒鞘から抜き出した。



「恨みはないけど、お前を殺すよ」


「は、はははははは?」



 アリシアの――5の肉体のすぐ傍。

 虚空に張られた縄を剣で切り付けた。



「あああああ!?」



 ドン!!


 混血は横合いから迫り出した丸太に、強かに打ち付けられる。

 その巨体を大きく揺らがせ、たまらず小屋の壁に手を付いた。想定外の重みを受けた小屋が堪らず歪んだ。


 ――が、そこにもトラップがある。



「おおあ?」



 パカリと壁が横に裂ける。

 歯車と糸を組み合わせたからくり仕掛けが途端に軋みを上げ――裂け目の向こうから飛び出したジャベリンに腹部を貫かれる。



おおおおおお(あなたはだれ)!!楽しいね(苦しいね)!!今日のごはんは何(わたしはだれ)―――!?」



 ぐじゅり。

 ぐしゃり。

 どすり。

 ぐさり。

 すぱり。


 剣を突き刺す。


 5重の肉を貫く音が、アリシアの耳に入り込んだ。

 粘ついていて、不快感を多分に含んでいて、しかし命を奪う以上避けられぬ感触。

 いつになっても、ちっともなれない感触だ。



 剣の先でどくりどくりと脈打ち、そして痙攣を繰り返す黒い肌を見つめながらアリシアはそう思った。

 しかし、慣れていようがなかろうが、命を奪うという結末に変わりはない。



 表層から深層までじわじわとオイルの赤が染み込んでいく。



「ああああ、あああああああ………?」



 混血はキョトンとした顔で自身の腹を見つめている。

 一つのジャベリンと五つの剣。

 それが生えているのは、一体なぜなのだろう?


 アリシアがここまで近付いてようやく見えた混血の顔。じっと見上げると、まるで子供の様に幼気な造形をしている。


 アリシアは、なぜだか泣きたくなってしまった。



「あおおおお……お」



 急激に活力が萎んでいく。

 この薬毒は混血にしか効果を発揮しないが、しかし混血であれば一分前後で完全に殺し切る。

 角膜も、瞳も。

 何もかもが黒い彼は、わなわなと口を開き続けた。



「あそ、ぼうよ。あそ、ぼうよ?あそん、で――ぼくと、ぼくを……あい……――」



 パクパクと口を開き――そして、すぐに動かなくなってしまった。

 まるで石像のように微動だにせず、開かれたままの瞳は常と変わらず何も写していない。

 処置にかかった時間、およそ二分。

 投薬からは一分程度。

 彼は味気なく、けれど丁寧に屠られたのだ。


 そうだとも。これは苦しませない為の毒だ。

 薬と言い換えてもいい。


 ……だからこそ、眠るように、すみやかに送る。

 そこに愚かな――けれど輝かしい冒険など介在しない。


 アリシアは、決して命を軽視しない。

 生誕には感謝を。

 旅出には祝福を。


 敬虔なるアリシアは、そこを決して履違えない――履き違えてはならない。



 ――過去を、■れているというのに。なんと愚かな。



 ……アリシアは、決して間違えない。

 それこそが義務なのだから。


 それこそが、彼等への―――






 ――彼等って、だぁれ?







<TIPS>


「慈悲の薬毒」

エリンという街に古くから伝わる霊薬にして毒薬。

魔物の子を孕むか、孕ませた果てに産まれた憐れな生命を介錯するための物。

混血はこの世の理を冒涜し、貶める。

実に愚かな生命であるが故に、ありとあらゆる生命から忌み嫌われる。



けれど、そんな彼等にこそ。

決して、一握りの慈悲を忘れてはならぬのだ。




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