第二章 蠢動(しゅんどう)〈3〉
王立図書館は、王宮のすぐ近くにあった。
一旦、神殿へ戻るまでもない程の至近距離だ。
ヘレンの案内で足を向ける。フローディアの到着前に、一足先に一部始終を聞いておくためだ。
背の高い、先端に槍状の装飾が施された門扉に隔てられていた。白い壁が、山あいのリューズナの冷えた空気に眩しい。
門扉の脇には衛兵が立っていた。
「随分と厳重だな。襲撃されたからか?」
街の平穏さとは対照的な眼前の様子に、セルフィナは驚いていた。
「いいえ、ここは常に衛兵に警備されています。貴重な資料ばかりですので、利用者も学者や研究者が殆どです」
「図書館とはいいつつも、実質は資料庫みたいなもんか」
本といえば、城内の図書室や、城下の小さな貸本店で借り受ける印象しかセルフィナは持っていなかった。
こと、ヴァルカスにおいては、貴重な書物、重要な資料は城にしかない。城下の貸本店で手にすることができるものは、種類が限られる。識字率の低さゆえだ。
グリーンラームでさえ、規模が大きめで蔵書も豊富な貸本店がいくつもあったが、それでも王立の図書館は存在しない。
城の敷地内に留め置けないほど、ラーシオン王国としての蔵書量は膨大なのだ。
「ええ。ですから、図書館が襲われたことを知っているのも、そうした方々だけです」
「そうか。だから、事件があったとは思えないくらい、街が落ち着いてるんだな」
ようやく腑に落ちた。リューズナ市街に入ってからというもの、気になっていたのだ。
目抜通りの賑やかさに比べれば、王宮のすぐ側ということもあって、人通りは多くない。だから、図書館を利用する立場にない市民が知らないのは十分納得がいった。仮に、異変に気付いた市民がいたとしても、ラーシオン王国の特性を考えれば無闇に騒いだりはしないだろう。
「ヘレンも?」
気付いたことがあり、ふと口をついて出た。
唐突で要領を得ない質問であったのに、ヘレンは意図を理解し、「ええ、私も利用します」と答えた。
「ただし、閲覧制限の資料は簡単に閲覧できません」
「許可がいるんだよな」
セルフィナは前神官長の日記に挟まれていた書簡を思い出していた。ある本を探して、閲覧制限の蔵書の問い合わせをしたものだった。
同じことを思い起こしたのか、「ええ、そうです」とヘレンは俯き加減で答えた。
慕っていた前神官長の末路は、彼女の中に暗い影となっているらしかった。
「私は、まだ入ったことがありません。今のところ、その必要もありませんし」
話しているうちに、衛兵の前に着いていた。
門の左右に二人ずつ。よくみれば、内側にも何人か立っている。見える範囲では、外と同じように左右二人ずつだ。
「以前より警備が厳重になっていますね」
門の内側を見遣って、独り言のようにヘレンは溢す。
平静な面持ちで入館に必要なやり取りをするが、門越しに様子をうかがってくる衛兵たちが気にならない筈もなく、二、三度、彼らに目を向けていた。
だが、その衛兵たちの注意はといえば、もっぱら、セルフィナたちに注がれていた。
「さ、参りましょう」
薄く押し開かれた門に、体を滑り込ませる具合で、一人ずつ、図書館の敷地に入った。
内側の衛兵は通路を挟んで三人ずついた。どちら側も、一人は背中を向けて立っている。
「ご苦労様です」と声を掛けて、通り抜けていくヘレンの後に続いた。衛兵たちは一瞥しつつも、その場を微動だにしない。
自分の住む城で衛兵の配置された場所など幾度となく行き来しているセルフィナでも、つい、意識して目を向けてしまうくらいに、衛兵たちの眼力は鋭かった。
女王からの通達は既に届いているはずだが、襲撃を受けた現場を預かる彼らの警戒心は並々ならぬ様子だった。
衛兵たちの前を過ぎ、正面に意識を戻す。
常緑の木立に囲まれ、白い石畳から繋がるように建物が佇む。
外観の装飾は細部に渡るまで緻密かつ優美に造り上げられていた。その精巧さが、緊迫した空気を一層深くしている。
戸口にもやはり衛兵がいた。扉の両脇に一人ずつ。彼らは門扉にいた連中に比べれば、表情は柔和だった。
入門を許可された者という安心感が、表情の差に如実に出ている。
「ごきげんよう、神官長殿」
壮年の衛兵がヘレンに挨拶を投げ掛けた。彼女は「ごきげんよう」と微笑み返す。それを合図にもう一人の衛兵が扉を押し開けた。
礼の言葉とともに、図書館内へと入った。
眩しい程の外壁とは一転し、館内はほんのりとした明かりだけだった。薄暗さからか、体感温度はより低く感じられる。
「こちらです」と、先に立って歩き出したヘレンの纏う白い装束が、浮かび上がって見えた。
入り口の広間から、整然と書架の並ぶ空間へ誘われる。窓は極めて少ない。貴重な書物の日焼けや劣化を防ぐためとはいえ、明るさの違いに目が慣れるまで、やや時間が掛かった。
延々と連なる書架の間を、奥へと進み続けると、最奥に、更に奥へ続く間口があった。そこを塞ぐように、衛兵が立っている。
ヘレンが名乗ると、彼はあっさりと道を開けた。
通過しながら、壁に目をやると、本来ならば扉があったと思わせる痕跡があった。
襲撃の折りに破壊されたものを撤去したのだろう。
だから今は扉の代わりに、衛兵が奥の空間を守っているのだ。間口の内側にも衛兵がいた。
その先の景色に、セルフィナたちは目を見開いた。
相変わらず少ない窓からの光を補うために灯された明かりに、床の様子がはっきりと分かる。
片付け切れていない大量の本が散らばっていた。
乱雑極まりないありさまは、それまでとはあまりにも対照的だ。襲撃によるものかなどと聞くまでもなかった。
職員たちは散らばる本の頁をひとつひとつ丁寧に拾い上げていく。みな、途方もない作業を黙々と続けていた。
「ここから、閲覧制限区域です」
説明するヘレンの向こうに、無惨に壊された机が横倒しに転がっていた。襲撃前はここで閲覧を許可の確認を行っていたのだろう。
「はじめからここが目的だったんだな」
足元にあった本の残骸を拾い上げ、アルフレッドが呟く。本体と裏表紙がなくなっている。表紙だけになったそれには、古い書体で魔術史と書かれていた。
「随分と古い本ですね」と、ノックスが眉を顰めた時だった。
若い男の「やあ、ヘレン」という声が飛んできた。
みなで一様に声の方向に顔を向ける。
「女王陛下からの連絡は受けてるよ」
気さくそうな笑顔とともに、セルフィナたちと同世代の青年が、本の残骸を抱えて近付いてきた。少し長めの襟足を後ろでひとつに束ねている。たくさん灯されたランプの明かりで赤みを帯びてはいるが、かなり色の薄い金髪だ。
「ええ。それにしても、ここまで酷いとは思わなかったわ」
片付けの行程を想像してか、ヘレンは我が事のように落ち込んだ口調だった。
二人の遣り取りが砕けた空気を含んでいたので、「ヘレンの知り合いか?」とセルフィナが問い掛けた。
「はい。彼はロイド・アスカル。この図書館の司書をしています。私とは幼馴染みです」
紹介を受け、ロイドは「どうぞよろしく」と、右手を差し出した。セルフィナは彼と握手を交わし、「セルフィナ・シフィードだ。よろしく」と名乗った。
「あなたがセルフィナさん。ヘレンからお噂はかねがね伺ってます」
悪い噂ではないのは予測できる。だが、自分のあずかり知らぬところで、はなはだ対照的な彼女から、なにがしかの評価を得ているのが気恥ずかしくなり、セルフィナは肩を竦めた。
すかさず、ヘレンが「やめて、ロイド」と制止して、顔を赤らめた。誤魔化すように、「それから、アルフレッドさんとノックスさんよ」と紹介を続けた。
二人とも挨拶と握手を交わしたロイドは「ここはご覧の通りだから、別の部屋へ案内します」と、セルフィナたちを元来た方へと促し、先に立って歩き出した。




