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羽美

貴方が、貴女が心惹かれるからこそ

何かのきっかけが起こります。

目の前にあるものに、自分と同じ人間の心が眠っている事を

どうか忘れないで下さい。

さあ、同志を見付ける手助けをします。

 春には桜が咲き乱れ、夏には若葉、秋には紅葉、冬が始まればすっかり枯葉となり枝から葉っぱは離れて行く。そんな経緯を辿って、一月の今はすっかり枯れ木が目立っていた。しかし冬を終えていずれやって来る春を思えば、枯れ木でも未来を信じさせてくれるという大事な役目を持つものである。

 夏休みより短い冬休みを終え、三学期一日目の放課後、風間かざまはドアノブについている鍵穴に、文芸部室と書かれたネームプレート付きの鍵を押し込む。左回りに回してカチャと音が鳴るのを聞くと、鍵を引き抜いて小さい一室に身体を滑り込ませた。

 羽美が入ったのは一応文化部の部室なのだが、彼女が知る限りの教室の中では一番狭いと言っていい。強いて言うならサラリーマンが通う会社の給湯室だ。流し台はないが。元々この部屋を使う部員が昔から少なかったのだろうと想像出来る。

「こんにちはー……」

 控えめな彼女の挨拶に返す者は居ない。そもそもここに来る用がある生徒は彼女一人だ。彼女は木製でやたらギシギシと音を鳴らす長椅子に腰掛けた。椅子と言うかベンチと呼んだ方が正しいか。

 ここは文芸部が使う文芸部室だ。しかし、部員は生憎彼女一人だった。

 風間羽美は高校一年である。といっても何も彼女は文芸部を創設した訳ではない。入部した当時に、三年生が四人程居たのである。しかし先に入部していた先輩達は全員受験生である為、夏には引退をしてしまった。その結果、唯一残された部員がまだ一年生で新入部員の羽美だった。お陰でただでさえ内気で、人との関わりを苦手とするにも関わらず、必然的に部長など大層な役職を任されてしまった次第だ。

 部員を増やさなければならない事は解っている。たった一人の部員では部活は立ち行かないし、このままだとすぐにでも部から同好会呼ばわりされてしまう。

 羽美は通学用リュックを自分の隣に置いて、目の前にある椅子と同じく木製のテーブルに突っ伏した。

 人付き合いが得意ではなかった事から、やはり先輩達と向かい合っている間は正直息が苦しかった。今はそんな先輩達は部室に来なくなり、秋からやっと羽美一人の部屋となったのだが、それでもやはり気持ち良くはなかった。息苦しくはなくなったのは確かだが、ここにたった一人で居た所で楽しい筈がない。気に掛けてくれた先輩はもう彼女の目の前には居なくなった。息苦しいと思う反面、人が居て楽しいと思っていたのも事実だったのだから。

「活動、しなくちゃ」

 暇と感じる時、何故自分は文芸部に入ろうと思ったかを思い出すようにしている。言うまでもなく、小説という創作物語を書く為だ。文芸は詩もその内だが、羽美は詩は書けない。しかし小説ならば、毎日本を読んでいる事から少しは書ける。書き始めた中学二年生時はさすがにつたな過ぎて携帯小説に近い作品しか生み出せなかったが、今では辛うじて文学と呼べる程度の文章は書けるようになった――と密かに自負している。

 だが、書くのは好きだがたまにしか物語を書こうとしないのが現状である。部活は文化部と決めていて、その中で唯一やる気が出そうなのが創作だったから文芸部に入った。それでも、やはり読む方が好きなのは変わらなかった。中学生時代から本格的に読書にハマり込んだのはいいが、書いてみようと思ったのは本当に気紛れで、将来に何か役立てたいとは思った事がない。だからたった一人きりで居るこの部屋で、ストレスが溜まらない活動はただ一つ。

「今日は何を読もうかな」

 読書、である。羽美は自分でつくれと自分に叱咤したい所だが、人の創った作品に目を向けた活動の方が性に合っているのだから仕方がない。

 そして何よりもこの時間を羽美は愛していた。読書は決して一人の時間ではない。本を書いた作者との対面、または物語の中に出てくる登場人物との冒険の時間なのだ。

 押し花が閉じてある長方形といった、我ながら古風のしおりが挟んである所を見てみると、今読んでいるミステリー小説は半分まで読み切った事が解る。

「どうなるのかなあ、公園の呪い。楽しみー」

 一人なのを良い事に、独り言を呟いてみる。いや、本の中が楽し過ぎてつい声に出てしまうのだ。昼休みに読んだきりなのでずっと放課後を待ち侘びていた。

「さあ、読もうっと」

 羽美は栞を本から外して、ページの上に指をかける。

「待ちなさい」

 今のは羽美の声ではない。何と、小説の中の科白せりふがまるで現実に出てきたように聞こえ始めている。さすがに頭があぶないんじゃないかとも感じてきたが、物語の続きを読みたいこの衝動感は誰にも抑える事は出来ない。いざ、読み進めるのだ。仮令、今日が世界が滅亡する前日であろうと。

「待ちなさいと言っているんだよ。風間さん」

「んん?」

 何処にそんな科白があるのだ、と羽美は遅ればせながら気が付いた。風間などという人物はこの物語の中には登場しない。新キャラ――ではなかった。それは羽美自身の苗字である。

「相変わらずだねえ、風間さん」

「ふえっ!?」

 本気で吃驚びっくりした。本から顔を上げた所、目の前に白衣を着た中年の男性を見付けたのである。顎にうっすらと剃り残りの髭があり、耳まで届かない短い黒髪、組んだ腕の骨格は男性のそれで、人の良さそうな顔をしている。彼は学校の中をうろつき回ってここに辿り着いた不審者ではない。文芸部の顧問である。

きょう先生……」

「よっ」

 男性教師はにっと笑って白い歯を見せ、片手を上げた。

「め、珍しいですね。先生が部室に来るなんて」

「久し振り、だろ。十二月は職員会議が多くて会わなかったからなあ」

「あ、そっか」

 彼は一年の国語担当の教師である。この学校には七年程勤めている四十代で、ずっと文芸部顧問を担っているらしい。一年五組の担任で、二組の羽美とは部活と国語の授業で顔を合わせていた。

「今は何ていう本にハマっているのかな? まだ探偵物か」

「だって、このシリーズ凄く長いんですよ。私が幼稚園児の時に始まったのだから、去年から読み始めて、とてもじゃないけど半年じゃ読み切れません……というか、先生はいつから入って来てたんですか?」

「『公園の呪い、楽しみー』からかな。俺以外が聞いたら暗い女子扱いされてたな、アハハ」

 笑うに笑えない。からかわれた所ではなく、独り言を聞かれていた事が恥ずかしいのだった。

「気配消すの、上手過ぎですよ」

「そういうのは、ホントに気配を読めるようになった時に言いなさい」

「はい、そうですね……」

 素直に認めるしかない。

 本来は口下手で、適当な応答も上手くない事から会話を弾ませる事が出来ないのが羽美だが、この教師はこの通り愛想を振り撒かせる巧みな技術を持ち合わせているので、内気な羽美でも彼相手なら自然と明るく話せるのである。

「さて本題だが、何故俺が待ちなさいと言ったか解るか?」

「――思わせぶりな話し方、止めて下さい」

「解ってるならいい。あと『思わせぶり』の使い方違うぞ。活動はどうした?」

 さり気なく間違いを訂正する言葉に、小さくなってはいけない。

「やってます」

「文芸部というのは自作の小説や詩を作ってを作るのが課題なんだが」

「…………」

 痛い所を突かれてしまった。彼の言う事は最もだ。春夏秋冬で季節を巡る一年、四冊は部員の作品を閉じ込めた部誌を作るのを目的とするのが文芸部なのだ。それを無視する訳にはいかない。秋から一人な羽美は、当然と言うべきか、今年度の秋と冬の部誌を作成していない。しかも部誌は顧問に提出する決まりなのだ。九月からそれが音沙汰なしな事に気付いた顧問が、そろそろ羽美を叱りに来たのだろう。

 だが、それは果たして有り得るのだろうか。

「先生、私が入部したばかりの頃、言いましたよね」

 羽美はテーブルの上に手の平をバンッと叩き付けた。

「この部活は縛られない所だ……って。部長とかはちゃんと決めるぐらいで、後は自分の好きな様にやると良いって。私はそれを聞いて正直不安になりました。文芸部の本来の活動をしない部員が続出するんじゃないかって。でも私は一人になって解りました。先生は強制な作品作りをする必要はないと伝えたかったという事を」

 普段授業であてられた時もボソボソと喋るのに、男性に、ましてや顧問にここまで反発出来る自分に驚く。それとも、少し言い過ぎたか。というか何処か言い方が変だったか。言えても言った後に心配してしまうのでまるで駄目駄目だ。そんな感情を顔に出さないよう、精一杯真剣な面立ちを保つ。

「……そうだね」

「はい」

 顧問は意外にあっさり同意する。良かった。勝った。

 ――否、言わされたと言った方が正しかったらしい。顧問は急にワハハと笑い出した。

「そうそう! それで良いんだよ、羽美ちゃん。君はここで自分を見付けるも良し。今を大事にするも良し。鍛えるのも良しだ。勉学という厳しい道を行く中、ここを休憩場所にしなさい」

「先生……良いんですか?」

「ああ。それに部員一人のままじゃ、部誌作るにも一人の作品しか入れられないからね。三月までは部誌制作も休んで構わない。ただし、春までに新入部員が入ったら確り部誌制作に戻って貰うよ」

「入りませんよ、多分……」

「分からないぞ。それに、入ったら入ったで羽美ちゃんの人付き合いが増えるじゃないか」

 この人はいつも欠点をついては笑い話にする。中には笑い話にして欲しくない事もあるのを解っているのだろうか。

(人との付き合いか)

 羽美は友達が少ない。それに文芸部に誘う勇気もない。友達はみんな何処かしらの華やかな部活に入っている上に、掛け持ちは一人ひとりの生徒にとってはなかなか厳しかったりするものだ。

「って、結局先生は何を言いに来たんですか?」

「ん? 決め台詞を言いに来た」

「何処が決まっていたのでしょうか……」

「そういうツッコミ能力も、同級生に見せられたら好感度アップだぞ。あー基本羽美ちゃんはボケだったな」

「そんな事ないですっ」

「照れる事はない。ボケが出来る子はすなわち天然だ。天然女子はモテるぞ、異性に」

「別に、モテたいとは思いません」

 謙遜でもなく本心である。異性に興味はない事はないが、複数に惚れられたいとは思わない。

「では、新入部員が入る事を祈って!」

 羽美としては、入らなかったら入らなかったで、読書の時間を存分に楽しめるのだが。顧問はそれを許さないのか。

 そうはさせないと反発しようと思わないのは、心の中で羽美も、部員仲間を作りたいからかもしれない。

 顧問が部室を出てドアを閉める。再び一人になった狭い空間の中で、ふと窓の外を見る。その時いつの間にか空は真っ暗闇に染まっている事に気付いた。

「いけない、もう五時半だ」

 羽美はリュックを背負しょって急いで部室から退散する。走って追い付いた顧問に部室の鍵を渡してから昇降口を出ると、夜空で星が瞬いていた。

 羽美は両手の指を絡めてぎゅっと握り締め、星々に向かってお祈りをする。

 心の中で確かに「大切だと思える仲間が見付けられます様に……」と唱えた。

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