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プレシア  作者: 南条祝子
〔大臣の陰謀編〕第四章 鏡の魔女
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第四章 鏡の魔女〈1ー2〉

 塔の入り口はオアシスに背を向けるように、反対側にあった。


 木製の並んだ縦板を三枚の鉄の横板で留めている。どちらも、真新しくはないが年数を経ているのが分かる風化具合だ。


 その鉄の板には、環状の取っ手が付いていた。


 錠前らしいものはついていない。セルフィナは取っ手に手を掛け、軽く押してみた。錆び付いた蝶番のか細く軋む音はしたものの、扉はすんなりと開いた。


 そっと、数歩だけ足を踏み入れたところで、セルフィナは歩みを止めた。後に続いていたオルフェとセラムも同様に立ち止まる。


「歓迎されてるらしいぜ」


 背後の二人にそうセルフィナが目配せで示した壁には、明々(あかあか)と燃える松明が掲げられていた。


 窓のない暗い塔の内部に、まるで三人を誘導するかのように奥へと続いている。


「灯りを辿れってことみたいだね」


 オルフェは橙色の炎の羅列を目で追って、そう言った。


 セルフィナも同様に松明の並ぶ壁のその先を見遣る。一寸の間を置いて振り返り、オルフェとセラムの顔を順に見た。


「行きましょう」


 セルフィナの視線を受けたセラムが穏やかな口調で言った。


 この塔は指定された場所に聳えている。状況から判断すれば、この塔のどこかに魔女がいると考えるのはごく自然なことだ。いわゆる敵の本拠地に踏み入った緊張から気持ちがざわついたとしても、無理からぬことだった。セラムの穏やかな言い方は、彼自身、怖じ気づくまいと気を奮い立たせる意図をはらんでいるようにみえた。


 オルフェとセルフィナは頷いた。


 松明の照らす通路を、セルフィナが先頭に立って歩き始めた。後にはオルフェ、セラムが続く。


 切り出した石で造られた建物の内部には、三人の足音だけが聞こえていた。時折、松明の炎が弾ぜる音がするものの、それ以外は全くもって静かだった。


 程なく、三人の行く手の真正面にも松明が見えた。だが、行き止まりではないらしい。距離が縮まっていくにつれ、おおよそすぐ右横のいくらか高い位置に、もうひとつ松明が掲げられているのに気付くことができた。


「あの辺りから、上にあがっていくみたいだね」


 オルフェが抑えめの声で言った。盗賊として様々な場所に忍び込んだ経験のある彼女は、それが上階へ続く目印だとすぐに気が付いた。


「そんな感じだな」


 静かさから、自然に声を発するのも遠慮がちになってしまう。セルフィナもまた、声を抑えて言葉少なに相槌を打った。


 口を閉ざし、ただただ正面の松明を目指して歩いていく。


 奥まで来ると、真正面と左側は行き止まりだった。通路は右方向に続き、オルフェの見立て通り、上り階段となっていた。


 だが、そこから先の様子は窺い知ることはできなかった。階段は弧を描くように続いている。他に道があるわけでもない。是非もなく、上ってみるしかなさそうだった。


 先に立って歩いていたセルフィナは、そっと最初の一段目に足をのせた。靴底が石段を踏み締める音が、一層、緊張を深くした。


 一歩ずつ、先の様子を警戒しながら上っていく。


 弧を描く階段は、螺旋状に上へと伸びていた。


 そんな構造のせいで、どのくらい上ったのか、まるで見当が付けにくかった。地上から随分と上がり、やがて、延々と続くかのような錯覚すら感じる頃、突然、松明の明かりとは違う光が行く手を照らし始めた。


 重く暗かった石壁にぽっかりと口が開いている。そこから白く目映い光が降り注いでいた。


 窓とでもいうべきか。人の上半身から頭の少し上くらいの高さと、二人並んだくらいの幅はある。その壁の開口部から、三人は外を覗いてみた。


 景色の右手から左手にかけて、緑の草原が砂地に変わっていく様が見渡せた。左手は延々と砂地が続く。右手の草原のずっと向こうには森と、更にその先には遠く山々が霞んで見えた。


「地上で見るよりも、草原から砂地への変化が分りやすいですね」


 眼下の景色を見渡し、セラムが感想を述べる。


 セルフィナが「ああ、そうだな」と答えてから、ふと、「それにしても、今は砂地の場所も、草原が続いてたんだろうな」と左手に広がる砂地に向かって呟いた。


 魔女と女神の伝承の時代より農耕を行ってきたヴァルカス王国に、不毛の地とも言える砂漠が領土内にあるのはとても滑稽だとセルフィナは常々思っていた。そして、豊かな土壌を持つ国に似つかわしくない砂漠に、妙な親近感すら覚えていた。


「さ、姫様、先を急ごうよ」


「あ、ああ。そうだな」


 ついぼんやりしてしまったところに、オルフェから声を掛けられ、セルフィナは弾かれたように我に返った。


 再び、螺旋に続く階段を昇り始める。


 あれ以来、一定の距離ごとに窓があり、十分な明るさが得られていた。


 階段の連続は予想以上に膝に堪えた。魔女との対峙に備え、小休憩を挟んで昇り続ける。そして、遂に、階段は数人が立てる程の踊り場へと三人を導き、そこで終わった。


 踊り場に立った三人の前には一枚の扉があった。塔の入り口と同様の、なんの変哲もない扉だ。進路はこの扉の向こうしかない。


「この向こうに、リアナ王女と魔女がいるかもしれませんね」


 セラムが扉をじっと見詰めて、独り言のように言葉を落とした。


「あたしはとっくに心の準備はできてるよ。扉を開けるのは、姫様に任せる」


「僕もです」


 口々に言う二人に、セルフィナは「分かった。じゃあ、開けるぞ」と、扉の前に進んだ。



 今度も、扉はいともあっさりと開いた。


 がらんとしたその向こうの空間は、両側の大きな窓から降り注ぐ日差しによって明るかった。そして、扉から室内へ踏み込んだセルフィナは、正面の壁の前で、小さくうずくまっている蜂蜜色の髪が揺れるを見た。


「リアナ!」


 思わず、妹の名を叫ぶ。その声に反応して、蜂蜜色の髪がむくりと起きあがった。


「……お姉さま……?」


 掠れた声でリアナが確かめる。


 妹であると分かるや否や、セルフィナは一目散に側へ駆け寄った。リアナは後ろ手に縛られてはいたものの、意識もはっきりしている様子だ。


「無事でよかった」


 間近で妹の顔を見て、セルフィナはようやく安堵した。リアナはといえば、セルフィナが手首の縄を解き始めると、嗚咽混じりに「お姉さま、ああ、お姉さま。申し訳ありません」と謝罪の言葉を口にした。


「謝ることはない」


「いいえ、いいえ。わたくしが浅はかだったのです。まるで幼い子が駄々をこねるように、わたくしも公務をしたいなどと我が儘を言ったばかりに、こんなことに……」


「それとは別の問題だ。だが、そもそも、公務など成人を迎えてからで良かったではないか」


「いいえ、いいえ、お姉さま」


 リアナは蜂蜜のようにしっとりと輝く髪を揺らして、セルフィナの言葉を遮った。


「お戻りになったお姉さまを見ていて考えを改めたのです。わたくしの見えている世界だけが、この世の全てではないと。お父さまとお母さまが与えてくださるものが、全て、正しいとは限らないと」


 はらはらと紺碧の瞳から涙を溢し、リアナは切々と訴えた。セルフィナはそんな儚げな妹の頬を伝う滴を親指で拭ってやる。


「だから、わたくしは自分の目でしっかりと城の外の世界を見たかったのです。お父さまのように、自分の知らないものは存在しないかのように扱ったり、認めない大人にはなりたくありません。お母さまのように知る努力を怠りたくはないのです。わたくしの知らない世界を否定するのは、彼らの働きのうえに生きているわたくし自身をも否定する。外の世界を見て、そこで暮らしたお姉さまなら、お分かりになるでしょう?」


 セルフィナは涙声で語る妹の健気な姿が愛しくなり、ひしと抱き竦めた。


 肩口に涙を落とす妹の髪を撫で「リアナ、お前は賢い。逃げることでしか父上に逆らえなかった私よりも勇気がある」と心から彼女を賛辞した。


 けれど、リアナは身動ぎのように体を揺すり、セルフィナの腕の中で否定した。


「いいえ、お姉さま。わたくしはお姉さまのように自らの足で城下に出ていく術がなかったのです。結局、お父さまの力に頼った罰が下ったのですわ」


「罰なものか。お前は父上を頼ったのではない。父上をうまく利用したのだ」


 リアナはセルフィナを見上げ、きょとんとした顔で目蓋を瞬かせた。


「わたくしが、お父さまを、利用した……」


 心なしか嬉しそうな響きを含ませて、姉の言葉を繰り返す。


「そうだ。なんでも正しければ真正面からぶつかればいいというものではない。私はグリーンラームでの月日で、ようやく、そう気付いたというのに、お前は自らの知恵でやってのけた」


「……はい、お姉さま」


 涙の跡も乾き切らぬ顔にほんのりと笑顔を浮かべ、リアナは頷いた。

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