第一章・三日坊主たちの革命
暗闇に沈む囚人の塔。桃花の塔と呼ばれるその塔は、貴人、もしくは政治犯など、表に出さぬまま処理される類の、いわゆる政治的敗残者が入れられる塔である。その祖の古きを誇る大国、タリス・ヒエルギス王国のそれは小国の王城にも比肩する巨大な威容を誇る。
外装は隣の国で取れる高級な薔薇色の輝石をはめ込んだ美しいモザイクで彩られている。有名な建築家の手によって、塔という無骨な建物のはずなのに優美で洗練された外観を呈する美しい塔である。正式には特別審議塔という名があるのに誰もその名では呼ばす、薄桃色のマーブル模様のイメージが強いため、そちらを重視した桃花の塔という通り名の方が有名になってしまった。それこそ実用の用途とはかけ離れた美しい通り名で。
しかしいったん内部に入るや、きっちり隙間なく計算されてはめ込まれた石組みは光一筋すら通さず。そして外観に湯水のように使われている美しい石は内部には一枚も使われていない。ほぼ闇に閉ざされる内部ではそれにふさわしい暗色の、しかしながら硬度の高い素材が使われている。陰鬱なグレーの石組み、そして鈍色の鉄格子。きしむ金属音と石とがぶつかり合う耳障りな音。どこからか聞こえてくる水のしずくが落ちる音。かさこそと、心の中のやわらかいところを引っかいていくようなかすかな物音。そして無論、鉄の処女を初めとした数々の拷問具が壁を彩り囚人の希望を打ち砕く。
そんな実用本位な塔であるからして、やはり実用としてもっぱら使われる。
いま、この塔の地下一階の独房に、あちこち包帯を巻かれて瀕死の状態の女が入れられていた。元は美しかったであろうと思われるかんばせは、かろうじて呼吸ができる程度にぐるぐる包帯が巻かれている。その包帯にはかなりの広範囲に血のにじみがあり、見え隠れするわずかな肌も無残に焼け爛れていた。
その独房の控えとして使われている大きな部屋に、苦虫を噛み潰したような表情で宙をにらむ男がひとり。
そして我関せずと、いくつもの報告書をテーブルに広げて確認作業に没頭している男がひとり。
十人用の部屋といっても遜色のない広々とした部屋に二人の男が無言で居座っている。
空気が尋常ではなく重い。
「シア、報告はそれで全部か」
シアと呼ばれた男は手元の書類をざっと分類して紙ばさみでとめる。
シアというのは通常女名だ。無論それが彼の本名ではない。
彼の名はイルシアミンスルという。古い家系の長子であるがゆえ、名にも歴史と伝統を追いきれるだけ背負った結果こうなったともいう。さすがに長いのできっちり彼の本名を呼ぶものはあまりいないが、だがしかし、長身で精悍なこの男をシアなどと呼ぶのは彼の幼馴染でもあるこの男くらいなものだ。
その彼の名はメルトーヤ、通り名はメル。本名も通り名も女性的だが、彼の場合はそう小柄なわけでもないのにどことなく中性的な雰囲気があるのでそこまで違和感は感じさせない。
名前の異国的な響きは彼がギーヴリア辺境伯であることに由来する。古来ギーヴリアは異教の香り漂う呪術士たちの国、メヒスアルワの支配を強く受ける土地である。本来メヒスアルワの植民地であったその地は今上陛下の代でだまし討ち同然に奪われ、新興の貴族が領主としてあてがわれた。それが運悪く、もしくは運よくメルトーヤの生家であるエルヴェ家であったがために、地方の豪族程度のエルヴェ家は中央でも通用する伯家となった。メルの父が教育のために彼を中央に出さなければイルシアのような大貴族とは本来かかわりあうことはなかったはずである。
さて、この偶然が彼らにとって幸いであるのか災いであるのか…。
いずれにせよこの二人が暗躍することによって一国が未曽有の危機に瀕したことは事実である。あるいは未曽有の幸運。
彼らがなしたのは現行政権の完全掌握。早い話が王を筆頭に国中の権力者を無力化して制圧したということ。内乱、反乱、クーデター…つまるところ大逆に他ならない。
ひとまず王権奪取まであと一歩の今、同時並行して大量の王族をどのような処遇にするか決めあぐねてもいた。
ひとまず処理しやすいようにひとところにまとめてはみたが…。
「これといった朗報はないぞ。…期待しているならな」
イルシアの淡々とした報国に、メルはその表情をさらに苦くして嘆息する。
そんなメルの心中など斟酌せずに、さらに淡々とイルシアは現状報告を続ける。
「例の女は王妹の部屋にいて、王妹の衣装を着ていた。報告によれば捕縛に赴いた屈強な兵が侍女の決死の抵抗にあって苦戦。王妹は何者かに顔も喉も手もつぶされていて、自刃しようとしていたところをこちらの兵士が何とか阻止し、保護…か。なんとも胡散臭い話だね。女の手にはめられていた指輪は確かに本物ではあったが…」
「限りなくグレーに近い黒だよな。王妹殿下を傷つけた謎の手勢は行方不明となれば…察するにあまりある。やだなー、ああもう一番面倒なパターンきたね。もうおのずと可能性は絞られるよ」
ふたりは顔を見合わせて、互いの出した結論が自らのものと相違ないことを確信する。
「やっぱり替え玉?」
「…まあ、だろうな」
どちらからともなく沈黙が落ちる。本来このような不手際などあってはならぬはず。彼らは衝動からではなく、きわめて長きにわたる準備とよく寝られた計画と、それを実行に移すことが可能なだけの優秀な人材の雇用等、これ以上はないだろうと思われる万全の態勢で行動を起こしたのだ。
「だが確たる証拠がどこにもないとあっては、ひとまず保留とすべきだろう。こうなると…。王妹の件を保留とした上で、見逃した王族がいないか各地をしらみつぶしに探す必要が出てくるな。仮にここにいる王妹が替え玉で、本物が逃亡中ならその捜査のどこかで見つかるだろう。おおっぴらに王妹がいないことを明らかにすると不都合なことはたくさんある。表向き、王妹はここにいることにして、別件での捜査を平行して進めるのが望ましい。この手の不手際はおれたちの信用問題に響く」
「よりによって王妹を捕らえそこなうとか…ないわー。王妹くらい身分が高い貴人なら下位の王族の住まいや別邸を接収することも簡単だろうし、そうなると調査範囲は馬鹿みたいに広がると…」
メルはイルシアが束ねた書類を嫌そうに見やる。その書類は現在の王族の住まい、別邸などのリストである。ここ、タリス・ヒエルギス王国は大陸の広範な版図のほぼ半分を占める大国である。王族の数も改めて数えてみようとは思えないほど膨大な数に上る。貴族の八割程度がなんらかの形で王家と縁戚を結んでいるので、網羅しようと思えばほぼすべての貴族を洗い出さなければならない。当然イルシアの手にするリストもハンパではなく分厚いものとなる。
「おれの手勢はそういうの向いてないんだよな~」
メルは鬱陶しげに黒髪をざっくりとかきあげながら困ったような表情をする。額をあらわにすると余計その中性的な容姿が強調される。
「古語で辺境の三日坊主って意味の情けない部隊名つけられちゃったし…」
「初耳だ、なんて?」
「トリス・イピ・アイギュステス」
「まあ…宮廷学者並みの知識がなければ意味はわからないし、古式ゆかしい響きでもある。本当の意味伏せれば隊の名前として別にそこまで気にする必要はないんじゃないか?」
「問題はどっちかというとホントに全員そろってドンピシャ三日坊主なトコかも。同じ業務を三日続けて継続できないっぽい」
「…そんな手勢でおまえ今までどうやってここまできた!?」
さすがのイルシアも思わず問いただした。
「えーっと、こんな感じで目標だいたいここらへん…って最初に伝えるだけ。あとはおのおのの才覚に任せてる」
「よく空中分解しないな、そんなんで…」
「それが意外と連携とれてたりするから不思議~」
「おれはそれを不思議~ですませるお前の脳内が不思議でたまらん」
「気にしない方がおれらの場合うまく行くのよ~。それに当初の目的は果たせてるよね。王都にいない王族を最初はこっそりひっそり、そして中盤からは怒涛のように確保していって、ラストダンジョンのこの王宮で残りの王族コンプリート。こんな風になったらいいなが現実になったんだもん。これが実力ってやつ?」
「それを実力と認めてしまったら実力という言葉自体に非常に申し訳ない気持ちになるな」
「え…ならまあ、幸運でも偶然でも別になんでもいいや、とにかく当初の予定はほぼ完遂しつつあったじゃない。…そりゃ肝心の王宮内での制圧にこんな凡ミスやらかしたのはちょっとばかしの油断があったといえなくもないけどさあ」
「確かにほとんど抵抗らしいものはなかったからそこに油断は…なかったとはいいきれないな」
メルのぼやきにイルシアも王宮攻略のときを思い出して渋い顔になる。
数えるのも馬鹿らしくなるくらい大量の王族を、水をも漏らさぬ包囲網で完璧に捕まえつくした…と思えた矢先なだけにふたりのため息も重い。
「なんでこんなことになった!?」
「知るか…。少なくともメヒスアルワの最新式魔術無効化装置を使って、あのとき確実に王宮内の魔術は無効化されたはずだ」
「だよな~、あれ完璧に作動してたよな~。魔法が使えなければ王族などそこらの下町の餓鬼より無能だろ?とうていひとりで逃げ切れるとは思えない。外部の捜索もいいけど、もう一度この王宮を見直してみる必要もあるんじゃない?一応王宮に乗り込む前に王宮内の王族は確認したはずだしその前情報は間違ってないはず」
「はず…か。まあ否定はしないが…」
王宮の攻略をメルとともに現場で指揮したイルシアの口調は歯切れが悪い。
「はず…はず、おれらの能力的に「はず」は「事実」とほぼ同義なんだけどな」
諜報を担当したメルは自前の情報網の確実さをおのれのこととして知っている。
「そうだな、確かにほとんどの王族はおれたちの予測どおりに捕らえられたし、それは下調べが徹底していたおかげだという面もあるだろうな。その点は否定しない。だが、替え玉を用意していたことといい、王妹殿下…あ、いや元がつくわけだが、元殿下はひょっとしたらおれたちのたくらみを事前に察知していたのではないか?」
「おいおい、まさか。漏洩なんかけっしてありえないって断言できるぜ。情報の扱いには細心の注意を払ったし、そもそも不確定な人物を計画にかかわらせてねえよ。それに比べて王族側は平和な体制にダルダルでだれきっていて、とてもじゃないがおれの策を看破できるレベルの諜報組織を作れたはずがねえ」
「ゼロかもしれない可能性の芽を否定するのは果たして賢明か?」
イルシアは懐疑的な目をしてメルを見据えた。
「めんどーだなー」
「それにな、書類を見ていて思ったんだが…」
「なに?」
「王妹の個人的な情報があまり充実していないんだ」
「ああ、なんかそこは確かに情報薄いなって思ってた。けどまあ王族の未婚女子かっこアラサーとか、あんま誰も気に留めないっていうか、情報なくてもああね~って感じだしさ…」
「だからといって、王妹の個人的情報が皆無のままではお前の嫌う人海戦術でローラー作戦は必至だぞ?できる限り手がかりは集めておいたほうが長い目で見れば早く確実な方法だと思う。まったくの手探りではどうしようもない」
「うー、あー…。ま、王妹を女の足と侮って近辺捜索し尽くしたあとで、実は王妹レンジャースキル持ってて山中潜伏とか超余裕…とかだったらヤだな、確かに」
「うん、そこまで奇想天外な可能性ないだろうが、こちらで見落としたことはなにかあるかもしれない。…ではこうしよう。各地の探索ならびに王宮の再調査はおれの手勢でやる。お前は王妹の個人的な情報を調べ上げろ。情報は逐一現場に渡せ。現状われわれは平均的な王族の捜索という基準で動いているが、殿下のことを調べればおのずと行動も読めてくるはずだ。そうした方が捜索の効率は確実に上がるだろう?」
イルシアは自分でまとめたリストを再び取り上げて立ち上がる。
明らかにイルシアの負担が大きい。
「あー、王宮内の調査はおれが平行してやるわー。どーせ王妹の情報も城の秘密の抜け穴情報もおんなじヤツが握ってるはず」
「ふむ、確かにメル向きの分野だな。では遠慮なく頼む」
イルシアは最初からそのつもりだったかのように平然と部屋を出て行った。
残されたメルはしばし机に伏せ、気の進まない仕事を自ら引き受けたことを微妙に後悔した。