第二章 盗賊オルフェ〈2〉
自室に戻ったセルフィナは、ヴァルカス王家の男子が着る衣装に着替えた。
まかり間違っても、公務や行事以外で女物の衣装を着ることは今までにもなかった。
それから、時間を開けずに家族の食堂へ向かい、父と母との三人で向き合った。
かつて、彼女自身が捕らえた盗賊を投獄中の牢から連れ出す許可を得るためだ。一度投獄した者を無罪判決以外で牢から出すには、書面による国王の許可が必要だった。
「私に頼みごとをする前に、何か言うべきことがあるだろう」
娘の話をひと通り聞いておきながら、父は一人、深々と腰を落ち着けた椅子の上で低い声を出した。母のセシリアは黙って傍に控えていた。
セルフィナはその両親とテーブルを挟んだ真向かいに立っていた。左手を背後の腰辺りに置き。利き手の右手は体の側面に自然に下ろしていた。その立ち姿は王女というよりも王子だ。
「三年もの間、行方を眩まし、申し訳ありませんでした」
改めて素直に出奔について詫び、セルフィナは頭を下げた。
「義兄上の騎士団におったそうだな」
謁見室を出た後で、フローディアから聞き出したようだった。嫌っているくせに、そうして話を聞き出すあたり尊大な態度だったことだろうとセルフィナは歯ぎしりした。
「はい。あそこならば、父上の捜索の手も伸びるまいと」
父は鼻で笑った。
「ふん。とにかく、義兄上の一大事とあらば、協力せねばなるまい」
過去のようにグリーンラームで内乱が起これば、ヴァルカスにどんな影響があるか。父ルースもできれば避けたいことだと表情で語っていた。
「ただし、条件がある」
「条件、ですか」
父はいかにも、と頷いた。それが何か、セルフィナには察しがついていた。グリーンラームを出るとき、既に覚悟してある。
「用が済んだら、戻って相応の相手と結婚しろ。お前が片付かねば、リアナを嫁がせることが出来ん」
父の口振りから、妹のリアナに既に良い縁談があるのだとセルフィナは悟った。出奔当時十三だった妹も、もう十六だ。幼い頃からお淑やかな第二王女のリアナにはそんな話がひとつやふたつあって当然だった。
三年間の伯母への恩に報いるため、アルフレッドの居場所を守るため、大臣の陰謀を阻止したい。セルフィナの答えは決まっていた。だが、父の言いなりのような体は取りたくなかった。
「その様子では、私がいない間にも相手のあてをつけておいでだったようですね」
今度はセルフィナが鼻で笑った。
「お前が自分で相手を見つけられるとは思えんからな」
「そうですね。父上の教育方針のお陰で、肩書きだけが立派な頼りない男をわざわざ夫に持ちたいとは思いません」
屁理屈を並べてはみたものの、父が言う相応の相手とは、未来の女王の夫に相応しい身分であることだとセルフィナにもよく分かっていた。
要するに、ただの飾り。そして、王家を存続させるための道具。好きでも嫌いでも関係ないのだ。
「お前は口が達者でいかん」
「改めるよう善処します」
父のふとした小言にも、彼女は目を逸らさなかった。
口の減らない娘に小さく嘆息した父は、「ところで、義姉上の護衛の若者は騎士団の仲間だそうだな」と話題をすげ替えた。
「陛下」
アルフレッドの事に言及し始めたところで、それまで黙って見守っていた母が制止しようと父に呼び掛けた。しかし、それを遮るように、父は手のひらを母に向けた。口出しするな、という合図だ。
「彼がなにか?」
セルフィナは姿勢一つ崩すことなく問い返した。
「たかが騎士風情、一時の気の迷いまでと……」
「心得ております」
セルフィナは父の言葉を遮った。
一体、いつ見抜かれたというのか。謁見室でそのような素振りを見せた記憶など微塵もなかった。父の目敏さに驚嘆しつつ、淡々とした口調でゆっくり反論した。
「私はもう、出奔当時ほど幼くはありません。思い出として決別する覚悟くらいできております。ご心配には及びません」
そう啖呵を切った。父には絶対に弱味を見せたくなかったのだ。
彼はセルフィナが唯一惚れた男だ。気の迷いなどという軽々しい思いに変換するには、おそらく長い月日を要すると自覚もしていた。けれど、大切な思い出として胸に秘めておくと彼女はグリーンラームを出るときに誓ったのだ。
「ならばよい」
「それと」
答えに満足そうに頷く父に一矢報いようと口を開いた。
「騎士風情とは、いくら父上でも聞き捨てなりません。伯父上の騎士団は精鋭揃いです。身分に胡座を掻いているような半端な腕の者では適いませんよ。その一人がご自分の目の前にもいることをお忘れなく」
アルフレッドのことをたかがと表現されたのが癪だった。いくら男のように育てられても、こういうところではやはり女なのだと痛感せざるを得なかった。
父の顔がひきつったのを見て、セルフィナはしてやったりと口角を微かに上げた。
元々、父王ルースの腕などたいしたものではなかった。彼女が父と手合わせして、初めて勝ったのは十二のときだった。
手加減してくれたものと思っていたのだが、実はそうでなかったと気付いたのは、それ以降、二度と父が剣を交えようとしなくなったからだった。
「おっと、改めると申し上げたそばから申し訳ありませんでした。では、許可証の発行、よろしくお願いいたします」
精一杯の皮肉を込めて、セルフィナは慇懃に礼をし、食堂を後にした。
廊下を歩き始めたところで、背後から「セルフィナ、お待ちなさい」と母の声が追いかけてきた。
歩みを止めて振り返ると、母は早足に近付いてきた。歩く度に、顔の横で無造作に編んだようにまとめられた暗い茶色の髪の上で、花を模した髪飾りが光った。
「母上。母上にもご心配をおかけしました。申し訳ありません」
父との応酬で、母に詫びていないのを思い出し、まず、最初に謝った。
静かに首を横に振る母の目は、僅かに潤んでいた。
「あなたをこんな風にしてしまったのは、お母さまにも責任があります。わたくしも、あなたに詫びなければ。ごめんなさいね、セルフィナ」
母は幼子を慈しむかのように、セルフィナを抱き締めた。濃厚で甘ったるい花の香りがした。母のお気に入りの香水だ。帰ってきてしまったと知るに十分すぎるものだった。
「母上のせいではありません」
華奢な母の両肩に手を添える。
「私のせいでリアナが良縁を逃してはかわいそうだ。三年も勝手をさせてもらいましたし、悔いはありません」
母にも嘘をついた。
真偽を問うように、母の瞳が見詰めてきた。その青い瞳に映るのは男物の服を纏った娘。
「王家の子としての務めは果たしますから、心配なさらずに」
「王家の、子……」
娘という言葉を使わなかったせいか、母はセルフィナの言葉を復唱していた。
「私のことはともかく、リアナはどうなのですか」
話題を変えられ、母は言い淀んだ。
そんな母の様子に「まさか、父上の都合だけを押しつけているんですか」とセルフィナは眉を顰めた。
「いえ、違うのですよ」
慌てて母は首を横に振る。
「あなたが結婚しない限り、自分も結婚しない、と言い張って……」
父が戻ったらすぐに結婚しろと言った理由が分かった。
黒いものでも白と言われたらそうしてしまうほど素直な妹だったが、会わなかった三年の間に、少し頑固になったようだ。
「そうですか。母上、ちょっと、リアナのところへ行ってきます」
物憂げな表情の母をその場に残し、セルフィナは妹の部屋へと向かった。
三つ年下の妹リアナは、部屋で侍女を相手にカード遊びに興じていた。
部屋に入ったセルフィナの姿を見つけると、妹はすぐさま立ち上がり「お姉さま!」と駆け寄った。そして、まるで、久しぶりに恋人に会うかのごとく、首筋にしがみついた。
セルフィナと同じ亜麻色の髪は、丁寧に巻かれ、若草色のドレスの背で波打っている。妹はセルフィナにとって自分がどこかへ置き忘れてきた女らしさをそっくり切り出したような存在だった。
「お姉さま、きっと、お戻りになると信じていました。もう、いなくなったりなさらないでください」
ほんの少し背の低い妹は、肩に額を擦り付け、甘えた声を出した。
「まだ途中の用があるから、もう暫く留守にするけれど、片付いたらちゃんと戻ると父上と約束してきたところだ」
妹の頭を撫でてやりながら、セルフィナは自分にも言い聞かせるつもりで伝えた。
途端に、彼女は顔を上げて、ほんのり青みの混じった緑の瞳を輝かせた。
「いい縁談があるそうじゃないか。私がふらふらしているばかりにお前が縁遠くなってはいけないからな」
そう言うと、リアナは突然打って変わって表情を険しくした。
「お父さまに都合のいい縁談というだけです。リアナの理想はお姉さまですから」
やはり父の都合だったことにセルフィナはがっかりしていた。母は違うと言っていたので、リアナも納得のものだと思っていた。 同時に、思い掛けない言葉に面食らった。
「リアナ、私はなりはこんなだが、これでもお前の姉だぞ」
服装と言い、腰に剣をぶら下げていることと言い、後ろから見れば、十五、六の少年に見えなくもない。蝶よ花よと育てられた妹にしてみれば、姉というより、兄に近い感覚なのかもしれないと思った。
「でも、どんな殿方もお姉さまに比べたら見劣りします」
「私と比べてどうする」
妹の言葉に呆れた。
「お姉さまくらい文武両道な男の方でないと、好きにはなれません」
小さな可愛らしい口をついと尖らせて、妹はそっぽを向いた。
こんな風に可愛らしい仕草が自分もできればとセルフィナは目を細めた。
「私と比べずとも、理屈抜きに好きだと思える相手が見つかるだろうよ」
そう言うと、妹は淋しそうな笑顔でセルフィナを見上げた。
セルフィナはといえば、自らの発言にアルフレッドを思い描いていた。彼を恋しく想う気持ちに理屈などない。だから、どんなに打ち消そうとしても、こうして何かの拍子に脳裏に浮かんで胸が苦しくなるのだ。
妹には、そういう相手と幸せになってもらいたい。心からそう願っていた。




