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プレシア  作者: 南条祝子
〔黒い神官編〕第二章 始まりの眠る森
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第二章 始まりの眠る森〈3〉

 細い獣道を通るから、というフローディアの言葉に従って、馬は夜営場所に繋いだまま最低限の荷物を持って徒歩で森に入った。


 案内がなければ、あっという間に迷ってしまいそうなくらいに細い道なき道を、フローディアは躊躇(ためら)いなく進んでいく。


 鬱蒼(うっそう)と生い茂った木々の枝葉で陽の光は遮られ、薄暗い。彼女の背中を見失わないよう、他の三人は気を付けて進んでいった。


 二刻くらいは歩いただろうか。


 それまで密集して生えていた木々がまばらになり、やがて、少し開けた場所に出た。


 その先に一軒の小さな小屋が見えた。蔦の絡み付いた板の壁は、ところどころ比較的新しいものも見受けられたが、総じて頼りなげに(めく)れかかっている部分が目立つ。とても今や一国の王妃が生まれ育った場所とは思えぬ粗末な造りのものだった。


 いくら補修を加えてきたといっても、あまりに見窄(みすぼ)らしい。そんな感想を抱かずにはいられないものだった。それでも、戸口にはしっかりとかんぬきと錠前が掛けられていた。フローディアは慣れた動作で袖の中から鍵を取り出すと、錠前、かんぬきの順に外していき、扉の取っ手を引いた。


 耳障りな細い金属音とともに、暗い室内の様子がぼんやりと浮かび上がった。


 屋内へ一歩踏み入った途端、セルフィナたちはただならぬ雰囲気を察知した。


 部屋に充満する錆びた鉄の臭いにむせかえる。


「これは、ただ事じゃないな」


 一足先に室内に入ったアルフレッドが、そう漏らした。


「鎧戸を開けてみましょう」


 フローディアの声が奥の方へ移動していき、木の板を動かす音がそれに続いた。錆び付いた蝶番(ちょうつがい)が甲高く不快な音を発て、外の光が室内に射し込んだ。


 次の瞬間、「ひっ!」とヘレンが短く悲鳴を挙げ、セルフィナの肩に顔を埋めた。小刻みに震えるヘレンの肩を守るように抱いて、彼女が見た光景に目を向ける。


「ひでぇ……」


 明るくなった室内のありさまに、それ以上の言葉は浮かばなかった。


 目の前に広がるのは、おびただしい量の血。


 家具類が壁際に追いやられ、床は広く面積をとられていた。その所々朽ちかけた古い床板の上に広がる血だまりはまだ赤黒かったが、飛び散った小さい面積のものは、既にどす黒く変色していた。この大量の血液の主の姿はどこにも見当たらなかったが、血だまりの中央にできた空間が、そこになにかがいたことを物語っていた。


「……血の、儀式」


 フローディアの声が震えていた。しかしそれは恐怖からくるものでないとわかるほど力強い声音で、それでいて、悲哀に満ちていた。


「血の儀式?」


 復唱するアルフレッドに、フローディアは「間違いありません」と答えた。


「その昔、魔女がやったっていう、あれか?」


 凄惨な光景を目の当たりにし、さしものセルフィナも胃から不快なものが込み上げていた。それを押し戻しつつ、彼女は昔読んだ本の内容を思い出していた。若い娘を生け贄にする、四人の魔女の中でも一番残忍で身の毛もよだつ内容だった。目の前にあるのが、まさにその痕跡だというのだ。


「新しい媒介を用意したのだわ」


 部屋の中を調べながら、フローディアは一人で呟いていた。


「媒介ってなんだよ」


 血だまりの向こうで険しい表情を見せている彼女に質問を投げ掛けた。だが、セルフィナの声が届いていない訳がないのに、フローディアは眉間に力を込めたまま、床の上の血に手を合わせて祈りを捧げ始めた。


「おい、フローディア!」


 業を煮やしてセルフィナは声を荒らげた。


 その怒声にようやく顔を上げても、フローディアは無言だった。セルフィナたちや血だまりに落ち着きなく視線を彷徨わせ、何かを迷っている様子だった。


 そんな彼女の迷いを断ち切らせたのは、ヘレンだった。


「フローディア様、これは、一体どういうことなのか、お教え下さい」


 ヘレンはまだ、微かに身を震わせていた。


「その、血の儀式というものを、ここでフェニア様が行ったのですか?」


 問への答えにフローディアは頷いた。


「その前に、本来の血の儀式とは、現在知られているものとは違うのです」


「生け贄を捧げる為ではないんですか」


 アルフレッドは首を傾げていた。彼が育った孤児院でも、小さい子が夜遅くまで寝なかったり悪戯をすると、世話係の尼僧に魔女に生け贄にされると脅かされることがあったからだった。


 血の儀式とは、魔女の生け贄の儀式。誰に聞いてもおしなべて内容に大差ない、そういう認識のものだ。しかし、フローディアの言いようは、それを否定するものだった。


「魔力の強い、若い娘の生き血に媒介を浸し、そこから魔力を吸収する。それが姉のしてきた血の儀式です。そのために、何十人という娘たちが犠牲になった……」


 血だまりを迂回し、フローディアがセルフィナの前にやってきた。首元に彼女の血の気が引いて冷たい指が滑り込む。ひやりとしたその感触にセルフィナが肩を踊らせていると、旅の初日のあの指輪が引き出された。


「これが、千二百年前に、姉が媒介としていた道具です」


「げっ! これって、そんな気色の悪いもんだったのかよ」


 預かり物の正体にセルフィナは震え上がった。それを見て、ずっと腕にしがみついていたヘレンも声なき悲鳴をあげて後ずさった。


「ごめんなさい、セルフィナ。私が持っていると、姉は取り返そうとすると思ったから」


 瞳を伏せて詫びる彼女は指輪から手を放した。


「新しく作れるなら意味ねぇじゃん」


 首元の指輪はそのままに、セルフィナは苛立ちでもない、複雑な思いを言葉に込めていた。


「どんなものでもいい訳ではありません。まず、媒介とするための術を施さないといけない」


 理解しているか確認するように、そこでフローディアはみなの反応を見た。


「けれど、魔力も封じられて、魔術自体が衰退してしまった現代において、成功させるのは難しい」


「なんで難しいんだよ」


 魔術について一般教養程度の知識があるセルフィナでも、理解ができなかった。


 過去の技術とされている魔術を、いまでは殆どの人間が実際に目にしたことがない。いまなお魔術師を名乗る者もいるが、まじない師との区別は曖昧だ。恐らくは、本当の魔術師というのは、そうとは名乗らずにひっそりと暮らしているのだろう。だから、そういった類に縁のない者が、真に理解するのは到底困難なことなのだ。


 みなはフローディアの話に注意深く耳を傾けた。


「現代の新しい物では、魔術への耐性も弱くて術を受け入れきれずに壊れてしまう。古いものでも、相性が合わなければ媒介とはなり得ない」


「運良く、その、相性の合うものがあったということなんですね」


 ヘレンが言葉尻を繋ぐと、「そういうことでしょう」とフローディアは頷いた。


「で、その新しい媒介で、早速、血の儀式をした」


「ええ。ただ、これは新しい媒介の具合を確かめるために実験的に行ったものでしょうね」


「どうしてそう言えるんだよ」


 この凄惨な光景がフェニアにとっては実験でしかないとは、あまりにも(むご)い。セルフィナは怒りすら覚えてがなった。彼女がそんなふうに語気を荒くするのとは対照的に、フローディアは平静を装っていた。アルフレッドとヘレンの手前、気丈に振る舞っているだけだったが、その、淡々とした態度で話は続けられた。


「姉が求めているのは、たった一度の血の儀式では到底得られないほど強力なものだからです。もっとたくさんの魔力を吸収しなくてはならない。だから、かつては効率よく儀式を行うために専用の祭壇で行っていました」


「専用って、物騒だな」


 セルフィナが素直な感想を述べていると、横から「それはどこにあるんですか?」と、アルフレッドが身を乗り出した。多くの魔力を求めて血の儀式を繰り返し行うつもりならば、やはり効率がいいにこしたことはない。それなら、次にフェニアが姿を現すのならそこだと考えていいだろう。


「コーマス村からリムディア王国方面へ少し行った、ウレア湖畔です」


 フローディアが告げた場所へ行くにはどう考えても、来た道をそのまま逆戻りする他はなさそうだった。苛立ちを隠すことなくセルフィナが舌打ちをして、首元の禍々しい代物を服の中に捩込んだ。すぐにでも移動できる、そんな表情だった。


「待ってください、フローディア様。その前に、いくつかお尋ねしたいことが」


 落ち着きを取り戻したヘレンが、今にも次の行動を起こさんという雰囲気の中に一石を投じた。フローディアはヘレンに視線を向けると、質問の続きを促すように小首を傾げた。


「フェニア様が恐ろしいことをしているのは分かります。ですが、先程から、その、まるで、フェニア様が魔女そのもののように仰いますが」


 質問をしつつ、ヘレンは戸惑いを隠せずにいた。


「その通りです。姉は千二百年前、このプレシア大陸で恐れられた闇の魔女の一人、その本人。血の魔女と呼ぶ者もいました」


 この期に及んで隠すつもりはないとばかりに、フローディアはあっさりと肯定した。


「フローディア様、それはつまり……」


 呆然と答えを受け止め、ヘレンは黙ってしまった。代わりにアルフレッドが口を開いたが、最後は言葉を濁していた。荒唐無稽も甚だしい事実に気付いたのだ。


「つまり、わたくしも姉も呪いのせいで、千二百年以上生きているのです。今でこそ、みなは伝説としてありがたがって私のことを(まつ)ってくれていますが」


 神官として信心深いヘレンと君主に忠実なアルフレッドの性格から、二人が異を唱えることはなかったが、狐に摘まれたように放心していた。


「呪いのせいで、老いることも死ぬこともないわたくしは、同じように生き続ける姉が、過去の過ちを繰り返そうとするなら全力で止めなくてはなりません」


 全力で止める、と言うに留めた。フローディアはこの二人にまで、それがどういうことかは明かせないと判断しての表現だった。ヘレンはともかく、護衛の任にあるアルフレッドが事実を知れば、混乱を来すことは想像に難くない。


 とにかく、二人は冗談や嘘でないことだけは理解した様相を見せた。


「フェニア様は何故、闇の魔女になってしまったのですか?」


 恐る恐る、ヘレンが訊いた。まだフェニアにあいまみえたことのないセルフィナやアルフレッドとは違い、リューレ神殿の神官長としてのフェニアを知る彼女にしてみれば、承服するための材料がもっと必要だった。


 真実を聞く心構えはできていると、ヘレンは真っ直ぐにフローディアを見詰めていた。


 その瞳を見詰め返し、「少し、長くなりますよ」と前置いてから、フローディアは千二百年前の話を始めた。

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