2.
入団初日。セルフィナは胸を踊らせて、隊長の先導のもと騎士団の稽古場に向かった。
前日の午後には隊舎、つまりは寄宿舎へ入り、必要なものはひと揃い整えた。
間借りしていた客間を去るにあたり、 伯母のフローディアは苦い表情で見送ってくれた。姪の実力を侮っていたのを悔いていたのか、何かあったらすぐに知らせるように釘を刺しつつも、言葉少なだった。
セルフィナの故郷、ヴァルカス王国では性別に関係なく第一子が王位を継承する。
第一王女として生まれた彼女は、幼い頃より王位継承者としての教育を施されてきた。男子の場合と内容に差違はなく、自国の歴史、大陸の歴史、各国との関わり、君主として基礎的な教養、剣術、馬術など、あらゆる面で厳しく鍛えられてきたのだ。
そんな中でも、セルフィナは特に軍事訓練を好んだ。懸命に訓練を積み重ねた結果、十五歳のときには既に王宮の兵士が五、六人で束になってかかってきても負けることがないまでになっていた。ヴァルカスが農業国家で、グリーンラームほど屈強な兵に乏しいことを差し引いても、それなりに自信はあった。
だから、伯母の提案はかえって有利だったのだ。
これで、ひとまずは国へ帰らなくていい。
反面、自分の行方を案ずる母と妹の顔が浮かんだ。 今頃、国では騒ぎになっていることが予想されたが、何があっても帰るものか、と一片の迷いを打ち消そうと、セルフィナは頭を振った。
父の傀儡になどなる気はない。
王権神授を信じる厳格な父が、王女がいなくなったと公にすることはないとセルフィナは確信していた。城内には箝口令が敷かれ、捜索は秘密裏に行われるだろう。それならばここは潜伏するに打ってつけだと言って過言なかった。
騎士団は伯父、グリーンラーム王ディオルス直属のものだ。隊舎も城の敷地内にある。
ゆえに、 ここにいれば捜索の手が届くことはない。
むしろ、父がヴァルカスの王である以上、国家間の問題に発展するような真似はしない筈なのだ。
つらつらと考え事をしているうちに、石畳の通路を通り過ぎ、土の敷かれた広場に出た。等間隔に整列した数十人ごとの固まりの中を、隊長は足早に進んでいく。やがて、ある一角で静止した。
そこに整列していたのは、今日から彼女が加わる第一団第七隊一班から三班の騎士たちだった。
三十人程の隊に二人、女性の姿が見受けられた。
騎士団全体で女性は一割程いるという話なので、均等に配置されているとすれば妥当な人数だ。
「今日から仲間が一人増えるぞ。彼女は二班に加わる」
一旦、第七隊の面々を見渡してから、隊長はそう声を張り上げた。
みなの視線が集中する中、セルフィナは隊長に促され、「セルフィナ・シフィードです。よろしくお願いします」と、ごく簡単に挨拶をした。
敢えて偽名は使わず、本名を名乗った。
偽名を使うと、真実が知れてしまった時の弁解が厄介だ。わざわざそんな負荷を自らに課さなくても、自国には王女の名にあやかって命名されたセルフィナがごまんといる。同じように、妹が生まれたあとには妹の名と同じ名を付けるのが流行った。
だから、偽名は得策ではない。
まして、この隣国グリーンラームにおいてヴァルカスの王女の顔をまともに知るものなど、伯父と伯母とその身の回りの者くらいなものだ。
セルフィナは意気揚々と二班の列の最後尾に加わった。
それを見届けた隊長から、今日の伝達事項と訓練内容が告げられる。最後にセルフィナともう一人に残るよう付け加えられ、訓練開始の号令が掛けられた。
セルフィナはみなが訓練に向かうのを羨ましい気持ちで見送った。早く来いと隊長が手招きするので、諦めて歩を進めた。
同じように残されたのは同世代の青年だった。
「セルフィナ、彼はアルフレッドだ」
隊長がアルフレッドという名のその青年を示すように、くいっと顎をあげた。
「アルフ、今日からは彼女が一番下っ端だ。今日中に雑用を全て教えておけ。いいな」
隊長の指示に、彼は短く「はい」と答える。返事を受け取ると、隊長はあとは任せたと言い残して足早に自分の仕事に戻ってしまった。
今日はまだ訓練に参加させてもらえそうにないことを悟ると、セルフィナはアルフレッドの方に向き直った。
が、目の前の青年は整った顔立ちを怪訝そうに歪めていた。印象的な深い青色の瞳がセルフィナを頭のてっぺんから爪先まで、じろじろと見渡している。
あまり歓迎されていないと態度から察知したが、隊長の指示に従い、今日は一日、彼から雑用を教わる必要がある。
「よろしくお願いします」
まずは素直に頭を下げておくことにした彼女の思いは、小馬鹿にしたように鼻を鳴らすアルフレッドに無碍にあしらわれてしまった。
「本当に真面目に試験受けたのかよ」
残念に思っているところへ、更に追い打ちをかける一言が発せられた。にわかには言葉の意味を理解できず「なんだって?」と聞き直した。
「だってそうだろ? 見てみろよ、あの二人」
そう言われて、セルフィナは彼の視線が示す方を見た。そこにいたのは、同じ隊の女性騎士二人。
「女なんて名ばかりの体格だ」
二人は確かに相当に鍛え上げられた体をしている。髪も短く刈り上げられ、鉄の仮面でも被った日には、ひょっとしたら女性とは気付けないかもしれない。
しかし、それを無言でやり過ごし、アルフレッドに視線を戻した。彼の方もまた、セルフィナに目を向ける。
「片やお前はひょろひょろ。どっかのお嬢さんがお遊びで仮装してるみたいだ。これだって、邪魔くさいだろ」
そう言って彼はセルフィナの腰まである長い亜麻色の髪をぐいっと引っ張った。引っ張られた方向へ首が傾く。
「痛ってぇな! 何すんだよ!」
セルフィナはアルフレッドの手を払い除け、彼を力一杯、突き飛ばした。
よもや反撃してくるとは思わなかったのか、彼はそのまま尻餅をつくように後ろに倒れた。
幾莫か面食らったような気配を見せたが、すぐさま立ち上がり、お返しとばかりに「お前こそ何すんだよ!」と肩を突き飛ばしてきた。
そのうちに、どちらからともなく掴み掛かった。
小競り合いになってしまったところで訓練中の仲間が気付いて、慌てて次々と駆け寄ってきた。
何人かが止めに入る。みな口々に「二人ともやめろ」と仲裁しようとするが、口ではきかない二人は、ついに仲間によって羽交い締めにされて引き離された。
ちょうどそこへ、騒ぎを聞きつけた隊長が慌ててやってきた。
「馬鹿もん! 何をしているか!」
二人の間に立つと、隊長は全力で走って上がった息も治まらぬうちに、怒鳴り声をあげた。
「アルフレッド! 私は雑用を教えるように指示したのに何事だ!」
「……申し訳ありません」
隊長の一喝にアルフレッドは項垂れた。
「セルフィナ、お前も入団取り消しになりたいのか!」
取り消しという言葉に反応して、セルフィナは顔をあげた。
もし、そんなことになったら、今度こそ伯母にヴァルカスへ帰されてしまう。
「申し訳ありません」
国へ帰らされた後の人生を思えば、アルフレッドに馬鹿にされる方がましだ。
セルフィナは深々と頭を下げて謝罪した。
「二人とも今日は隊舎へ戻れ。明後日の朝まで謹慎だ。分かったか!」
隊長の言葉に、反論する余地などない。「わかりました」と答える以外に選択肢はないのだ。
結局、セルフィナはアルフレッドとともに稽古場を後にすることになってしまったのだった。
隊舎の自室に戻ったセルフィナはベッドに潜り込み小さくなっていた。
年季の入った板張りの二人部屋は、幸か不幸か、人数の都合で同室者がなかった。故郷の王城の自室に比べたら、とんでもなく狭くて粗末な部屋ではあったが、それでも、いまの彼女にはとても広く感じられた。
使い古された木製のベッドの上で、お世辞にも上等とは言い難い、ごわついたシーツに挟まれて自分の行いを悔いていた。
入団取り消し、それだけは絶対にあってはならない。
行事の度に何日か前から鏡の前で無理矢理笑顔を作る練習をして、窮屈な衣装で飾り上げられる自分の姿を思い出した。
そうして、母と妹と並んで、民に笑顔で手を振る。
結婚すれば未来の女王の夫という名称の見知らぬ男と並んで手を振らなければならなくなるのだ。幸せそうなふりをして。
そもそも、幼い頃より、父から将来は女王のなるのだから男も女もないと言われ続けてきた。
初めて兵を負かした時など、目を細めて喜んでいた。
やがて、「そなたが男であれば」と言い出し、それが近頃になっては、もう少し女らしく、と咎めるようになっていた。
十六になったことだし、結婚でもさせれば男勝りも多少ましになるだろうと考えたのだろう。実に勝手なものだ。そう訴えてみたところ、グリーンラームの王女だった母が父の元へ嫁ぐと決まったのも十六だったからと、取り合ってすらもらえなかった。
絵に描いたような女性らしさを体現した母と自分は違う。
アルフレッドの挑発に乗って、つい激昂してまった自分が腹立たしくてたまらなかった。
気付いたら、少しうとうととしていたようだった。開け放たれた窓の外に見える太陽の位置が少し高くなっていた。
微睡みから完全に覚醒したセルフィナは、ベッドから跳ね起きると部屋の片隅に追いやっていた鏡を壁に掛けた。次に、大きめの鋏を持ち出す。
鏡の前に立ち、それを長く美しい亜麻色の髪にあてがうと、ざっくりとひと思いに切ってしまった。
見苦しくない程度に適当に形を整え、散らばった髪を手早く片付ける。
「これでよし!」
自分に言い聞かせるように、セルフィナは屑入れの中で丸まっている自分の髪を見下ろした。
ヴァルカスには帰らない。だから、髪も短くて構わない。
軽くなった頭を確かめるように二、三度左右に振った。
その時だった。
部屋の扉がノックされた。
隊長が説教をしにやって来たのではと、セルフィナに緊張が走った。
「はい」
ひと呼吸ついてから返事をした。
恐る恐る扉を開けると、そこに立っていたのはアルフレッドだった。
「なんだ、お前か」
途端に拍子抜けし、脱力感に任せて扉に寄りかかった。
「俺で悪かったな」
言葉に反して、口調は平静だった。そして、すぐに「髪……」と続けた。余程驚いたのか、その後は言葉がうまく出てこないようで口をぱくぱくさせていた。
「さっぱりしたろ?」
どうだと言わんばかりに頭をアルフレッドの方に突き出した。
しかし、彼は「勿体ない」と呟いて、短くなったセルフィナの髪を呆然と見詰めていた。
「なんだよ、また喧嘩売るつもりか? 本当、やな奴」
さっきはお嬢さん呼ばわりで、今度は勿体ないというのだ。セルフィナは再び腹立たしさを覚えて扉を閉めようとした。
すると、アルフレッドは慌てて扉と壁の境目に身を滑り込ませた。
「悪い、謝りにきたんだ」
そう弁解する。
「ふーん」
まるで興味ないというように、セルフィナはそっけなく返して室内へ戻った。彼の言葉の真偽を疑っているわけではない。彼女にしてみれば、大事なのは国へ帰らずに済むかどうかだった。
アルフレッドが「入るぞ」と断ってから後に続いた。
「悪かったよ。その、やっと後輩ができると思ったら、お前みたいな細くてちっこい女だったから、その……」
歯切れの悪い物言いにセルフィナは三度苛立った。
「ふん。プライドが傷付いたのか」
毒づいてから、ベッドの端にどっかりと足を組んで座る。
その様子を見ていたアルフレッドは一瞬不愉快そうに眉を寄せたが、すぐに「そうだよ」と認めた。
素直な答えが返ってきたのが意外で、セルフィナはつい、小さく声を立てて笑ってしまった。
心外だと言わんばかりに彼は眉間のしわを深くしていた。そんな彼に向かって、笑いながら座れと自分の隣を指し示した。
アルフレッドはほんの少し戸惑う仕草をしてから、示された位置に腰を下ろした。
少し高い位置にある彼の顔を見上げ、セルフィナは
「俺、これでも子供の頃から大人の男相手に剣の稽古をしてきたんだぜ」
と、胸を張った。
「そうなのか」
相槌としては曖昧なものだったが、セルフィナは取り立てて気には留めなかった。
「じゃあ、子供の頃から騎士団に入るつもりだったのか?」
同士を見つけたとばかりにアルフレッドが興味を示したが、セルフィナは頭を振った。
「いや、騎士団に入ろうと思ったのはまだ先週」
「先週?」
目を瞬かせ、彼は素頓狂な声をあげる。
「実は俺、家出してきたんだ」
彼は信じられないといった様子で「家出?」とおうむ返しに呟いた。
「それで、行くあてなくて。寄宿舎のある騎士団は打って付けだろ。合格できる自信あったし」
続きを聞いて、アルフレッドは「大した自信だな」と呆れていた。
「で、なんで家出なんかしてきたんだよ」
いまいち理解に及ばないといった風の彼へ、答えを口に出す前に、セルフィナは慎重に言葉を選んだ。つまらないことで素性がばれてはならない。
「親に、顔も知らない男と結婚させられそうになったから」
「なんだって?」
彼はますますもって驚いて、口をぽかんと開け放った。
「俺、国に帰ったら一応、貴族の娘なんだよね。だけど、俺ってこんな風だしさ。少しでも早いうちにそれなりの相手をってことらしい」
そう言って自分の脚を台代わりに頬杖をついた。
「そんなに嫌なら、尼僧院行って尼さんにでもなればいいだろ」
さもおかしそうにアルフレッドは笑った。
出会ってからのこの数時間で初めて見る笑顔だった。
「はは。そんな発想なかったよ。第一、俺、信心深くないし」
尼僧の姿をした自分の姿を想像したセルフィナは苦笑した。
「まったく。俺なんて孤児院出るまでに合格しようと必死に特訓したってのに」
独り言のようにそう呟いて、彼は短くなったセルフィナの髪に申し訳なさそうに軽く触れた。
「孤児院?」
彼の手を白い指でやんわりと押し戻しつつ、思わず聞き返した。
アルフレッドは静かに頷いて、首もとから親指ほどの大きさの金属板がついたペンダントを引き出した。
「嵐の夜、若い女が孤児院にこのペンダントを付けた俺を連れてきたんだって。ほら、名前と誕生日が彫ってある」
セルフィナは彼の首もとを覗き込んだ。そこには確かに、彼の名前と生年月日が掘られていた。
唯一、両親の手掛かりになるものだ。そう言って彼は大事そうにペンダントを元に収めた。
「騎士団で出世して名前が知られるようになったら、俺が元気なのはわかるだろ」
淋しそうな笑顔でアルフレッドが言う。
安易な理由で入団した自分とは訳が違うと知って、セルフィナは無造作に投げ出していた脚を正した。そして、「そうだな」と彼に向かって微笑みかけたのだった。




