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■れるな

 何かに導かれるようにして到達した東の海。

 海風に吹かれる荒野で魔族の男に遭遇したアリシアは赤子の『保護』を引き受けた。


 男の口振りからしてこの赤子もまた魔族であり、そして貴い存在でもある。

 だからこそその子を守るための守護者を欲し、そのためだけに態々人類という基準から外れた例外――『逸脱者』であるアリシアを三千世界の果ての異界より召喚した。


 必要なのは尋常の理から外れている生命? そういう事は分かるが……態々異世界まで出張して探さねばならぬ程の物なのだろうか?

 いや、まあ確かに黒馬――スレープが実際にそうして動いている以上、そういうモノなのだろう。

 事情を知るだろう男は風に吹かれて消え去ってしまった後、真相を聞こうにも不可能だ。


 けれど、頼まれたのは『保護』。彼女にはそれさえ分かればいい。


 アリシアは一旦そう飲み込み、両腕の中に収まる赤子に目を向けた。



「きゃっ、きゃっ」


「ふおおぉぉ………」



 歓声にも似た吐息が漏れる。

 その紅葉のように小さく柔らかな手を精一杯伸ばし、アリシアの顔に優しく触れた。

 初めて抱く小さな命は弱々しいが、とてつもなく可愛らしい。

 そのキラキラと煌く虹色の瞳を見つめていると、どうしようもなく顔がにやけてしまいそうだ。



「……ブルル」


「うおっ、あ、ああー……スレープ、だったか」


「ブフ」



 鼻を鳴らし、短く肯定を返す。

 どうやら人語を解する知能はあるようだ。


 スレープはそのつぶらな瞳でアリシアを見つめたかと思えば、おもむろに首元に顔を伸ばす。

 アリシアはそれを不思議そうに眺めていると、なんとおもむろに襟を咥えてグググッと体を持ち上げた。



「お、おお……?」



 ぶらぶら、とすん。

 そのまま流れるようにスレープの背へ乗せる。

 かと思えば黒い瞳を他の肉体へ向け、再び小さく鼻息を鳴らした。



「乗れ……ってことか?」


「ブフッ」


「おぉ……じゃ、じゃあ失礼して……」



 おずおずとスレープの巨体に歩み寄り、ご丁寧にも装備されていた鐙を足場に4つの体を次々と上げていく。

 いくら一つの体が軽くとも、5つも重なればそう軽くないはずだと云うのに……スレープは微塵も揺るがない。

 この黒馬もまた尋常の生物ではなく、強大な魔物――或いは魔族というやつなのだろうか?

 アリシアにはこの2つの違いがいまいち分からぬ。が、まあ必要なことではない。

 さっさと頭の端から切り捨てて、赤子を落とさぬようにしっかりと抱きしめた。



「あ、じゃああっちの方へ向かってくれるか?」


「ヒヒィン」



 伸ばされた指の方角へ頭を向け再び一鳴き。


 パッカパッカパッカ。

 スレープの蹄から鳴る音をBGMに、アリシア一行は拠点建設地へ向けて移動を開始した。

 既に幾つかの肉体は予定地に到着しており、完成するまでの当面の仮宿を作成し始めている。


 ……それと、赤ん坊のための数々の道具も作ったり――買い集めたり。



 …………!!


 ああああ………店員のおばあさんの目線が痛い……あらあら、うふふと云わんばかりのぬくもりが……辛い……っ!!

 ちゃうねん……これはあくまで叔父叔母夫婦のためのお使いとかそんなポジションやねん……!!

 アリシアは弁明したくなった。できないが。



「だーっ」


「ふへへ……」



 でもこの子が可愛いからやっぱええわ。アリシアはすぐに思考を停止した。

 やっば、可愛すぎない?

 この無邪気な笑顔、ぷにぷにのほっぺ!

 指先を近づけるとその小さな手でぎゅっと握りしめてくれるん……はぁー、すっごい……。

 このキラキラのお目々もプリティー……ああああ^~~~浄化されるぅ^~。



 いやだって、ほら。

 それもこの子のためじゃん?なら俺の多少の羞恥心なんか犬にでも食わせてしまえ!

 荒野の只中、アリシアはそう決めた。


 俺が、俺こそがこの子の母になる……!!





















 カン、カン、カーン!


 まるでいつかの日の焼き増しのように、繰り返し振るわれる木槌の音が鳴り響く。

 赤子を抱えて荒野を抜け、草原を突っ切り、森へ至る。

 地図に書かれている通りなら恐ろしく広大で、『ラサールのねぐら』よりも更に広い面積が緑に覆われていることだろう。

 樹高もこの世界の植生平均よりも非常に高く、大きいものであれば15メートルもある。


 故にアリシアはこの森に拠点を作ることにした。

 当初――あの男に遭遇するまでは海を渡るまでの仮拠点を造る手筈だったが、今となっては東の大陸に行く必要がない。


 "あの日"から常にアリシアの脳内に鳴り響いていた"彼らの声"は何故か静まり返っており、不思議とクリアになった思考回路は赤子を守るための防衛拠点を造る方向へシフトした。



「おー、よしよし。煩いだろうけど我慢してなぁ……」



 だー、あー。と赤子は意味のない音をこぼしながらも決してぐずったりせず、始終機嫌が良いままであった。

 次々と木々が切り倒され、丸太をゴリゴリ加工して木材とし、それをどんどん積み上げる。

 そうして出来上がる木材タワーを見て、赤子はキャッキャッと無邪気に笑った。


 そのキラキラと輝く一対の目に見守られながら、アリシアはこの森に集合した肉体――全体の内の四分の一(10万)程度の身体を操作して、次々と風呂場や作業場などの施設、そして居住地を組み上げていく。

 過去に作った拠点を参考に配置を考え、その合間合間を道が舗装されていく。

 圧倒的な数の人的資源を湯水のように使い倒し、着実に『街』が出来上がっていっている。



「うーん……もうしばらくすれば住むのに不足はなくなるな。防備面は追々考えればいいだろう。この森にはさほど危険な魔物も住んでいないようだし」



 そうして赤子を抱いていたアリシアだったが、ここに来て漸くあることに気付く。

 思わずあっと声を上げた。



「そういえばこの子の名前知らないじゃん……!」



 赤ん坊、赤子、この子。

 そう呼ぶばかりで、個人を識別する名前を知らなかった。


 これはマズイ。

 母親になろうと決意した矢先のことだ。アリシアはちょっとばかりヘコんだ気分になる。



「スレープ、スレープ。この子の名前ってなんなんだ?」


「ヒヒィン」


「あー、なるほどぉ!って分からんわ!」


「ブルル……」



 スレープは何いってんだこいつと言うように呆れた眼でアリシアを見る。

 さすがにその視線を向けられると、アリシアはなんだか負けたような気分になった。



「あー……なんか名前が分かるようなものって無い?」


「ブル……」



 スレープは首を緩く横に振った。

 手掛かりはないらしい。



「あー……じゃあ、さ。俺が、名前を決めていいか?」


「ヒヒィン!」


「お、おお!良いのか!?そっか……そっか……!」



 腕の中の赤子に目を向ける。

 見れば見るほど不思議な色彩をした虹色の瞳を見つめ、前世と今世合わせて初となる名付けに頭を悩ませた。


 ハース、シオン、セシル、ガーランド、レイシア……と思いつくだけの名前を口に出して、そういえば。と思い出したように声を上げる。



「この子って、男の子の前提で名前決めようとしてたけど合ってるのか?女の子だったりしない?」


「ヒヒィン」


「あ、男なんだ。じゃ、勇ましい名前をつけてやるからなぁ!!」



 うおおー!

 スリスリと赤子に頬ずりをし、再び名前に頭を悩ませた。

 これっぽっちもノウハウが無い故に足りない知識を振り絞り、可能な限りの由来を持たせようと知恵を凝らす。


 この世界ではどうだか知らないが、前世における日本であれば『名』とは深い意味を持っていた。

 名は体を表す、という諺もある。

 名を知られることで『呪術』、と呼ばれるまじないの類によって身を害される危険も有る。

 あるいは、名を持つことによって存在を証明する。はたまた名前によって実体の方向性に影響を齎す――なぞ、恐ろしい話だってある。


 名前とはそれほどまでに重要だ――と、元日本人のアリシアは考えているが、その実この世界において名に深い意味をもたせるような事例はそう多くない。


 勿論それは愛情がないとかそういった話ではなく、ただ単に親にその教養がないというのが主な理由だったりする。


 この帝国の識字率……というのは正直高くなく、一般庶民には縁が薄いものだ。

 全員が読めないと言う程ではないが、商人や貴族でもなければ文字を学ぶ機会すら無い。

 それこそ、文字を読める庶民というのは一つの村に二、三人程度だ。


 そんなこの世界で人間につける名前に意味を持たせる行為は、殆どの庶民には馴染みがないだろう。



「うーん……ハイリア、ラーズ、アヒム、アロイス………………駄目だな。分からん」


「ブル」


「そもそも横文字での名付けの方法が分からん……名前に意味を持たせるっていうのはどうやるんだ?由来か?歴史に因むのか……?この世界の歴史なんぞ分からんが……?」


「あうー?」


「むー……なあなあ、お前はどんな言葉がいいんだ?もうお前が選んでくれ」


「ブル!?」


「よーし、じゃあ言うぞ!これは!?と思える名前を選んでくれ!」


「ヒヒィン……」



 しょうがねえなあ。

 そう言わんばかりに首を揺らし、アリシアが次々と連ねる名前に耳を傾ける。


 アルベルト、ハンネス、クリストフ、クリフォード……。



「ブルル……」



 意外と知識は蓄えているのだな。

 スレープは密かに感心した。


 正直特殊すぎる魂に惹かれて、直感のままに「こいつだ!!!!」と跳ね飛ばしてその魂を運び込んだが……この少女自身に関してはそれ以降ノータッチ。

 彼女自身のことは何も知らなかった。


 ……特殊な魂、という事情を加味しても、この精神は中々異常に思える。


 というか、そもそも自分を殺した人外と何故仲良くできるのだ?


 スレープには心底不思議でならない。

 それまでの平穏を破壊した己を殺そうと剣を向けられることぐらいは覚悟していた。

 それがこの赤ん坊の未来に必要ならば、彼女に殺されることだって受け入れるつもりだった。



「エンシオ、セドリック、シリル、アンドレイ……」



 目の前で穏やかな顔で佇む少女は何もしてこない。

 それどころか、突然押し付けられた赤子の事をちゃんと考えて、自ら世話をしようとしている。


 以前の彼。

 今の彼女。

 どちらも正気をすり減らし、狂気に侵されているようにも見える。



「アドルフ、バルテル……あーっと、ロスリック」



 けれど今のアリシアは静謐だ。恐ろしく穏やかだ。


 つい先程までは何かに焦がされるように、何かを求めるように鬼気迫るような形相だったというのに。

 匂い立つような血の香り。それが己の鼻腔を満たしたほどだ。


 それが、目の前の少女とつながらない。

 まるで、プッツリと途切れた糸同士をつなぎ合わせたみたいにチグハグだ。



「うーんと……あと何があったかなぁ」



 ……何故、なのだろう。

 途端にバケモノのように思えてきた。

 だからといって何かが変わるわけではないが、どうしてもその精神が理解できない。

『向こう側』からの呼び声を受け続けていたにもかかわらず、未だに損傷も、変質も、疲弊もないその魂。


『死運び』として幾千幾万の魂を観察した己からしても、この子は―――。



「……ブルル」



 まあ、関係無いな。

 一人――一頭で納得する。

 考えたところで意味など無い。意義など無い。何も、変わらない。



「お、この名前がいいのか?おっけーおっけー!じゃあ決定な!」


「ブルル?」



 パチクリ、目を瞬かせる。

 しまった、聞いていなかった。

 今の鳴き声を選択した声だと思われたらしい。

 少し考え事に没頭しすぎた。スレープは少しばかり反省した。



「おー、よしよし。名前が決まったぞぉ。お前は今日からアダム(・・・)だ……よろしくなー、アダム」


「あー!」


「ブルル」



 まあ、いいか。

 一先ず、名前が決まった保護対象を祝福しよう。

 スレープはのっそのっそと二人に近付いた。






















 それからというもの、日々は目まぐるしく流れていく。

 仮の住居に身を落ち着けて一週間、アリシアはこれ以上無い疲れを感じている。

 赤子の世話なんて一度も経験したことがないために、必要なことが何かさえ全く知らなかった。

 一応、食事とトイレの世話、それと体温を適切に保ちさえすれば問題ない。それぐらいなら……と思っていたが、この食事というのが曲者。


 無論、当たり前だがアリシアに母乳なんて出せない。

 というか、出すという行為に必要なもの――つまり妊娠するのには大きなハードル(男の精神)があるのだから当然だ。

 だから必然、食事には別のもの――例えば、赤子の身体にも良い動物のお乳というのが必要であり、それを探すのに大変苦労した。

 それまでの食事をどうしていたのか分かればよかったのだろう。けれど育児キットなんて渡されていないのだ。


 だから探した。

 街で聞き込みをし、森に分け入り、草原を駆け抜け、情報提供にあったそれっぽい哺乳類を拉致――んん!失礼、協力を頼み、アダムの目の前で公開搾乳を行って飲ませようとする。が。



「やー!」



 とぐずり、その目論見もすぐご破産となったのだが。

 けれどアリシアは諦めきれず乳を搾った。

 それはもう、搾りに搾った。

 動物達に「まじかよこいつ……」という目で見られながら搾乳を行い、アダムに飲ませようとした。



 が、駄目!



 どれを差し出してもプイッと顔を背け、アリシアと母乳提供元に少なくないショックを与えたのだった。


 そして迫るタイムリミット(ごはんタイム)

 白熱する搾乳。

 弾ける母乳。



 ―――が、無駄……!!



 次第にアダムが空腹からぐずり始め、それを満たさんとするアリシアと動物達の戦い。

 それはもう頑張った。

 きっとこの森の動物達の間で長く語り継がれるであろう戦いは、しかし唐突に終わる。



「ブルル……」



 しょうがねえなあ、とでも言うようにのっそのっそと歩み寄ってきた黒馬――スレープ!

 その巨体を揺らしながら泣き始めたアダムのもとに寄り添ったかと思えば――なんと、彼……否!彼女は自らのお乳を与え始めたのだ。


 アダムは喜んだ。

 アリシアも喜んだ。

 動物達は悔しがった。


 自分達の乳がこの馬に負けたことにそこはかとない敗北感を覚えつつ、笑顔の二人から笑顔で見送られ、自分達の住処へと帰っていった。

 その背中には哀愁が漂っていたという。

 さもありなん。

 唐突に拉致されたかと思えば自らの乳に難癖をつけられ、唐突に勝手に解決して返される……嫌がらせかな?



 ともかくこうして食糧問題は解決したのだった。








 毎日アダムにスレープの乳を与え、ぐずればあやし、トイレの世話をし、時折漏れる魔力っぽい波動に驚き、ぐずればあやし、服を着せ替え、風呂に入れ、ぐずればあやす。


 その繰り返し。

 アダムは甘えん坊なのか、しょっちゅうアリシアにおんぶをねだってはその背中で眠りにつく。


 その寝息を耳に受けつつ、各地に散らばった肉体を運用し、より発展を重ねるための思考を重ねる毎日。



 今のアリシアには『あの声』が聞こえていないが、しかし何かに焦がされるような啓示が――ああ、警告、或いは危機本能は変わらず機能している。


 ――ナニカが来る。


 ナニカ、良くないものが訪れる。

 そんな近い未来を感じ取っていた。

 うなじがチリチリとひりつくのだ。



 それがどんなモノかは分からない。

 けれど、あの男の口ぶりからして、きっとアダムに対する悪意――その類がいずれ訪れることは把握していた。

 だから、警鐘はきっとそれを示しているのだろうか。

 ……きっと、そうなのだろう。

 ならば今のままでは不足だ。

 藁葺きの建物なんて、バケモノには吐息一つで吹き飛ばされてしまう。

 勤勉であるアリシアは、レンガの家を拵える必要があるのだ。



 備えなければならない。思考を続けなくてはならない。立ち止まってはならない。

 そのために遥かな北の土地で手に入れた『アレ』まで使ったのだから、そのために■れたのだから。












 …………あれ?





 俺は、何を■れたのだろうか。


 ……………アリシアは、静かに首を傾げた。











<TIPS>


「おばあちゃんの作ったケーキ」

とある街で赤ちゃん用の商品を取り扱う老婆が作った、おいしいケーキ。


お嬢ちゃん。

あなたの事情はわからないけれど、私はあなたの子育てに協力するわ。

きっと、大丈夫。

あなたがその子を愛してあげられるなら、きっと健やかに育ってくれるわ。

そして、愛には愛を返してくれる。


だから、愛してあげてね。

私には、出来なかったけれど。



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