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プレシア  作者: 南条祝子
〔黒い神官編〕第二章 始まりの眠る森
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第二章 始まりの眠る森〈2〉

 二日目の太陽が空の高みに届く頃。一行が進む道の遥か先に、頂を白く染めた山脈と、その麓に黒々と広がる目的の森が見え始めた。


 あの森の中にフローディアが生まれ育った家があるのだ。


 いまや、グリーンラームの王妃として典華な暮らしをしている彼女からは想像もつかないほど、人里離れた場所だ。


「本当になんにもないとこだな」


 あまりにも寂しい景色に、セルフィナは盛大に溜め息を吐いた。


「遠い昔には、ここまでの道中に小さな集落が点在した時期もあったのですよ」


 フローディアは懐かしむような口調で辺りを見回した。


 彼女の歴史的知識のひとつという認識で、アルフレッドとヘレンは感嘆の声を漏らしていた。ただ一人、セルフィナだけは、それが伯母の確かな記憶による事実なのだと知っていたが、心の中に留め置いた。


 かつての賑わいの名残のに、人為的に積まれた石や、地面に打ち付けられた杭が朽ちたさまを道の端々に見ることができた。


 在りし日の姿に思いを馳せ、それら過去の遺物を流れていく景色と一緒に馬上から見送った。



 森を目前に、前日同様に野営場所を身繕った。陽が落ちるまでには多少時間に余裕があったが、森の中で夜を迎えるより、見通しの良い草原で一夜を明かした方が安全だ。


 火を起こして腰を落ち着け、夜を迎えた。野営も二日目とあって、ヘレンは前日よりも落ち着いた様子だった。


 すっかり日が暮れると、セルフィナの見張りで他の三人は眠りについた。


 皆が寝入ってしまうと、火の番をしながら、セルフィナは膝を抱えて昨夜のアルフレッドとの会話を一人静かに自戒していた。


 これまでに、彼に差し出がましいことを言ったことは一度もなかった。


 自分の焦りを彼にまで押し付けてしまった。そう悔いていた。時々、感情的になって冷静な判断を欠いてしまう自覚はあったが、それでも、あそこまで立ち入ったことに口出ししたのは初めてだった。


 焚き火の中で黒く燃え尽きていく枯れ枝が、時々、弾けた音を発てる。いっそこんな風に彼を思う気持ちも灰になってしまえば楽になれるかもしれない。そう気落ちしていくのを支えるように、セルフィナは膝の上に顎をのせた。


 何度も頭の中を占領した単語が再び、思考を曇らせた。


 逃げても隠れても、王女として生まれた事実は曲げられない。せめて、長子でなければよかった。懸賞金の話も、あながちただの噂ではないだろう。あの父ならあり得る話だと納得するほどに頭が痛くなった。


 堂々巡りする思いに重たく溜め息を吐いた。


 どのくらいそうしていただろうか。寝返りとは違う、毛布を捲る音が聞こえた。そちらへ目を向けると、フローディアが静かに起き上がるところだった。


「眠れない?」


 ゆるゆると上体を起こす彼女に小声で問い掛けた。


 眠れなかったとしても仕方がない。行方不明の姉が不穏な動きの痕跡を残していたのだから。


 そんな時に自分のことばかり考えていたと、セルフィナは途端に伯母の顔を見るのが恥ずかしくなった。


 フローディアは隣へやって来た。そっと表情を伺うと、彼女は微かに笑みを浮かべていた。


「あなたのことが気になってね」


 冗談めかした言い方には優しさが含まれていた。


「盗み聞きするつもりではなかったのだけど。昨夜の会話ね」


 そう前置いて、彼女は続けた。


「アルフレッドが思い直して頼ってくれるなら、私は喜んで協力しますよ」


「本当? よかった」


 セルフィナは安堵して笑顔を返した。


「私の勝手でこんなことに巻き込んでしまったのですから。何かしてあげたいと思うのが人間というものです」


 彼女は焚き火の向こう側のアルフレッドを一瞥してから、セルフィナに視線を戻した。


「勿論、あなたにも」


「俺にも?」


 セルフィナは小首を傾げた。


「一昨日の噂話です。あんな話を聞いてしまったから、昨夜、彼を説得しようとしたのでしょう?」


 すっかりとお見通しだったというわけだ。セルフィナは口をつぐんだまま、伯母を見た。


「あなたの父上は、元使用人のわたくしが義理の姉になるのを嫌って、セシリアとの婚約を破棄しようとしたくらい身分に厳しい人ですから、娘のあなたにはなおさらでしょう」


 フローディアは声を潜めた。まさにその通りで、セルフィナは「うん」とだけ反応した。


 父王はセルフィナが伯母になつくのさえ嫌っていた。母、セシリアが伯母をお義姉さまと慕うのは、その何倍も。


 いつだったか、母が身分の前に容易く潰えてしまうような愛ならば、はじめから無かったのと同じだなどと、突然に言い出したことがあった。男物の服を着て、腰に剣をぶら下げたセルフィナの頬を、優しく白い手で撫でながら、娘らしく育てられなかったことを何度も何度も詫びていた。


 暫くは、母の言葉の真意が解らなかった。長子として、あるべきように育てられただけのことで、いまさら妹のように娘らしいというものに興味などなかった。自分が自分であることに、変わりはないと思っていたのだ。


 だが、それから程なく、父から結婚するように命じられた。


 母は知っていたのだ。だから、あんなにも何度も詫び、そして、遡って父を結婚相手に選んだことを後悔していたのだ。


 あれだけ、女でも男でも関係ないと言い含めて王位継承者として教育しておきながら、突然、父は手のひらを返した。婿殿が逃げ出さぬように表面だけでも淑やかにせよと言い出し、男物の服を着ることをやめるよう、仕立屋の手配までした。


 このままでは、濁流に呑まれる木の葉のごとく、父の権力の前に屈することになる。


 そして、グリーンラームへと出奔したのだ。


 伯父夫婦を実の両親以上に尊敬しているセルフィナだが、今にしてみれば、伯母を頼ったのも、騎士団に入ったのも、父への当て付けの気持ちの方が大きかったのかもしれない。


 そして、そこで出会ったのがアルフレッドだった。


「もし、彼の出自が分かっても、父上を納得させられるだけの身分でなければ、他の手立てを考えましょう」


 伯母の微笑みがセルフィナの回想を止めた。


「ありがとう、フローディア」


「いいえ」


 一層口角を上げ、最後に「いっそ、あなたをわたくしたちの養子に迎えましょうか」と冗談ぽく言った。


「無茶言うなよ」


「そうかしら。ディオルスはあなたと同じで無茶が得意よ」


 控え目に、けれど愉快そうに声を発てて笑うこの伯母なら、母と呼んでも良いという思いがセルフィナの頭を掠めていった。


 一人で見張りをする筈が、その後も伯母と取り留めのない話をして過ごした。彼女の方から他愛のない話題を持ち出してくるが、そのうちに、ふと会話が途切れた。


 眠りに誘われているわけではなかった。ごく自然に、暫くただ二人で黙って焚き火の燃えるさまを眺めていた。


 時々、火に薪をくべていたセルフィナだったが、ふと 、アルフレッドとヘレンが眠っている今のうちの、伯母の秘密を問いただしておきたくなった。


「なぁ、この間の話、本当なのか?」


 放り投げた薪が、炎の中でぱちんとはぜる。


「この間の話?」


 突然話題を振られ、主旨が理解できない様子でフローディアは小首を傾げた。


「フローディアの年の話が本当なら、今も家が残ってるなんて、ちょっと信じられなくてさ」


「あぁ、そのことね」


 気を悪くした様子はないようなので、セルフィナはそのまま続けた。


「千二百年前から残ってるってことだろ?」


 フローディアは「そうよ」と肯定した。


「千二百年。長いわよ。なのに、容姿は全く変わらない。あなたも、気付いているでしょう?」


 質問とはちぐはぐな会話だったが、セルフィナは頷いた。


 確かに、もう随分前からなんとなく気になっていた。だが、他にも実年齢と容姿がそぐわない者に出会うことはあった。だから、そういった違和感の範疇なのか、彼女には判断がつかなかったのだ。


「だから、一つのところにあまり長くは居られないの。各地を転々としていて、時には次にどこへ行こうか決められないときもあったわ。そんなとき、生まれた家に戻ってきて、自分で補修して住んでいたのよ」


 そこまで話したフローディアは膝を抱えた。普段の気品と威厳ある彼女に似つかわしくない姿勢が頼り無げだ。そのさまは、伯母と言うより、少し歳の離れた従姉のようだった。


「ねえ、セルフィナ。お願いがあるの」


「なに?」


「もしもの場合は、あなたから、ディオルスに伝えて」


「……なんだよ、もしもって」


 厭な感覚がセルフィナの心臓を踊らせた。


 フローディアは皺の寄ったスカートに顔を埋めていた。


「私たちの不死の呪いを解くには、二人が同時に死ぬしかないの」


 なんとか聞き取れるくらいの声で、そう言った。


「……やだよ、そんなの」


 セルフィナは幼い子供がするように、頭を振ってフローディアに縋り付いた。


「大体、どうやって伯父上に説明しろっていうんだよ」


 大きな声を出してしまいそうなのを必死に堪え、訴えかけた。フローディアはほんの少しだけ顔を上げ、腕を伸ばすとセルフィナを抱き締めた。


「大丈夫よ、ディオルスは全て知っているから。求婚されたときに、諦めてもらおうと思って打ち明けたの」


 王妃らしからぬ儚げな声音は、どこにでもいる娘のようだった。まして、過去の功績で神格化されたその人とは到底思えないほどに弱々しい。


「ごめんなさいね。あなたには厭な役割を押しつけてしまうけれど」


 そういうことではないと示したくて、セルフィナは伯母の体を力任せに引き離した。


「さっき、俺を養子にしようかって言ったばかりじゃないか。アルフの両親捜すのだって手伝ってくれるって」


 はっと弾かれたようにフローディアは目を見開いた。


 綺麗な深い青の瞳に力強さが戻っていく。


「……そう、そうだったわね。ごめんなさい、セルフィナ」


 詫びながら、しっかりと腕に力をこめて、再びセルフィナを抱き締めたのだった。

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