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プレシア  作者: 南条祝子
〔大臣の陰謀編〕第四章 鏡の魔女
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第四章 鏡の魔女〈3ー1〉

「魔女と女神が実の親子だったなんて……」


 驚きのあまり、誰の口からともなくそんな言葉がこぼれ落ちる。


 オルフェはといえば、思いもよらぬ自分の出自を知り、大きな衝撃を受けて呆然としていた。


「わかったろう? 私とお前は、遡れば、魔女と女神の両方の血を受け継いでいる」


 誇らしげに、フィーラはついと細みの白い顎を上げた。


「私は魔術師となった次女の家系だ。この話も代々受け継がれてきた。それをどうだ、長女の家系のお前は、偉大な力を持つ血筋であることすら伝えられてはいない。愚かな家系だ」


 芝居がかった口調で嘲笑する魔女を、オルフェは苦々しい表情で睨み返した。


 だが、ふと、眉間の力を抜く。そして、落ち着きを含んだ声で魔女に反論し始めた。


「いいや。忘れたんじゃない。あたしの先祖は伝えなかったんだよ。あんたみたいな勘違いを起こさないように」


 ある種の確信を得たのか、オルフェはきっぱりと言い切った。


「勘違いだと」


 フィーラは失笑した。魔女の様子にもオルフェは微塵も動じる様子は見せなかった。


「そうさ。あたしの母親が残した言葉は、鏡を安置する魔法を解く鍵だった。あたしはそれだけしか知らされなかったけど、そうじゃないんだ」


 フィーラは「なに?」と眉をひそめ、オルフェを凝視した。


「今までもずっと、それだけしか伝えてこなかったんだよ」


 牢から出た時点では全く読み書きができなかったオルフェが、言い澱むことなく古語を(そらん)じた。しかも、古語であることさえも知らずに。


 鏡がどういうものか。また、彼女が母親から受け継いだ古語の意味を知っていたとしたら。あの時、なんの躊躇いもなく、鏡から彼女だけに聞こえた声に従って、続きを唱えたりしただろうか。


「セルアの長女はわかってたんだよ。次女が祖母に傾倒しているのを」


 言いながら、オルフェは力強い足取りでフィーラとの距離を縮めていく。


「魔術師にはならなかったが、鏡を魔術で安置できるくらいの能力はあった。妹に不審な向きがあるのがわかっていたんだ。他にも心当たりがあったんだろうよ。だから、わざと自分の子孫には先祖が何者かなんて伝えなかったんだ。再び魔女に傾倒する者が出ることも危惧していた」


 手の届く距離まで魔女に近付くと、オルフェは鏡をくるんでいる布を剥ぎ取った。白銀の輝きが、オルフェと似た姿形のフィーラを写し出す。


「例えば、この私。そう言いたいのか」


 鏡面に写った己の姿を一瞥し、フィーラはオルフェに鋭い眼光を向けた。


 オルフェは、そうだと言わんばかりに、鏡をフィーラに押し付けるように差し出した。しかし、人質までとって運ばせたものだというのに、「封じた力を再び外へ出さぬようにというわけか」と、左手で凪ぎ払うように押し退けた。


 その勢いでオルフェは何歩か斜め後方によろめく。


「狂気の魔女の力が得られぬならば、ただのがらくたも同じ」


 取り落としかけた鏡をひしと抱くオルフェを横目に、苛立たし気な声音でフィーラが言うと、辺りの空気が動き始めた。それは、風が吹くように室内を駆け回り、その場にいる者の髪を宙に踊らせた。


 風はやがて、フィーラの前で小さく渦を巻き始める。小さな風の渦は徐々に数を増していき、そのうちに互いにぶつかり合って融合していく。


「のちのちのためにも、魔女と女神の系譜はここで私の家系のみにしておこう」


 冷笑とともにフィーラは両腕をひらりと一旦後ろへ振ると、そう言って煽るように前へと凪いだ。その動きに従って、渦巻いていた風がオルフェに向かって襲いかかる。


「あっ……!」


 鏡を抱いたままのオルフェは直撃を覚悟したように瞼を堅く閉じた。無意識に後ずさったために、床に横座りに崩折れたが、それでも鏡は放さなかった。顎を引いて、どんな衝撃に見舞われるのかと覚悟を決める。


 が、風の渦はオルフェまで届くことはなかった。


 代わりに、オルフェの傍にセラムが駆けつけ、「大丈夫ですか、オルフェさん」と助け起こそうと手を差し伸べる。


「一体、どうなってるんだい?」


 顔を上げたオルフェは目を瞬かせて、セラムを見た。次に、風の渦を探してきょろきょろと辺りを見回す。


 狐に摘まれたかのように事態が呑み込めないでいると、「魔術で、風の渦を打ち消しました」とセラムが答えた。隠していたわけではないが、と付け加えて、彼は遠慮がちに口元にだけ笑みを作った。


「セラム、魔術が使えたのかい」


「ええ。天文学やる前は、魔術を学んでいたんで、少しなら」


「そうだったんだね。お陰で助かったよ」


 セラムの手を借りてオルフェが膝を上げていると、フィーラが「ほう。大した魔力もないのに、魔術師の真似事か」と嘲笑った。


 声の主に顔を向け、「失礼なこと言いますね」とセラムは反論する。


「笑わせてくれるわ。その程度で魔術が使えるなどと抜かす方が、魔術師に対する侮辱だ」


 フィーラはさらに挑発的な言い方で禍々しく唇の両端を持ち上げる。そうして、再び、風を起こし始めた。ただし、今度は風を起こし渦を形成する速度は比べものにならないほど速かった。大きさも、渦巻く速さも倍以上だ。


 瞬く間に出来上がったその風の渦を、フィーラは容赦なくオルフェとセラム目掛けて投げつけた。


 急いでセラムが反撃の体制をとったが、とても間に合わなかった。彼が利き手を上げる途中で風の渦の直撃を喰らい、オルフェとともに部屋の端の方まで吹き飛ばされてしまった。


 悲鳴を挙げる隙もなく、オルフェとセラムは床の上に投げ出された。


 体が床に叩きつけられた瞬間に、どちらともなく低く呻き声を発したが、それもつかの間に、いくらかの距離を滑走していく。制動で完全に停止するころには、二人とも、全身そこかしこに擦り傷を負っていた。


「……大丈夫かい?」


 少しの静寂の後、床に俯せて目を堅く閉じていたオルフェは、砂埃に軽くむせつつ瞼を開けると、目の前で同じように床に倒れ込んでいるセラムに声を掛けた。


 オルフェの半歩前にいたセラムの方が直撃を喰らっていた。咄嗟に彼女を庇おうとしたのか、右腕を伸ばした姿で床に伏している。


 問いに反応しようと口を開き掛けたセラムは、僅かに咳き込んでから、「な、なんとか……」と答えたが、身動ぎをすると微かに表情を歪めた。


 伸ばした方の腕を痛めたのだ。オルフェは鏡を床に放り出すと、消沈するセラムを助け起こした。


「折れちゃいないようだね」


 顔をしかめる具合からオルフェが言う。だからといって、痛みはある。セラムは「ええ……」と腕の痛みを堪えつつ相槌を打ったが、床に手をつかずに一人で立ち上がるのは難しかった。左腕に力を入れると、反対側にも若干の負荷が掛かってしまうらしく、セラムは痛みを堪えるように唇を真一文字に引き結んだ。


「あたしに掴まりな」


「……面目ない」


 すかさず肩を貸そうと屈むオルフェに、セラムは消沈した様子で詫びる。


「非常時に面目なんて気にしてたら命がいくつあっても足りないよ」


 セラムを立ち上がらせ、オルフェは苦笑する。


 会話をしつつ、どちらもフィーラの挙動に注意を払うのは忘れなかった。あれで二人ともがどうにかなるとは思っていないだろう。また、すぐに次の攻撃を仕掛けてくる筈だ。


 しかし、そう予測していたとはいえ、体勢を立て直すのに少し時間掛かりすぎてしまった。間を置くことなく次の動きをとったフィーラは、二人が立ち上がる間に、三度、風を操り始めていた。


 その一方で、オルフェとセラムも、瞬く間に迫り来るフィーラの放った風を、避けきれないと悟って衝撃に備えた。

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