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プレシア  作者: 南条祝子
〔記憶の継承編〕第一章 条件
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第一章 条件〈1〉

 金属のぶつかる甲高い音が響いた。


 長身の男の手を離れた剣が、太陽の光を反射させて煌めきながら、木の葉のように宙を舞っていく。やがて、少し離れた植え込みの枝を切り落として地面に刺さった。


「残念だが、私の勝ちだ」


 芝生の上に尻もちをついた男に、細身の剣の切っ先を向ける。


「いや、これは」


「始めに、遠慮は無用と申し上げたが」


 男が負けた言い訳を口にする前に、そう言って、刃をその顎に当てた。男は短く悲鳴を挙げたまま動かない。


「まだ申し開きをするならば、このままこれを喉にお見舞いすることになるが」


 冷たく言葉を投げ掛けると、男は上擦った声で「ま、参りました」と降参した。


 剣を男から離し、腰に下げた鞘に納める。なめらかに刃は呑み込まれていき、やがて、束と鞘が硬質な音を発てて合わさった。


「では公爵、失礼する」


 まだ芝生から立ち上がれない男に軽く会釈をして、その場を後にした。


 男はすっかり腰を抜かしてしまったようだった。あの程度で情けないと呆れると同時に、苛立ちで歩調は荒くなっていた。


 ヴァルカスへ戻って一年。


 彼女が父のお眼鏡にかなった男に引き合わされたのはこれで両手分くらいになるだろうか。


 どの男にも、手合わせして勝ったら結婚してもいいと条件を出し、今のようにことごとく返り討ちにしては追い払っていた。皆、始めは手加減しませんと言うのが(しゃく)だったが、結局、相手は優勢すら取ることもなく、あっと言う間に勝敗はついた。


 手加減なしの結果がこれでは話にならない。彼女が内心そう嘆息していると、中庭を取り囲んでいる回廊への入り口に母の姿を見付けた。


 母は、手合わせするとなる度に、同じ場所で一部始終を見守っていた。


「セルフィナ……」


 哀しそうな瞳で娘の名を呼び掛ける。


「母上」


 セルフィナは母に一礼した。男子の挨拶の仕方だったが、母は(とが)めなかった。ただ、物言いたげな眼差しで、男物の衣服を身に(まと)った娘を見ていた。


「怪我はさせていませんから、ご心配なさらずに」


 母は黙って頷いた。


 セルフィナは母が何を思っているのか分かっているつもりだった。こうして成り行きを見守るのは、間違いなく娘が勝ち、相手を追い払うのをその目で見届けるため。それは夫であるヴァルカス王の決定に抗えない、母の懺悔(ざんげ)のときでもある。


 セルフィナが勝つ度に、母は安堵したような表情をする。しかし、回数を重ねる度に、それとともに哀しそうな顔をするようになっていた。その理由は、これがいつまで続くのかと心配しているからに他ならなかった。


 大丈夫、とセルフィナは母に笑顔を向けた。母の反応は見ないまま、一歩後ろに控える従者に振り向いた。


「馬を用意しろ」


 ひとこと告げると、さっさと正面に向き直った。従者の「かしこまりました」という返事を背中で聞く。


「出掛けるのですか」


 急に母の顔が強張った。


「嫌だなあ、母上。もう逃げたりはしません。気晴らしにちょっと近場に狩りに行くだけです」


「そう、狩りに」


 答えを聞いても、母は浮かない表情のままだった。


 狩りなどというものは、身近な男性に誘われて同行するものであって、女が自らすすんで出掛けていくものではない。母はそれを憂いているのだ。


 セルフィナは母に恭しく礼をし、回廊に入った。




 芦毛の愛馬は軽快に草原を駈けた。


 すぐ後ろを従者と護衛の者が続く。


 王都の街並みからいくらか離れた水辺で、鴨を見つけた。


 背中の矢筒から矢を一本引き出す。愛馬をゆっくり歩かせて、出来る限り近づいた。


 射程内と判断した位置で手綱を引いた。


 弓を構え、矢を引く。


 小さな池を鴨は横切っていく。鮮やかな色彩のこの獲物は雄だ。鴨の後ろで、掻き分けられた水が小さな波をたてていた。


 その鴨に向かって意識を集中し、矢を放った。


 セルフィナの手を離れた矢は、弓の押し出す勢いに乗って空を切っていった。





 陽が傾く前に、セルフィナは城へ戻った。


 獲物は鴨一羽だけだった。


 早々に獲物を仕留めたものの、なんの面白みも感じなかった。無駄に続ける気もなく、その後はただ草原をぶらぶらしていただけだった。


 狩りは外出の口実で、城から出たかっただけというのが本音だった。中庭で花婿候補を一瞬で叩きのめしたことを、また父に延々と叱られるのが面倒だったのだ。


 城門をくぐり、(うまや)へ向かうと、見覚えのある装飾の馬車が目についた。馬たちはちょうど車から解放され、たっぷりと水と飼い葉の入った桶を目の前に、腹を満たしているところだった。


「馬を頼む」


 セルフィナは手綱を従者になかば強引に押し付けると、城の入り口に続く階段を駆け上がっていった。


 脇目もふらずに謁見の間へと進む。


「おい、開けろ」


 扉の数歩前から横に立つ衛兵二人に命令するが、彼らは「しかし、ただいま陛下が……」と断りの文句を口にして、扉の前に出た。


「退け」


 力任せに二人を押し退け、セルフィナは自ら扉の取手に手を掛けた。重たい扉はゆっくり口を開け、中の様子が見える。


 真正面にはアーチ状の装飾屋根があり、その下の一段高くした床に玉座が据えられている。それに深々と腰掛ける父と、脇に控えるようにして立つ母の姿があった。


 そして、下段には父の前に並んで立つ、二人の男の後ろ姿。


「伯父上!」


 襟足の長い黒檀(こくたん)色の髪をした男の背中に、セルフィナは呼び掛けた。


「なんだ、セルフィナ」


 セルフィナが現れたことに気付いた父は、玉座から苛立たしそうな声を発した。それを無視して、セルフィナは玉座の前まで歩いていく。


「お前は下がっていろ」


 そう声を荒らげる父王の言葉に(ひる)むことはなかった。


 それどころか、靴の(かかと)の音を響かせて近付きながら、「伯父上がおいでになるなら、皆で前庭でお迎えするべきではありませんか」と、歯向かった。


 緩やかな動作でセルフィナに振り向いた伯父、グリーンラーム国王ディオルスは「いや、非公式の訪問だから構わないのだよ」と、年上の義弟を(かば)った。


「しかし、伯父上。これは明らかに侮辱です。自らの妃の兄ですよ。礼を尽くすべきです。たとえそれが建て前であっても」


 そうやって立腹していると、伯父の右隣の男が小さく肩を揺らした。


 笑われていると察して見遣ったところで、セルフィナは驚いた。


「……アルフ!」


 素頓狂(すっとんきょう)な声で男の名を叫ぶ。


 立っている位置で、彼が伯父の護衛で来たのではないのは一目瞭然だった。


「その様子では、ルース王からは何も聞かされていないようだな」


 伯父、ディオルスの言葉にセルフィナは両手を小さく広げた。小首を傾げて、なんのことかさっぱりわからないと示して見せる。


「息子を復権させた話は?」


「風の噂程度にしか聞き及んでいません」


 セルフィナは正直に答えた。彼女が父ルース王から聞かされる話といえば、大概が公務の予定か、一方的な見合いの話ばかりなのだ。グリーンラームの王太子の話は、侍女の噂話を小耳に挟んだ程度。側近でさえも、それ以上の情報は持っていなかった。


「では、息子、つまりグリーンラームの王太子の妃に、第一王女をとルース王に再三申し入れをしていることは?」


 伯父の言葉にセルフィナは面食らった。そんな話は初耳だった。


「ちょっと待って下さい、伯父上。私がヴァルカスの王位継承者だということをお忘れですか」


 第二王女ならいざ知らず、王位継承者の彼女を王太子の妃にというからには、それなりの理由が必要だ。そうでなければ、いくらなんでも無茶が過ぎる。


 伯父が無理を通そうとする時は、いつもそれだけの強い思いが伴っているとセルフィナは知っていた。それ故に、伯父の発言は彼女を動揺させた。


「ならば、そこから説明せねばならんな」


 軽く息をついてから、伯父は視線でアルフレッドを示した。それにつられて、セルフィナは彼に目をやった。


 一年ぶりに会う彼の姿を改めてよく観察した。上質な黒い上着を纏うアルフレッドは、以前と変わらず、綺麗に整えられた鳶色の髪に女好きのする顔立ち、混じりけのない青い瞳で涼しげに立っていた。セルフィナの知る限り、規律の厳しい騎士団にあって、入団から最短で班長まで昇った男だけに、国王と並んで立っていても見劣りはしない。それだけでなく、なにやら今までの彼にはなかった洗練された雰囲気まで加わっている。


 それは、ひとことで言うならば、品格のようなものだ。


 紛れもなく、再会のない別れをした筈のかつての恋人の凛々しい姿に、セルフィナは胸の奥に封じていた感情が、いまにも蓋をこじ開けて溢れ出そうになっていた。


 同時に、彼の立ち位置が気になっていた。


 セルフィナは淡い期待を抱かずにはいられなかった。


 アルフレッドはといえば、所在なさげに僅かに口元に笑みを作っていた。


「アルフレッドこそ、一年前にお前たちが探し出そうとしていた、私の息子だ」


 伯父の口から発せられたのは、期待通りの言葉だった。


 嘘偽りでないと示すように、ディオルスは真っ直ぐにセルフィナを見ていた。


 期待が現実であったと知ると、セルフィナは感極まって「アルフが……」と声を上擦らせた。


「大臣を捕らえる前日に、親子であると打ち明けた」


 彼女が全てを悟るには十分な説明だった。今にしてみれば、思い当たる節がいくつもある。


「だが、復権できる確証はなかった。だから、アルフレッドが私たちの元に戻って審議を受けると決断した後も、お前には秘密にしていたのだよ」


 黙っていたことを責めないでやってくれ。伯父ディオルスは目でそう訴えていた。


 大臣を捕らえる前日といえば、ヴァルカスから戻ってすぐのことだ。急に彼の口数が減ったこと、ディオルスが会議の場であっさりと王子の存在を明かしたこと、全員が集まっている場ではフローディアが「あの子」という単語は使わなかったこと。セルフィナが微かに感じていたそれら全ての違和感の正体こそ、いま彼がここにいる理由だった。


「アルフが、グリーンラームの王子……。俺の従兄……」


 確認するようにセルフィナが呟くと、ディオルスはそっと頷いた。


「それで、だ。私はせっかちな質でね。無事に復権を果たし、立太子礼も終えた王太子に妃をと思っている。年齢も釣り合うことだし、ルース王に何度かお願いしているのだが、何のお返事もいただけいないので、直接お願いにやって来た、というわけだ」


 セルフィナはアルフレッドを見た。二人の視線が出会うと、どちらからともなく、ほんのりと頬を染めた。


 アルフレッドとはもう二度と会うこともないと覚悟してグリーンラームを去っただけに、夢のような話だった。こうしてセルフィナの前に現れたアルフレッドはグリーンラームの王太子で、なおかつ、伯父は縁組みを進めるため直談判にやって来た。それもこれも、二人の仲がどんなものだったかディオルスはよく知っているからだった。つまりは、ひと肌脱ごうという算段なのだ。


 せっかちな質などというのは方便で、父ルース王が強引に縁談をまとめてしまう前に急いで名乗りを上げた。そういうことなのだ。


 対して、いまや品位すら感じられる(たたず)まいのアルフレッドを、ルース王は頭の天辺から爪先に至るまで、値踏みするようにねめつけていた。


 いままで引き合わせた公爵たちをことごとく打ち負かした娘が、父を前にしても隠すことなく頬を染める青年の粗を、どんな些細なものであっても見逃すまいとする眼光だった。


「義兄上。再三、申し上げているが、セルフィナはヴァルカスの次期国王。その娘を、ついこの間まで義兄上の臣下の一人だった王太子殿下に嫁がせるような、治世上逼迫ひっぱくした理由はグリーンラームとの間にはないはずですが」


 あからさまに無礼な態度で、ルース王はセルフィナとディオルスの会話に割って入った。


 身分を重視し、王権神授を信じるからのみならず、義兄よりも年上のルース王は、常にディオルスに対しても強気だった。


 話はどこまでいっても平行線のまま。


 とても出口は見えそうになかった。


 いつまで経っても埒があかず、結局、その日は話を打ち切ることにしたのだった。

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