第一章 呪われた姉妹〈4〉
神官長フェニアが私室として使っていた部屋に案内された。
簡素な文机に質素なベッド。衣類用のチェストの他は本棚だけ。神官として必要最小限のものしか置かれていないように見える部屋だった。
無闇に手を触れるのが憚られるほど室内は整然としていたが、フローディアとヘレンはすぐに確認を始めた。セルフィナが二人の様子を目で追っている横で、アルフレッドは腕を組んで部屋の中をゆっくりと見渡していた。
真っ先に文机の引き出しを開けたフローディアは、全てを一段ずつ開いては閉じた。だが、そこからは何も収穫がなかったのか、次に本棚へ向かった。
ずらりと並ぶ本の背表紙に指を滑らせ、その動きに沿って視線を動かしていく。背表紙に書かれた表題を読んでいくが、取り立てて怪しいものは無いようだった。
その間、ヘレンは本棚の隣のチェストを確認していた。
ぼんやりと眺めていたセルフィナだったが、ふと、視線を落としたとき、ベッドの足元の床板に目がいった。
一部分だけ色が違う。それは見落としてしまいそうなくらいの、ほんのわずかな違いだった。
セルフィナは迷わずそこへ近付いた。
さほど面積は大きくはないので、隠し部屋だとか、そういった類の大がかりなものではないだろう。
「どうした?」
そう、アルフレッドが背後から覗き込む。その声にフローディアとヘレンが反応して振り返った。
セルフィナは黙ったまま色の違う床板の前にしゃがむと、片手でその部分を少し押してみた。
小さく音を発て、あっさりと床板は浮いた。板を外してみると、机の引き出し程の空間があった。そこにじゃ黒い表紙の本と、手紙の束が収められていた。
その中から本に手を伸ばし、取り出した。
ページをめくってみると日付が書いてあった。日記のようだった。
手紙の方は全てフェニアが受け取ったもので、差出人は書かれていない。
「このようなところに隠すだなんて」
フローディアが覗き込んできたので、セルフィナはそれらを手渡した。
神官長の私室という、ただでさえ他人が気易く立ち入ることなどない空間だ。日記や手紙を保管されていたというより、隠されていたという表現の方がしっくりくる。
薄気味悪さを覚えつつ、セルフィナは伯母の手に渡ったそれらをもう一度見た。
フローディアは黒い日記帳と手紙の中身に目を通し始めた。
紙を捲る音だけが室内に響き、時間が刻々と過ぎていった。なにが書いてあるのか、セルフィナたちはただ息を呑んで見守った。
「なんてこと」
突然、彼女は悲痛な面持ちで声を挙げ、日記帳を閉じた。
「フローディア様、それには何と?」
ヘレンが眉根を寄せた。
「この日記帳は、姉が再び闇の魔術を手にするために集めた資料をまとめた記録です」
そう言って、フローディアは艶のない、使い込まれて毛羽立った黒い表紙に禍々しいと言わんばかりの視線を向けた。次に「これはラーシオン王国国立図書館からの、重要書物の閲覧や貸し出し申し入れへの返書でした」と、手紙の束を軽く掲げてから、日記帳の上に重ねた。
「闇の魔術、ですか?」
ヘレンは信じられないというように瞳を見開いた。
若いながらも神官長の代理を務める彼女ならば、闇の魔術に関して人並み以上の知識を持っていて当然だった。この神殿で祀る女神リューレも、その昔、闇の魔女と戦ったと一人と伝えられている。闇の魔術という単語はそういった意味でも、彼女を困惑させているようだった。
「しかし、陛下、闇の魔術は伝承上のものでは?」
呆然としているヘレンの言葉を繋ぐ形で、アルフレッドが囗を開いた。
「いいえ。闇の魔術は実在していました」
フローディアは頭を振った。既に秘密を知らされているセルフィナだけは驚かなかったが、他の二人は更に表情を強ばらせていた。
「フェニア様は、何故そのようなものを……」
信じ切れないのか、ヘレンの口調は淡々としていた。
実在するかはともかく、女神に仕える者にしてみれば、それはまさに敵対する力だ。フェニアを上官として仰いできた彼女には認めたくないもののはずだ。
フローディアは彼女の問いに答えなかった。正しくは答えられなかった。詳細に話したところが、かえってフローディアに疑念が向けられるくらい、荒唐無稽な話だ。
セルフィナが伯母は嘘をついているように思わなかったのは、これまでの 信頼関係があるからこそだった。
妙な沈黙が、余計な雑音のない室内の空気を重く冷ややかにした。
「図書館に行ってみれば、次の手掛かりが見つかるかもしれませんね」
その沈黙に耐えかねたのか、アルフレッドが提案めいたことを呟いた。
けれど、「その必要はありません」とフローディアはやんわりと却下した。
「この日記によると、図書館でも姉の求める資料は得られなかったようです。だから、もうこの国に用はないと判断し、姿を消した」
「……そんな」
口許を両手で覆い、ヘレンは絶望感に満ちた声を挙げた。
「それじゃあ、どこへ行ったかわかんねぇじゃないか」
闇の魔術などと穏やかでない動きを見せているというのに、この先の足取りが分からないのでは意味がない。セルフィナは語気を荒くし、伯母の方へ身を乗り出した。
「当てはありますよ」
「どこだよ」
「まぁ落ち着きなさい、セルフィナ」
殺気立ったセルフィナを宥めてから、「姉は私たちの生家に必ず立ち寄る筈です。あそこには、姉がかつて魔術を学んだ時の様々なものが残っていますから」と当てについて述べた。
「じゃあ決まりだ。次はそこへ行ってみよう」
率先して発言するセルフィナに異論を唱える者はいなかった。
「私もお供させてください。フェニア様が、その闇の魔術とやらに手を染めようとしているのならば、お止めしなくては」
思いがけず、ヘレンがそう申し出た。
彼女の瞳は、一心にフローディアに向けられていた。
暫く困ったようにヘレンを見話め返していたフローディアだったが、「場所は、グリーンラームの東側に広がる森林地帯です。ラーシオンを出ることになりますよ」と、彼女の裁量のみでは同行を許可できないことを匂わせた。
それでも、彼女の決意は揺るがなかった。
「分かりました。では、役場へ身分証の申請に行くことにします」
ラーシオンにおいて、国境を越えて行き来するには身分証は必要不可欠だ。ヘレンが同行できるかどうかは、役場での手続きの結果に委ねることになった。
既に陽は沈んでいた。
この時刻ではもう役場も開いていない。
「役場へは明日、行くことにしましょう」
フローディアの言葉で、その話は一旦打ち切られた。
「では、客間がありますので、今夜はどうぞ、ここへお泊まり下さい」
「それは助かります」
宿もなにも決めずに神殿へ来てしまったのを思い出し、その夜はヘレンの好意に甘えることにした。
朝を迎えた空は、ヘレンの心を反映したような曇天だった。
セルフィナたちはヘレンの案内で、リューズナ市内の役場へと足を運んだ。
ひと山越えた盆地にあるリューズナの朝は、季節が逆戻りしたのではと思うほど冷え込んだ。
役場の窓口が開く頃には、幾分気温は上がったが、それでもこの時期のグリーンラームやヴァルカスに比べれば涼しいもので、セルフィナたちは急遽、ヘレンから外套を借りて外へ出たのだった。
役場は無駄な装飾のない、質素な石造りの建て物だった。冬になれば雪深くなる厳格なラーシオンの体質を如実に表しているような、そんな佇まいだ。
朝もまだ早いのに、用事を済ませにやってきた人々が入り口へ続く石段を昇っていた。
「手続きをしてまいりますから、皆さんはこちらで少しお待ちになっていて下さい」
役場内に入ると、セルフィナたちを戸口脇の待合いに残し、ヘレンは一人、受付へ向かった。
その場で成り行きを見守っていると、驚くほどあっさりと身分証が発行されていた。これで、彼女は心置きなくラーシオン王国から出ることができる。
ところが、彼女はすぐには戻って来なかった。身分証の用紙を受け取った後も、係りの者となにやら話し込んでいた。
受付係が席を立っても、ヘレンは彼女の身分証に視線を落としつつ、その場を動こうとはしなかった。受付係はほどなく戻り、二人はまた暫し会話をしていたが、やがてヘレンは会釈をしてその場を離れた。
「ついでと言ってはなんですが、フェニア様が申請に来たかも調べてもらいました」
セルフィナたちの元へ戻ってきた彼女はそう言った。
「どうでしたか?」
ヘレンの神妙な表情が結果を物語っていたが、フローディアははっきりと答えを得ようとした。
「そのような記録は、ありませんでした」
俯いたヘレンの金髪が、彼女の表情を隠した。
「フェニア様は……」
肩を落とす彼女はそれ以上は言わなかった。
正規の手続きを踏まなかった。黒い表紙の本の内容が事実なら、それはフェニアがラーシオン王国へ戻るつもりがないということだ。
淡い紅色の唇を引き結び、ヘレンは彼女の身分証をきつく握りしめていた。
セルフィナはそんな彼女をいたわるように、その華奢な背中にそっと手を当てたのだった。




