第一章 呪われた姉妹〈1〉
セルフィナがグリーンラーム王国の首都ラリンスで騎士団に入ってから一年が経った。
騎士団での生活にも慣れ、後輩もでき、仲間ともうまくやっていた。
とりわけ、稼業以外の時間はアルフレッドと一緒にいることが多くなっていた。
最初の掴み合いの一件から半年後、二人は恋人として付き合うようになっていたのだ。
二人にしてみれば、むしろ、あれこそがきっかけだったのだが、誰もが相性が悪いと信じていた。それゆえに、急速に距離を縮めていく様は周囲を驚かせた。
いくらセルフィナでも、好意を持たれて気付かない訳がない。また、彼女自身も、なにやら彼に特別な感情を持ち始めたのにすぐに気付いた。それがいったい何なのか知るのに時間は掛からなかったし、そんな頃には、アルフレッドの方も気持ちを隠さずに接してくるようになっていた。
結果的に、二人の仲を知らしめて仲間たちを騒然とさせたのも、仲がいいと揶揄されたときに、彼があっさりと付き合いを認めてしまったからだった。
そんな彼だったので、セルフィナがのらりくらりとしていなければ、もっと早くから付き合っていた筈だった。
数カ月の間、曖昧な態度でごまかし続けたが、それも、出奔中の王女だという自らの身の上に思い悩んだからだった。
今のところ、素性は誰にも知られていない。勿論、アルフレッドにもだ。
ヴァルカスの第一王女が消えたという噂が聞こえてくることもなく、セルフィナは平穏で充実した日々を送れていた。
一年も噂すら聞かないのは、捜索が秘密裏に行われている証拠だった。元々、王女として素行のよくない彼女は、影武者役の侍女を抱えていた。恐らくは、それで乗り切れているのだろう。
このまま一生、父王から探し当てられることがないと言い切れない。正直なところ、何かの拍子に父王に居場所を突き止められるかも知れないという不安が常に彼女の頭の片隅で息を潜めていた。
父に見つかれば、間違いなく、彼と引き離されることになる。
そうとわかっていても、最後には、セルフィナは自分の気持ちに抗うことができなかった。
努力したという彼の言葉に偽りはなく、騎士としてのアルフレッドの腕は申し分なかった。のどかな農業国の故郷の兵など簡単に打ち負かせてしまうセルフィナにとって、互角にやり合えるのはそれだけで魅力的に思えた。勿論、理由はそれだけではなかったが。
そして、決定的だったのは、王女のセルフィナではなく、一人の人間として彼から想われているのが嬉しかった。
もしあのとき、父王の言いなりになって顔も知らぬ男と結婚していたらと思ったら、そら恐ろしいことだった。純粋に誰かを想う幸せを知らずに、一生暮らしたかも知れないのだから。
多少の罪悪感が頭をもたげないわけでもなかったが、願わくば、このまま一生見つかることなく過ごしたいと、つい願ってしまうのだった。
そんなある日の午後。セルフィナは伯母でグリーンラーム王妃のフローディアの私室に呼ばれた。
入団後も遣いを通して何度か呼ばれたことがあったので、さして疑問を持つことなく、いつも通りに部屋を訪ねた。
フローディアは長椅子でゆったりと寛ぎながらセルフィナを待っていた。
「ごきげんよう、セルフィナ。さあ、ここへお掛けなさい」
にこやかな微笑みとともに振り向いた彼女の長く美しい栗色の髪が揺れた。品のよい仕草で向かいの席をすすめられ、セルフィナは笑顔で応えて着席した。
侍女にセルフィナの分のお茶を用意させると、その後は普段通り人払いをした。
侍女の姿が扉の向こうに消えるのを見届けると、フローディアは重々しい口調で尋ねてきた。
「セルフィナ、あなた、同僚の騎士とお付き合いしているそうじゃない」
取り立てて隠し立てをしていたわけでもないので、いつかは伯母に知られてしまうだろうと分かっていた。ただ、とうとうばれてしまったと思っただけで、セルフィナはその後に何を言われるかまで大体の予想はついていた。
「出奔中とはいえ、あなたはヴァルカスの王女ですよ。しかも、王位継承者」
王位継承者という言葉に、セルフィナの腕の筋肉が無意識に反応した。
無言で手にしていたカップをテーブルへ戻した。もっと乱暴に置いたつもりだったのに、小さくカチャリと音がしただけだった。
「一生、隠れ続けることはできないのですからね。私があなたの両親に知らせる可能性だってあるのですよ」
おおよそ想定内の言葉だった。しかし、それ以前に彼女は一体どこからそんな情報を仕入れたというのか。セルフィナにはそれが甚だ疑問だった。
「勿論、その人とはここにいる間だけのことと心得てのことでしょうね?」
痛いところに釘を刺された。セルフィナは再びカップを手にし、黙って音もなく紅茶を啜りだす。
強情な彼女の態度に、フローディアは呆れたように息をついた。
「私がディオルスの妃になった時も、一体どれだけの反発があったことか。命を狙われたこともあったのですからね」
セルフィナの伯父と伯母、つまりグリーンラーム国王のディオルスとその王妃フローディアはいわゆる貴賤結婚というものだった。
かつて、フローディアは城下でも名の通った魔術師であり、占星術も得意としていた。
そんな彼女の力量を見込んだ先代国王に宮廷占星術師として召し抱えられた。ところが、当時王太子のディオルスに見初められ、臣下の反対を押し切る形で妃として迎えられたのだ。
その後、先代国王が崩御し、ディオルスが王位を継ぐにあたり、グリーンラーム国内が何年か荒れていた時期があった。フローディアが王太子妃になることを反対していた一派が、彼女の出自を問題とし、王妃にふさわしくないとしたのだ。
現妃と離縁し、新たに然るべき身分の妃を迎えるか、王位継承権を放棄するかを迫られた。やがて、反発していた連中も、強硬派と穏健派に分裂していった。強硬派によって、フローディアのみならず、擁護派のお陰で無事に国王に即位したディオルスまでも、命を狙われる危機にさらされた。
最終的には、暗殺に難色を示した穏健派が擁護派に寝返ったために、事態は強硬派の敗北で落ち着いたのだった。
だが、表立ったその理由の裏で、もう一つ、まことしやかに囁かれた噂があった。フローディアに不死の呪いが掛けられている、というものだ。
セルフィナもまだ幼い頃にそんな噂を耳にしたことがあった。真偽の程は確かではない。彼女の母は、強硬派のでっち上げた嘘だと言ってひどく憤慨していたものだった。
時を経てみて、確かに、いつまでも伯母は若く美しいままと感じるのだが、年の重ね方は個人差によるところも大きい。セルフィナの父方の親類には、母よりも若いというのに見た目は年輩者然とした者もいる。
「話が逸れましたね。でも、とにかく、身分の違いはそういった危険をはらんでいると、よくよく覚えておいて欲しいのです。身を切られる思いの種ですよ」
説教めいた言い方ではあったが、当時を思い出したのか、フローディアは哀しい瞳をしていた。
自らの経験を元にした彼女のそんな様子を目の当たりにすれば、強気で反発する気にはなれなかった。
「だって、好きなんだもん」
せめてもの抵抗だった。
内心、叱られるかとセルフィナは身構えていたが、意外にも
「まあ! あなたの口から、そんな言葉が出るなんて!」
と、フローディアは目を丸くした。
「余程、魅力的なのね」
さきほどと打って変わって、伯母は優しい瞳で微笑んだ。
セルフィナはこくりと頷く。
「いろいろ言いましたけど、誰かを想うのは素晴らしいことですよ」
なんだかんだ言って、伯母は味方でいてくれる。セルフィナは再び頷いた。
それから、彼、アルフレッドのことを話した。
出会ったその日に掴み合いの喧嘩をしたこと。彼が孤児院で育ったこと。両親の手掛かりのペンダントのこと。剣術と馬術の腕も申し分ないこと。
伯母は結婚が嫌で逃げ出してきたセルフィナが恋をするまでの話を、目を細めて耳を傾けていた。
「ところでセルフィナ、始めにあなたの恋人の話を持ち出した私が悪いのだけど、本当は別に用があってあなたを呼んだのです」
ひとしきり話をした後でフローディアは突然そう切り出した。
「別に用が?」
セルフィナが首を傾げている向かいで、伯母は意味深に頷いた。
「もう何年も会っていないけれど、私にはラーシオン王国の神殿で神官長をしている姉がいるのです」
伯母に姉がいるとは初耳だった。
王族に嫁いだ以上、庶民の親族とは気易く行き来できなくなる。まして出自を問題視された彼女が王宮内で身内のことを語る機会などなかった筈だ。
そういった背景もあって、生まれながらにして王女のセルフィナが伯母の親族を知らないのは無理からぬことだった。
ラーシオン王国はここグリーンラームの東隣に位置する山々に囲まれた国だ。色々と難しい国であることに加えて、神官長ともあれば、余計に姉の存在を語ることは憚られたのだろう。
その姉がどうしたのかと、続きを待った。
「昨日、その姉の部下で、ヘレンという神官から書簡が来たのです。二週間ほど前から、突然、姿を消したと。私に心当たりを尋ねる内容でした」
フローディアの長い睫毛が大きな瞳を覆うようにして影を落とした。
「ラーシオン王国の首都リューズナにあるその神殿へ行ってみようと思うのです。だから、セルフィナ、私と一緒に来てちょうだい」
突然の話にセルフィナは困惑した。
「あくまで私の個人的なことです。王妃として訪問するわけにはいきません。身代わりの者を置いて、内密に出掛けます。だからといって、護衛もなしに外出が許されないのは承知しているから、それをあなたに頼みたいの」
リューズナまで行って帰るだけでも最低一週間はかかる。
その間、まるきり公務に穴を開けるわけにもいかない。身代わりの者の点は納得いくにしても、いくら腕が立つとはいえ、セルフィナに護衛を頼むのは疑問だった。
セルフィナの所属する騎士団は国王の配下だ。
なんらかの事情で王妃が国王の代行を勤める場合を除き、指揮命令権は国王にある。
「ディオルスには既に騎士団から護衛として人を借りられるよう、頼んであります」
根回し済みとなれば、国王から命を受けたと同意だ。
「人選は私が指名したい旨、許可も得ているから、あなたを指名させてもらいますよ」
伯母には珍しく有無を言わさぬ言い方だった。
用意の周到さといい、王妃がお忍びで出掛ける以上の秘密でもあるというのか。
騎士は通常の兵士とは違い、国王の側近くで任務にあたる組織。ゆえに機密事項を知り得る機会も少なくない。その為、騎士団に入団の際、任務上知り得た事柄は、いかなる理由があっても他言してはならないと誓約が交わされる。
誰が護衛についてもたいして変わりはないところ、敢えて指名するというのだ。
伯母に匿ってもらっている恩もある。セルフィナは黙って承諾の意を示した。
「明後日の朝、発つことにしますから、支度をしておいてちょうだいね」
柔らかい口調の裏に垣間見える緊張感を、セルフィナは感じて取っていた。
出立の朝はすぐにやってきた。
セルフィナはひと目ではグリーンラーム王国の騎士と分からないような出で立ちに整えて、フローディアの私室へ向かった。
部屋に一歩入り、思わず立ち止まった。
簡素な旅の衣装を身に付けた栗色の髪の女性は、間違いなく伯母のフローディアだったが、その隣に、同じ栗色の髪でよく似た姿形の女性が立っていた。
「フローディアが二人、だな」
「でしょう?」
セルフィナが感嘆する様子に、伯母は満足そうな笑顔を見せた。
「彼女はマリッタ・ブランカ。帰るまでの間、彼女が私で、私が彼女です」
マリッタという名のフローディアにそっくりな女性は「陛下、どうぞお気を付けて」と不安気な表情を見せた。
一日や二日ならまだしも、少なく見積もっても一週間、フローディアのふりをしていなければならないのだ。状況によっては、それより長くなる。
口を利くと、さすがに声まではそれほど似ていなかった。それでも、ここまで姿が似ていれば十分だ。
「厩舎でもう一人と落ち合うことにしてあります。さ、行きましょう」
促されるままに、マリッタに見送られて厩舎へと向かった。
前日の朝、セルフィナはアルフレッドには内密の任務でしばらく留守にするとだけ伝えた。
いくら恋人でも詳細は明かせない。アルフレッドも心得たもので、短く「そうか」と答え、それ以上聞くことはなかった。ただ、暫く会うことができないことについて、ぽつりと「任務だし仕方ないな」と淋しそうに呟いていた。
厩舎に一番近い扉から城外へ出た。
部屋を出た瞬間から、伯母はマリッタのふりを始めた。王都を出るまでは特に気をつけるよう、注意を受けた。
厩舎へ来ると、セルフィナの芦毛の愛馬とフローディア用の黒鹿毛の馬が支度をされて繋がれていた。そして、もう一人の同行者のために用意された青鹿毛の馬にセルフィナは見覚えがあった。
辺りを見回し、馬の主の姿を見付けた彼女は「アルフ!」と名を呼んだ。
三頭の馬の向こうからアルフレッドが姿を現した。セルフィナと同様に一目では騎士団の者とはわからないような出で立ちだ。
「アルフレッド・フォルスですね」
フローディアの問いに丁寧な挨拶をすることもなく、アルフレッドは「はい」と返事をするに止めていた。
「私はマリッタ・ブランカです。よろしく」
「……マリッタ様」
アルフレッドはフローディアの仮の名をしっかりと覚えるようにゆっくり復唱した。
三人は言葉少なに馬の背に跨がると、使用人用の門へと進んだ。かつて、セルフィナが出奔してきた折りにくぐった門だ。
出るのは容易いが、入るには身分と用向きを門番の兵士に示し、許可されなければならない。
セルフィナはといえば、ヴァルカス第一王女から王妃宛ての遣いと称して、署名入り文書を提示して入城した。彼女にとっては自分で書けばよい代物。王女の紋章の落款も全てが彼女自身のものなのだから造作もないことだった。
そのような門を、フローディアは王妃の遣いとして出向くマリッタ・ブランカ、セルフィナとアルフレッドはその護衛として出た。
三人には身分を証すものとして、国王ディオルスの署名入りの身分証が用意されていた。
これは越境の際にも必要な物だ。
フローディアが架空の名前ではなく、身代わりの侍女の名前をかたる理由の一つでもあった。




