第三章 継承する者〈3〉
王妃の好意に甘えすぎるのも、とセラムはその翌日の午前には自宅へ戻ることにした。取り立てて大した荷物があるわけでもないので、すぐにでも立ち去れる状態だったが、律儀な質の彼は、王妃の客人として滞在中に世話になった侍女たちへ、前日の午後はきっちりと滞在中の感謝と別れの挨拶をする時間に当てたのだった。
見送りのために、セルフィナとアルフレッド、オルフェの三人はまた、彼の寄留する部屋に集まっていた。
「俺も月末には国に帰るし、ちょっと早いけど、セラムとはこれでお別れだな」
セルフィナがそう右手を差し出す。その手に色白の右手を伸ばしつつ「セルフィナさん、本当に帰ってしまうんですね」とセラムは眉尻を下げた。
「ああ、今回の件が落ち着くまでって、頑固親父と約束しちまったしな」
「王子探しもする必要なくなりましたしね」
心底残念そうな会話の後で握手を交わした彼は、アルフレッドの表情を窺うように目線だけを動かした。冷静そうなアルフレッドの様子に小さく息をつき、続けてオルフェを見る。その視線に気付いた彼女に「オルフェさんも、ヴァルカスへ帰るんですか?」と声を掛けた。
オルフェは丁寧に編まれた髪を緩やかに揺らし、「あたしは王妃陛下がこのまま本当に侍女として抱えてくれるっていうから、有り難くお仕えすることにしたよ」と帰郷は否定した。
「あたしが侍女を続けた方が、侍女頭が穏健派の振りを辞める口実に役に立つんだってさ。それに、姫様が帰っちまった後、秘密の任務を頼む女が必要だって、昨日説得されちゃったよ」
そう肩を竦めたが、自由と職が同時に手に入り、オルフェ自身まんざらでもないといった様子だった。ヴァルカスへ戻れば、また、元の盗賊生活になるのは目に見えている。「でも、お金を貯めて、いつかヴァルカスに戻って、グリーンラームのような孤児院を作りたいんだ」と、未来への希望に宝石のような青い瞳を輝かせた。
「そうですか、頑張ってくださいね」
セラムははにかんだ笑顔で、オルフェとも握手を交わした。
「俺には何かないのかよ」
ヴァルカスから戻って以来、めっきり口数の減っていたアルフレッドだったがそう茶化した調子で言った。
「アルフにはとても感謝してるよ。あんな話を小馬鹿にせずに取り合ってくれてありがとう」
感謝を述べる幼馴染みの肩を、アルフレッドは「当たり前だ。お前とは実の兄弟同然だからな」と右手の拳で小突いた。
そろそろ一人城の外へと出ねばならないセラムを通用門まで見送りにいこうかと一同が動き出した時だった。
並々ならぬ慌ただしさを帯びて、フローディアが入ってきた。
余程のことでもない限り荒々しく扉を開け放つような真似などしないうえに、表情さえ崩さない筈の彼女は、あからさまに血相を変えていた。見送りに来たのではないと誰もがその慌てぶりに目を丸くしているうちに、、「セルフィナ、ここにいましたか、大変です」と、やや乱れた呼吸もそのままに、手に握っていた書簡を差し出した。
「なんだよ、どうしたんだよ」
二年前のあの事件の時でさえ、ここまで逼迫した表情を見せたことはなかったというのに、一体どうしたことかと困惑しつつ、セルフィナは伯母の差し出した書簡を受け取った。
封印にはヴァルカス国王の紋章が使われていた。紛れもなく、それが父からのものだとセルフィナはひと目で理解した。
帰国を急かすものならばフローディアがここまで慌てるものでもないと、嫌な予感に心臓を踊らせながら、文面に目を落とした。
「……リアナが、攫われた」
随分と間があってから、セルフィナは内容を自身に言い聞かせるように呟いた。その言葉に、アルフレッドたち三人は口々に「なんだって?」とざわめいた。
「フィーラと名乗る魔女に攫われた、としてある。王女を無事に帰してほしければ、継承者にセルア神殿に祀ってある鏡を持って来させろと言っているらしい」
みなが心配した視線を送るのにも気付かずに、セルフィナは父からの書簡を掌の中で握り潰した。
捕らえた大臣から聞き出す前に、魔女の方から舞台に上がってきた。自ら動きをみせるということは、大臣のような手先を使う手法はやめたということなのか。更に、グリーンラームを掌握する筈だった方針さえも転換したということか。魔女の意図を読みとるのは、書簡の文面からでは難しい。
「僕があの時聞いた話では、グリーンラームの軍事力を使って他国も支配するようなことを言っていましたから、魔女が狙っているのはグリーンラームだけではないってことでしょうけど、随分と切り替えが早いですね」
唯一、魔女その人を見たことのあるセラムは、そう言って腕を粟立たせていた。
「大臣がしくじったから、標的をヴァルカスに変えたってことかい」
自分の故郷で起きていることに、オルフェは顔をしかめる。オルフェだけでなく、誰もがよもや、ヴァルカスからフィーラという魔女の話が聞こえてくるなど、夢にも思わなかった。
ふと、オルフェが書簡にあった内容を口にした。
「セルア神殿の鏡って、その昔、闇の魔女と戦った女神セルアの持ち物だったって言う神話がある銀の鏡だろ? 普段は人目に付かない神殿の奥で祀ってるんだっけ」
神殿や鏡のことは、ヴァルカス国民ならば殆どの者が概要くらいは知っていた。オルフェが神話と表したように、大人が子供たちに語り継いでいる。おおよそ、グリーンラームの血の魔女の伝承と同じように代々伝えられてきたものだ。
そんな伝承のある鏡と、セルフィナの妹の身柄とが引き替えだというのだ。
「なんだかんだ言って、妙なところで自分は動かないんだね」
魔女の行動にそう目くじらを立てるオルフェに、「いいえ、鏡に関しては、自分で動かないのではなく、自分では動けないのだと思います」とフローディアが首を振った。
「王妃陛下、なんでですか」
ぎこちない丁寧語でオルフェは理由を聞いた。
「闇の魔女は鏡に触れることが出来ないよう、魔術が施してあるのです」
答えを聞いたオルフェは「それじゃあ、まるでそのフィーラって女は闇の魔女ってことみたいじゃないですか」と目を丸くした。
「そのような可能性がないと、一概に否定できません」
二年前にフローディアの姉、フェニアが再び闇の魔術を手にしようとしたように、方法がないとは言い切れない。また、魔術が廃れたとはいえ、僅かにでもその道を志す者がいるならば、そこから闇の魔術に傾倒していく者が現れてもおかしくはない。フローディアは闇の魔術と対峙した生き証人として、それを懸念していた。
もはやオルフェはぽかんと口を開けているだけだった。
「継承者にってことは、セルフィナにその鏡を持って来させろっていうことか」
アルフレッドが顔をしかめた。フェニアに魔術で動きを封じられた経験があるだけに、彼はその怖さを知っている。フローディアに顔を向け、「陛下……」と呼び掛けた。それだけで、彼の意図はフローディアに伝わった。
だが、郷里からの知らせを受け取ったセルフィナはともかく、アルフレッドは騎士団の一員として、任務でも、当人の事でないのに勝手にヴァルカスまで同行する訳にはいかない。
「セルフィナはすぐにでも帰った方がいいでしょう。件の魔女とあっては、わたくしも放っておくことができません。急ぎ、ディオルスに許可を取ります」
出掛ける王妃の護衛という形でヴァルカスに赴く手筈を整えるということだ。いちいち面倒ではあるがやむを得ない。アルフレッドは黙って頷いた。
そこへ、恐る恐る、「僕、その魔女の顔を知っていますし、元はといえば魔術師を志した身ですから、多少の心得はあります」と、セラムが口を挟んだ。
「セルフィナさんのご迷惑でなければ、一緒に行かせてください。相手は魔女ですから、お役に立てることもあるかもしれません。僕が見た魔女が次の行動を取っているのに、暢気に自宅に帰る気にもなれませんから」
ご迷惑でなければ、と添える割に、セラムはすっかりそのつもりの様子だった。
「ありがとう、セラム」とセルフィナは礼を述べて
「そうだな、大臣と結託してた魔女本人かどうかなんて、俺じゃあわかんねえ。頼む」
名前だけしか知らないセルフィナには、果たして本当に件の魔女であるか判別などつけようもない。彼女はセラムの申し出に頭を下げた。
「ならばオルフェ、あなたもセルフィナたちに同行なさい」
突然、フローディアがオルフェにそう命じた。
「あたしもですか?」
不意の命令に目を瞬かせていたオルフェだったが、「ルース王は細かい方ですから、セラムと二人では余計な面倒が増えてしまいます。あなたも一緒のほうが良いでしょう」と、説明を受けると深く納得し、頷いて了承の意を示した。
話が一応のまとまりをみせると、「それじゃあ、セラム、オルフェ、よろしく頼む。厩で落ち合おう」と言い残し、セルフィナは大急ぎで隊舎の自室まで身支度を整えに、客間を飛び出していった。




