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プレシア  作者: 南条祝子
〔大臣の陰謀編〕第四章 鏡の魔女
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第四章 鏡の魔女〈3ー2〉

 覚悟を決めたその時、風の渦は途中で見えない壁に阻まれ、霧散した。


「王妃様?」


 間一髪を援護した者の正体を口にする。


「よかった。危ないところでした」


 扉の前ではフローディアが安堵の声を漏らす。ひと呼吸ついて、オルフェとセラムのそばに駆け寄り、二人の無事を確かめる。が、セラムが腕を痛めているのに気付くと、我が身の怪我のごとく眉根を寄せた。


 その表情に、セラムは「大丈夫です、打撲だけのようですから」と告げた。


 フローディアは「あとできちんと手当てしなければね」と視線を腕に注ぐ。その彼の腕の向こうに見える床に横たえられている鏡に気付いた。


「あれは、セルアの鏡ですね」


「え? あぁ、そうです」


 王妃の問いかけに、セラムは背後の鏡に振り返って返事をした。


「安置の魔術を解いたのはオルフェ、あなたですね」


 鏡の正体を確認したフローディアは、オルフェに顔を向けて問いただす。


「……はい。でも、あたし、母親が遺した言葉が魔術に関係あるものだなんて知らなくて……」


 言い掛けて、オルフェは説明に苦悩した。自分の思考で上手くまとめきれる内容には思えず、「フィーラは鏡に封じられた魔女の力の解放方法もあたしが知ってると思ったみたいです」と、どうにか伝える。


 渋い表情のオルフェに対し、フローディアは軽く口角を上げた。彼女が言わんとする事は全てとうに知っている。そんな印象を受ける顔つきだった。


 案の定とも言うべきか、フローディアは「知らなくて当然です」とゆるりと小さく首を傾けた。


「え?」


「セルアに魔術を教えたのは、他でもありません。この、わたくしです」


「……王妃様が……?」


 フローディアの告白にオルフェはまるで狐につままれたかのように、青い瞳を何度も開閉させる。しかし、すぐに、王宮での王妃の噂を思い出し、表情を戻した。


「鏡に魔女の力を封じる方法は教えましたが、解放の仕方は教えませんでした」 


 なにかを思い出すように、感慨深げに瞼を軽く伏せてから、フローディアはオルフェの傍で床に投げ出されたままの鏡を拾い起こした。それを「この鏡に封じられているのが、セルアの母親の魔力というのは、もう、知っていますね」と、オルフェに差し出した。


 誘われるままに、オルフェは鏡を受け取る。そして、「はい」と返事をしながら、神妙な面持ちで鏡面に写る自身の姿に視線を落とした。


 フローディアは続ける。


「セルアがこの世を去った後、鏡を受け継いだ彼女の長女が私に助言を求めたのです。長女にはいい魔力があったのですが、本格的に魔術を学ぶ道は選びませんでした。そのため、見よう見まねの簡単なことしかできなかったので、このようないわく付きの物を守り抜くのは少々荷が重いと」


 話の内容に、いくらか頭で処理しきれない部分もあったが、オルフェはおおかた合点がいった気がしていた。


 能力があり、指南者がいたから、魔術を学ばなかった者が魔術を施せた。魔術が衰退した現代にあっては些か強引な理屈にも見えるが、当時としては、そう不可思議なものではなかったのだということが、フローディアの口振りから窺えた。


「あの当時のわたくしには、闇の魔術に対する知識が少なすぎました。はじめからこのような形で後世に残さずにいられればよかったのです」


 自戒の言葉とともに、フローディアはオルフェの手に自らの手を添え、しっかりと鏡に姿が映るように角度を変えた。


「さ、これ以上の詳しいことは後にして、オルフェ、あなたの手でこの鏡を壊しなさい」


「壊す?」


 茫然としていたため、オルフェはか細くひとこと返すのがやっとだった。


「ええ。鏡面を割れば十分です。この角度で、私が支えています」


「割ったら、どうなるんですか?」


「姿を映した状態でこの鏡を割った者に、封じてある魔力が吸収されます」


「吸収って……、王妃様、あたしは魔術なんてこれっぽっちも……」


 さすがにオルフェは狼狽した。


 魔術がなんたるかさえ、理解できたかと言えば怪しい限りだ。しかも、封じられているのは闇の魔術を操った魔女の魔力なのだから。


 オルフェは言い表せぬ恐怖に首を振って拒絶した。


 オルフェは半信半疑だった。安置と解放の仕方に比べ、あまりにも原始的すぎる。


「本当に、たったそれだけなんですか」


「ふふ。人は知恵を得すぎると、なんでも複雑化したがりますからね。かえって単純なことに気付きにくくなるものです」


 緊迫した状況にあって、フローディアは緩慢な笑みを浮かべた。


「どうしてこんな簡単なことを伝えなかったんですか。たったそれだけなら、セルアやその娘がやればよかったんじゃないですか」


 ごねている場合でないのはわかっていたが、決心がつくまで、オルフェにはもう少しだけ時間が必要だった。


「魔力が強く、闇が深いので、受け入れられるだけの素質がないと駄目なのです。そもそも、太刀打ちできないために考えた苦肉の策でした。残念ながら、彼女たちの許容範囲を超えていたのです」


「……受け入れられないとどうなるんですか」


 女神とその娘さえ不可能だったことをしなければならない。オルフェの不安は増すばかりだった。


「命を落とすか、闇の魔術の力に呑まれてしまうか……」


 もしも、フィーラのような者が破壊すれば、ほぼ間違いなく魔力の吸収に成功するのはオルフェにもすぐに理解できた。そうなれば、いま以上の魔術を操ることができるようになる。万が一、闇の魔術の力に呑まれたとしても、フィーラにしてみれば成功と大差ない。


「そんなの危険です」


 端で見守っていたセラムが止めに入った。


「いえ、オルフェなら大丈夫です」


 穏やかに、けれどはっきりとした言葉でフローディアはセラムの制止を却下した。


 それでもまだ不安そうにオルフェとフローディアを交互に見る彼を「魔術が使えるか否かと、魔力の有無は等しいくないのは知っていますね。オルフェなら、大丈夫です」と諭した。そう言われてしまえば、セラムはもう、引き下がるしかなかった。


 オルフェは微かに俯いた。


 たとえ吸収できずに命を落としたところで、自分にはこの世に惜しむべきものもない。しかし、果たして自分がそこまでする必要があるのだろうか。


 この鏡はフィーラに渡すべきではない。今はまだ魔力の取り出し方を知らずとも、何かの拍子に気付いてしまえば、こんな簡単な方法をすぐに実践しない訳がない。そうしたら、その先はどうなるだろうか。鏡から魔力を得ることが最終目的ならば、グリーンラームであのような事件を起こすこともなかっただろう。


 オルフェの脳裏に、投獄前に世話してきた路地裏の子供たちの顔が浮かんだ。


 一瞬の思考の渦に呑まれていたオルフェは、決断した。


 成功してもしなくても、鏡の魔女の魔力がフィーラのものにさえならなければ良い。オルフェはそう自分に言い聞かせると、顔を上げた。


「……わかりました、王妃様」


 そして、セラムの方に顔を向け、「王妃様が大丈夫だって言ってるんだ。やってみるよ」と宣言した。最後に、抑えた声で「もし、闇の魔術に呑まれたときは、あんたと王妃様に任せる」と万が一の場合を委ねた。


 セラムは口を引き結び、瞬きとともに一度だけ顎を引く程度に小さく頷くと、一歩、二歩と後ずさった。


「最近の鏡と違って、割れにくいですから、うんと力を込めておやりなさい」


 フローディアの助言にオルフェは無言で頷いた。


 腰にさげていた護身用の短刀を鞘ごと手に取った。束の方をフローディアが支える鏡面に向け、自分の姿を鏡に納める。


 深く、大きく、息をつくと、短刀の束を鏡に降り下ろした。


 鏡はフローディアの言う通り、なかなかに頑丈だった。白く輝く鏡面には、束が当たった部分にごく小さなかすり傷が出来ているだけ。


 二打目、三打目と、打ち付けていくと、ついに、鏡に数本のひびが入った。


 おまけとばかりにもう一撃加える。その衝撃を腕に感じていると、突然、鏡から風が吹き出した。


 猛烈な勢いの風に、オルフェの金色の髪は長く尾を引く流れ星のように中に舞う。そうして、一直線にオルフェの背後の大きな窓へ向かって吹き抜けていき、やがて、何事もなかったように収まった。


 勢いに目を閉じていたオルフェは、完全に収まったのを感じとると、恐る恐る目を開けて瞬く。特にこれといって、見た目にはなにも変わった様子はなかった。


 あとには、ひびの入った鏡だけ。


 オルフェは短刀を握ったままの自分の手や、脚など、見渡せる範囲の自分の姿を確認した。そうして、やはりなにも変わっていないと知ると、ひび割れた鏡の後ろのフローディアに視線を送った。


「うまくいきましたね」


 フローディアが安堵の笑みを見せる。


 いまひとつ実感のわかないまま、オルフェは鏡に視線を戻し、「これで、本当にこいつはフィーラの言う通りのがらくたになったってことだね」と一人ごちた。

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