第一章 魔術師〈2〉
朝早くでも真夏の日差しは焼け付かんばかりに暑い。
石造りの隊舎の廊下は、なるべく窓から離れて日陰を通れば暑さもいくらかましだった。
朝食を終え、稽古場へ向かおうとそんな風に歩いていたところを、ふいに背後から呼び止められたセルフィナは振り返った。
「おう」
「なんだよ」
背後に立っていたのはアルフレッドだった。鳶色の髪の下で、朝の光を受けた青い瞳は澄み渡る空のような色だった。
一瞬、そんな感想が彼女の中に浮かんだのだが、呼び止めておきながら、あまりに素っ気なく短い挨拶に気分が萎えて悪態で応えた。
「隊長には断ってある。ちょっと来い」
「だから、なんだよ、アルフ」
珍しく有無を言わせぬ態度に首を傾げつつ、セルフィナは彼の後に付いていった。
フローディアの姉の一件から、およそ二年が過ぎていた。
アルフレッドはあの後、毎回昇格試験に合格し、今では班長に昇格していた。元より試験を受ける気など全くないセルフィナよりも階級が上になり、更には役が付いたのだから、いくら恋人とはいえ稼業中は軽口も叩くことができなくなっていた。
それに加えて、欠員が別の隊にしかなかったため、彼とは部隊すら離れていた。
話す機会も食事時や休暇くらいしかなくなった。にもかかわらず、今朝は食堂で姿を見なかったのだ。稼業開始前に顔を見られたと思いきや、あまりの素っ気なさにがっかりしたと言った方が合っていた。
憮然としながらも、セルフィナはどんどん先に行ってしまう彼の背中を追いかけて、今、通ってきた道をそのまま引き返した。
隊舎の正面入り口までやってくると、彼は外へは出ずに、石壁にいくつか並ぶ木の扉のひとつを開けた。外部からの来客者を応対する部屋だ。応接間と言うには狭すぎるこの空間には先客がいた。
同世代と思われる金髪で色白の若い男は、セルフィナたちが入室したのに気付くと立ち上がった。
「俺と同じ孤児院で育ったセラムだ」
扉を閉じて、アルフレッドが顎で示す。
「はじめまして、セラム・キロバードです。お噂はアルフから……」
線の細い彼は青い瞳を落ち着きなく瞬かせ、律儀に形式ばった挨拶をし始めた。
「堅苦しい挨拶はいいって。俺はセルフィナ・シフィード」
セラムの言葉を遮るようにして名乗ると、セルフィナは歩み寄り、握手を求めて右手を差し出した。彼は夏向きの麻素材で仕立てられた上着の裾で二、三度手のひらを拭ってから、セルフィナの手を握った。
「とにかく、座ろう」
アルフレッドの言葉にセラムは元の席に着席する。端材の再利用のような小振りで簡素な木製テーブルを挟んで、向かい側の席にセルフィナたちも着いた。
セルフィナは斜め前のセラムを見た。時折、彼がテーブルの上で組んだ掌の指先を僅かに動かすのが気になった。握手をしたときも、衣服で拭ったというのに心なしか汗ばんでいたし、やたらに瞬きが多い。
「セラム、さっきの話をセルフィナにもしてくれ」
アルフレッドに促され、セラムは「あ、ああ」と頼りない声を出した
「昨夜のことなんですが、大臣が金髪の怪しげな女と国王暗殺の計画を話しているのを聞いてしまったんです。次の満月までに実行するよう女が大臣に命令していました」
彼は更に声を抑えてそう言った。
扉も閉じてある石造りのこの部屋で、壁の向こうに話し声が聞こえてしまうことはない筈だ。それでも彼は細心の注意を払っていた。
彼が聞いてしまった話の内容が、そこまで警戒させているのだ。
暗殺とは穏やかではない。
セルフィナはアルフレッドを見た。これが連れてきた理由だというように、彼は目配せをした。
相変わらず、彼には王妃とは以前からの友人で通していたが、王妃と個人的な付き合いがあるのは彼もよく知っている。
実のところ、国王夫妻の姪である彼女にとって、これは聞き捨てならない話だった。もし、本当ならば、伯父は今も命を狙われているのだ。
「怪しげな女って、一体、どういう風にだ」
大臣と結託している女が怪しげと表現されたことで、セルフィナは身を乗り出した。
「それが……」
セラムは一瞬口ごもった。
「風とともに現れ、同じように、忽然と消えたんです」
「消えた」
セルフィナは最後の一語を復唱した。
「ええ。……あれは、魔術です」
「魔術、ね」
二年前のことがなければ、一笑に付していたかもしれないとセルフィナは思っていた。ここ一年と少しに至っては、騎士の身でありながら、彼女は伯母から昔の魔術がどんなものだったかを教わっていた。伯母の姉が、セルフィナに高い魔力があると言っていたことと、伯母たち姉妹の魔力を吸収できてしまったことがきっかけだった。
だから、女が突然現れたり、忽然と消えたというのも、セラムがあれは魔術だと言い出す前に彼女はすぐに予測がついた。
そうして口から出た呟きだったが、セラムは別の意味に解釈したようだった。
「僕は今は天文学者をしていますが、長らく魔術師の師事を得ていました。間違いありません」
青い瞳に力をこめて、彼はそう言い切った。職業柄、陽にあたることが少ないせいか貴族の娘のように肌が白く、瞳の青さが際立っていた。
そんな瞳で真っ直ぐに見詰められて、セルフィナはすぐに弁解した。
「いや、疑ってるわけじゃないんだ。ちょっと、心当たりがあってね」
敢えて、彼女は自分も魔術を聞きかじっている話はしなかった。
セラムの告げた通りならば、女は少なくとも数百年前に存在したの技量の魔術を体得している。現代では高度な魔術を使えるのはほんのひと握りいればいい方だとセルフィナはフローディアから教わっていた。
明らかに希有な存在だ。そんな相手と大臣が通じている。
ただの謀略とは違う。アルフレッドもそう感じたからこそ、彼女を呼びつけたのだ。王妃の耳に入れるべきではないだろうかという、彼の無言の相談だ。
「俺からフローディアに伝えておく」
セルフィナがそう告げるのを聞いたセラムは「はい」とか細く返事をした。不安そうな表情に変わりはなかったが、肩の荷が下りたという様子だった。
「解ってるだろうけど、自分の身の安全に注意しろよ」
アルフレッドから忠告を受け、セラムは唇を真っ直ぐに結んで頷いた。
が、すぐに、彼は思いだしたように、あっと声を挙げた。
「そう言えば、他にも気になることを言っていました」
「気になること?」
セルフィナとアルフレッドの声が重なった。
「大臣が、生後まもなくから行方不明の王子を探し出して、始末すると。結局、女に一蹴されていましたが」
「なんだって?」
セルフィナにとって、寝耳に水の話だった。伯母のフローディアを始め、故郷の実母の口からも、彼女はただの一度もそんな話を聞かされたことがなかったのだ。
グリーンラームに王子がいた。すなわち、セルフィナに彼女も知らぬ従兄弟がいたということだ。
グリーンラーム国民でさえ、この国に王子が誕生した過去があった話など誰一人として口にしたことはない。もし事実ならば、恐らくは、公式な発表がされなかったのだ。それは勿論、現国王の即位にあたって起きた内乱が原因なのだろう。
大臣は当時のことも知っていて、かつ、国王の暗殺を計画しているのだ。
失うものも多かった。
以前、伯母がそう言っていたのを、セルフィナは思い出していたのだった。




