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羽美×薫

 羽美は基本火、水、金曜日。週三回、文芸部室を開けるようにしている。月曜と木曜は七時間授業の日で、四時半まで教室に居なければならない、午後の授業が終わって部室に行っても、一時間ほどしか活動出来ないのだ。

 しかし冬の季節は、四時前に授業が終わる六時間授業の日でも、外が暗くなるのが早い為、結局一時間程しか部室に居られないという結果だ。

(活動っていっても、本読むだけなんだけどね)

 羽美は心の中で呟いて、軽く舌を出しながら部室の鍵を開けた。

 殺風景な部室の唯一の長所は風通しの良い所だが、寒い季節では窓を開ける気にはなれない。せめて明るくしようと電気のスイッチをパチッと押す。その時、ゴミ箱の中に黒いプラスチックの入れ物を見付けた。

 首を傾げつつそれを拾い上げてみると、醤油の匂いが微かに残っているのが解った。

「もしかしてお刺身?」

 羽美はマグロの赤身を思い浮かべた。ここ最近夕飯で食べていない。サーモンも大好物だ。

「ってそうじゃなくて」

 何故こんな所に、という疑問を浮かべずにはいられない。ゴミ箱は置いてあるといっても置いてあるだけだ。羽美は文芸部室には本を読む事くらいしか用がなく、飲み物は水筒でしか持ち込まない。先輩達が部活を引退した後、彼女は確かに一度ゴミ箱を空にして、その後は一切使う用がなかった。

「誰のゴミなのかなあ……」

 もしかしてここを自由部屋にされているのかもしれない。羽美は最も近い可能性に思い至って、肩をがくりと下げた。

 人気も少ない廊下の突き当たりとはいえ、一応部室なのに。

(やっぱり部員一人じゃ、部活扱いなんてされないんだ)

 少しだけだがショックを受ける。きっと倉庫か何かと勘違いされているのだと思う。

 しかし現状を変える気はあっても行動力がない羽美には、「ここは部室です」とアピールする手段を持ち合わせない。

「一応『文芸部室』っていうプレート下げてるんだけどなー」

 羽美はふうと溜息をついて、パックをゴミ箱に戻す。

 どうせなら、自分も一緒に食べたかった。だがそんな行動自体、彼女にとって夢のまた夢だ。クラスの女子の輪に入る勇気すらない羽美に、初対面と気軽にお喋り出来るだろうか。答えはノーだ。きっと悔しがりながら拳を握り、連中が勝手に部室に上がり込んでもお刺身を食べるのを見ているだけなのがオチだろう。考えたら、本当に悔しくなってきた。

「教室で食べろっちゅーの」

 羽美は両手を長机の上にバンッと叩き付けた。

「大体、顧問が私以外に鍵を渡す筈……」

 ある。考えられるのは、現在センター入試を終えて、また次の試験に備えている引退した先輩達だ。ここを勉強会で使っている可能性があった。しかし今の今まで誰一人の先輩も、夏に引退してからこの部室に寄ってくれた事がない。それもまだ二、三月に行われる試験も終わってない内に、今来る必要はあるのだろうか。

(じゃあ、やっぱり先輩達じゃないのかな)

 だがそれはそれで、この部室を好き勝手使われるのが気に入らなかった。もし先輩達に鍵が渡っていないなら、あの顧問は一体何処の誰に渡してしまったのだろうか――そんな怒りもすぐに鎮まる。何故なら部員である自分こそ、本来の活動を放棄しているからだ。怒る道理は彼女にない。人の事は言えない。

「うーん。まっ、いっか」

 考えてみて怒っているのも馬鹿馬鹿しくなった。様は、自分良ければ全て良し。薄情に聞こえるがそれで良い。いちいち刺身の一枚や二枚を気にしていても仕方ないのだ。

「今日は何処まで読めたっけ……」

 本のページを捲る時になる音が、羽美は好きだった。この薄い紙の一枚一枚が本になっている。改めて当たり前な事を認識すると、それは凄い事だと思える。

 実際、読み進む度に彼女の心は物語の中に惹かれて行く。本と言う形態を通して、作者の言葉が自身に伝わる。

 時々、教室でじっと本を読んでいると、暗い子だと陰口を叩かれる。それは本とばかり相手をして、人と関わろうとしない子だと思われているからだろう。だが羽美にとって、読書の時間は断じて一人の時間ではない。作者との対面の時間なのだ。

(なーんてね)

 羽美は一瞬でつまらない考えを心の中で笑い飛ばす。

「馬鹿らしい」

 周りが言う『くさい科白』を批判しないとやっていられない。物語を読むのは楽しいし、悲劇のシーンや感動で号泣する時もある。しかしそこに描かれた勇気や希望を本気で信じられた事は、おそらくない。

(現実は理不尽でつまらない世界。地球というのは他人を見下す人の塊が密集する星)

 もっと上手い表現が出来ないだろうか、と羽美は呻いた。

(こんな言語中枢では小説も詩も書ける訳ないですよ、先生)

 たった一人の文芸部員の苦手な事が創作。我ながら笑えてくる。

「本当、馬鹿みたい」

 羽美はそっと窓の外の方に首を動かした。

 青みを帯びた空の色は、だんだんと暗い色に染まって行く。やがて空全体は真っ黒な闇に飲み込まれ、月光だけが唯一の心の頼りとなる。日はまた上り、一筋の太陽の光が現れてくれる事は解っている。光がある事を知っている。けれど――

「私には、朝がない」

 暗くなるのは明るさが戻って来る必然があるからだ。だとしたら、羽美には明るくなる時間帯はない。延々と暗い気持ちに染まって行く一方で、明るくなる兆しが見えて来ない。

(どうして、自分で自分を追い込む事しか出来ないんだろう)

 羽美は一人の時間が決して嫌いではない。一人で居る方が気楽で、周りに気を使う必要がなくなる。

 それでも学校と言う場で一人で居る時は、何故だかとても苦しい。学校と言うのは小学校から中学校までは義務教育で、高校に行く事は義務ではない。しかし周りが高校に行っているから、中退は就職に不利だから、親や中学の担任が自分を非難するからという理由で羽美は高校受験を受ける事に決めた。友達も出来ていない訳ではない。高校に入ったお陰で、まだ入学して一年経っていない今の時点でも、色んな経験を積む事は出来たのは事実だ。しかし、学校に行くという行為自体が、自分を苦しめる原因を作る。

 それは人との交流だ。幼稚園児の頃で既に気弱な性格で、自分の意見を言えず、シャレたジョークも言えない。他人を楽しませる語学力がなければ、これといった取り柄もない。その上、叱咤の言葉や嫌味口調で話されたら、一日中、悪い時は一週間以上その言葉が頭から離れない。

(弱い自分が嫌なのに。それを直す努力をしない)

 同級生や教師との交流が上手く出来ない。そんな忌まわしい性格を変える為の一歩さえ踏み出さず、ただ同じ場所で蹲り、勝手に苦しんで、勝手に泣いて、悪循環を繰り返す日々。

 彼女は本気に死んでしまいたいと思った事はない。でなければ今すぐにでも窓枠に足を掛けている。だが自殺行為を容易に出来る程、彼女は強くはない。

 どうしてどうしてどうして。

 本来、人が集まるべき所で一人で居る時程、辛い事はない。顧問の手前、文芸部室はなるべく開けるようにしているが、ここに居て幸せを感じた事が、果たしてあるだろうか。孤独を感じる時にこそ今の自分の状況を振り返り、挙句の果て、絶望に堕ちる。こんな日々を続けなければならないのか。無限に。途中で人生を放り出してはいけないのか。

(どうして自分を殺せないんだろう)

 ここに居ても何も変えられない。

(希望なんて何処にもない)

 勝手に絶望して、勝手に泣きそうになる。

(生きたいなんて、思えない。死にたくないなんて、思えない)

 どうして自分の心の霧が晴れないのか。

 涙が零れ落ちる。肩に力が入る。息が荒くなる。どんなに部室や家で一人涙を流しても、悩みや苦しみは一緒に流れていってしまわない。これくらいの事で何故泣きたくなるのか。何故自分はこんなにも弱くて泣き虫なのかと、また、懲りもせず自分を追い立てる。

 だがどうしたって責めずにはいられないのだ。変わりたいと思えば思う程、欠点を振り返れば振り返る程、人生の中で圧倒的に嫌な事が多過ぎて、自分を立ち上がらせる事が出来ないのだ。

「ひっ……ふ、えええっ……」


 ヒュウ


 ――――風の音。部室に冷気が舞い込んで来る。

 しかし窓は開いていない。羽美は俯いていた顔を上げて、風が来る方向を見定めた。

 開いているのはドアだ。廊下の冷えた空気が部室の中に侵入して来ている。膝下までの長さしかない靴下のみの足が特に冷え始め、羽美は手の甲で涙を拭って、ドアを閉めようとした。ところが、それは〝開かれた〟ドアだった。

「!」

 羽美の目の前に現れたのは、黄緑色のリュックを背負った男子生徒だった。足に履いている、爪先だけが青い上履きから、それが一学年で同学年だという事が解った。

 何故、こんな人気ひとけのない部室に来る生徒が居るのか。そもそもドアに付いている曇りガラスから、部室中の電気が点いている事は確認出来る筈だ。中に人が居る事が解っていたであろう彼が、どうして入って来たのだろう。

「あ、あの」

「お取り込み中?」

 第一声がそれか。一目で羽美一人しかいない事ぐらい解るだろう。

「いえ、あの」

「泣いてたの?」

 羽美はハッとした。泣き腫らした顔を彼に隠すべきだった。きっと彼女の目は充血している。何事かと思われたのだろう。

「済みません、ちょっと目が痛んだだけなんです。目薬つけたら、涙出ちゃって」

「そう。寒いから入って良い?」

「え、あ、はい。どうぞ」

 彼は許可の一言を受け取ると、躊躇いもなく部室の中に身体を滑り込ませた。もしや――

「ここでお刺身食べた人ですか?」

「……うん」

 彼があまりにも遠慮なしに部室に入る様子を見て、以前もここに来た事があるという推測をしたら、見事に当たった。正直な人である。

「あの、済みません。ここは自由部屋じゃないんです。だからあの……」

「じゃあ今度はアンタの分も持って来るよ、刺身」

「!?」

「冗談だよ」

 彼は苦笑して長椅子に腰を落とした。羽美は自分が立ったままで居るのも気が引けたので、彼の向かいの椅子に座り直す。

 とりあえず彼が文芸部室にやって来た理由を訊き出さなければ。

「ここに来たのは、見学の為ですか?」

「見学……しても良いけど、用があるのは部じゃなくて風間さんだから」

「…………」

 羽美の思考は停止した。彼は風間が目の前の自分を指している事を承知しているのだろうか。

「君、風間さん?」

「! はい」

 名前を呼ばれて肩がビクッと動く。学生生活、かつて男子に呼び出された事はなければ二人きりになって話す事もない。免疫がない分、どう遣り取りするか非常に困った所だ。

「まあ活動日だったから、居るのは解ってたけど」

「……文芸部の活動日、知ってたんですか?」

 学校の中で文芸部は存在すら知られているか怪しい。先代の先輩も皆女子だった為、特に男子には広く知られない筈だ。

「担任が文芸部の顧問だから訊き出したんだ。俺は一年五組、野沢薫」

「五組って――すぐ隣の」

「うん。だから教室からここまで五秒」

「あはは」

 羽美は乾いた笑いを返した。彼女は文芸部室に来る時、いつも一年五組の教室の前を通らない道を使っている。だから一年五組から部室までどれくらい近いのかは詳しく知らなかった。

「そんなに近いんだね」

「近くなかったら、わざわざここに来たりはしない」

「私に、用なんですか?」

「そう言ってる」

 彼は突然椅子の上で、横に避けて置いたリュックの中を探り始める。いや、リュックではない。丁度椅子の上に置いてあるものはテーブルが死角となってよく見えず、彼が手を伸ばしたのは茶色い紙袋だと、ガサガサと紙の音がするまで気付かなかった。

 彼は、紙袋の中を確認すると、それを目の前のテーブルの上にドンッと置く。

「?」

「これ、中の本は小説なんだけど」

「小説……」

 同級生との話題にあまり挙げられない、彼女が大好きな物。

「小説!?」

 羽美は一瞬、我を忘れて紙袋に飛び込むように腕を伸ばす。中に入っていたのは、十冊以上の本達。

「こ、このミステリーシリーズ、私が今集めてるやつ……ふわああああ」

「喜んでくれて何より」

「読んで良い!?」

「良いよ。でも下校時間リミットまで読み切れないだろうから、貸しておく」

「有難う! ……あ」

 我を忘れて我に返る。いちいち奇声を上げてしまった。恥ずかしい。目の次に赤くなるのは、今度は頬だ。羽美は頬に両手を添えて必死に赤面を隠そうと試みた。

「……聞いていたより喋るんだな」

「あの、小説、貸してくれる為に来てくれたんですか?」

「先週、刺身食べにここへ来た時、テーブルの上にこのシリーズの三巻目が置いてあったのに気付いた・今はもう十三巻まで発売されてる。しかも五刷りまでされてたから、最近集め始めたんじゃないかと思ったんだ」

「でも、どうして貸してくれようとしてくれるの?」

「同学年にも読書家が居た事に、少し興味が湧いただけだよ」

 羽美はその時、嬉しいという心の声が漏れそうになった。接点のない異性の同級生の所に遠くから赴くのは、誰もが出来る事ではない。もしかしたら、その行為が難しいと考えるのは羽美だけかもしれない。それでも、こんなに話し掛けてくれる男子生徒は初めてで、感動さえしてしまう。

「とりあえず、有難うございま――」

「一人なんだな」

 その時、羽美の心は再び蜘蛛の巣に掛かる。彼の言葉が大した意味を持たなくとも、羽美にとっては邪悪なものと化す。

「はい。ちょっと、部員集めるような事も……やって、ないので」

 声が震えないように片手で胸元を抑える。しかし弱々しい声になっているのは解った。

 さらなる追い打ちが降り掛かる。

「聞こえないんだけど。もう一回言って?」

 羽美の声量は弱くなっていると同時に小さくなっていた。彼の耳まで届かなかった。

「あ……」

 話せない。声が出ない。再び涙が出そうになる。一時の悲しみがまだ拭いきれておらず、その状態で彼女が恐れる言葉を言われたら――頭の中で、忌々しい記憶がフラッシュバックした。

(やだ。止めて。死んで)

 記憶を思い出そうとする脳に訴える。だが言う事を聞いてくれない。今まで自分に向けられた同級生の視線が、一斉に彼女を襲う。

(いや、厭……厭)

 どうしてこんなに弱いんだろう。強くなりたいのに。子供のように泣いてばかりと言われたくないのに。羽美は理想の自分になれた例がない。

(――ああ、前にもこんな事があった)

 小学五年時。突然、あまり話した事がなかった女子が話し掛けてくれた。羽美は彼女の話の間に相槌を打った。少しだけ楽しく感じた。

 だがそう思ったのは羽美の方だけだったのだ。実際は相槌こそ上手く出来ておらず、その子は言った。

『――なんか、羽美ちゃんってつまんない』

 彼女自身はさらりと言ってみただけの何でもない言葉だったと今では思う。しかしそれは羽美を泣かせるには充分な、力を持った言霊だった。

『何でこれくらいの事で泣くの? あたしが泣かせたみたいじゃん。止めてよ』

 最終的に、羽美は嗚咽おえつを漏らして泣き始め、後で羽美とその女子は担任の先生に呼び出されるまでの始末となった。その子は、二度と羽美に近付こうとしなかった――。

 また同じ事を繰り返すのか。そんなのは嫌だ。しかし涙は一向に止まろうとしない。

 また敬遠される。せっかくの交流のチャンスがあちらから訪れようとも、彼女はそれを上手く掴めず終わる。本当に死んで欲しいのは、この自分の性格と、弱い精神だ。

 部室の中が暫く沈黙で満たされる。ここまで静かだと、嗚咽が聞こえてしまう。泣いては駄目だ。泣かれたらあちらが不快な思いをする。泣いては駄目だ。


「――これ以上、我慢する必要が何処にあるんだ?」


 それは、清廉な雰囲気を纏う言葉だった。羽美は誰に向けた言葉なのか解らなくなって、咄嗟に薫の顔を凝視した。

「野沢君……」

「いつまで経っても霧が晴れないのは、溜めこむ一方で、吐き出そうとしていないからだ」

 何故彼は彼女の心情を知っているのだろう。訳が解らなくなって、涙が視界をゆがませるのと同時に、脳まで上手く働きそうにない。

「周りを頼れば良いんだ。お前には優しい親だって居るんだろ」

「! そんな事!」

 出来る筈がない。親には言えない。自分の悩みを言った所で、親は良い気分にならないだろう。心配をして欲しくない。駄目な子だとこれ以上思われたくない。うんざりして、自分を見捨ててしまって欲しくない。

「出来ないよ。寧ろ、私は頼ってばかりの生活を送ってる。自分で出来るようにならなきゃいけない事を、親に任せっきりなんて、そんなの駄目だ」

「自分の心は周りの影響なしでは変わらない」

「!」

「それが溜め込むって事だよ」

 何故。何故反論の言葉が出てこない。解り切った事を解ってもいないのに言わないで欲しい――そんな言葉が出てこないのは羽美が臆病だからという理由ではない。彼は、彼女の苦しみを知っているのだ。

「変われとは言わない。けど、吐き出す場所を見付けなければ心の重みは消えはしない」

「……逃げ出して、最終的に人に頼るんだね」

「逃げてたら、お前はこんな所に居る筈ないだろ」

 涙が止まる。羽美は、真っ直ぐ彼の眼を見つめた。

「お前は逃げ出さずにここに居る。その中で自分を変えようとしてるけど上手く出来ない。――何が駄目なんだ?」

 彼の言葉が、羽美の心にそっと入って来る。

「逃げてないのに他人に自分の声を聞いて貰う事が迷惑なんて、思う方がどうかしている」

「私は……ッ」

「吐き出す場所を与えずにお前に重みを背負わせてるのは周りだ。だから、周りが変わらなければ自分も変わらない。――二つが同時に変わろうと思った時でないと、現状の変化は訪れる事はないんだ」

 ――これまで、自分だけが悪いと思っていた。自分を嫌いになるのは自分が弱いせいだと。羽美は世界を狭くしていた。本当は考えているより、ずっと広かったのに。広い世界で、彼のような人を探そうとしなかった。

 小説のような心に響く言葉と違う。真正面に自分だけに向けられた、自分だけが受け取って良い言葉。フィクションではない。ここには言葉をくれた彼が居る。

「う……」

 今まで泣きそうになる前の自分を恨んだ。だがもう自分を恨む気持ちなどどうでも良かった。

「うわあああああ!」

 声を上げて泣き始める。苦しかった。悲しかった。誰かに本当の自分をそのまま晒す事が怖かった。そんな思いが一斉に涙となって流れ、最早抑える方法を知らない。

 

 夜が深まっていく中、雲間から月が姿を覗かせ、星々が煌めき始めた。

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