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プレシア  作者: 南条祝子
〔黒い神官編〕第三章 魔女の足跡
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第三章 魔女の足跡〈2ー1〉

 馬宿の主にヘレンの馬だけをもう少し預かってもらえるよう宿代を多めに支払って、早々に出発することになった。


 村を出た後、半刻も行かないうちに国境へ向かう街道から逸れた。


 緑の景色の向こうに見える広大な湖は、このプレシア大陸最大のウレア湖だ。内陸の住人にとっては海も同然で魚も穫れる。セルフィナの故郷、ヴァルカスでこの湖に近い農村部では、湖からの潅漑(かんがい)用水で耕作をしている。いわば、大陸の水瓶といったところだ。


 そんな恵みの湖の側に忌まわしい過去があったというのに、歴史からはすっかりと消え去っている。時間とは残酷なものだ。


 三人とも、黙ったまま馬の背に揺られ続けた。


 流れていく道中の景色を気に留めている余裕もなかった。ヘレンが湖畔の祭壇にいる確証はないが、もしもの場合を考えれば、のんびりもしていられない。


 刻々と眼前に迫ってくる湖は、風に揺れる水面が太陽の光を受けて、鏡のように光っていた。


 水辺まで来ると、湖を右手に進路を変えた。国境近くで、集落もないため道らしいものもない。このようなところに人がやってくることはまずないだろう。ただ、青々とした大地が続いているだけだった。



 陽が南天に昇り切るかという頃。延々と続くかに思われた草原と湖の景色の中に、まばらに木々が見え始めた。やがて、その中に紛れるようにして、石造りの祠が見えた。


 その祠を「あれです」と、フローディアが指し示した。


 祠の側まで来ると、馬を繋ぎ、誰からともなくフローディアの側へ集まった。


「二人にお願いがあります」


 神妙な面持ちのフローディアに、セルフィナとアルフレッドは注目した。


「もし、ここにヘレンがいた場合、あなたたちは救出を優先してちょうだい」


 反論を許さない強い口調だった。二人は頷いて了承したが、どちらも、いざとなればフローディアに加勢するつもりだった。


 ひらりとフローディアは身を翻した。その後ろで、セルフィナとアルフレッドは無言の意志疎通でお互いの考えを確認しあい、すぐに、祠へ向かってどんどん進んでいく背中を追った。


 苔蒸した石段をあがると、風化して角が欠けた石壁の足元に朽ちた木切れが積んであった。形状と、錆びて用をなさないだろう金属は、それが扉だったことを表していた。


 その脇をすり抜けて、石壁の間を進んで行く。


 予想に反して中は明るかった。入り口部分をくぐり抜けると、目の前には回廊に取り囲まれた吹き抜けが広がっていた。明るさの正体はこの吹き抜けだった。入り口から続く屋根付きの通路の先には東屋が設けられ、その下には祭壇が据えられていた。


 その祭壇の脇で人影がいくつか蠢いていた。


「やめて、やめてください」


 聞こえてきたのは、紛れもなくヘレンの叫ぶ声だった。


 見れば、二人の若い娘が両側から、それぞれヘレンの左右の腕を掴んで祭壇へと引きずるようにして進んでいく。


「ヘレン!」


 フローディアが声を挙げるなり駆け出した。セルフィナとアルフレッドも続いた。


 ヘレンを引きずっているのは、コーマス村で行方不明になったとされている娘たちなのだろう。


「あぁ、フローディア様」


 東屋に差し掛かると、祭壇に押し付けられながらも三人に気付いたヘレンが呼び掛けてきた。


「申し訳ありません、コーマスでフェニア様を見掛けて……」


「よいのです。それより、いま助けますからね」


 無言で祭壇に縛り付けようとする娘たちへの抵抗を続け、ヘレンは謝罪しようとしたが、フローディアはその言葉を遮った。


 次の瞬間、その場にいた全員が動きを止めた。祭壇の向こう側の通路から、目の醒めるような赤毛の女が靴の踵を鳴らして姿を表したのだ。


「……姉さん」


「フェニア様」


 フローディアとヘレンが女の正体を呟いた。


「フローディア、久しぶりね」


 栗色の髪に青い瞳のフローディアと姉妹とは信じがたい容貌に、セルフィナとアルフレッドは息を呑んだ。かつて四人の魔女の一人として恐れられたフェニアの艶やかな赤い髪は、見た目にも血の魔女と呼ぶに相応しいものだった。


 しかし、深紅に彩られた唇から発せられた声はフローディアとよく似ていた。


「姉さん、ヘレンを解放して」


 妹の申し出に、フェニアは冷たい笑みをヘレンに向けた。


「とんでもない。私はこの子がリューレ神殿に上がったときからずっと、いつかこの子で血の儀式をしようと大事に育ててきたのだ」


「そんな……、フェニア様」


 元より色白のヘレンの顔から更に血の気が引いていき、白磁さながらに色を失った。


 純粋に心からフェニアを慕っていたヘレンは、この状況を否定するかのように、ゆっくりと数度、頭を左右に振る。


「ヘレン、お前には、とても高い魔力がある」


 一言ごとに、フェニアは一歩、また一歩とヘレンに近寄った。両脇を娘たちに掴まれたまま、祭壇に座った状態のヘレンは射抜かれたように微動だにしなくなった。


「こんなにもうまくいくとはね」


 手の届く範囲まで来ると、幼子にするようにヘレンの金色の髪を優しく撫でた。その手首で、髪の色と似た赤い石で装飾を施された数本の細身の腕輪が揺れる。


 恐怖でも、絶望でもない眼差しで、ヘレンは赤毛の女を見上げていた。


「忠実なお前は、必ず私を追って来ると思っていたよ」


 白い肌に鮮やかに映える赤い唇の端を持ち上げ、フェニアはにたりと微笑んだ。


「ヘレン一人でも随分な魔力を吸収できるが、そっちの娘もかなり高い魔力を持っているようだな」


 身も凍るほど妖艶な視線をセルフィナにも向けた。勝ち気なセルフィナでさえ、全身が粟立つのを感じてしまうほどの不気味さだった。


「いまさら闇の魔術を身に付けてどうするつもりなの」


 フローディアは言いながら隙を(うかが)う。その間も、フェニアはヘレンの髪を撫で続けていた。


「いまさらだと? あの時、お前が余計なことをしなければ、私は魔術師として最高の力を手に入れられた」


 昔年(せきねん)の恨みを吐露するフェニアが手を動かす度に、腕輪がしゃらりと涼しげな音を発てた。


「そのために一体何人の娘たちを犠牲にしたと思っているの!」


 フローディアが怒りをぶつけても、フェニアは飄々と小首を傾げてみせるだけだった。


「姉さんが彼を亡くして悲しんだように、彼女たちを失って同じ思いをした人が大勢いたのに」


 そう訴えかけても、フェニアは冷たい微笑みを崩すことはなかった。それどころか、嘲笑うような声を喉から漏らす。


「私には他の者では習得しえない術を身に付けるだけの技量があった。嘆き悲しむしかできない者たちとは違う」


「思い上がりもいいところだわ」


 怒りから落胆の表情に変わるフローディアに、フェニアは蔑むような視線を送りつけた。一方で、ヘレンから手を放す様子はない。


 言い合う二人を周囲は静かに見守るのが精々だった。


「お前にとってはいまさらでも、私には、やっと、待ちに待った時なのだ。しかも、お前は私に誂え向きの材料まで用意してくれた」


 フェニアは嬉々として語る。


「……どういうこと?」


 訝しげに眉根を寄せる妹に、フェニアは小馬鹿にしたような笑い声を挙げた。ヘレンから手を放し、祭壇の前に歩み出る。


「もう一度、闇の魔術を身に付ける方法と同時に、既に土に還って跡形もなくなってしまったあの人を蘇らせる方法も探した」


 フェニアの視線がアルフレッドに向いているのに気付き、セルフィナは隣に目をやった。


 そして、恐ろしい言葉が放たれる。


「そこの男を器に、魂を呼び戻し、入れ替える」


 細い顎を僅かに持ち上げ、自信に満ちた表情で血のように赤い髪を白い指で耳に掛けた。そのさまは妖しさと美しさを兼ね備えていた。


 セルフィナは視界の端で、不快そうに顔をしかめるアルフレッドの姿を見た。


「ふざけんな!」


 全く別人の魂と入れ替えるなど、想像しただけでも腹立たしい。叫ぶとともに、セルフィナは無意識に腰の剣に手をやっていたが、アルフレッドが腕を掴んで制止した。


「ほほ、威勢のいい娘だこと。案ずることはない。魂を入れ替えるのに苦痛は伴わん。もし、あったとしても、次の瞬間にはあの世だ」


「私が、そんなことはさせないわ」


 品がよく威厳に満ちたグリーンラーム王妃の姿は封じ、フローディアは毅然と立ちはだかった。


「子供だましの魔術しか使えない、それもいまは封じられているお前になにができる」


 さもおかしそうに、フェニアは声を挙げて笑った。ひとしきり笑うと、褐色の瞳で威圧的にフローディアを捉えた。


「そう、私は魔術師としては姉さんほど優秀でなかった。まともに戦ったら勝ち目がないのは知っているわ」


「ふん。私は再び力を手に入れた。たとえお前に何か秘策があろうとも、私には適うまい」


 フェニアとフローディア以外は実際の魔術を知らない。再び手に入れたという力がどんなものか、想像すらつかない。ただ、自信に満ちあふれたフェニアの言葉を聞いて、感情的に身動きをとるのは危険なのだと理解して、セルフィナは剣の柄から手を放した。


 入れ違うようにして、フローディアが懐から短刀を取り出した。


 それを見たフェニアはまた笑い出した。


「そんなもので、どうするつもりだ」


 小馬鹿にしたようにフェニアは腹を抱えた。


「切羽詰まって気でもふれたか」


「ええ、そうかもね」


 答えた後、フローディアはあまりにも小振りすぎるその短刀の鞘を打ち捨てた。それは石の床の上で硬い音を発てて数回弾んだ。


 その音に、フェニアの背後でヘレンを取り押さえていた娘たちの肩が跳ねて反応した。


 ひと呼吸間があってから、娘たちは不思議そうに目を瞬かせてヘレンを解放し、辺りをきょろきょろと見渡した。娘たちは今まで催眠術のようなもので操られていたのだ。正気に戻った娘たちは状況が把握でずに、その場に呆然と立ち尽くしていた。


「セルフィナ、頼みます」


 顔をフェニアに向けたまま、フローディアが一瞥する。ヘレンを確保しろということだ。セルフィナは「分かった」と声を低くして応じた。隣で腕を掴んだままアルフレッドに、小声で「ヘレンを確保するぞ」と伝える。


 アルフレッドは視線ひとつすら動かすことなく、小声で「ああ」とだけ答えた。


 フェニアの高笑いがぴたりと止んだ。


「無駄なことを」


 再び引き結ばれた真っ赤な唇でニタリと浮かべた笑みは、妖艶を通り越して禍々しさを放っていた。


 背中の中心に冷たい感覚が降りていくのを感じつつ、セルフィナはヘレンに視線を移した。村娘たちも確保しなくてはならない。アルフレッドと二手に分かれた方が良さそうだと、小さく呼び掛けた。


「俺がヘレンを確保する。アルフはあの二人を頼む」


「おう、任せとけ」


 そう言葉を交わした直後だった。


 祭壇の奥の方から勢いよく水の跳ねる音がした。


 この奥に水辺があるようだ。湖のほとりに建っているのだから、仮にこのままウレア湖に通じていたとしてもなんら不思議ではない。


 だが、聞こえてくる音は自然の景色の中で耳にするものとは明らかに違っていた。姿なき水辺から聞こえてくる音は、徐々に激しく水を打ち付けるものに変わっていく。そして、突然、ぴたりと止んだ。


 嫌な予感に、鼓動が時計塔の鐘のように耳の奥で低く響くのを聞きながら、セルフィナは乾ききった喉に唾液を押し込んだ。


 祭壇では、娘たちも音の聞こえてくる方へ振り返っていた。


 暫しの静寂の後、甲高い悲鳴が祭壇の間にこだました。

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