第三章 継承する者〈1ー1〉
控えの間に戻ったマリッタとオルフェは次の行動に移った。
今夜の寝具の支度や、払い下げ品の選別などで忙しい格下の侍女たちの横をするりと通り抜け、マリッタは王妃の為の様々な品物が保管されている棚へ向かった。そこから必要な物を取り出すと、オルフェの側へ戻った。
「オルフェ、王妃陛下がご所望だったインクとペン先の換えが届いているので、お部屋までお届けして」
マリッタはそう言って、淡い紅色の天鵞絨でできた巾着を差し出した。それを受け取り、「はい、わかりました」とオルフェは丁寧な返事を返す。
渡された物を銀のトレイに載せ、控えの間を出ると、オルフェは城の廊下を歩き出した。徐々にあちこちへと行きつ戻りつしながら、迷っている体をとる。その間に、大臣の部屋へ入ってからの行動を頭の中でもう一度しっかりと段取った。
そうやって、うろうろと四半時ほどの時間をおいてから、大臣の部屋へ向かった。
先だっては忍び込んだのだが、今度は正面から何食わぬ顔で入ることにした。
入り口の警護兵に「ご所望の筆記具を届けに参りました」とだけ告げた。
警護兵は「見ない顔だな」と訝しがったが、オルフェは「はい、雑用係として新しくお勤めすることになったばかりです」と、艶やかな笑みを作って見せた。
これまで、散々、貴族や豪商の家に忍び込んできたオルフェには、そのくらいの演技など造作もないことだった。長身のせいで可愛らしさは演出できないと自認している彼女は、別の要素で警備の男たちを油断させる壷を心得ていた。
みるからに朴訥とした雰囲気の警護兵はオルフェの笑顔に少なからず動揺を見せた。それを誤魔化すかのように、「雑用係か」と、手にしている銀のトレイを一瞥し、確認するように呟いた。「はい」と、答えて同じようにオルフェもちらりとトレイに視線を落とす。すぐに顔を上げ、もう一度、警護兵の視界のうちでたっぷりと妖しげに微笑んでから、そっと会釈をして、まんまと大臣の部屋へと入り込んだ。
室内は少し前に忍び込んだときのままだった。
机の上にトレイを置き、一覧の入っていた引き出しを開けた。軽く中を乱した後、引き出しを開けるときに使ったと見せかけるため、こっそりと調達しておいた針金を引き出しの鍵穴に押し込んだ。仕上げに、袖の中から一覧を取り出す。
後は、なかなか戻らないオルフェを探しにマリッタがやってくるのを待つばかりだった。
ここからが本番と気を引き締めていると、にわかに廊下が騒がしくなった。話し声の後、ドアノブの動く音がし、勢いよく扉が開けられた。
「オルフェ、こんなところで何をしているのです。王妃陛下の部屋はここではありませんよ」
現れたのは侍女頭だった。
入って来るなり、開口一番に叱責の言葉を放たれたが、それよりもマリッタがやって来るものだとばかり思っていたオルフェは、驚いて手にしていた一覧を取り落とした。それはひらりと床を滑り、侍女頭の数歩先で動きを止めた。
「なんですか、これは」
机の様子をゆるりと確認するように視線を泳がせてから、怪訝な表情で侍女頭は体を曲げ、床の上のそれを摘み上げた。手にした紙を侍女頭が広げていく。その乾いた音を耳にしながらオルフェは呼吸を整えた。
「……これは、その」
オルフェは口籠もった。
「どうされました」
扉が開け放たれたままの出入り口で、廊下から警護兵が室内の二人に声を掛けた。そんな彼を無視し、侍女頭は「まさか、大臣閣下の机からこれを盗もうとしていたのですか」とオルフェに詰問する。
オルフェが黙っていると、侍女頭は身を乗り出している警護兵を呼びつけた。
「侍女がこれを盗もうとしました。すぐに大臣閣下にお知らせを」
ヒステリックに声を荒らげ、一覧を押しつける侍女頭に、警護兵は火がついたように慌ててオルフェを取り押さえ、大臣の部屋から連れ出したのだった。
侍女頭が感情的に大騒ぎしたことにより、警護兵長まで飛んでくるありさまになった。一覧は警護兵長の手に渡り、オルフェは長い廊下を警護兵に引き摺られるようにして連行されて行った。
やがて、重厚だが品の良い扉の前にやって来た。入り口を預かる警護兵と警護兵長の少しの遣り取りの後、開かれた扉の向こうにあったのは会議室だった。マリッタが匿名で投書した城下での凶行についての対策が話し合われ、城内の要職者が会している、まさにその場所だ。
張り詰めていた会議室の空気を、警護兵の物々しい足音が切り裂いた。
円卓に座していた国王以下の視線が集中する。
「何事だ」
会議室の入り口から一番遠い席の、初老と呼ぶにはまだ若い中年の男が落ち着いた声で問い質した。
「はい、陛下。この女がルシフォルト国務大臣閣下の部屋で、盗みを働きましたところを捕り抑えました」
オルフェの背後についてきた警護兵長が姿勢を正し、声を掛けた男、国王ディオルスにそう告げる。国王は「そうか」と静かに声を発して、オルフェを観察した。その隣の席では、大臣がまるで害虫でも見るかのように、慈悲の欠片さえ感じられない冷淡な眼光を向けていた。
ディオルスは筆記具の軸で、紺碧の瞳の前にひらりと落ちてきた黒檀色の前髪を払った。そして、「して、この娘は何を盗んだのだ」と、なおも穏やかな姿勢を崩さなかった。
「はい、それが、書類のようで……」
警護兵長が言い終えぬうちに、ディオルスは無言で手を差し出し、見せろと動作で示した。恭しく差し出された一覧を手にすると、「賊ならば金目の物に手を出すだろうに、さては、どこかの密偵かな」などと一覧を広げた。
一覧に素早く目を走らせると、国王は小さくひとつ息をついた。
「娘。何故、これを盗ろうとした」
オルフェに問いかけつつ、国王は書面が大臣の視界に入らぬようにさり気なく紙を傾げた。
「……その……、鍵の掛かった引き出しにあったので、なにか、重要な書類なら、他国に、高く、売れるのではと……。すみません。実は、物盗りの前科があるんで、引き出しの錠前くらいなら、簡単に開けられるんです」
訊かれてもいないことまで、言葉を選びつつオルフェは答えた。それに対して国王は「なるほど」と頷いた。




