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羽美×恭賀

誰でも良い。

心から、真に自分を受け止めても良いと示したくれた人の存在を知った時、

彼女は変わる事が出来た。

諦めなくて良かった。

ここに居て良かった。

一緒に居たいと、一緒に居て幸せだと感じる人達が出来て良かった。

晴天の空を仰いで、零れ落ちそうになる嬉し涙を笑顔で引っ込めて、また歩き出す――。

 いけないと思いながら廊下を走る。校舎の中でも肌に当たる風は冷たく、春がやって来るのはいつだと文句を言いたくなった。夏生まれだからというのは理由にならないかもしれないが、寒いのはいつまで経っても苦手だ。

 羽美は右手で鍵を握り締め、文芸部室へ向かった。

 現在の時刻は昼の十二時四十分。昼休みである。この学校では、昼休みに部活動は極力禁止と定められている為、基本、部室を開けるのも禁止だった。

 しかし今回は顧問にも内緒で、こっそり部室を開けさせて貰う。何故なら昨日、薫に返す予定の文庫本を部室に置いて来てしまったからだ。

 部室にあるのなら部活の時にでも返せば良いのだろうが、今日は木曜で、文芸部は休みという事になっている。といっても、詩音や光一の場合はそんな事お構いなしに、毎日の様に部室に通っている訳だが。

 その一方、休みと言われればそのまま家に帰ってしまうのが薫だ。よって、今日中に返せと言われた本は時間に余裕のある昼休みに取りに行かないと、彼に返却するのに間に合わないのだった。

「はぁはぁ……着いたあ」

 人目を避けて(走ったので)、やっと部室の前まで来た時には、息は苦しく喉はぜえぜえ言っていた。思わず両膝に手を載せて、ドアの手前の所で休憩がてら立ち止まってしまう程疲れた。

(あはは。やっぱり私、運動不足だなあ)

 この前、詩音に誘われたサイクリングを休日にやってみようか。その他のスポーツは自信ないが、自転車なら羽美でも乗れる。

 頭の中でぼんやり先週の土曜の日を思い出しながら、鍵穴に鍵を入れてドアノブを回した。

 部室に入った途端、朧げだった記憶がクリアになる。

 つい最近まで、羽美には学校を休んだ時に、心配してお見舞いに来てくれる子など居なかった。その事が、やはり何処か寂しかったのかもしれない。自分には友達が居ないという事をアピールしているようなものだったから。結局いつも、お見舞いに来て貰う程の友達付き合いをしていないからだと自分に言い聞かせる事しかなかった。

 だから、詩音と薫、光一が家にやって来た時は、羽美はとても嬉しくなった。風邪をうつしてはそちらに迷惑だと言ったにも関わらず、彼らは彼女を訪ねてくれた。

 その時は同時に、羽美の母もテンションが上がっていた。娘が女友達だけでなく男友達まで作ったという事実に、だ。

 元々、文芸部という括りがなければ詩音だけでなく、薫や光一とは接点など持たなかっただろう。――文芸部室が、羽美の本当の休憩室になったのはいつからだったか。

 後ろ手にドアを閉めると、一人ポツンと、部室全体を見回す。何て事もない狭い部室だ。大きなガラス戸の棚が一つ。灰色の長方形のロッカーは一つで、その上には木製の引き戸式の棚が二つある。部室の隅には何故か折り畳まれた畳と野球で使うバッドに、吊らされてもいない風鈴が転がっている。

 一応中央には細長い木製のテーブルと、会議室で使う様な白いテーブルが二つあるだけ『部活』でマシな方になる。

「あ、あった」

 本来の目的を思い出し、羽美は木のテーブルの上に放置された小説を手に取る。これで後は放課後に薫の教室まで行けば良い。

 今行っても良いが、まだ他のクラスの教室に入るのは緊張した。薫のお昼の邪魔になるのも嫌だ。

(優柔不断で、まだまだ人付き合いニガテだけど……ちょっとは強くなれてるかな)

 こんな事を思う事だって、なかった。すくなくともこの部室で、たった一人きりで居た時は。

 けれど、今は一人ではないのだ。


 ガチャッ


 羽美は本を持ったまま肩を飛び跳ねさせる。背後でいきなりドアが開かれて吃驚したのだ。

 振り返った先には、文芸部の顧問が居た。

「恭賀先生」

「よう」

 一応四十歳であるとは聞いているが、手を低く上げて軽い返事をする様は若々しい。顎に髭がポツポツと残っているお陰で、二秒でオジサンだと認識し直せるのが救いだった。

 しかし何故、部活の時間でもないのに顧問がやって来たのだろう。

「ど、どうして」

「どうして? 俺が昼飯に割り箸を取ろうと引き出し開けたら、部室の鍵が蛻の空だもんな。もしかしたら校則違反しているんじゃないかと思って、様子を見に来たんだよ」

 羽美がした違反というのは、昼休みに部室を開けた事だ。それと廊下も走ったが、そちらは言わないでおこう。

「す、済みません。あの、借りた本を返すのに、取りに来たんです……そんなつまらない事情じゃ部室開けるの許して貰えないんじゃないかと思って……こっそり鍵取っちゃいました」

「〝盗っちゃいました〟ね。まあ俺はそんな細かい事グチグチ言わないが、教頭が煩いからなあ」

 ハハと笑いながら恭賀が後頭部を撫でる。国語担当の彼は、今日に限って白衣を着ていた。

「もうしませんっ。だからあの、失礼します」

「はいはい。鍵は俺に渡して」

「あ、はい。じゃあこれ……」

 やり過ごしてさっさとここから出よう。恭賀の横を通り過ぎた途端、鍵を渡すのに羽美が再び部室の方を振り返ると、恭賀越しに見えた白いテーブルの上に部活記録用のノートが目に入った。

「…………」

「ん? 羽美ちゃん、どうした」

 羽美は暫くそのノートをじっと見つめ、案の定固まった。つい先週までは棚の上に置いてあった筈の物が、あんな取り易い位置に移動しているという事は――

(皆に中身、見られちゃってるんじゃ……)

 羽美はみるみる蒼白していった。

「わわわわわわっ!」

「え、か、風間!?」 

 鍵が手元からぽろりと床に落ちるのも構わず、頭の中がパニックに陥り、慌ててテーブルまでダッシュしてノートを手に取る。

「〇△×@&%#▼~~ッ」

 羽美は自身で何を言っているのか解らなくなった。意味もなく目がぐるぐる回り、焦点が何処にも合わない。

 両腕で確りとノートを抱く。どうして、ノートに挟んでいたあの紙を捨てておかなかったのだろうと、今更後悔の念がじわじわとやって来る。

(こんな物……見られたら)

 羽美の中では、未だ黒い感情が凝り固まっていた。

(絶対、嫌われる)

 自分の頭の中がこんなに暗いものだと知られたら、確実につまらない子だと、根暗な子だとレッテルを貼られる。誰しもレッテルなど気にしないという顔をしているが、実際は殆どの者がレッテルで他人を分析する事が多いのは、羽美自身が一番よく知っている。

 怖いのだ。友達だと思っていた子が、自分にとって恐怖にしかならない言葉を発するのが、怖いのだ。

 信じたいのに。こんな暗い文章を見ても、幻滅などしないと彼らを信じたいのに――。

(世の中は、漫画や小説みたいに上手く行かない)

 いつだって、悪い予想を先に想像しておく。でなければ、後でショックが大きいから。出来るだけ自らに付く傷が小さいもので済むように。『期待』を先にしてはいけない。

 ――悲しかったのに。そんなカタチでしか自分を守れない自分が、こんなに情けなく思うのに。

 だが止められない。羽美には、人生で邪悪な障害が多過ぎた。

「……ッ」

 羽美の縮こまる背中を見ていた恭賀は、ふと溜息をついた。その音さえも、羽美には追い討ちにしかならなかった。

「先生。私、もう行きます……」

 本を取りに来ただけたったのに、余計な感情も一緒に持ち帰る事になった。踵を返そうとした。

「待ちなさい」

 呼び止められる。

 彼に呼び止められるのは、初めてだ。

 羽美はその場から動けなくなった。

「……?」

「なあ羽美ちゃん。俺はね、羽美ちゃんを信頼しているよ」

 ――目頭がふわりと熱くなる。痛めていた胸の内には、何も無くなった。

「え……?」

 言葉の意味がよく解らない。『信用』なら良い。だが、『信頼』される程の事をした時があっただろうか。

 恭賀の方を見ると、彼は目を細めて微笑んでいた。

「頼りにしてる。必要だ。だから、嫌いになりたくない」

 彼女の心を、ずっと知っていたかの様な口振り。

 期待は儚いものだと思っていた。けれど、違った。期待は一途な願いだった。羽美は、ずっと誰かに願っていたのだ。それが甘えだと知っていても、温かな言葉が欲しかった。

 それはこれまで突き放され続けた願い――。

「どうして」

 心境の変化か。恭賀らしくない。

 羽美は文芸部室に顧問が度々寄ってくれて、気にかけてくれただけでも既に救われている。

 彼に救われるのに、〝二度目〟は無いと思っていたのに。

「今の言葉はね、紙に書きそびれたんだ」

 突然の呆気ない言葉に、羽美は出鼻をくじかれた心持ちがした。

「書きそびれ……?」

「ノートの中にある紙を開いてごらん」

「……自分を、受け止めろっていう後押しですか」

 羽美は、少しだけ今の口調が不快に思わせるものだったかもしれないと思った。だが恭賀は変わらず微笑み続けてくれた。

 彼は言った後に、無言で頷いて羽美を促す。

 仕方ない、と諦めたかの様に羽美はノートを開いて、挟んでいた紙を握る。書くべきではなかった。けれど、やっとの思いで感情をカタチに出来た物だから、さっきは捨てておくべきだと簡単に思えたが、やはり捨てられない。

(見つめ直す……そうだよね。自分で書いた物なんだから、ちゃんと見られる筈だ)

 羽美は二月程前に書いた紙をそっと開く。中には、お世辞でも上手と言えない、女子が書いたと思えない悪筆で書かれた文章。

 文自体に変わりはなかった。陰湿な文章を全部消すのが面倒で、紙の上半分だけに言葉が残った。否、絶望の文も残っていた。

 ――瞬間、羽美が書いた文と文の間の余白に、明らかに別な人物が書いた字が並んでいる事に気付く。

「これ……って」

 そこには、こう書かれていた。



『あたしね、少し前まで、羽美みたいな人付き合いが苦手な子が嫌いだったの。でもね、落ちこまないで。もう分かってる。羽美がどれだけ怖い思いしたか、あたしはよく分かった。だから、上手く言えないっていうか書けないけど

                     味方でいたい。ずっとずっと、あたしは羽美の味方で、友達だからね  詩音』


『羽美っちへ、この前、屋上でお昼ご飯食べてみたいとかぼやいてたでしょ? 俺とマンモス・ザ・シオンとかおるんがその願い叶えてみせます、って事にしたよ。羽美っちがこれに気付いて読んでくれるまで、俺らお昼には毎日屋上で待ってるから。早く来いよな! 光一』



 詩音と光一が埋めてくれた余白。正しく言えば、羽美本人が力を籠めて文章を消したその上に、新しく重ねられた言葉。

 驚きを隠せず、羽美は呆然となる。

 そして、羽美を孤独から切り離してくれた彼のメッセージも入っていた。

 三人の中では一番上に書かれていた。



『   絶望じゃない。アンタがここに綴った言葉は、絶対無駄じゃない。

               お前が誰かに何かを伝えたいっていう思いがあるなら 大丈夫。



                         ――きっともう繋がってる』


 


 月並みで、如何にも気恥ずかしい。だがそれは、何よりも心に響き、涙が出るくらい嬉しかった。

「薫君……」

 男の子を下の名前で呼ぶのは小学生以来だった。

「詩音、光一君」

 同級生を呼び捨てにするのは詩音が初めてで、あんなに自分に気さくにしてくれた男子は光一くらいのものだった。

 味方だ。友達で、仲間だ。

 あの三人だけでなく、羽美は出会った人達と色んな色の糸で繋がっているのだと感じた。それが良き出会いと思わなかったのは、羽美自身だったかもしれない。

 未だ、絶望の寸前だった時の自分は明確に思い出せる。それでも、いつか消化出来るだろうか。良きカタチで、自分が歩んだ道の一つとして、微笑ましく思える日が来るだろうか。

 羽美はさっきまで開くのが怖かった紙切れが、こんなに素敵な宝物になる事など予想だにしなかった。そっと抱き締め、優しく包み込む。これ程嬉しいサプライズはない。 

 縁もないと思っていた感情が羽美の中で生まれて、とても温かい気持ちになる。

「もう大丈夫、かな?」

 突然恭賀に声を掛けられる。ふと壁に掛けられた時計を見ると、彼是二十分も部室に留まってしまっていた。

「あっ」

「ほら、風間。多分碧川達待ってるぞ?」

 恭賀が詩音達が屋上に居るのを知っている所を見ると、多分彼もこの紙を読んだのだろう。

 そうだ。羽美にはまだ、伝えなければならない事が残っている。

「……先生」

「ん?」

 丁度恭賀は鍵を拾って部室から出る所だった。羽美は静かに呼び止める。

「何だい」

「私の勘違いなら、笑って下さって結構です」

「?」

 彼女が何と言うのか予測出来ない恭賀は、今回ばかり素で疑問符を浮かべた。

「……先生、ですよね。繋ぎとめてくれたの」

 唐突だっただろう。恭賀は未だ何の事だか解らない顔をしている。羽美は続ける。

「私の事を、皆に話して下さったんですよね。――知ってました。三人共、恭賀先生から何か聞かされたとか話した事なかったけど、でも、何となく解ってました」

 恭賀にいつだか見られていた事に羽美は気付いていた。部室で一人泣いていたのは、一回二回の話ではなかったから。

「吹聴したみたいで、その事は言わないつもりだったんだけどなあ」

 恭賀が白状する。彼の弱った表情は、見ていて新鮮である。

「私……」

 いつもの事ながら、羽美は口をもごもごさせてしまう。伝えたい事を伝えるのは難しい。けれど、ちゃんと言いたい。

「ずっと、先生に申し上げたい事が」

「ははっ。今度は改まって何だい」

 では、いつもからかわれているお返しだ。

「私の事――『羽美ちゃん』か『風間』と呼ぶか、ちゃんと定めて下さい」

 ――……知っている。多分あっちは拍子抜けしただろう。

 とにかく、羽美が恭賀に恋愛感情を持つ事はまずない。逆もまた然り。告白と言えば告白だが、そのテの雰囲気は決して作り出してなどいない。加えて、詩音が恭賀に好意を持っている事だって承知しているのだ。

 恭賀はさすがにポカンと間抜けな顔をした。

 そして、


「ありがとうございます。先生は、私の恩師です」


 ここで何か感動的な言葉は出なかった。

 しかし、まずは初めに『ありがとう』。感謝の言葉。それを言えただけで、羽美は満足だ。


「信頼してます。私も、先生を、皆を」


 こんな事を言える日が来た事が、羽美はとても嬉しい。

 大切にしたい思い出を、これから彼らと紡いでいきたい。

 言いたい事を言い終えると、羽美は部室から走って屋上に向かった。恭賀が後ろで「廊下は走るなよー」と言うのが聞こえたが、今回は見逃して貰う。

 恭賀が顔を赤くしていた事を、羽美は知らない。



      ***


「あ、羽美ー! やっと気付いたわね」

「おー。あと一週間は来ないなって話してたとこだぜ」

「つーかあと二十分足らずで昼休み終わりだっつーの。風間、早くしろ」

 空が青い。いつしか、星が瞬いたあの夜を思い出す。この空の下、羽美には辛い事も楽しい事もあった。

 だが全てを大切にしたい。

 今の自分を造り出したのは自分だ。

 これからの自分を作っていくのも、自分なのだ。


「うん!」


 彼女の瞳に映る瑞々しい蒼色は、暖かな優しい色に染まっていた。





















こんにちは。


『わたしの休憩室』、お付き合い頂き有難うございました。


以前、私は『サイレント・スノウ』というお話も書いた事があります。

そのお話の主人公も、羽美と同じで弱々しい女の子でした。

そういう女の子の感情を書き始めると、いっぱいいっぱいになります。

だから書き応えがありました。


もう一つは謝罪です。

この物語は、私の個人的な感情を書いてしまう事が多々ありました。

勿論、私の意見とはまったく違う感情も描写しました。

けれど一人よがりな部分もあったと思います。申し訳ありません。



それでは、最後に。

私自身も文芸部という事で、部室の中の様子を描くのはとても楽しかったです。

文芸部、とあらすじに書いておきながら活動自体はあまり書きませんでしたが。

ほのぼのもあったし、暗い時もありました。

けれど彼女達に『休憩室』を与えられたのなら

私も遊びに行きたいです(笑)



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