第一章 呪われた姉妹〈2〉
一行は目的地、ラーシオン王国の首都リューズナへ行くために、まず、このプレシア大陸のほぼ中央に位置するコーマス村を目指した。
コーマス村はグリーンラーム王国の領内だが、大陸の四つの国を行き来する要所だ。
そのため、村でありながらそこそこに発展し、賑わっている。
王都を離れ、街道に出ると、それまで歩かせていた馬の腹を蹴り、駈足で進んだ。
途中、昼食の休憩をとる予定だった。馬に過度の負担をかけないための配慮でもある。
太陽が空の高みに上る頃、街道沿いに休憩できそうな一角を探し、小さな川の傍の木に馬を繋いだ。
馬が川の水でのどを潤し始めると、セルフィナたちはその近くの岩場に腰掛けた。そこで、銘々、携行食を取り出す。
「フローディアも人が悪いよな」
岩の上で胡座を掻き、荷袋からパンを取り出しつつセルフィナは悪態をついた。
「セルフィナ」
フローディアが眉間に力を込めて、静かな口調で一喝した。仮の名で呼べという意味だったが、セルフィナはふんと鼻を鳴らしてパンにかじりついた。
澄ました顔の彼女を見て、フローディアはやれやれと溜め息をついた。
「だってそうだろ。アルフを指名したなら教えてくれたっていいじゃないか」
心の準備をして隊舎を出たセルフィナにしてみれば、拍子抜けも良いところだった。
「あなたの折り紙つきだから彼を指名したのです。腕が立つと散々褒めていたではありませんか」
「なっ!」
伯母の言葉にセルフィナは小さく叫んで跳ね上がった。弾みで、膝の上から残りのパンが転げ落ちる。アルフレッド本人にそんな風に彼の実力を認めていると明かしたことはなかったからだ。セルフィナは珍しく狼狽えた。
仮の名で呼ばなかった事への仕返しだ。
セルフィナは苛立ちを露に水筒の水を煽った。
そんなやり取りをアルフレッドは不思議そうな表情で見ていた。
王妃に対する態度ではない。彼の物言いたげな視線に気付いたセルフィナは「フローディアとは古い知り合いなんだ」と膨れ面のまま明かした。
彼は「ふーん」と腑に落ち切っていない返事をして、チーズを口に放り込んだ。
「セルフィナからは他にも色々聞いていますよ」
そこへ、フローディアが会話に加わった。
彼はセルフィナを一瞥してから「それでお伴に指名していただけたのであれば光栄です」と模範的な礼を述べるに留めた。
「孤児院で育ったとか」
いきなりフローディアがそんなことを言い出したので、驚いたセルフィナは口に入れたばかりのパンを噛まずに飲み込んでしまった。
これではまるで王妃にあらゆる情報を流してしまったみたいに思われてしまう。そう感じて、アルフレッドの表情を確認した。彼は余計な事を言ってくれたと表情で訴えて軽く睨んでいたが、すぐに王妃に視線を戻した。
「はい、そうです」
短く答える彼に、フローディアは「ご両親の手掛かりがあるそうですね。見せては貰えませんか?」と優しい口調で聞いた。
アルフレッドは黙って首元から銀色に輝く板のペンダントを取り出すと、王妃の傍へ行き、差し出した。
それを手に取り、フローディアは繁々と観察した。
「帰ったら、ご両親と再会できるよう力になりますよ?」
ひとしきり銀色の板を眺めてから、それを彼に拒否する余裕を含んだ言葉とともにともに返した。
「ありがとうございます、陛下。ですが……」
一瞬、躊躇いの表情を浮かべた後で、「見付かったとしても、両親は孤児院に預けた俺に会いたいと思うでしょうか」と手のひらに戻ったペンダントを握り締めた。
返事を得て、フローディアは黙ってしまった。
「申し訳ありません、陛下のせっかくのお心遣いを……」
「いえ、よいのですよ。わたくしこそ、あなたの気持ちも考えずに出すぎたことを言いました」
心底申し訳なさそうにしている彼にフローディアは優しく謝った。
二人がそんなやり取りをしている間に、セルフィナは昼食を終えて、草の上に大の字になって寝転がっていた。彼女は全く別の事を考えていた。
失踪した姉の手掛かりを探しにいこうとしている伯母、フローディアの姿に、自らの妹を思い出していたのだ。
二つ年下の妹は第二王女として、王女に必要な教養だけを学ばされていた。乗馬もたしなむ程度。勿論、剣など持ったことすらない。
いつも「姉上、姉上」とセルフィナの後について回り、兵士相手に剣を振るうセルフィナの姿を眺めていた。
セルフィナがヴァルカスを飛び出してきて一年になる。妹も心配していることだろう。ただ、蝶よ花よと育てられた、まだ十五歳の妹が、伯母のように自らの手で姉を探そうとするなどあり得ない。
そんな思いが、セルフィナの胸の奥で棘のように引っかかり、ちくりとした痛みを与えていた。
心配をかけているのも辛かったが、彼女はどうしてもヴァルカスへ帰るという決断はできなかった。アルフレッドと別れるのも辛いからだ。
国に帰ることは即ち、アルフレッドとの再会の無い別れを意味している。そして、父の見繕った男と結婚せねばならないのだ。王家に生まれた責務だと分かっている。
しかし、愛しいという感情を知ってしまった今、セルフィナが自らそれを手放す決断をするのは難しかった。
セルフィナは自然と溜め息を零していた。
充分な休憩をとった後、初日に逗留を予定している宿場町を目指した。
王都ラリンスとコーマス村の中間地点のこじんまりした町だ。日暮れ間近に無事、辿り付くと、部屋の空いている宿を探した。何代も続いているであろう年季の入った板壁の宿で、うまい具合に二部屋取ることができた。セルフィナとフローディアは同室で、アルフレッドは一人で泊まることとなった。
長年風雨にさらされた外観とは違い、室内は小綺麗だった。一般市民が泊まるものとしては、良い宿の部類に入るだろう。それでも、到底、王族が泊まるような部屋ではない。そんな、隊舎のベッドよりましな寝床に、セルフィナは程良く疲労した体を押し込んだ。布団を肩まで手繰り寄せると、もうひとつのベッドにいるフローディアに声を掛けた。
「こんなベッドで眠れそうか?」
庶民出とはいえ、品の良い伯母に質素なベッドは不似合いで、偽りなく、心配したからだった。
「普通のベッドで寝るのは久しぶりだから、かえってわくわくして眠れないかも知れないわね」
彼女の心配などどこ吹く風で、フローディアはくすくすと笑っていた。そして、セルフィナと同じように布団にくるまった。
「心配いりませんよ。元はただの魔術師です。旅先で野宿をしたことなんて数えきれないくらい。そういうセルフィナこそ、隊舎のベッドでちゃんと眠れていて?」
伯母の言葉にセルフィナは吹き出した。
「隊舎のベッドどころか、道端でだって寝られるよ。ヴァルカスにいた頃から野営訓練だって参加してたし」
そう言った後で、彼女は枕と頭の間で腕を組んで天井を見上げた。
王女という言葉に人々が思い描くような生活など、セルフィナは経験したことがなかった。たくさんの家庭教師と書物を与えられ、剣や馬の手綱を握らされた。それなのに、都合のいいときだけ、王女でいることを求められた。
「フローディアは、宮廷占星術師から伯父上の妃になって、王宮で暮らすの、窮屈に思ったことはない?」
瞼が重くなる感覚にまつげを揺らしながら、フローディアに問いかけた。王家の娘に生まれたセルフィナでさえ、王宮の生活は窮屈に感じるというのに、伯母はよく馴染めている。彼女にはそれが不思議でならなかった。
「そうねぇ……」
考え込む呟きから、やや間があった。
「窮屈というより、最初は緊張感の中で過ごしていたかしらね。家臣の反対が根深くて、ディオルスが王位を継いですぐは生きた心地がしなかったし。失ったものも沢山ありましたよ」
ゆっくり、静かな声でフローディアは答えた。
それはセルフィナにあの噂を思い出させた。
「それって、フローディアが占星術師だったことと、不死の呪いがかかっているって噂が理由?」
荒唐無稽な噂だ。しかし、その言葉に、伯母はベッドに横たえていた体を起こした。
「その噂、今もまだ城内にあるのですか」
普段より低めの声で呟き、フローディアは小さく息をついた。つられるようにして、セルフィナも体を起こし、伯母の方に向き直った。
「いずれは隠しきれなくなるとわかっていたのだけれど……」
続けて発せられたのは、噂が事実だと認めるような言葉だった。
「私はね、今年で千二百二十八歳なの」
突然明かされた彼女の年齢は、信じがたいものだった。
「ふーん、そうなんだ」
セルフィナはそう返すしかできなかった。
途端に、フローディアはくすくすと笑いだした。
「ディオルスもあなたと同じような反応だったのですよ」
突然笑い出したことを訝しむセルフィナに、彼女はそう理由を明かした。
「姉も同じように千二百年以上生きています。私たち姉妹は数十年単位で各地を転々と渡り歩いて生きてきました」
セルフィナは黙って耳を傾けた。伯母の姉が失踪したことに関係があると直感したからだった。
「私たちの呪いは不死だけではないのです。 私には姉の闇の魔術の力が、姉には私の魔術の力が封じられていてね、お互いに監視し合い、そして、お互いを避けて生きてきました」
「それなのに、なんでラーシオンに行くのさ」
思わず口を挟んだ。
「それでも、行かなくてはならないのですよ」
薄暗い部屋に響くフローディアの冷静な声で、部屋の温度まで下がったかのようだった。
「これまでの長い間、姉が突然、行方を眩ますなどただの一度もなかった。まして、神官長という要職を得ておきながら。きっと、なにか企んでいるに違いありません」
確信に満ちた言葉だった。
「なあ、だいたい、なんで呪いだとかそんなことになったんだ?」
質問したいことはほかにも山ほどあったが、セルフィナはまず、そこが一番知りたいと思った。
伯母は少し小首を傾げて「その昔、闇の魔術に魅入られた四人の魔女がこのプレシア大陸の人々を恐怖に震え上がらせた話は知っていて?」と聞いた。
セルフィナは頷いた。
「そのうちの一人に狙われたグリーンラームも酷いありさまで、怪しげな儀式のためにたくさんの人が命を奪われたのです。それを阻止しようと、一人の魔術師が闇の魔術の力をその身に封じたのですが、同時に魔術師の魔力は闇の魔女に封じられた」
「それってグリーンラームで祀ってる女神フローディアの話だよな」
今度は伯母が頷いた。
いきなり女神の伝承を持ち出され、セルフィナはますます困惑していた。
「その闇の魔女が私の姉、フェニア。魔術師というのが私。伝承では相討ちでどちらも死んだことになっていますがね」
信じるかどうかは任せる、という空気を残し、フローディアは話を終えた。
伯母が女神と同じ名前なのは、問題ではなかった。
グリーンラームやヴァルカスでは、君主や聖人の名前に肖って子供に名前を付けることが多い。それを良しとした風潮もある。
故に、フローディアという名前も珍しいものではないからだ。
これから向かうラーシオンでは、逆に、そういった行為は罪にこそ問われないが、不敬とされてしまう。
そんな理由もあって、自分がまさに伝承の本人だという伯母の言葉が真実かどうか、セルフィナには判別がつかなかった。年齢のこともそうだ。妄言と片付けてしまうのは簡単だ。
ただ、身分を隠してまでラーシオンへ向かおうとしている。この事実はどう見ればよいのだろうか。
「ただの魔術師をみんなが変にありがたがって神格化しただけよ」
フローディアはそう言いながら、自分の首元へ手をやった。
「信じられなくて当然です。そのうえで、セルフィナ、あなたにお願いがあります」
セルフィナはいつになく小さな声で「なに?」と返した。
「これを、あなたに預かってほしいの」
そういって伯母が差し出したものを受け取った。手の中に収まったものを確認すると、それは細い鎖に通された指輪だった。
「何があっても、これを姉に渡さないように。いえ、あなたが持っていることさえ知られないようにして欲しいの」
月明かりが射し込むだけの薄暗い部屋で、指輪に刻まれた、たくさんの見たことのない記号とも文字ともつかぬものを見つめ、セルフィナは「分かった」と静かな声で返事をした。
真偽はラーシオンへ行けばきっと分かる。自らの目でしっかりと確認すればいいとセルフィナは思い直した。
「あなたは本当に不思議な子ね。こんな話をしても動じないし、疑ったりもしない」
再びベッドに横たわって、伯母は静かな口調で言った。
「聞き出そうとしたのは俺だけど、そう言うフローディアだって、なんで疑いをもたれてもおかしくないようなことを話したのさ」
不思議がる伯母にセルフィナは小さく笑って聞き返した。
「どうしてかしら。強いていうなら、あなたは私の古い友人に似たところがあるから、かしらね」
伯母は古い友人という言葉に温もりを込めて答えた。
「さ、もう寝ましょう」
その余韻に浸るまもなく、彼女はそう促して、布団を被り直した。
プレシア大陸にある四つの国では、それぞれ一人ずつ女神を祀っている。そして、その女神に関する伝承が言い伝えられている。
大陸の北西に位置するグリーンラーム王国は女神フローディア。
セルフィナの母国、大陸の南西のヴァルカス王国は女神セルア。
一行が向かおうとしている大陸の北東のラーシオン王国は女神リューレ。
そして、大陸の海の玄関口東南のリムディア王国は女神アルフェ。
かつて闇の魔術に傾倒した四人の魔女が妖しげな力を用いて四つの国を、ひいては大陸全土を乗っ取ろうとした。いずれも、その危機から救った四人の魔術師の功績を讃えた伝説に基づいて、各国で神格化されたものだ。
それが、およそ千二百年前のこと。国と大陸の歴史の一部として伝えられているため、各国の王族にとって必須の知識の一つでもある。
闇の魔女たちの行いにより、以降、魔術は徐々に廃れてしまった。現在ではまじないと区別のつかない程度のものしか見ることができない。よって、当時の魔術というものが一体どれほどのものか、想像するのは難しい。
今もそれなりの心得がある者もいるだろうが、魔術というと四人の魔女を思い起こす者が多いせいか、隠すことが殆どだ。
伝説など、所詮はもっともらしいお伽話。今ではそう捉える者の方が多いかもしれない。
フローディアの言葉を信じるのなら、他の女神として祀られている三人も実在した人物だということになる。
千二百年という時間は、真実と作り話の境目を曖昧にするに十分な長さなのだ。そして、今日のこの日も、過去の出来事の一つに過ぎなくなる。そして、長い時間の中に埋没してしていくのだ。
薄暗い天井をぼんやり見詰め、延々とそんなことを考えていたセルフィナは、自然と眠りに落ちていったのだった。




