第二章 始まりの眠る森〈4〉
始まりは、およそ千二百と十年近く前に遡る。
当時のグリーンラームは現在のような王国ではなく、いくつかの小さな豪族の所領の集まりだった。
そんな時代に、フローディアとフェニアは木こりの父と、鶏や野菜を育てては近くの村へ売りに行く農婦の母の間に生まれた。
魔術とは全く無縁の両親にして、フェニアは幼い頃から才を見せた。そんな彼女に、両親は貧しいながらも惜しむことなく学ぶ機会を与えた。年齢が二桁になると、近くの村の魔術師から魔術を学び、みるみる力を伸ばしていった。
一家にとって自慢の長女。いずれは師をも超えるだろうと期待される一方で、十代の終わりには師匠の息子と将来を誓う仲になっていた。彼もまた、魔術に秀でた青年だった。誰もが二人の幸福な未来を信じて疑わなかった。
しかし、それは突然に終わりを迎えた。
当時の流行り病いで師匠の息子は呆気なく命を落としてしまったのだ。
フェニアの落胆ぶりは語るに尽くせぬほどだった。時に部屋に引き籠もり、時に自棄をおこして荒れる彼女に、家族はみな、掛ける言葉もないまま月日が過ぎていった。
数年の後のある日。突然、フェニアは家を出ると言い出した。誰も不審には思わなかった。自棄こそは落ちついていたが、一日中、部屋に籠もるようになっていたからだった。ここを離れることで少しでも辛さが和らぐのならそれもいいと、両親も独り立ちを許可した。
しかし、その時、既に彼女が闇の魔術に手を染めていたことに、誰も気付いていなかった。
フェニアが家を出て暫くの後、近くの村々で若い女の魔術師が凄惨な姿で発見される事件が頻発した。みな、若くして将来有望な娘たちだった。
フェニアも狙われるのでは。フローディアと両親も家を出たあと便りのない彼女の身を案じていた。その矢先、フェニアの師匠が彼女の居場所を尋ねにやってきた。
彼の口から告げられた事実に一家は震撼した。
凄惨な事件は、他ならぬフェニアの仕業だった。闇の魔術を極めて、死者を蘇らせる術を手に入れるためだというのだ。勿論、病でこの世を去った恋人を蘇らせるために。
死者の蘇生は闇の魔術の中でも極めて成し得難く、強い魔力が必要となる。そのために、足りない魔力を手っ取り早く身につけようと、他人の魔力を自分に取り込んでいるのだと。若い娘を狙うのは、同性からのほうが吸収しやすいからだと、フェニアの師匠は詳しく説明してくれた。
真相を知ったフローディアは、姉を止めるために姉の師匠から魔術を学ぶことにした。それまで勉強などはそこそこに母の手伝いばかりをしていたが、素養があったのか、姉の凶行をくい止めたいという強い思いからか、師匠も驚くほど急速に技術を身につけた。
だが、すっかり魔術を習得する頃には、姉は血の魔女として恐れられるようになっていた。
当初のように場当たり的に若い女の魔術師を襲うのをやめ、人目に付きにくい場所に用意した祭壇まで連れ去るようになっていた。そこで攫ってきた娘たちで次々と血の儀式を行い、全員を餌食にしてしまうと、また、新たに攫ってくるというのを繰り返していた。
そして、その祭壇は千二百年前の決着の場となった。
「確かに、愛する人を失うのは辛く苦しいわ」
長い話の最後をフローディアはそう締めくくった。
身を切られる思い。セルフィナは旅立つ前のいつかに、伯母としてのフローディアが吐露した言葉を思い出していた。あれは彼女自身が経験した、身分の違いによる苦難の日々を思っての言葉だと理解したのだったが、フェニアの味わった悲しみにも、また、凶行に走ったフェニアへの家族や師の思いにも当て嵌まる。そういった全てが凝縮された言葉だったのだろう。
「わたくしはこうして呪いで死ぬことができない。誰かと親しくなっても、いずれ、みな年老いて、この世を去っていく。その哀しみを避け、必要以上に誰かと親しくするのを避けてきました。いまになって、ようやくわたくしも当時の姉の苦しみを真に慮ることができるのです」
グリーンラーム王ディオルスとの結婚は、そうやって生きてきた彼女にとって大きな決断だった筈だ。いつか必ず永遠の別れが訪れる。それは、まさしく、フェニアが千二百年前に経験したことだ。
「だからといって、姉のしたことは赦されることではありません」
そう言って、フローディアは戸口へ向かった。開け放たれた扉の向こうに立ち、屋内に振り返る。視線で追う三人に「ここからは、わたくし一人で行きます」と、力強く言うと、前に向き直って歩き出した。
「待てよ、フローディア!」
セルフィナが思わず叫んで後を追った。その後に、アルフレッドとヘレンが続く。押し合うようにして屋外に出ると、セルフィナはフローディアの腕を掴んだ。
「ここまで一緒に来て、はいそうですかって帰れるかよ」
「でも、あなたたちは魔術を知らない。こうなった以上、この先も付き合わせるわけにはい」
「自分の立場分かってんのか? 王妃だろ。お……陛下になんて報告すればいいんだよ。俺はともかく、アルフは責任を問われる」
フローディアははっとしてアルフレッドに視線をやった。
「ヘレンだって、結局、神官長見つかりませんでしたって、のこのこ帰らなきゃいけない」
続けてヘレンに視線を移すと、フローディアは視線を泳がせてから項垂れた。
「俺はやだよ。一緒に行く」
セルフィナはなんとしても食い下がろうとした。
「まだ、フローディアに聞いてほしいこととか、教えてほしいことがいっぱいあるんだ」
声を抑えて、そう付け加えた。
いつか、自分が下さなければならない決断の道しるべとして、セルフィナは伯母夫婦の歩みを、またいつか平穏な空気の中でゆっくり時間を掛けて聞きたいと思っていた。そのためには、王都へ無事に連れて帰らなければならない。
ともすれば、心の底から顔を覗かせそうな恐怖心を押し込めるために、セルフィナは腕を掴む手に力を込めた。もしも、振り切られてしまっても、追いかけていくつもりだった。
「陛下、俺も途中で任務を放棄するわけにはいきません」
「私も、フェニア様に直接会って、お話ししなければと思っています。神殿でフェニア様のお帰りを待っているみなのためにも」
二人の力強い言葉が追いかけてくる。暫くの沈黙のあと、フローディアは顔を上げた。青い瞳を揺らし、セルフィナたちを順に見る。
次第に、セルフィナの手を振り払おうと力が込められていた腕からは力が抜けていった。
「まずは、馬のところまで戻りましょう」
主の心の動きを捉えたアルフレッドは静かな声で言った。
風にざわめく木々の枝葉が奏でる音に紛れてしまいそうなほど微かな声で、フローディアは「ええ」と返事をした。