第一章 魔術師〈3ー1〉
暑さをしのぐため開け放たれた大窓から、ぬるい風が流れ込んだ。それは、温度に似合わず、赤い天鵞絨の長椅子で寛ぐ王妃の栗色の髪をふわりと軽やかに踊らせた。
向かい合わせに置かれた長椅子の間のテーブルには、美しい彫刻が施された手鏡が伏せてあった。
このところ、王妃のフローディアは手鏡をのぞき込んでは、自分の顔をよくよく観察するようになっていた。彼女の姉の最期といい、傷の治りが遅くなったことといい、呪いが解けたに違いないという期待と不安からだった。
時々、セルフィナに小皺ができたようだと興奮して報告するのだが、彼女はそういうことに頓着がないのも手伝って、曖昧に返事をした。
呪いが解けたのだとして、果たしてそのきっかけはなんだったのか。それを調べるために、フローディアは姉の遺した黒い日記帳を何度も隅々まで読んだ。
そして、最終的に、セルフィナが二人の魔力を吸収したのが原因で消滅したかもしれない、と解釈するに至ったのだった。
それ以来、フローディアは今まで経験したことのない加齢による容姿の衰えに過敏になり、美容に並々ならぬ気を配るようになっていた。
しかし、それにもかかわらず、彼女は濃く皺ができるのを厭うことなく、顔をしかめてセルフィナを見詰めていた。
「そうですか。大臣が……」
フローディアは言葉を詰まらせた。
「なあ、フローディア。大臣はそんなことを企むような奴なのか」
セルフィナの問いに、彼女は小首を傾げて、暫し考えた。
「大臣のバルディは内乱当時、穏健派だったのです。強硬派が徐々に激化していくのを見て、最終的に擁護派に付くよう、穏健派の面々を扇動したのも彼でした」
つまりは、そうとも言えるし、違うとも言えるということだ。ただし、あくまで内乱終息当時のことなのだが。それでも、そんな人間が大臣を務めている理由として、セルフィナには十分だった。
「だから、内乱後に要職につけたのか」
「ええ。強硬派のような末路を辿ることはないと穏健派に知らしめる効果を狙ってのことです。それで、狙い通り、殆どが擁護派に鞍替えした」
大体、そのような派閥において、末端の人間というのはどちらにつくのが自分にとって有益かが判断基準になっている者が多い。王家と擁護派が穏健派に対して寛容であると示すために、彼らにとっての功労者バルディを要職につけるというのは、それなりに効果があったのも頷ける話だった。
いわゆる不定票の人間をそうやって取り込むことができれば、後に残るのは、確固たる信念のもとに穏健派を組織していた上層の者ばかりになる。
そんな彼らが回生の時を狙っていてもおかしくはないだろう。
「未だに私の呪いの噂を流していたのも、今もまだ、密かにではあるけれど姿勢を崩していない穏健派の人間の仕業ね」
フローディアのその言葉の裏に、大臣バルディもそうかもしれないという意味が含まれているのを、セルフィナは理解していた。あるいは、年月を経て元の思想に回帰したのか。
「率先して擁護派についたバルディが、また、姿勢を変えたってこともあり得るよな」
セルフィナは迷わず考えを言葉にした。
「ええ。そこへ、妖しげな女がどう関わってくるのかが気になります」
妖しげな女が魔術師だということはフローディアもすぐにわかっていた。それ故に、かつての内乱とは根本的に何かが違うのかもしれないという懸念が彼女にはあるのだ。
「もっと詳しい話を聞きたいわ。その、セラムという青年をここへ連れてきてちょうだい」
実際にその現場を目撃した人間から話を聞くのが一番だ。事実ならば、証拠を集めるとともに、謀反をたくらんでいる大臣への対処を王家は検討せねばならなくなる。
セラムの家まではアルフレッドに案内してもらわなければならない。セルフィナが「わかった。じゃあ、アルフの分もよろしく」と承諾した。
「では、すぐにディオルスから指示が行くように手配します」
回りくどいが、セルフィナが騎士である以上はやむを得ない。極秘だからこそ、きちんと手順を踏むのは大事なことだ。
フローディアはすぐさま立ち上がり部屋を出ていこうとした。
だが、「それと、もうひとつあるんだけど」とセルフィナはそれを阻止した。
彼女にはもうひとつ、伯母に確かめなければならないことがあった。
「もうひとつ?」
立ったまま、フローディアは首を小さく下げた。
「バルディは、生まれた直後から行方のわからない王子を捜してる」
セルフィナがそう告げると、フローディアは口を噤んだまま、彼女の目を真っ直ぐに見た。無言でそれについては何も質問するなと言っているようだった。
だからといって、そこで言い出したことを引っ込めるようなセルフィナではない。
「見つけ出して、始末するって」
フローディアの気を引くために、わざとセラムから聞いた内容を端折った。
沈黙が流れた。
表情こそ変わらなかったが、一度、二度と、フローディアの衣装の襟飾りが彼女の呼吸に併せて上下した。
「見つけるもなにも。……あの子は死にました」
やがて、セルフィナから視線を逸らし、そう答えた。
王子が生まれたことそのものを否定はしなかった。ということは、やはり、セルフィナも知らない従兄弟がいたのだ。
「本当に?」
フローディアは短く「ええ」と息を吐き出す勢いに声を乗せた。
「それなら、なんでバルディは今も拘ってるのさ」
もし、本当に王子が死んだというなら、内乱当時、渦中の人だったバルディが知らない筈がない。それどころか、二十年経った今、抹殺するためだけに必死に探しているのだ。
「……その前に、千年以上も生きてきた私が子供を産めると思いますか?」
一旦、子供の存在を認めておきながらの言葉だったが、それを言われると、セルフィナは言い返すことはできなかった。むしろ、それに関しての真偽を問いたいくらいだった。
けれど、伯母は嘘をついている。彼女はそう直感していた。
だが、嘘だと詰め寄ることはしなかった。根拠がこれまでの付き合いの中で培った、伯母との関係から受ける違和感だけだったからだ。
「とにかく、できるだけ早くセラムを連れてきてちょうだい。頼みましたよ」
セルフィナは頷くと、早々に王妃の部屋を後にした。




