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プレシア  作者: 南条祝子
〔黒い神官編〕第三章 魔女の足跡
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第三章 魔女の足跡〈3ー2〉

 伯母はよろしいというように口角をあげた。


「残念だけれど、自分の血で儀式はできない。儀式をすれば、私の中にある姉の魔力はあなたの一部でしかなくなるわ」


 セルフィナにはいまいち理解が及ばなかった。だからといって、拒否する余地はない。


「大丈夫。呪いがあるから死んだりはしない」


「わかったよ。で、どうすれば?」


「指輪と一緒に私の血に触れて、私が言う言葉を、そのまま、復唱なさい」


 言われるがままに、セルフィナは手袋を外して、その手でフローディアの傷口に触れた。


 目で合図をしあうと、フローディアは口を開いた。でたらめか、異国の言葉かと思うような言葉ともつかぬ言葉が彼女の口から流れ出る。セルフィナはそれを注意深く聞き取り、慎重に真似た。


 それが、遙か昔の、古い言葉だと気付いたのは、最後のひと言を復唱したときだった。


 今はもう、日常会話で使う者のいない古語を知るのは、歴史研究者くらいなものだ。


 歴史の家庭教師が参考程度に知っていた数文を教えてくれたことがあり、たまたま、それと同じ単語があった。だから気が付いたまでだった。いずれにしても、意味が全く分からないまま言い終えた。


 変化はすぐに現れた。


 指輪に刻まれた、模様のような文字が赤く染まり始めたのだ。それはまるで、セルフィナが手を当てた部分からフローディアの血を吸い取っているかのように見えた。


 全ての文字が深紅に染まると、次にそれは褐色から黒に変化し、最後に元に戻った。


「もう、いいわよ」


 フローディアは安心しきった表情で終了を告げた。


「え、こんなのでいいのか?」


 狐に摘まれたような気分でセルフィナは手を離した。


 森の家で見た凄惨な光景はなんだったというのか。それに、取り立てて何か変わったような感覚は一切なかった。


 とにかく、これでいいと言うのだから傷口の手当をしなくてはとセルフィナは改めてサッシュを手にした。出血が酷いので、畳んだサッシュがみるみるうちに朱に染まっていく。それをしっかり押さえつけるように、もう一つのサッシュできつく絞めた。


「魔力がなくなったフローディアはどうなるの?」


「さあね。こんなこと、初めてしたから解らないわ」


 フローディアは傷口が痛むのを堪えて眉を歪めたまま微笑んだ。


「でも、これでただのまじない以上の魔術は使えなくなった実感はあるの」


 魔力という形のないものは目で見ることができないが、セルフィナは伯母の言葉を信じることにした。

 

「もう、やり方はわかったわね」


 そう言われて、伯母の真意を悟った。


「ああ、大丈夫だ」


 答えに安心したフローディアは石畳の上にくずおれた。


 覚悟を決めてセルフィナが振り返ると、アルフレッドは体を重たそうに動かして、フェニアが翻す短刀を払いのけていた。


「ふん。掛かりが悪いな」


 伯母の意図を実行するため二人に近付くと、不満そうな言葉を漏らすフェニアの声が聞こえた。


 アルフレッドが思うように身動きがとれないのは、フェニアがなにかそうなる魔術を使っているからなのだろう。腕をあげるのもひと苦労のようだった。


 彼の至近距離から短刀を振り下ろすフェニアに、セルフィナは横から叩き入った。


 硬い音を発てて、短刀が石畳の上を跳ねる。すると、アルフレッドが勢い余って転倒した。セルフィナが横から加勢したことで、フェニアの集中力が切れたらしかった。


「ええい、忌々しい奴らめ」


 苛立たしげに悪態をついて、フェニアは床に転がった短刀を拾い上げると、セルフィナに向かって投げつけた。


 同時に、床から体を起こしたアルフレッドが「セルフィナ、危ない!」と剣を振るった。その切っ先はフェニアの大腿部付近を大きく切り裂いた。


 そのせいで手元が狂ったのか、短刀はセルフィナまで届くことなく、地に落ちた。


 傷を負ったフェニアは床に倒れ込んだが、足を引き摺り、髪を振り乱した。


「ふ、たとえどんな深手を負ったところで、私は死にはしない」


 嘲笑うフェニアの脚は赤く染まり、その血は床に滴り落ちた。


「アルフ、フェニアを押さえてて」


「あ? ああ、分かった」


 意図が飲み込めず、一瞬戸惑う様子を見せたが、彼はすぐにフェニアを石畳から起きあがれないように押さえつけた。


 ついさっきやったばかりに加えて、記憶力は良い方だ。


 セルフィナも片方の手で逃れようともがくフェニアを押さえつけ、指輪をはめている手を傷口に当てた。


「それは……! お前が持っていたのか!」


 乱れた赤毛の隙間からセルフィナの手の指輪を目敏に見つけ、取り上げようと必死に手を伸ばしてくる。


「返せ、お前が持っていても意味はない」


「さっき、フローディアで血の儀式をした」


「馬鹿を言うな、お前にそんな……」


 言い掛けて、フェニアははっと気付いたように後方の石畳の上でうずくまっているフローディアに目をやった。


「まさか、できたのか?」


 そんなフェニアの目を一寸見てから、セルフィナはフローディアの言った古語を思い出し、一語一語しっかりと発していった。


「なんてこと……! やめろ、やめろ!」


 暴れて絶叫するフェニアに惑わされないように、頭の中で古語を口ずさむ伯母の声を強く再生した。


 言い切ってしまうとセルフィナは指輪の文字を見た。成功なら、さっきのように文字に変化がある筈だ。


 ほんの一瞬の間すら、とても長く感じた。


 息を吸い、体の中の酸素を入れ換える。


 そして、文字が染まり始めた。


 銀色の輪に浮かぶ赤い文字は、褐色に変化し、やがて黒くなる。改めて見ていると、傷口から流れた血が瘡蓋となり、剥がれ落ちていくかのようだった。


 汗と血にまみれたフェニアの顔に落胆が浮かんだ。


「なんてことを、してくれた……」


 脱力したフェニアの顔に、赤い髪が貼り付いた。


「何百年もかけて、やっと、肉体の滅びた彼を甦らせる方法をみつけたのに」


 フェニアは手のひらで石畳を打って、そう啜り泣いた。


「俺だって、あんたにアルフをくれてやる義理はないね」


「小娘が偉そうに」


「小娘だから思うんだよ。死に別れも、生き別れも、どっちも辛いって。だから、あんたの悲しみまでは否定しない」


 憐れむようにフェニアを見下ろしてから、アルフレッドを見遣った。彼はセルフィナの言わんとすることを理解したように、黙ったまま青い瞳を彼女に向けていた。


 もう、フェニアがすっかり戦意を喪失したと判断して、二人は彼女から離れた。そこへ、足を引きずって、ヘレンが寄り添った。


「フェニア様、私と一緒に、リューズナヘ帰りましょう」


 項垂れているフェニアの肩にふわりと手を置いて、彼女はそう哀願した。しかし、フェニアは地面を向いたままの姿勢で、それに鼻で笑ってから吐き捨てるように答えた。


「帰ってどうする。ヘレン、お人好しも度が過ぎると身を滅ぼすぞ」


「構いません。フェニア様は、私にとって、もう一人の母であり、姉だと思っていますから」


 少しの間、石畳の上に広がる赤い髪が小さく揺れていた。


「わかった。ヘレン、ここで待っていなさい」


 そのうちに、頭を上げるとヘレンにそう告げ、フェニアはふらつきながらも立ち上がった。ゆっくり、一歩、また一歩と手負いの体を引きずるようにして祭壇の奥へと歩き出した。


 ヘレンはその後ろ姿を鈍色の瞳で見詰めた。フェニアのわかったという言葉に安心したように、小さく息をつく。


「やはり、私はフェニア様を見限ることはできません」


 自嘲気味にヘレンは微笑んだ。フェニアと過ごした年月は、結局、彼女自身の思いを根底から覆すことなど難しいのだと伝えているかのような表情だった。


 そうしていると、水が勢いよく跳ねる音がした。


 妙な胸騒ぎを覚えて、セルフィナはフェニアが消えた方へ走り出した。


「姉さん」


 肩を押さえつつ、フローディアがそれに続いた。その後をアルフレッドとヘレンも追う。


 急いで、祭壇の薄暗い通路を駆け抜けた。広間へ出ると、生け簀の水面から、あの水蛇が巨体を伸ばしていた。天井に近い位置で頭部を折り曲げ、縁に立つフェニアを凝視している。


 フェニアがなにか呟いた。聞き取れないくらいの小さな声だった。


 次の瞬間、水蛇の頭が動いた。


「姉さん!」


 フローディアが叫んだ時には、既に、生け簀の縁にフェニアの姿はなかった。


 水蛇の頭は天井に向き、一度、二度とその大きな口を開閉した。


「どうしたのですか? フェニア様?」


 脚を引きずりながら、遅れてやってきたヘレンがそう問いかけた。


 彼女は水蛇の姿を見ると小さく悲鳴をあげて、その場に立ちすくんだ。


「フローディア……」


 セルフィナは名を呼んで伯母を見た。脱力して膝を折る彼女は、アルフレッドに支えられながら、目の前で起きたことを拒否するように、ゆっくりと頭を振っていた。


 最後に、水蛇は一瞬、セルフィナたちのほうに顔を向けたが、図形を塗りつぶしたとき同様に、勢いよく水しぶきをあげて、生け簀の中へと姿を消したのだった。

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