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原文(一般文芸)

ver.1(kindle版未収録)

 昼下がりのやや暖かみのある光の中だった。

 公園に僕は立っていた。何をしていたのか思い出せない。なにかおつかいか何かで通りすがっただけなのだろうか。風の無い暖かな景色の中でどこかで見覚えのある人が座っていた。公園の片隅にあったベンチに腰掛け、本を開いて眺めている彼女を僕はどこか懐かしい気持ちになり、声をかけていた。

「あの……」

 彼女はその声で顔を上げた。

「なにか?」

 何か話しかけたにもかかわらず、その後の会話は何も浮かんでこなかった。

「……いえ、何も。」と言い、「すいません。」と続けた。

「そう」

 彼女は、それを気にも留めるふうもなく再び手元へと視線を落とした。

 はらりはらりとゆっくり落ちてゆく落ち葉の中で、僕は聞いていた。

「何を読んでいるんですか?」

彼女は今度は顔を上げることなく返していた。

「読んでいないわ。ただ見ているの。これはね、アルバムよ」

「アルバム?

 そう、アルバム。この中には今までの大切な記憶が詰まっているの。

 そういって、ふうと短くため息をついた彼女は、アルバムを閉じ、僕に向かって顔を上げ小さく笑った。

「でも、ダメね。私が写ってはいるけれど、私の見ていたものは何も写っていないんだから。


 これからどこへ行くの?

 僕が立ち去ろうとして彼女は聞いてきた。

 さあ、行きたいところさ。

 遠いの?

 さあ

 危ないの?

 分からないかな。

 近くに止めていた自転車を思い出し、僕はそれに乗り振り返る。

 じゃあ、また。

 そう、またね、と彼女は座ったまま、片手を小さく振り返してくれた。


 過ぎ去る景色に、見覚えがあるよ風景の中を自転車は走り抜けていった。操作しているのかされているのかわからなかった。ただ、行き先は決まっているように進んで行く。


 夕焼けに染まり始めた懐かしい景色はやがて夜に沈む。

 走り抜けて来た道は、どこかで見たことのあるような畑の中を抜けていた。

 途中から、道だけが空へと向かって上り坂へとなり、空に伸びる飛行機雲へと消えていた。


 遠くから見ているとなだらかに見えていた道も、登り始めるとかなり急なことがわかった。ゆっくりゆっくりと進んでいた自転車も、やがて立ち漕ぎをしなくては進まなくなり、ジグザグに弧を描いて進んでいったが、やがては足をつき歩いて登り始めていた。

 喉が渇きながらも登り、一歩一歩重くなっていく足で前へ前へと進んでいった。

 視界が一瞬ぼやけ、意識が途切れそうになりながらも、その坂道を登り続け、気がつけば自転車は遠に置いて去ってしまったのか、近くには見当たらなかった。

 ちらりと振り返れば、下の方はもう暗闇に沈み始めている。

 早く先を急がねばと、見上げた雲の流れは、よく見れば一本の大きな道のようであった。どうやらこの道もその大きな道につながっているらしい。

 僕は、フラフラになりながらも、上を目指して進んでいった。もう、半分くらいまで進んだのだろうか? 上の道まではどのくらいなのだろうか?


 この道は大丈夫なのだろう。途中で途切れることもなければ、食い違っていることもない。真っ直ぐに大きな道へとつながっているのだから。


 ちらりと振り返れば、沈んでいく道の途中に自転車が倒れているではないか。あれは、さっき登ってくる途中で、置き去りにしてしまったものだろうか? 僕が前を向こうとする途中で、微かに動いたものを見つけた。彼女だ。

 彼女が、雲の暗闇に飲み込まれそうになりながらも同じ道を登って来ていた。僕は遠くなりかける意識の中で前を向いた。これまで一度もとまらなかった僕が目指した行き先は、もう目前まで迫っている。ここで止まれば、もう同じ場所まで戻ってはこられないだろう。

 振り返れば、逃げるように登ってくる彼女のすぐ下を夜は満たしていった。


 このままいけば、彼女は飲み込まれないで済むだろう。だけど、その道を阻むように倒れた自転車を退かす間に、彼女は夜の闇に沈んでしまうだろうこともすぐに想像できた。


 彼女を見捨てれば、目的地にはたどり着けるけれど、彼女を助ければ目的地にはたどり着けなくなる。目的地にたどり着くためには、彼女を見捨てなければならない。だけど、彼女がここにたどり着けなくなる原因を作ったのは僕だ。


 今まで進み続けていた足は、自然と止まっていた。もう、手を伸ばせば届いたはずの距離にまで来たその道を背に、振り返った僕は坂の下まで急いで降りていた。今までの無理がたたったのか心臓は限界まで脈打ち、身体の中を暴れていた。血の息をはいて、足を滑らせて転びながらも、彼女がたどり着く前に自転車までついた僕はそのすぐ下までせまった彼女と夜を見比べた。

 彼女は、僕と目が合うと、安心したようにだけど心配そうな表情で手を伸ばして来た。

 僕はその後ろの暗闇を見て、自分の体を見て、もう時間はないとわかっていた。

 自転車をどかそうとするが、掴む力以外の体力はもう体には残っていなかった。

 このままでは2人ともダメになってしまう。どうすれば……。そう考える頭の片隅に、もう答えは用意されていた。

 僕は、道の下を見た。

 霞む視界に、道の下は広く大きな夜が満ちていた。

 僕は彼女を見て笑った。彼女が何かを叫んでいたようだったが、僕の耳にはもう届くことはなかった。自転車を両手でつかんだ僕は、一歩を道の外へと踏み出した。

 がりがりと僕の引きずられながら、僕の体を追うように自転車が一緒に落ちていった。


 体に力はもう入らなかった。

 なすがままの中、気がつけば、あれだけ曖昧だった意識だけが鮮明に残っていた。

 夜の闇に落ちて、沈んでいったが。夜はとても静かで悪いものではなかった。

 ゆっくりと、ゆっくりと静かに沈んでいく中で、ふわりと懐かしい景色の中に舞い戻っていった。公園のベンチで彼女が本を読んでいる。


 そして、呟く。


 かわいそうに。

 終わらない夜がないように、終わらない夢がないように、朝はまた来て、夢はやがて覚める。

 あなたは一体、何から逃げているのかしら?


 夕焼けにも似た朝日の中で、彼女はアルバムの一枚の写真を見つめていた。


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