加筆修正版(物語加筆版:基本的に同じ内容と、その続きです。)
※このバージョンは、ボツになりました。ver.7.6.6
目を開けると、僕は広い旅館のフロアに立っていた。
穏やかな和風な広間、床は板張りでツルツルしていた。自分は浴衣を着ていて、そうか休暇か何かできたのだっけかと思い、そこで深く考えるのをやめた。
目の前には一面ガラス張りの廊下が左右に伸びていて、目の前には少し急な綺麗な川が流れていた。ふと、左を見るとしばらく続いている。
何をするともなく自然と足が進む。
右手の川を見ながら、外は少し寒そうに見えた。暖房がよく聴いているからだろうか、中はとてもここと良い快適さだった。
左に一室が現れる。どうやらここの歴史などを展示しているスペースらしい。いくつかの写真やケースに入ったものの前に、それぞれ説明書きがされていた。
ふと、女の人が部屋の真ん中にあるケースの前に立っていることに僕は気がついた。
同じ浴衣を着た人は、微笑み言った。
「こんにちは」
僕は軽く会釈し、返す。
「こんにちは」
その人は、微笑んだまま、ケースに向きつつ言った。
「ここの展示面白いですよ。」
「そうですか?」
「ええ、だって、これは全部歴史なのですから」
「……」僕は、横に立った時、横顔を見てなにかがひっかかった。この人とはどこかであったような気がした。だけど、思い出せない。大切な人なのか、ただどこかですれ違っただけなのか、どうしても思い出せなかった。
「あの、もう少し奥まで行きません?」
そう微笑むその人との時間は、川の流れるさらさらとした水音や、自然の葉のこすれる風音や、鳥の鳴き声に満ちた時間だった。
さらに奥へ進んだ。一緒にゆっくり歩きながら会話する。
「こう言う自然のところって良いですよね」
「そうですね、僕なんかはいっそのこと、ここで暮らしたいくらいですよ。」
「前にも、こう言う山の中で暮らしたことがあるんですか?」
「いえいえ、そんなことは……!」と言ってから、返事が止まる。
……あれ、本当に僕は、暮らしたことがなかったのだろうか。
「……ないはずです。山の中で暮らしたことは……」
「……? そうなんですか?」
「はい」
彼女は、言った。
「私、実はここで暮らしているんです。」
「……」
「 もしよろしければ、もう少し奥まで行って見ますか?」
僕は微笑む彼女に、はい、と返していた。
「こういう、街から離れた場所って、色々と大変なんですよ。まだうちはいい方だと思います。中には、水道も電気も通っていないような山の中もあるもので。」
「そうなんですか」
「はい。そのぶん、うちは恵まれています。温泉があったり、水は綺麗な川が流れていて、電気は通っていませんが、地熱の発電で暖房と電気がまかなえるのですから。」
「ほー」正直、話半分にしか聴いていなかった。ずっとガラス張りの景色は美しく、感動的だったから。だからなのか、ここで働きたいと自然と思っていた。
「ん? どうしたんだ?」
「あ、お父さん、うちで働きたいって人が来たから連れて来たの。」
「またか? どれ、……」
入り口に立つ僕と、部屋の奥で作業していた男と目が合う。
「……ふん、まあ、……。」
と言って、その男は女の子を一瞥。女の子は、僕の方を振り向き、ぺこりと頭を下げると、では、と言って部屋から出て言った。
「おい、お前。」
「はい!」
「ここでの仕事は楽ではないぞ。」
「……」
「山の中だから、全て自分たちでやらないといけない。薪集めから、小屋や建物の修理、泊りにきてくれた人たちの食事の準備から後片付け……。いま、ここでのんびりと過ごせるために、どれだけの汗をかくか知っているのか?」
「……いいえ」
「……」
「だけど、やって見ます。」
そのとき、どれだけこの先が辛くなるのかなど、想像もできなかった。
「いいか、パンの焼きかたは……」始め、親切に教えてくれていた男は、あまりにも上達しない僕向かって言った。
「おい、このままだと窯の燃料が心配だから、外に行って薪を割って積んでこい。」
「はい」
初めての薪割りは思いの外重労働だった。手は痺れ、腕はパンパンになり、もう動かせそうにない。
「おい、くたばっている暇なんてないぞ、これから食事の準備があるんだ。早くしないと日が暮れちまうぞ」
暗くなりかけた外に反して、まだ一日は終わりそうになかった。
「……」
「お疲れ様。」
「……」
「……ねえ、どうだった?」
「……疲れた。」
「あはは……」
と、困ったように彼女は笑って言った。僕は、腕も足も自分のものじゃなくなってしまったのではないかと思うくらい酷使し、もうほとんど動かせなくなっていた。
「……ありがとう。今日は助かったよ」
僕は顔を上げ、彼女を見た。彼女は、暗くなったガラスの向こうの空を見上げながら、照れ臭そうにほんのりと頬を染めていた。
こう言うのには、慣れていないようだった。
「ほら、早く」
「はいっ!」
「こっちに足りないから持ってきて!」
「はい、今すぐ!」
「おい、やけに今日は気合が入っているじゃねえか」
「はいっ!」
「……?」
僕があっちに行って、こっちに行ってを繰り返すのを見ていた男が、僕の首根っこを捕まえ、僕は強制的に停止させられる。
「大丈夫か?」
「はいっ!」
その男は、あの子にお父さんと呼ばれている男だった。
「……まあ、なんだ、あからさまにフラついているから、外の空気でも吸って気合入れてこい」
「はいっ!」
僕は一目散に走っていった。
「……」
「お疲れ様」
「……お疲れ」
「少しは慣れてきたようだね」
「まあね。でも、まだまだだよ」
「あははー……」と、困ったように彼女は笑った。
お互いに口を開けなかったのか、無言が続いたとき、彼女は言った。
「ねえ、今の君がこうやって一生懸命にやっていることを、ちょっと前の君は想像できたのかな。」
僕は少し考えて言った。
「いや、全然想像できなかったかな。」
「そうだよね。人生ってやって見なければ分からないことが多いし、知らないことはいくら想像しても分からないことなんだよね。」
「……?」
「いいな。私も、そうやって、外の世界を想像するだけじゃなくて、実感して見たいよ。」
「……」
彼女は、時折、寂しそうに笑っては僕の横に腰掛け、ひっそりとした夜空を見上げていた。
それから数日、数週間が過ぎ、僕がここでの仕事に慣れ始めた頃、知っている人が遊びにきてくれた。
「やっほー、頑張ってる?」
「あっ、来てくれたの?」
「うん、近くによっただけなんだけどね。」と、照れ臭そうに言うその人は、相変わらず昔と変わらないままだった。
「いいよ、いいよ、せっかく来たんだからゆっくりくつろいで言ってね!」
「サンキュー。うん、そうするよ」
こうやって知っている人が来てくれるだけで、こんなにも嬉しいものなのかと、僕は幸せに似た高揚感を実感し確かめながらも、いつも通り仕事をして、時々くる知り合いの人たちと会話をしてあの頃を懐かしんでいた。
みんな、懐かしいものを持ってここに来た。ガラケーに、アルバムやら、思い出しただけで逃げ出したくなるようなプレゼントやら……。
「でさーあの時はさー」と、温泉に浸かるその人と、壁越しに話していた。不意に始まった昔話は、とても懐かしい気持ちでいっぱいにさせる。だからこそ、今言わなければと僕は思った。
「……そんなこと言っても、あの時は僕の方が悪かったよ、……本当にごめんね。」
何年越しの謝罪だろうか。幼い頃の過ちはとても単純で、とても自己中心的で、そして、簡単に解決できたはずだったのに、どうしてごめんの一言が言えなかったのだろうか。
「あっはっは、もう……今更そんなの気にしてないよ」あっけらかんと笑う壁越しの声に僕は確かめるように呟く。
「……そっか。……そうだよね……。」
そして、それをいつまでも気にして引きずってしまうのは、たいていの場合それを後悔している側だったりする。
「本当にごめん」
浴場の掃除を終え、僕はいつも通りの場所へと向かった。階段を上がり、月明かりに照らされた綺麗な川が一面に映る廊下へと出る。廊下の途中に置かれた椅子。だけど、今日はあの子は見当たらなかった。ゆっくりと歩いて近づいた時、そこでやっと気がついた。誰かいる。椅子の陰に、何かからまるで隠れるように。
「……」
それはよく見ると、あの子だった。
「どうしたの?」
彼女が胸を押さえ、いつも腰掛けていた席の横にうずくまっていた。
「……大丈夫。大丈夫だから……。」
「でも、具合が悪いなら、病院とかに」そう言う僕に、頭を横に振りながら彼女は言った。
「……大丈夫。大丈夫。大丈夫だから」彼女はそう繰り返すだけだった。
食事を作り終え、食べ終わった食器を全て洗い終えた時、厨房に声が響いた。
「おっし、今日は終わりだ!」
「かたずけ、かたずけー!」
その声に合わせ、僕がシンクを洗おうとしていたとき、声をかけられた。
「おい」
と、呼び止められ僕は振り向き返事をする。
「はいっ!」その男は厳しい顔でじっと見られたかと思うと、にっと笑ってこう言った。
「……お前、ずいぶん早くなったな!」
周りの人たちも、笑いながら言ってくる。
「だな! 正直最初はどうなるものかと思ったよ。」
「いやー、最初の頃は、本当に親方に殺……じゃなくて、目を疑いましたよ。」
「だって、終わらないんだもんな、まともに一つも。」
「……いやー、あの……本当にすみませんでした。」
笑いが起きる中、彼女にお父さんと言われていた男が言った。
「まあ、良いってことよ。今まで面倒を見たぶん、これからは、せいぜい楽をさせてくれな」
また、周りから笑いが起きるなか、僕は、あははと困った笑いをしていた。
厨房から出た時、宿泊客が食事を終えた後片付けをしている彼女を見つけ、近づいた。
「僕も手伝うよ」
「……ありがとう」
「どういたしまして」
宿泊客が食事を終えた後かたずけをしている彼女を見つけ、近づいた。
「僕も手伝うよ」
「……ありがとう」
「どういたしまして」
彼女は少し疲れたような笑いをしていた。
テキパキとかたずけ、いつもの席で話そうとした時に、数人の宿泊客の人が浴衣で座っていた。
「あの、すいません、もう館内を出歩く時間は、……。」
「……!」彼女がとっさに歩み寄ろうとしていた僕の前に出て、両手を広げていた。
パスッパスッという空気が抜けたような音がした。
崩れた落ちた彼女。その先に立っている宿泊客の一人が、映画でしか見たことの無いものを持っていた。
「お前、こんなところで撃つんじゃねえよ。ちっ、少し早いが、作戦実行だ。」
カチャカチャと複数人から同じような音が聞こえた。
「おい、お前大人しくしてろよ?」
その場で動けなくなった僕はへなへなと座り込んでしまう。
そして、生暖かな物に触れ、それが血であることに気がついた。
崩れた彼女の指がかすかに動き、僕はただただ頭が真っ白になったまま、彼女を見つめていた。
「……」
大丈夫だから、と言ったように聞こえた。
僕は全く動けなかった。
撃った奴が、かすかに動く彼女を見て前に立った。
「……」
ゆっくりと、彼女は言葉をつぶやいていた。
そんな彼女に奴は再び銃を向けた。
「や、やめろ……!」一瞬こちらを見た男は、彼女へと視線を戻した。
「……」そして、ニヤリと笑う。
大丈夫だから、だってここは君の夢の中だから、そう彼女は最後につぶやいていた。
目が覚めた。動悸が激しく、喉がカラカラになっていた。
ほんの数時間で目が覚めてしまったようで、目が回った。
落ち着くまで、少し座り、トイレに行ってから、もう一度布団に入った。動悸は静まり、汗も引いていた。うっすらと見えていたはずの天井は遠くなり、鳥の声が聞こえ、風を感じたあたりから、本当に布団に入っていたことすら疑わしく思えてきた。
遠くから、鳥の声が聞こえてくる。
涼しい風が、頬を撫でていた。
ふと気がつくと、広い旅館のフロアに立っていた。
穏やかな和風な広間、床は板張りでツルツルしてひんやりと冷たい。自分は浴衣を着ていて、どこかで見た覚えがある景色に、既視感を覚えたが、そうか前に一度、休暇か何かできたのだっけかと思い、そこで深く考えるのをやめた。
目の前には一面ガラス張りの廊下が左右に伸びていて、目の前にはなぜか懐かしい少し急な綺麗な川が流れていた。ふと、しばらくその景色を眺めていた。
何をするともなく、ゆったりとした時間が川を流れる水のように過ぎていった。
「あのー」
どこからか聞こえる声に僕は振り向く。
「今日、ご宿泊するお客様ですか?」
僕の前で女の子が立ち止まり、こちらを向いて微笑んでいた。
僕は、「そうです」と返事した後に、あれ、本当にそうだっけかと考えたが、そういうような気がして、まあ良いかと思い至っていた。
そんな僕の言葉を聞いた女の子は、満面の笑みで口を開き頭を下げた。
「本日はお越しいただき、誠にありがとうございます!」
……きっと、こういう人を看板娘と言うのだろうなと、頭を上げた女の子を見て思っていた。
ふと、どこかで会ったような気がして、彼女の笑い顔を僕は見ていた。
僕は廊下の右へと案内され、しばらく歩き二階へと向かう階段を登り終えたところだった。
「こちらがお客様のお泊まりするお部屋です。」
何をするともなく自然と足が進む。
客室に通され、話しかけてくる彼女だが、僕は気にせずに外を眺めていた。
彼女とどこで会ったのか僕は思い出した。だからだろうか、僕は積極的に関わって来ようとする彼女を避けるようにした。
「あの、一緒にみたいものが!」
「すいません、少し行きたいところがあるので、また後で……」
「そうですか……。」
「……」
「こんばんは! お風呂上がりですか? あ、ここに座って、一緒にお話でもしま……。」
「すいません、ちょっと……。」
「……そう、ですか……。」
「あ。」
僕はばったりと階段の踊り場で彼女に出くわしていた。すぐさま去ろうとしたが、彼女の方が早かった。
「見てください。鳥篭です。」
彼女は、大切そうに抱えた大きな鳥かごを僕に見せた。
「……。」僕は黙る。中には何も入っていない。
「篭は中に入れた鳥を外から守ってくれます。だけど、それは同時に外に出ていく自由を奪ってしまう檻でもあります。」
「……」
「はじめ暴れていた鳥も、毎日食べ物が与えられ、襲われる心配もない安全な環境にいると、暴れてまで外に出ていこうとしなくなるのです。その篭の外にどれだけ素晴らしい世界が広がっていたのかすらも、時が経てば忘れてしまうのかもしれません。」
「……では、これで」僕は切り上げようと、すれ違うとき彼女が横に並び言った。
「建物の外、危ないですから、出ていかないでくださいね」
「……」振り返ると、彼女は表情を見せることもなく階段を登っていってしまった。
今の言葉をもう一度思い返し、そうか外には言ったことが無かったと僕は考える。広い建物と言えど、色々歩いて回れば、あっという間に行っていない所は無くなるものだ。
階段を降り、一面ガラス張りの廊下に映った川を眺めながら歩いているとき、ふと、この川に触れてみたくなった。出ていくなとは言われたものの、これくらいならば大丈夫だろうと、僕は考え辺りを見渡しドアを探す。
そうと決まれば、早速行動だ。
きょろきょろと出口を探して歩いていくと、いくつかあるドアのうち、一つだけ、行っていない部屋があることに気がついた。鍵が閉められ、中には入れなかったが扉のガラスから中を見ると、何か資料のようなものを飾っているような部屋だった。
僕は、廊下から川へつながる扉を見つけ開けた。あれだけいつも美しい流れなのだ。側で眺めるだけでも、この心が穏やかになるに違いない。澄んだ空気が室内に入り込む。風が頬を撫で、僕が一歩外
へと踏み出そうとした時、冷たい声が聞こえた。
「何をしているんですか?」
背筋が凍りついた。僕の動きが止まる。そんな僕に、彼女はもう一度言った。
「そこで、何をしていらっしゃるんですか?」
振り向くと、彼女は冷たい笑顔で僕を眺めていた。