砂時計が止まる時
時間が経って全て下に落ちてしまった砂をもう一度ひっくり返して上へと戻す。さらさらと音も立てずに落ちていく、砂時計。
僕の砂時計は特殊で砂は永遠と止まらず、受け皿を溢れさせている。誰か止めてくれ、そんな彼の叫びは砂と共に流れていってしまった。
時間は進んでいるけれど僕の時間は一向に進んでくれない。それはどんなに強く願っても叶わない。
初めて出会って少し時間をおいて彼女に僕の秘密を打ち明けた時当たり前だけど彼女は驚いていた。大きな目をさらに大きくさせて。
信じてもらえないかもしれない、実際それでもよかった。僕は諦め半分で言っていたから。でも僕の予想を裏切って彼女は真剣な表情になって大きな目から宝石のように綺麗な一筋の涙を溢した。
「どうして君が泣くんだ」
僕は大層戸惑って上擦った声で彼女に問いかけた。
彼女は次々と溢れ出す涙を拭うこともせずに真っ直ぐな視線を僕に向けて言った。
「だって、悲しいから」
「何で君が……」
「あなたが悲しんでるから私も悲しいの」
「どうして」
本当に理解できなかった僕は無神経にもまた尋ねた。
「あなたが好きだから」
その言葉は僕の呪いを溶かすような温かみを持っていた。
ああ、彼女は僕が好きできっと僕も彼女が好きなんだ。
誰とも関わろうとしなかった僕に花の名前を聞いてきた時からきっと僕は彼女に惹かれていた。
人と繋がりを持つのは久しぶりで泣いている彼女の涙を止める方法なんてわからない。けれど僕にできる唯一のことは彼女の涙を拭うことだった。拭った涙は温かかった。
「……泣いてくれてありがとう」
お礼を言うのも間違っていると思う、けれども僕のために泣いてくれた彼女がどうしようもなく愛しくてそれを伝える言葉は「ありがとう」だと思った。
「ミヤさんは私のこと好きですか?」
「……うん、好きだよ」
そう答えると彼女は涙で濡れた顔を笑顔に変えた。泣き笑いの顔に思わず笑みがこぼれる。
「笑わないでくださいよ」
「ごめん、面白くて」
不思議なことに彼女と過ごしているうちに僕は少しずつ変化しているように感じた。それは自分しかわからない僅かな変化だけど顔が変わった気がしたのだ。
もしかしたら成長しているのか、その時は半信半疑だったけれど彼女と結婚して、子どもが産まれて成長していくうちに僕は確実に老いていっていた。
そのことは彼女にもわかったようでまたあの時のように泣いてくれた。今度は僕も何だか泣けてきて二人一緒に泣いた。
「私たちどっちが先に死ぬのかしらね」
子どもも親元を離れて仕事も定年を迎えて穏やかな日々を過ごしていた時唐突に彼女は僕に言った。
「僕は君に看取ってもらいたいよ」
「あら、それだったら私もあなたに看取ってもらいたいわよ」
老いてもなおあの頃と変わらぬ笑顔を浮かべる彼女に僕が死ぬときもその笑顔で見送って欲しいと願わずにはいられない。
日当たりのいい病室のベッドに僕は横たわっていた。枯れ枝のようになってしまった自分の腕を見るとああ、もうすぐ死ぬんだなと感慨にふける。
思えばここまで長かった。
ようやく死を迎えることができる。
花瓶の花の水を変えている花菜に僕は言う。
「どうやら僕が看取ってもらえそうだな」
「いやですよ、まだ死なれたら困ります」
「いやいや、もう十分だよ僕は」
穏やかな春の日、彼は最愛の妻に看取られて天国へと旅立っていった。
その死に顔は穏やかな笑顔で幸せそうに見えた。
時が止まったまま生きていた男は一人の女性によって救われたのだった。
「また、天国で会いましょうね。その時はミヤさんが私を出迎えてくださいね」
彼の最愛の妻はそんな彼にそう言った。
彼の砂時計の砂はゆっくりゆっくりとその勢いを衰えてさせてやがて止まった。