第二章 盗賊オルフェ〈3〉
その夜、急遽、第一王女の一時帰国を祝う宴がささやかに催された。
農業国家ゆえに、豊富な種類と量の食事に、特産のぶどう酒まで振る舞われ、広間ではみなダンスに興じていた。
アルフレッドとセラムはフローディアの伴の者として、広間の隅にひっそりと加わることが許された。
大急ぎであつらえたドレスを着せられたセルフィナは、初めはダンスの輪の中に混じっていた。
暫くして、アルフレッドの姿が見当たらなくなった。彼女がきょろきょろと辺りを見回す様子に気付いたフローディアが、広間の開け放たれた大窓に顔を向けた。その方向によくよく注意を向けると、バルコニーに佇む彼の姿を見つけることができた。
輪から抜け出したセルフィナはそこへ向かった。
「おい」
バルコニーの縁に肘をついて、ぼんやりしているアルフレッドに、普段通り、乱暴に呼び掛けた。
彼は慌てて姿勢を正したが、セルフィナは「お前の同僚のセルフィナとして、ちゃんと話したい」と先程の彼のようにバルコニーの縁に肘をついた。
「だからって、その格好で、おいはねぇだろ」
彼女の気持ちを汲んで、普段通りの口調になったアルフレッドは軽く吹き出したが、すぐに表情を堅くした。
「王女だったなんてな」
くぐもった声でで呟く彼に、セルフィナは「隠しててごめん」と、改めて謝った。
細くため息を吐いてから頷垂れると、アルフレッドはバルコニーの縁に擦り付けるように、ゆっくり左右に頭を振った。
「騎士団で出世すれば、少しは身分差も埋められるかと思ったけど、王女じゃ、な」
「アルフ」
思わず、彼の名を呟いてその腕にすがりついた。けれど、見た目と違って程良く鍛えられた彼の腕はするりとセルフィナの手から逃れていった。
彼はどこかにいる両親に自分の所在を知らせるために出世しようとしていたが、最近では、貴族の娘と偽っていた自分に少しでも近付こうとしていたとセルフィナも知っていた。だから、昇級試験も毎回一度で合格するのだと意気込んでいたし、結果、その通り順調にきていた。同僚に冷やかされる度に、これでもまだ不釣り合いだと首を横に振っていた。
みなまで言わずとも、二人の仲ももうこれまでだとアルフレッドは悟っていた。
無縁だと思っていた筈の恋をして、冷静な判断を欠いた罰だと思った。彼を落胆させ、傷つけていることがセルフィナ自身をも苦しめていた。
更に悪いのは、忠誠心の強い彼の君主、グリーンラーム国王の姪という事実だった。
「……どうして、王家に生まれちゃったんだろう。俺、こんなにもアルフのこと」
「セルフィナ、やめろ」
アルフレッドに一喝され、思わずその場にしゃがみ込んだ。
「……好きなのに」
聞き取られないよう小さな声で、セルフィナは淡い青色のドレスの中にある自分の膝に向かって、溢れる気持ちをこぼした。泣きはしなかった。目頭が熱くなるのを感じたが、ぐっと堪えた。
覚悟を決めた筈だったのに抑えがきかないのも、彼女は悔しかった。
生暖かい真夏の夜風が、セルフィナの緩く編まれた髪を梳かしていく。
「俺は騎士団で上がれるとこまで頑張って上がるからさ、お前は、いい女王になれよ」
膝の向こう側でアルフレッドは跪いてそう言った。鳶色の髪の下で、青い瞳が暗い夜空を取り込んで黒く光っていた。
「もう暫くは一緒にいられるんだ。別れの時までは、跳ねっ返りの家出娘でいてくれ」
アルフレッドは穏やかな笑顔を見せた。つられて微笑みを返したセルフィナは「うん」と頷いたのだった。
翌日、セルフィナは一行を伴って、郊外の収監所へと赴いた。
衛兵に国王の許可証を渡し、強固な石造りの施設内へと脚を踏み入れる。
脱走防止のために高く造られた塀のせいで、敷地内は昼間でも薄暗かった。
案内の兵に付いて奥へと進むと、やがて、両脇に衛兵が控える頑丈そうな鉄の扉の前にやってきた。扉には鉄格子のついた小さな様子見の為の穴が空いているだけだった。その扉を出入り口とする建物も石造りで、見るからに頑丈そうだ。
この建物の中に、罪人たちは収監されている。
案内の衛兵が話しかけると、鍵が開けられた。
「姫様、中は更に暗くなっておりますから、足元にお気をつけください」
衛兵の忠告にセルフィナは「あぁ」と返事をした。背後のアルフレッドたちを一瞥し、先頭に立って暗い石壁の建物内に踏み入った。
入り口の松明から明かりをとった衛兵は、「オルフェは二階に収監されています。こちらです」と、側の階段を示して、再び先導した。
黴臭さが鼻につく。そして、異様なくらいの静かさに、みな一様に気分が悪くなっていた。
黙って衛兵の後に続き、二階へ上がった。
ひときわ暗い、牢が並ぶ通路に入ると、最初の鉄格子の前で「オルフェ、面会だ」と衛兵は声を掛けた。
薄暗さに多少慣れた目をよくよくこらしてみると、独房の奥で白い影が揺れた。その様子に、セラムが少女のような声で短く悲鳴をあげた。
「あたしに会いに来るやつなんて、いたっけね」
近付いてきた声の主は、薄汚れてはいたが、それでも目が醒めるほどに白い肌と、透き通るような金髪だった。
「……女?」
幽霊でも見たかのように悲鳴をあげていたセラムは、目を丸くして牢の中の女に見入っていた。
「おや、誰かと思えば、あたしをここへぶち込んだ王女様じゃないか」
薄汚れていてもなお白い指が、所々錆びた牢の鉄格子を掴んだ。背中まで長く伸びた金色の髪が暗がりにぼんやりと浮かび、緑の瞳が猫の目のように鋭く光っていた。
「そう言うなって、ここから出してやるんだから。特赦を取り付けてきた。これが証拠だ」
鉄格子を挟んでオルフェの正面に立ったセルフィナは、長身の彼女を軽く見上げた。そして、その目の前に懐から取り出した書面を出した。父王ルースから取り付けた釈放の許可証だ。
しかし、オルフェはついと顔を背け
「あたしは字が読めないんだ。そんなもん見せられたって信用できないね。実は処刑命令だったと知らずに血判を押した奴をうんざりするほど見てきたさ」
と毒づいた。
オルフェの言葉はもっともなことだった。
「安心しろ。そんな血も涙もないもん俺だって嫌だからな。それに、ただで出してやるわけじゃない。ちょっと俺たちを手伝ってもらいたいんだ。それが済むまでは、完全な自由じゃない」
彼女が文字を読めないのは百も承知だったセルフィナは、許可証を元通り懐に収めて条件付きであることを告げた。
「ああ、そうだろうね。あたしが特別お許しをいただける理由なんて、これっぽっちもないもん」
オルフェは顔を背けたままだった。
相変わらず頑なな態度だったがセルフィナは構わず続けた。
「グリーンラーム王妃の侍女として潜り込んで、ある男の周りを探って欲しい」
「密偵ってやつかい」
飲み込みの早い返事に「そうだ」と肯定した。
「ヴァルカスはグリーンラームの弱みでも握って、寝首を掻くつもりかい」
「いや、逆だよ。親戚として、グリーンラーム王家を助けたいんだ。詳しい話はここから出てからする」
オルフェはふうんと鼻から声を出すと、腕を組んだ。
「その仕事が終わるまで、あたしはあんたに飼われるわけだね」
宝石のような緑の瞳がセルフィナをとらえていた。
俗な言い方だったが、要するに彼女の言うとおりだった。
「そういうことだ。な、引き受けてくれよ」
彼女との会話に余計な脚色は必要ない。セルフィナはただ、真っ直ぐにオルフェの瞳を強く見詰め返していた。
会話が途切れ監獄内には静寂が戻った。
時折、奥の方の房から、囚人の咳き込む声が聞こえてくる以外はほぼ無音に近かった。
どのくらいそうしていたのか、沈黙に耐えかねた訳でもなしに「ここから出た途端、あたしが逃亡したらどうする?」と、オルフェは静かに言った。
「本当に逃亡するなら、そんなこときかねぇだろ」
セルフィナは微かに笑って答えた。それを見て、オルフェは「わかんないよ」と挑発的に小首を傾げた。
「逃亡したら、またここへ逆戻りだ。それよりも、本当に無罪放免になって、お前は帰らなきゃいけないんじゃないか?」
帰る場所を思い起こした彼女の瞳がほのかに揺れた。深く息を吸って、その場所に思いを馳せるように細い顎が僅かに位置を高くした。
再び、セルフィナに視線を戻した彼女は「わかった。手伝うよ」と鉄格子から手を離した




